追われるものたち (2)
ちょっぴりダークな異世界転生ファンタジー。
勇者は一人ではない。
番号を与えられ、量産され、戦場へ送られる世界。
“勇者A”と呼ばれた少年は、
モブのまま消えていくのか。
それとも・・・英雄になるのか。
『異世界ゆうしゃA ~亡国の残響~』
稜線を越えたのは、昼をとうに過ぎた頃だった。
雨は峠に差し掛かる手前で雪に変わった。最初は細かい粉雪だったが、稜線を越えた途端に風が変わり、横から叩きつけるような吹雪になった。視界が白く染まる。足元の岩が雪で覆われ、どこが踏み場でどこが崖の縁かわからなくなる。
「前が見えない」
シュウが叫ぶように言った。風がその声をすぐに攫っていく。
「リアの背中から目を離すな」
エルクも声を張る。
リアは先頭を歩いていた。吹雪の中でも歩みが揺れない。大剣を背負ったまま、岩を手で確かめながら、迷いなく道を選んでいく。この山を知っている。通ったことがある、と言っていた。それが今、確かな意味を持っていた。
エルクはリアの背中を追いながら、《残響》が揺れるのを感じていた。
朝にリアが抑えてくれた魔力の流れが、標高が上がるにつれて緩んでいく。吹雪の中に、古い記憶が混じり込んでくる。この山で死んだ者たちの記憶だ。雪に埋もれた兵士。崖から落ちた旅人。魔物に斃された者たち。それらが断片になって、視界の端に滲んでくる。
こらえる。
歩きながら、こらえ続ける。
「——エルク」
シュウが後ろから肩を叩いた。
「大丈夫か」
「……歩ける」
「歩けるかじゃなくて、大丈夫かって聞いてる」
エルクは少し間を置いた。
「大丈夫じゃないかもしれない。でも歩ける」
「正直でよろしい」
シュウが隣に並ぶ。風除けのように、体を寄せてくれた。それだけで、少し《残響》のノイズが引いた。体温が、現実の感触が、幻視を押し返してくれる。
「ありがとう」
「礼はいい。前を向いてろ」
吹雪が収まったのは、夕刻に差し掛かる頃だった。
雲が切れ、斜めになった陽光が雪面を橙色に染めた。木々の枝に積もった雪が、光を受けてきらきらと輝いている。嵐の後の静けさが、山全体を包んでいた。
その光景の中に、廃村があった。
十数軒の家屋が、山の斜面に沿って並んでいる。石造りの壁。崩れかけた屋根。窓に板が打ち付けられ、扉は蔦に覆われていた。人が去って、何年も経っている。
「ここで一度休む」
リアが言った。
一番原形を保っている家屋の扉を、肩で押して開ける。埃の匂いが流れ出てきた。中は暗く、床に枯れ葉が積もっていたが、屋根に大きな穴はなかった。風は凌げる。
三人で中に入った。
荷を下ろす。シュウが暖を取ろうと枯れ葉を集め始めた。エルクは窓の板の隙間から外を覗いた。廃村の路地に、夕暮れの影が伸びている。
「……誰かいた」
エルクは呟いた。
「何?」
「ここ、最近誰かいた」
シュウが動きを止める。
リアも振り返った。
エルクは床を見た。枯れ葉の積もり方が、入口付近だけ不自然に乱れている。踏まれた跡だ。それほど古くない。雨が降る前——つまり昨日か、一昨日か。
「野営の跡だ」
壁際に、消し炭の跡があった。小さな焚き火の痕跡。使った後に、意図的に消した跡だった。
「旅人か?」
「旅人は消さない」
リアが静かに言った。
「痕跡を消すのは、追跡されたくない者か——追跡する者だ」
三人の間に、沈黙が落ちた。
「……先回りされてる?」
シュウが低く言う。
「まだわからない」
リアは窓の外を見た。
「でも、急ぐ必要がある」
エルクは床の消し炭の跡を見つめた。《残響》を薄く開いてみる。ここで焚き火を囲んだ者たちの記憶が、微かに残っている。感情の断片。緊張。警戒。そして——
使命感。
「……兵士だ」
エルクは言った。
「旅人じゃない。任務を持った人間がここにいた」
