追われるものたち (3)
ちょっぴりダークな異世界転生ファンタジー。
勇者は一人ではない。
番号を与えられ、量産され、戦場へ送られる世界。
“勇者A”と呼ばれた少年は、
モブのまま消えていくのか。
それとも・・・英雄になるのか。
『異世界ゆうしゃA ~亡国の残響~』
異変に気づいたのは、翌朝だった。
夜が明けて間もない時間。山の東側から、薄い光が差し込み始めた頃。三人は岩棚を出て、再び山道を下り始めていた。
エルクが最初に感じた。
《残響》が、何かを拾っている。
生々しい、今この瞬間の緊張感だ。誰かの集中。狙いを定める意識。それが複数、周囲に散らばっている。
「止まれ」
低く言った。
三人が同時に足を止めた。
「何だ」
「囲まれてる。まだ接触してないが——少なくとも四方に人間がいる」
リアの手が大剣の柄へ動く。
「数は」
「わからない。五、六人……いや、もっとかもしれない」
シュウが周囲を見回す。木々の間。岩の影。雪に覆われた斜面。何も見えない。だが、ある一点で動きが止まっている——息を殺している人間の気配が、確かにある。
「レグルスか」
「おそらく」
リアが静かに言った。
そして。
動いた。
木々の間から、人影が出てきた。
一人ではなかった。
左右の木立から、岩陰から、雪に覆われた斜面の上から——六人が、同時に姿を現した。全員が黒い軽装の鎧をまとっている。顔を布で覆い、目だけが出ていた。武器は統一されていた。細身の剣と、腰に下げた魔導石。
精鋭だった。
動きが違う。前線に送られる勇者たちの隣で戦っていた一般兵とは、重心の置き方から違う。無駄がない。感情が表に出ていない。任務だけがある。
先頭の一人が、一歩前に出た。
「A-271」
声は低く、平坦だった。
「軍務卿の命により、確保に来た。抵抗しなければ傷つけない」
エルクは答えなかった。
「A-244も同様だ。大人しくしろ」
「俺たち、番号で呼ばれてる」
シュウが小声でエルクに言う。
「気分悪いな」
「同感だ」
先頭の男がリアを見た。
「お前は——」
「黙れ」
リアが遮った。
大剣を抜く。鞘走りの音が、静かな山に響いた。
先頭の男の目が、わずかに変わった。リアの構えを見た瞬間の、一瞬の動揺。すぐに消えたが、確かにあった。
「……抵抗するなら、実力で確保する」
「やってみろ」
六対三。数では負けている。だがリアは動じない。エルクとシュウも剣を抜いた。
その時。
地面が、揺れた。
低い振動だった。
最初は風の音かと思った。だが違う。地面の下から来ている。石が、土が、何かの動きに応じて震えている。
追跡部隊の男たちの動きが止まった。
先頭の男が、周囲を見回した。
「……なんだ」
エルクは《残響》を開いた。
流れ込んでくるものがあった。
機械的な信号だった。
あの感覚を知っていた。
――対象確認。――
――異邦人反応。――
「っ——」
「散れ!」
リアが叫ぶより早く、地面が割れた。
岩盤が砕ける音。土煙が上がる。追跡部隊の男たちが一斉に跳んで距離を取った。エルクたちも後退する。
地面の裂け目から、それは這い出てきた。
巨大な岩石の腕。
黒く変色した岩盤のような外皮。地面を掴むように、指が広がる。続いて頭部が出てくる。岩壁を思わせる表面。その中心に、黒い光を放つ核が埋まっていた。
異邦喰いだった。
「またこいつか……!」
シュウが叫ぶ。
「なんでここに!」
異邦喰いは追跡部隊の男たちを無視した。
エルクを向いた。
シュウを向いた。
そして——動いた。
岩の腕が地面を叩く。衝撃が雪面を走り、エルクとシュウへ向かってくる。二人は左右に跳んで回避した。追跡部隊の男たちの方には向かわない。完全に、異世界人だけを狙っていた。
「偶然じゃなかったのか」
温泉街での異邦喰い。あれは偶然ではなかったのか。異世界人だけを狙う。この山にも現れた。追跡部隊が来た直後に。
「リア」
「わかってる」
リアが異邦喰いの側面へ回り込む。大剣を構える。だが正面切って斬り込まない。牽制だ。
「シュウ、右の核を見ろ。前回と同じ構造だ」
