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異世界ゆうしゃA ~亡国の残響~  作者: 小城乃ひかり
第二章 世界の声

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門 (3)

異世界ゆうしゃA ~亡国の残響~

「ノクト!!」

ライディスが叫んだ。


初めてだった。

あの男が、叫んだ。


「止めろ。今すぐ止めろ」


ノクトは振り返らなかった。円環を見ていた。光が強くなり続けていた。浮遊する文字が円環の内側へ流れ込む速度が上がっていた。

「止める理由がない」


「この世界が終わるぞ」


「更新される」


「同じことだ!」

ライディスが右手を上げた。


風が生まれた。圧縮された魔力の風が、ノクトへ向かって走った。

ノクトは右手を軽く上げた。

雷光が一本、風を貫いた。風が散る。ライディスが後退した。

「邪魔をするな」

ノクトの声は静かだった。

「これは止まらない。もう始まっている」


エルクは円環を見た。

ノクトの言う通りだった。

誰かが何かをしたわけではない。門が、自分で動き始めていた。何千年も眠っていたものが、自分の存在に気づいた何かに呼応して、目を覚まし始めていた。


《残響》が、激しく揺れた。

「エルク」

ノクトがエルクを見た。


「残響は鍵だ」

エルクは動かなかった。

「どういう意味だ」


「そのままの意味だ」

ノクトは円環へ視線を向けながら言った。

「門を開くには条件がある。並行世界の情報を観測できる存在が、門へ接触し、世界間の情報を同期させる必要がある」


「それが《残響》か」


「《残響》だけが、門の言語を読める。門の言語とはすなわち——世界間の共通情報だ。どの世界線にも存在する、普遍的な記録の形式だ」

エルクは円環を見た。


浮遊する文字。あの文字が、世界間の共通言語だ。だから《残響》を通じて、意味ではなく感覚として伝わってくる。翻訳される前の、情報そのものとして。

「お前だけが門を開ける」

ノクトが言った。

「この世界に存在する誰よりも強い器を持ち、壊れていない《残響》の保持者は——今この瞬間、お前だけだ」


「俺が?」


「そうだ」

エルクは自分の手を見た。

普通の手だった。

この手が世界を終わらせる鍵だと、この男は言っている。

「断ったら」


「門は開かない。今は、まだ」


「今は、まだ」


「《残響》なしでも、いずれ別の方法を探す。だが——お前が触れれば、今夜終わる」

ライディスが前に出た。


「エルク」

その声が、いつもと違った。

命令ではなかった。

「近づくな。あれに触れるな」


「お前に従う理由がない」


「理由は一つだ」

ライディスは円環を見た。

「あれに触れれば——お前の《残響》が、どうなるかわからない。過去の継承者は全員、情報の暴走で壊れた。門の情報量は、戦場の比ではない。触れた瞬間に、お前という存在が——」


「壊れる」


エルクが続けた。

「かもしれない」


「確実にそうなる」


「確実ではない」

ノクトが言った。

「だから私はエルクを選んだ。壊れていない。これだけの状況で、まだ《残響》を制御している。過去の継承者とは根本的に器の質が違う」


エルクは二人を見た。

ライディスは止めようとしている。ノクトは開けようとしている。どちらも、エルクという存在を中心に話している。だが——エルク自身の意志を、誰も聞いていなかった。

「俺が決める」

エルクは言った。


両者が、エルクを見た。


「俺の《残響》で、俺が決める。お前たちのどちらかの命令で動くつもりはない」

沈黙が落ちた。


リアが、エルクの隣に来た。

「エルク」

小さく言った。

「どうするつもりだ」


エルクはリアを見た。

「わからない」


「正直だな」


「わからないから、近づいてみる」


「馬鹿か」


「たぶん」

リアは少し目を伏せた。

それから、大剣を背負い直した。

「なら私も行く」


「危ない」


「私だけ安全な場所にいられるか」


シュウが前に出た。

「俺も行く。当然だろ」


「シュウ——」


エルクは二人を見た。

何も言えなかった。

ありがとう、という言葉が喉まで来て、出てこなかった。出す必要がない気がした。


三人は空洞の縁へ向かった。

ライディスが前に出ようとした。


ノクトが、その前に立った。

「退け……ライディス」

ノクトの声が、低くなった。

「お前には止める力がない。」


「やってみなければわからない」


「無駄死にするな」


「死なない」

ライディスは風を展開した。

ノクトが黒炎を広げた。

二人の力がぶつかった。その衝撃が空洞に響き、円環の光が一瞬強くなった。


その隙に、エルクたちは縁から飛び降りた。


空洞の底は、思ったより遠くなかった。

崩れた岩の斜面を滑るように降りて、黒い金属の床に着地した。固かった。冷たかった。だが金属の感触は、不思議と生きていた。足から何かが伝わってくる。微弱な振動。鼓動のような、規則的な何かが、床全体を流れていた。

「でかい」

シュウが見上げた。

円環が、目の前にあった。


上から見下ろしていた時とは、全く違う印象だった。

五十メートルを超える巨大な輪が、頭上に広がっていた。黒い金属の表面に刻まれた文字が、間近で見ると細部まで精緻だった。一本の線が、複雑に折り重なって文字を形成していた。それが無数に、円環の全周を覆っていた。