リアの表情が、わずかに硬くなった。
「休憩は短くする。食べながら進む準備をしろ」
・
・
・
廃村を出て、さらに山を下る。
山道は下りに転じたが、楽にはならなかった。雪が締まって足元が硬く、油断すると簡単に滑る。崖沿いの細い道が続き、片側は切れ落ちた斜面だった。
「こういう道、一番嫌いなんだよな」
シュウが岩壁に手をつきながら言う。
「慎重に行け」
「わかってる。わかってるって——」
その瞬間だった。
シュウの右足が雪の下の氷を踏んだ。
「っ——わ!」
体が傾く。岩壁から手が離れる。シュウは斜面の端で踏みとどまろうとしたが、勢いが殺せなかった。そのまま斜面を三メートルほど滑り落ち、大きな岩に背中から激突した。
「シュウ!」
エルクが駆け寄る。
シュウは岩にもたれたまま、しばらく動かなかった。それからゆっくり顔を上げた。
「……生きてる」
「どこか痛いか」
「左腕。あと、たぶん脇腹も」
リアがすでに斜面を下りていた。シュウの傍らに膝をつき、左腕を確認する。袖をまくると、岩で擦れた傷と、腫れが出始めている箇所があった。骨まではいっていないが、打撲は深い。
「動かすな」
リアは荷の中から布を取り出した。それから——手をシュウの腕にかざした。
淡い光が、手のひらから漏れた。
「……え」
シュウが目を丸くした。
温かい感覚が腕に広がる。腫れが、ゆっくりと引いていく。傷口が塞がっていく。完全ではない。だが明らかに、魔法だった。
「回復魔法、使えるのか」
エルクが言った。
「初歩的なものだけだ」
リアは手を離した。
「完全には治せない。痛みは残る。無理をするな」
「……いや待って」
シュウが腕を見ながら言う。
「それ、普通に凄くないか。回復魔法って、使える人間が少ないやつだろ」
「レグルスの軍にいた。そこで覚えた」
「軍で?」
リアは少し間を置いた。
風が吹いた。
「……勇者救出部隊だ」
静かな声だった。
「前線で倒れた勇者を回収し、治療し、可能なら後送する。そういう部隊が、レグルスにはある。小さな部隊だ。あまり重視されていない」
「重視されてない?」
「勇者は消耗品だと思っている者には、救う意味がわからないらしい」
エルクは何も言えなかった。
「煙たがられていた」
リアは淡々と続けた。
「助けても次の召喚で補充できる。傷ついた勇者を後送するより、新しい勇者を前線に入れる方が効率的だと。そういう論理だ」
「……お前はそう思わなかった」
「思わなかった」
シュウが、静かな目でリアを見た。
「リア」
「なんだ」
「お前の名前、フルネームで教えてくれないか」
リアは少し目を伏せた。
風が、また吹いた。
「……リア・エ・アルヴェイン」
それだけ言った。
それ以上は言わなかった。
だが、初めて名乗った。
エルクはその名前を、静かに胸の中に収めた。
「行くぞ」
リアが立ち上がる。
「シュウ、歩けるか」
「歩ける。ありがとう、リア」
リアは答えなかった。
ただ先に歩き出した。
その背中を見ながら、エルクは思った。
救出部隊。煙たがられていた。それでもそこにいた。
この人間が、なぜ軍を離れてエルナトを目指しているのか。その理由が、少しだけ輪郭を持ち始めた気がした。
・
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・
道が広くなった。かつては街道だったのだろう。石畳の跡が、雪の下にうっすらと見えた。両脇の木々が途切れ、開けた場所に出た。
エルクの足が止まった。
「どうした」
シュウが振り返る。
「……ここ」
エルクは足元を見た。
雪に覆われた平地。だが《残響》が、その下に染み込んでいるものを拾ってくる。
古い。
ずっと古い記憶だった。
「古戦場だ」
呟いた瞬間、《残響》が大きく揺れた。
制御できなかった。