「見てる!」
シュウは《レプリカ》を展開しながら後退する。右手に握った石片を左手へ複製。投擲の準備を整えながら、異邦喰いの動きを見切ろうとしている。
追跡部隊の男たちは動かなかった。
任務は確保だ。この混乱の中で動くべきか、待つべきか——先頭の男が判断を迷っている気配がある。
エルクは異邦喰いの核を見た。
黒い光。あの光の奥に、《残響》で聞いた声がある。
――異邦人反応。――
プログラムされた動作。機械的な選別。これは魔物ではない。作られたものだ。誰かが意図を持って作り、誰かが意図を持って動かしている。
「……誰が使役してる」
エルクは呟いた。
視線が、追跡部隊の男たちへ向いた。
彼らは異邦喰いを避けている。狙われていない。異世界人ではないから——ではない。もし本当に偶然の出現なら、彼らも警戒するはずだ。だが先頭の男の目は、異邦喰いではなくエルクたちを見続けていた。
追い込む気だ。
異邦喰いで追い込んで、逃げ場をなくして——確保する。
「シュウ!」
「何!」
「異邦喰いを止めるより、核に集中しろ。一点突破だ。前回どうやって核に当てた?」
「リアが斬り込んで、隙を作ってくれた時だ!」
「同じようにやれるか」
「やってみる!」
リアが動いた。
異邦喰いの正面へ踏み込む。大剣を振り上げる。岩の外皮に刃が食い込む。完全には斬れない。だが怯む。その一瞬。
シュウが複製した石片を全力で投げた。
核に当たった。
黒い光が揺れた。
異邦喰いの動きが、一瞬だけ止まった。
だが——止まっただけだった。
前回とは違う。温泉街で相対した時は、核への攻撃が有効だった。だがこの個体は、核への衝撃を受けた後、さらに速くなった。まるで痛みが怒りに変換されるように。
「効いてない!」
シュウが叫ぶ。
「核の位置が違う。もっと深い」
リアが舌打ちする。
岩の腕が薙ぎ払う。リアが跳んで回避した。着地した瞬間に地面が揺れ、また腕が来る。連続攻撃だった。前回よりも動きが洗練されている。同じ個体ではないかもしれない。あるいは——改良されているのか。
「エルク、《残響》で核の位置を読めないか!」
リアが叫ぶ。
エルクは《残響》を開いた。
機械的な信号が流れ込んでくる。
――対象追跡中。――
――排除優先度、最大。――
信号の発信源を辿る。前回より深い。岩盤の表面ではなく、内部の中心近くに核がある。だが——信号の経路が見える。外皮の中を走る、細い光の線。
「左肩の継ぎ目だ。外皮に隙間がある」
「見えた」
リアが即座に反応した。
大剣を下段に構え、踏み込む。異邦喰いの岩の腕が迎撃に来る。リアは避けない。腕の下を潜るように体を低くし、左肩の継ぎ目へ刃を滑り込ませた。
金属音と岩の砕ける音が重なった。
継ぎ目が割れた。
黒い光が噴き出す。
「今だ!」
シュウが駆ける。右手に握った鋭利な石片を左手へ複製。両手に持ったまま、露出した核へ向かって全力で叩き込んだ。
核が、砕けた。
黒い光が散る。
異邦喰いの動きが止まった。外皮の各部が順番に崩れていく。膝をつくように体が沈み、そのまま地面に倒れた。轟音が山に響く。雪が舞い上がる。
静寂が戻った。
三人が荒い息をついた。
「……倒した」
シュウが膝に手をつく。
「今回はきつかった」
「改良されてる」
リアが砕けた核の残骸を見ながら言う。
「同じ手が二度通じると思うな」
エルクは核の残骸に近づいた。《残響》で触れる。信号が消えている。だが消える直前、一瞬だけ何かが流れ込んできた。
発信先があった。
信号を受け取っていた場所が。
「……誰かが、この異邦喰いを操作していた」
「レグルスか」
「だと思う。でも今は——」
その時。
風が変わった。
山の上から吹き下ろしてくる風だった。自然の風ではない。魔力を帯びた、意図的に作られた風だった。
エルクは顔を上げた。
斜面の上。
人影があった。
一人ではなかった。
黒い軽装の鎧をまとった男たちが、斜面を降りてくる。追跡部隊だった。異邦喰いとの戦闘で消耗した三人を、上から押さえ込む形で展開している。六人。八人。いや——
「十人以上いる」