浮遊する文字が、近くで見ると光の粒子で構成されていた。

粒子が集まって文字を形成し、ゆっくりと動きながら、円環の内側へ向かって流れていく。吸い込まれるように。

円環の内側の空間は——近づくと、さらに異質だった。

向こう側が見えそうで、見えなかった。

青みがかった空気が、膜のように張っていた。触れれば何かが起きる、という予感が、本能として来た。

《残響》が限界に近かった。


床から伝わる振動が、《残響》と共鳴していた。足の裏から情報が流れ込んでくる。この施設全体が、《残響》に向けて何かを送り続けていた。

「……聞こえる」

エルクは呟いた。


「何が」

シュウが聞く。


「門が——話している」

言語ではなかった。

情報だった。

門が、エルクへ向けて直接、情報を送り込んでいた。《残響》を通じて。

内容は取れなかった。

量が多すぎた。


耳鳴りが来た。


強いノイズが混じった。制御しようとして、できなかった。《残響》が大きく開いた。

流れ込んできた。


声だった。

一つではなかった。無数だった。

「開くな」

女の声だった。どこの言語かわからない。だが意味だけが来た。

「開け」

老いた男の声だった。

「戻れ」

子供の声だった。

「終わらせろ」

知らない声だった。

「もう終わりにしろ」

また別の声。

「まだ終わるな」

また別の。

全部重なった。


矛盾した声が、同時に来た。開けという声と、開くなという声が、同じ大きさで混ざり合った。どちらが正しいかわからない。どちらも正しいのかもしれない。別の世界線から来る声なら、どちらも本物だ。


「っ——」

エルクは頭を抱えた。

「エルク!」

リアが駆け寄る。

「《残響》か」

「……声が。たくさん。矛盾してる。全部同時に来る」


「こらえろ」


「こらえてる…」


「もっとこらえろ」


「これ以上言うな」

シュウが二人の間に割り込んだ。

「エルク、一個だけ聞く。今、自分が誰かわかるか」


「……エルク・レイン」


「どこから来た」


「日本から。」


「俺は誰だ」


「シュウ。うるさい同僚みたいなやつ」


「同僚じゃなくて仲間だろ」


「……仲間だ」


「よし」

シュウが肩を叩いた。


「自分が誰かわかってる。まだ壊れてない」

エルクは息を整えた。

シュウの声が、ノイズを押し返した。現実の声が、《残響》の濁流を一瞬だけ薄めた。

「ありがとう」


「礼はいい。で、どうする」

エルクは円環を見た。


声はまだ来ていた。矛盾した声たちが、頭の奥で重なり合っていた。だがシュウの言葉で、少しだけ焦点が戻った。

「触れてみる」


「やっぱりそうなるか」


シュウは円環を見上げた。

「ただ、触れた後に帰ってこい」


「帰ってくる」


「約束だぞ」

エルクはリアを見た。

リアは何も言わなかった。

ただ頷いた。


それで十分だった。

エルクは円環へ向かって歩いた。


一歩ずつ。


近づくほど、《残響》が強くなった。声の量が増えた。ノイズが増えた。視界の端に、別の世界の断片が見え始めた。


知らない都市。

知らない空。

知らない戦場。

知らない顔の人々が、一瞬だけ現れて消えた。

別の世界線のエルクが、見えた気がした。

死んでいるエルクだった。

戦場で倒れているエルクだった。

《残響》を持ったまま、暴走して消えたエルクだった。

無数の、別の世界線の自分が、一瞬ずつ見えた。

壊れた自分が、無数にいた。


「……俺だけか」

エルクは呟いた。

壊れていないのが。

無数の世界線の中で、壊れずにここまで来たのが、この世界線の自分だけなのか。


それが何を意味するのか、まだわからなかった。

だが——足は止まらなかった。


円環の前に立った。

内側の空間が、目の前にあった。

青みがかった膜。向こう側が見えそうで見えない空間。

《残響》が、最大まで開いた。

制御ではなかった。


限界を超えた。

流れ込んでくる声が、もう数えられなかった。無数の世界の無数の声が、エルクという一点に集まってきた。


手を伸ばした。

「エルク——!」

リアの声が来た。

指先が触れた。


光が生まれた。


円環全体が、一瞬で白く輝いた。

浮遊する文字が、全部同時に動いた。台座の計器が、一斉に反応した。床の振動が、爆発的に強くなった。

《残響》が、完全に開いた。

世界が——

エルクの視界が、白に飲み込まれた。


声が止まった。

無数の声が、一瞬だけすべて止まった。

沈黙だった。


完全な沈黙が、一瞬だけあった。


そして——


全部が来た。

死者の声。別世界の記憶。滅んだ文明の記録。未来の断片。過去の残骸。世界崩壊の記録。異世界召喚の記録。無数の勇者たちの最後の瞬間。古代戦争の全記録。門が作られた日の記憶。門が封じられた日の記憶。

全部が、一度に来た。


エルクは消えなかった。

壊れなかった。

ただ——全部受け取った。


光の中で、エルクは立っていた。


そして光はこの場にいる全てを包んだ。


リアとシュウが光に飲み込まれた。


ライディスと追跡部隊が光に飲み込まれた。


ノクトが、光の中で目を閉じた。その表情に、安堵があった。


世界が、白くなった。


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