流れ込んでくる。
剣戟の音。馬の嘶き。誰かの叫び声。魔物の咆哮。それらが重なり合って、耳の奥で鳴り響く。エルクは頭を押さえた。膝をつきそうになって、こらえた。
断片が来る。
戦場の記憶ではなかった。
もっと特定の、誰かの記憶だった。
——聞こえるんだ。
男の声だった。若い。震えている。
——世界の声が、聞こえるんだ。
——止めろ。
別の声が重なる。老いた、低い声。
——それ以上聞くな。器が壊れる。
——でも、聞こえる。門の向こうから——
——門を開くな。
老いた声が、強く遮る。
——あれを開けば、この世界は——
そこで途切れた。
「エルク!」
シュウの声が現実に引き戻す。
気づけばエルクは片膝をついていた。雪の上に。右手が地面についている。《残響》が波立っている。頭の奥が熱い。
「……大丈夫だ」
「大丈夫じゃないだろ!」
シュウが肩を支える。
リアが素早く近づき、エルクの手首を掴んだ。朝と同じように、魔力の流れを抑える。《残響》が静まっていく。
「何が見えた」
リアが聞く。
「……声が聞こえた。誰かの、古い記憶だ」
「内容は」
エルクは少し躊躇った。
「《残響》を持つ誰かの声だと思う。ここで何かがあった。門、という言葉と——それを開くな、という声が」
リアの手が、わずかに強張った。
「それだけか」
「それだけだ。断片だった」
リアは手を離した。
何かを知っている顔だった。だが話さなかった。
「立てるか」
「立てる」
「行くぞ」
日が完全に落ちる前に、次の山の中腹まで降りた。
岩棚の影に身を寄せ、三人で簡単な食事を取った。乾燥した肉と、硬いパン。サーツクを出てから食料の質が下がり続けている。
焚き火は焚けなかった。
煙が出る。
「なあ」
シュウが口を開いた。
食事の手を止めずに、でも声は静かに。
「リアって、何者なんだ」
リアは答えなかった。
「いや、責めてるわけじゃないぞ。ただ——なんかさ、色々知りすぎてると思って」
「……どういう意味だ」
「この山の道、迷わず知ってる。廃村の野営跡見て、すぐ兵士だって判断できた。ノクトが来た時、誰より先に気配に気づいた。王家の紋章持ってる」
シュウは一度、口をつぐんだ。
「エルクに残響の魔力を抑える処置もできる。そんなの、普通の人間が知ってる技術じゃないよな」
岩の向こうで、風が鳴った。
リアは少しの間、何も言わなかった。
「……王都にいたことがある」
ようやく、そう言った。
「レグルスの?」
「ああ」
「どんな立場で」
「それは言えない」
シュウが息を吐く。
「勇者召喚を仕切っているあの法衣の男を知ってるのか?」
リアの目が、わずかに動いた。
「……知っている、ライディスだ。」
「どのくらい?」
「……執務室がどこにあるか知っている。王城の警備の交代時刻を知っている。軍の編成を知っている。第一軍と第三軍の指揮系統、前線への補給ルート——」
「それ、勇者救出部隊の一兵が知れる情報じゃないだろ」
リアは答えなかった。
シュウはエルクを見た。
エルクも黙って聞いていた。
「……ライディスは」
エルクが言った。
「お前を知ってるのか」
「知っている」
「だから焦ってるのか。」
「……」
リアは岩棚の外を見た。暗い山の夜が広がっている。
「ライディスが動けば、追跡は速い」
それだけ言った。
それ以上は言わなかった。
だがエルクには、それで十分だった。
リアは追われている。
自分たちと同じように、あるいはそれ以上に——この世界から、逃げている。
ーー現在分かっている情報ーー
名前:リア・エ・アルヴェイン
性別:女
年齢:?
武器:大剣
レグルス軍の勇者救出部隊に在籍していた。初歩的な回復魔法が使える。
ライディスに追われている。
ノクトはリアを見て『王家がまだ残っていたか』と言った。その意味は?