シュウが呟く。
追跡部隊が斜面を埋めていく。左右の木立からも人影が出てくる。完全に包囲されていた。異邦喰いとの戦闘で体力を削られた状態で、この数を相手にするのは——
「まずい」
エルクが言いかけた時。
その人影の中に、一つだけ違う色が見えた。
白だった。
白銀の法衣。
赤い法冠。
斜面の中腹に、その人物は立っていた。動かない。ただそこにいるだけで、周囲の追跡部隊が全員、その存在を軸に整列している。
「……あれは」
シュウの声が、かすかに震えた。
リアが息を呑む気配がした。
エルクには初めて見る顔だった。だが《残響》が、その人物の周囲に積み重なった記憶の重さを拾っていた。無数の決断。無数の命令。その一つ一つに感情がない。ただ論理だけがある。
「ライディス」
リアが低く言った。
「自ら来たのか」
その声に、初めて動揺が混じっていた。
ライディスは斜面の上から三人を見下ろした。白銀の法衣が風に揺れる。その目が、エルクを見た。リアを見た。
そして——右手を上げた。
指が開く。
風が生まれた。
山全体が息を呑むような一瞬の静寂の後、突風が斜面を駆け下りた。雪が巻き上がる。木々が軋む。エルクたちの体が、その圧力に押された。足元の雪が吹き飛び、岩盤が露出する。
「A-271」
ライディスの声が、風の中を通り抜けてきた。
遠いのに、はっきり聞こえた。魔力が声に乗っている。
「抵抗は無意味だ。ここで終わりにしろ」
追跡部隊が動き始めた。
包囲が縮まる。左右から。上から。逃げ場が消えていく。
同時に、ライディスの右手が動いた。
風が刃になった。
圧縮された空気の刃が、三人へ向かって走る。エルクは咄嗟に剣を構えた。リアが大剣で弾く。シュウが横へ跳ぶ。刃は三人の間を切り裂き、背後の岩を削った。
岩が抉れた。
風の一撃で。
「……本物だ」
シュウが切れた岩を見て呟く。
「これがライディスか」
追跡部隊がさらに詰めてくる。ライディスが次の風を溜めている。その指先に、魔力が集まっていくのが見える。
逃げ場がない。
三方を追跡部隊に塞がれ、上にはライディスがいる。残るのは下だけだ。だがその先は、切れ落ちた崖だった。底は霧で見えない。降りられる足場もない。
完全に、詰められていた。
「リア」
エルクは言った。
リアは答えなかった。
大剣を構えたまま、包囲を見渡していた。左。右。上。その目が、出口を探していた。
見つからなかった。
「……ない」
リアが、初めて言った。
「逃げ道が、ない」
シュウが息を呑む。
ライディスの指先に、魔力が再び集まり始めた。今度は先ほどより大きい。風の刃ではない。もっと圧倒的な何かが、その手に凝縮されていく。
追跡部隊が最後の一歩を詰めた。
剣が抜かれる音が、四方から重なった。
エルクは《残響》を開いた。
出口を探すためではなかった。
ただ——この状況を、正確に理解するために。
流れ込んでくるのは、追跡部隊の兵士たちの研ぎ澄まされた意識だった。迷いがない。感情がない。命令だけがある。
そしてライディスの周囲から漂う、膨大な数の決断の記憶。
これまでどれだけの人間を、この論理で詰めてきたのか。
エルクは剣を握り直した。
戦える状態ではない。異邦喰いとの戦闘で体力を削られている。シュウの左腕はまだ完全ではない。リアも無傷ではない。
それでも——剣を手放す気にはなれなかった。
「A-271」
ライディスの声が、また風に乗って来た。
「最後にもう一度だけ言う」
風が止んだ。
山が、静まり返った。
「大人しくしろ」
誰も答えなかった。
ライディスの右手が、高く上げられた。
白銀の法衣の袖が翻る。凝縮された風の魔力が、その手に収束していく。光が滲む。空気が震える。
放たれれば、終わりだった。
エルクはリアを見た。
リアはエルクを見た。
シュウは前を向いていた。
三人の間に、言葉はなかった。
ーー現在分かっている情報ーー
レグルス聖王国軍務卿 ライディス
白銀の法衣、赤い法冠がトレードマーク
レグルスの軍事や国防を司る国家の最高責任者
風の魔法を使う剣士




