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異世界ゆうしゃA ~亡国の残響~  作者: 小城乃ひかり
第二章 世界の声

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追われるものたち (1)

ちょっぴりダークな異世界転生ファンタジー。

勇者は一人ではない。

番号を与えられ、量産され、戦場へ送られる世界。

“勇者A”と呼ばれた少年は、

モブのまま消えていくのか。

それとも・・・英雄になるのか。

『異世界ゆうしゃA ~亡国の残響~』

夜明けは、静かに来た。


廃砦の天井の穴から、灰色の光が差し込んでくる。昨夜ノクトが放った光の奔流で広がった穴は、朝の空をそのまま切り取ったように開いていた。星はもう消えている。雲が厚い。今日は天気が崩れる。

エルクは目を開けたまま、その穴を見ていた。


眠れなかった。


正確には、眠るたびに目が覚めた。夢と現実の境界が曖昧になる感覚。《残響》が、まだ波立っている。ノクトの手が剣を掴んだ瞬間に流れ込んできた死者たちの声が、頭の奥で澱のように沈んでいた。


断末魔。


無数の。


その中に、勇者たちの声が混じっていた。

――助けて。――

――なんで。――

――帰りたい。――

言語はばらばらだった。日本語のものもあった。英語のものもあった。エルクには聞き取れない言葉のものもあった。それでも意味だけが伝わってくる。それが《残響》というものだ、とノクトは言っていた。

エルクは目を閉じた。

閉じると、また声が来る。


「……眠れてないな」


シュウの声だった。

焚き火はとうに消えている。冷えた灰だけが残っていた。


「お前も?」


「俺は少し寝た。でも途中で起きた」


「何かあったか」


「なんか……声がした気がして」


シュウは少し躊躇ってから言った。

「夢だと思うけど。誰かが、遠くで叫んでる感じ。エルクの《残響》が漏れてたんじゃないかって思う」


エルクは何も言えなかった。


「ごめん」


「謝るな。お前がコントロールできないやつだろ、それ」


シュウは体を起こしながら言う。「それより」と続けた。

「リアは?」

二人で見回した。


リアはいなかった。

荷はある。大剣もある。ただ本人だけが、廃砦の中に見当たらなかった。


「外か」


「だろうな」


エルクは立ち上がった。体が重い。昨夜の戦闘の疲れと、眠れなかった夜の疲れが重なっている。腕には、ノクトに剣を掴まれた時の痺れがまだ微かに残っていた。

廃砦の入口へ向かう。


外に出ると、冷たい空気が顔を叩いた。

霧はまだ残っている。山の朝は遅い。木々の輪郭が白く溶け、視界の端が霞んでいた。

リアは砦の外壁に背を預けて立っていた。

腕を組んでいる。目は山の向こうを向いていた。エルクたちが出てきた気配を感じても、振り返らなかった。


「いつから起きてた」

「夜通し」

「眠ってないのか」

「問題ない」

問題ある、とエルクは思った。だが今は言わなかった。


「急ぐ。荷をまとめて」

リアが言う。


「今日中に稜線を越える」

「天気が崩れるぞ」

「わかってる。だから急ぐ」

その声に、いつもと違う何かがあった。冷静さは変わらない。だが、その冷静さの下に、何かが圧縮されているような——焦り、とも少し違う。もっと切迫した何かが。


エルクはリアの横顔を見た。

昨夜、ノクトに「王家がまだ残っていたか」と言われた時の顔を思い出した。

何かを、無理やり押し込んでいた顔を。


「リア」

「荷をまとめろと言った」

「ああ」

エルクは引き下がった。

今は聞く時ではない。そう判断した。


三人は廃砦を出て、山道を北東へ進んだ。

天気の崩れは予想より早かった。出発して一時間もしないうちに、風が強くなった。雲の動きが速い。木々の梢が激しく揺れ始め、やがて小雨が降り出した。

「最悪だ」

シュウがフードを被りながら言う。


「山の雨ってこんなに冷たいのか」


「標高が高い。平地の雨と思うな」


「思えない。刺さる。雨が刺さってる」

「歩け」

「歩いてる! 歩きながら文句言ってる!」

シュウの声が、いつもより少し大きかった。

笑いを取ろうとしている。場の空気を和らげようとしている。それはわかった。だが今朝の三人には、それを受け取る余裕がなかった。エルクも苦笑できなかった。リアに至っては反応もしなかった。

シュウは少しの間、返答を待った。

来なかった。


「……まあ、歩くか」

小さく言って、前を向いた。

いつもと違う、シュウの声だった。


エルクはその背中を見ながら、申し訳ない気持ちになった。シュウが空回っているのではなく、自分たちが受け取れていない。それがわかるだけに、何も言えなかった。

《残響》がノイズを拾う。

山の記憶。古い戦場の残滓。通り過ぎた旅人の足音。それらが、制御しきれずに混じり込んでくる。昨夜から《残響》の閾値が下がっている。ノクトの手に触れた時に、何かが緩んだのかもしれない。

意識して閉じようとする。

閉じきれない。


「——エルク」


リアが呼んだ。


「なに」

「顔が白い。《残響》か」

「……少し漏れてる。制御できてる」

「嘘をつくな」

一瞬だった。

リアがエルクの手首を掴んだ。

何かが、すっと引いた。

《残響》のノイズが、急に静かになった。完全に消えたわけではない。だが、さっきまでの濁流のような感覚が、穏やかな川のように落ち着いた。


「……何をした」


「魔力の流れを一時的に抑えた。応急処置だ。根本的な解決にはならない」


リアは手を離した。

「エルナトまで持たせろ」


「……ありがとう」


リアは答えなかった。

また前を向いて歩き始めた。

エルクはその背中を見ながら、思った。


この人間は、何者なのか。



レグルス聖王国。


王都から東へ三十里。山岳監視の前哨基地として設けられた石造りの施設に、一人の男が立っていた。

白銀の法衣。赤い法冠。

ライディスだった。

窓の外に広がるのは、レグルスの平野だ。農地と街道が碁盤目に広がり、遠くに王都の尖塔が霞んでいる。穏やかな風景だった。だがライディスはそれを見ていなかった。手元の報告書に目を落としていた。


「……読み上げろ」


背後に控えた部下が、低い声で続きを読む。


「A-271、生存確認。山岳地帯において魔王軍第四軍との接触痕跡あり。A-244、同行確認。加えて——」


「加えて、何だ」


「……王家の紋章を持つ者の戦闘痕跡が、同地点に確認されました」

ライディスは報告書から目を離さなかった。


「王家の紋章」


「はい。大剣による斬撃跡、および魔力残滓の質から——」


「わかった」

遮った。

部下が口を閉じる。


ライディスはしばらく、報告書の一点を見ていた。それから窓の外へ視線を移した。遠くの尖塔。王都。その中枢に、今この瞬間、王家の血筋が逃亡勇者と行動を共にしている。


「……あの娘は、やはり邪魔だ」


静かな声だった。感情がなかった。怒りでも焦りでもなく、ただ論理的な結論として、そう言った。


「追跡部隊を出せ。私の直属を使う」

部下は頷きかけて、一瞬躊躇った。

「……軍務卿。一点、追加の報告がございます」

「言え」


「A-271の戦闘記録について。前線での報告に、異常行動の記載が複数あります」

「異常行動」

「戦死者の多い地点で一時的に戦闘不能に陥った記録。また、魔導兵器との接触後に挙動が変化したという報告も。担当兵士からは『何かに当てられたようだった』と」


ライディスは動かなかった。

「それだけか」


「今回の山岳地帯での戦闘でも、魔王軍と交戦しながら撤退せず、何らかのスキルを行使した痕跡があります。性質は不明ですが、死傷者の残滓に反応している可能性があると、現地の追跡官が」


「……」


ライディスは静かに台帳を引き出しから取り出した。

革表紙の分厚い記録簿。『異邦召喚記録』。ページを繰り、A-271の項目を開く。召喚日、初期能力査定、配備先——査定の欄に、担当官の走り書きがあった。

『固有スキル確認。性質不明。死者反応の可能性あり。要再査定』

再査定は行われていなかった。査定前に前線へ送られたからだ。


ライディスは台帳を閉じた。


「《残響》だ」

静かに言った。


部下が僅かに眉を動かす。

「……《残響》、とは」


「お前が知る必要はない」


ライディスは立ち上がった。


「A-271を最優先で確保しろ。生かしたまま、損傷なく連れ戻せ。処分は不要だ」


「承知しました」


「A-244は現場判断に任せる。王家の者は——邪魔をするようであれば、排除しろ」

部下は深く頭を下げた。


「追跡部隊の装備は万全にしろ。食糧、防寒、魔導追跡石。不足があれば私に直接申告しろ」


「はっ」


「お前たちに無駄死にはさせない。それだけは約束する」

部下の背筋が、わずかに伸びた。


「……ありがたき御言葉です」

「言葉ではない。命令だ。生きて帰れ」

部下は深く頭を下げ、部屋を出た。


扉が閉まった。


ライディスだけが、部屋に残った。


静寂の中、ライディスは執務机へ向かった。

引き出しを開ける。分厚い台帳が出てきた。革表紙に、細かい文字がびっしりと刻まれている。表題には一行だけ書かれていた。


『異邦召喚記録』


ページを開く。


番号が並んでいた。

A-001から始まり、現在はA-280を超えている。各番号の横に、召喚日、初期能力査定、配備先、そして


——最終記録。

戦死。

戦死。

行方不明(戦死扱い)。

戦死。

戦死。

ページを繰るたびに、同じ文字が繰り返される。生存の記録は、ごくわずかだった。

ライディスはそれを感情なく眺めた。


「今期の召喚は何回だ」

独り言だった。誰も部屋にいない。

答えは自分が知っていた。


今年だけで、召喚儀式は十七回行われた。一回の儀式で平均三人から五人が召喚される。つまり今年だけで、六十人近い異世界人がこの世界に引き込まれた計算になる。


五年前は、年に二、三回だった。

それが今は月に一、二回のペースに増えている。

前線の消耗が、それだけ激しいということだ。


ライディスは台帳を閉じた。

増やすしかない、と思っている。感傷ではなく、算術として。自国民を前線に送れば、レグルスの人口が削れる。農地を耕す者が減る。税収が落ちる。国力が衰える。それよりも、異世界から人間を引き込んで消耗させる方が、国家の持続という観点では合理的だった。

それがライディスの論理だった。

正しいか、正しくないかではない。

国が続くか、続かないか。それだけだ。


「A-271」


台帳の最後のページを開く。

番号の横に、能力査定の欄がある。


『固有スキル:詳細不明。観察継続要』


ライディスの目が、その一行で止まった。


「……残響か……また現れたのか…」


呟きだった。誰かへ向けた言葉ではなかった。記憶の中の何かへ向けた言葉だった。

「前回は五十年前。今回は……どこまで育つか」


五十年前。

ライディスの記憶にあるわけではない。だが記録には残っている。

王家の書庫に眠る、封印された文書の中に。

当時のレグルスはまだ小国だった。農業と交易で細々と生きる、平野の中の凡庸な国家。魔王軍の出現で周辺国が次々と瓦解する中、レグルスだけが生き残った。


理由は一つだった。

召喚に成功したからだ。


異世界から勇者を引き込む技術を、レグルスは他国より早く確立した。そしてその最初の成功例の中に、《残響》の使い手がいた。

記録によれば、その勇者は並外れた力を持っていた。


死者の声を聞き、戦場の記憶を読み、兵器の意図を感知した。

戦果は圧倒的だった。

だが——記録はある時点で途切れる。


途切れた理由は、文書には書かれていない。ただ一行だけ、最後に記されていた。

『制御不能。封印。』

ライディスはその記録を何度も読んだことがあった。


制御不能。

《残響》が何らかの理由で暴走し、使い物にならなくなった。そういう意味だとライディスは解釈している。


今回のA-271が同じ末路を辿るなら——早期に回収し、制御下に置く必要がある。

野放しにしておくには、あまりにも危険な力だ。


「勇者召喚は必要だ」

独り言だった。

「戦争が続く限り、器は消耗する。消耗すれば補充する。それだけのことだ」

その目に、感情はなかった。

平野を見る目と、勇者を語る目が、まったく同じだった。

数字を見る目だった。


ただ一つだけ、ライディスが譲らないことがある。

自国民は死なせない。

前線に立つのは異世界人だ。レグルスの兵は後方支援に徹する。そのための召喚制度であり、そのための番号管理だ。

感情で動くから判断が鈍る。番号で管理するから、冷静に戦力を把握できる。

それがライディスの信念だった。


正しいか、正しくないかではない。

部下が生きて帰れるなら、それでいい。


ライディスは台帳を引き出しに戻した。

部屋の奥、石壁に刻まれた古い紋章の前で立ち止まった。五十年前の魔王戦争時代に刻まれた、古い記録だ。その中に、一人の勇者の記録があった。

番号ではなく、名前で記録された勇者。

その横に、小さな文字で記されていた。


『残響の継承者』


ライディスはその文字を指先でなぞった。

「前回は、制御できなかった」

静かに言った。


「今回は、そうはさせない」


部屋の外で、部下たちの足音が響いていた。

追跡部隊の準備が始まっている。

ライディスはそれを聞きながら、もう一度だけ窓の外を見た。

遠くの王都の尖塔。あの頂点に、今の王がいる。ライディスが仕える、この国の主が。

ライディスは何も言わなかった。

ただ、窓から離れた。

やるべきことがある。

それだけだった。


「私自ら出向こう。残響の勇者よ。」



ーー現在分かっている情報ーー

残響の継承者 50年前、勇者召喚初期に現れた伝説の勇者。

大きな戦果を上げ、レグルスを大国へ押し上げた。

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