終焉の彼方(1)
異世界ゆうしゃA ~亡国の残響~
光が、消えた。
リアは、立っていた。
廃墟の石畳の上では、なかった。
どこかも、わからなかった。
足元に、地面はあった。
しかし、何でできているのか、わからなかった。
透明だった。
下を見ると、その向こうに、別の空間が、広がっていた。
さらにその向こうに、また別の空間が。
無限に、重なっていた。
「……ここが」
リアは、声に出した。
自分の声が、奇妙に、反響した。
反響が、すぐに消えなかった。
幾重にも重なって、それぞれが少しずつ違うタイミングで、消えていった。
この場所では、音も、一つではなかった。
前を見た。
広大な空間が、広がっていた。
天井はなかった。
壁もなかった。
ただ、光が、あった。
光源がどこかは、わからなかった。
空間全体が、均一に、淡く輝いていた。
白でも、黒でも、なかった。
言葉にできない色だった。
そして、その空間の各所に、何かが、浮いていた。
形がなかった。
しかし、確かに、そこにあった。
近づくと、少しずつ、見えてきた。
景色だった。
人々が生きている景色が、泡のように、宙に浮かんでいた。
一つの泡の中に、市場があった。
別の泡の中に、夜の村があった。
また別の泡の中に、子どもたちが走っていた。
「世界の……記憶か」
リアが、呟いた。
それは、門が飲み込んできた、世界のあらゆる場所の記憶だった。
門が開くたびに、世界の断片が、ここへ引き込まれていた。
百年分。
五十年分。
それ以上の時間の分。
全部が、ここに、漂っていた。
・
・
・
リアは、歩いた。
どこへ向かえばいいのか、わからなかった。
しかし、足が、自然に、動いた。
王家の血が、この空間に、反応していた。
閉じる者として、この場所の構造が、感覚として、伝わってきていた。
中心がある。
この空間には、中心がある。
そこへ向かえば、門を閉じることができる。
リアは、歩き続けた。
浮かぶ景色の間を、抜けていった。
ある景色の前で、足が止まった。
泡の中に、子どもが、いた。
小さな女の子だった。
レグルスの服を着ていた。
泣いていた。
何かを、探していた。
リアは、その景色を、しばらく、見ていた。
自分の子どもの頃に、似ていた気がした。
型にはめられた生活の中で、ただ外を見ていた頃に。
「……行こう」
リアは、また、歩き始めた。
泣いている子どもを、置いていくことになった。
しかし、門を閉じれば、この景色も、解放される。
それが、今できる最善だった。
・
・
・
中心が、見えてきた。
空間の中央に、大きな柱のようなものがあった。
柱ではなかった。
光だった。
太い光の束が、縦に、伸びていた。
上も、下も、終わりが見えなかった。
その光の束を中心に、全ての浮遊する景色が、ゆっくりと、回っていた。
「……これが、門の核か」
リアが、近づいた。
光が、強くなった。
熱は、感じなかった。
しかし、圧力があった。
押し返されるような、しかし、引き込まれるような、矛盾した感覚があった。
閉じる者の血が、それを、かき分けようとしていた。
「行ける」
リアは、そう判断した。
さらに、近づいた。
その時、声が聞こえた。
「来るのが、早かったな」
落ち着いた、男の声だった。
振り返った。
そこに、人が、立っていた。
若い青年だった。
黒い外套を、着ていた。
しかし、廃墟で見た時の、圧倒的な存在感は、なかった。
ただ、静かに、立っていた。
勇者Aが言った。
「リア・エ・アルヴェイン、閉じる者」
「はい」
「ありがとう。」
勇者Aはリアの目を見て言った。
二人の間に、しばらく、静寂があった。
この空間の静寂は、外の世界とは違った。
音がないのではなく、全ての音が、同時に、遠くで響いているような静けさだった。
「聞いていいか」
勇者Aが言った。
「何でしょう」
「お前は、怖くないのか。ここへ来ることが」
リアは、少し、考えた。
「怖かった」
「怖かった、か」
「でも、来た」
「なぜ」
「隣にいたい人がいるから」
その答えは、短かった。
しかし、勇者Aには、その意味が、完全に、伝わった。
「……そういうことか」
「そういうことです」
「隣にいたい者のために、ここへ来たか」
「はい」
「私には、そういう者が、いなかった」
「いた、と思います」
「何?」
「仲間たちが、いた。五十年前、あなたと旅をした人たちが」
勇者Aは、その言葉を、受け取った。
長い沈黙があった。
「……いたな」
「はい」
「今も、いるか」
「いると、思います。どこかに」
「どこかに」
「あなたが終わらせたいと思ったこの世界の、どこかに」
勇者Aは、空間を、見渡した。
浮かぶ景色が、ゆっくりと、回っていた。
「……私は、間違えた」
「はい」
「方法が、間違っていた」
「はい」
「だが——」
「目的は、間違っていなかった」
リアが、先に言った。
勇者Aが、リアを見た。
「世界を救いたかった。それは、本当のことだった。ただ、方法が、間違っていた」
「……お前も、そう思うか」
「はい」
「エルクと同じことを言う」
「彼の隣にいたから」
「そうか」
勇者Aは、また、しばらく、黙っていた。
「お前に、頼みがある」
「何でしょう」
「エルクに、伝えてくれ」
「何を」
「この世界を、好きでいてくれ、と」
「伝えます」
「それだけでいい。それだけで、十分だ」
「わかりました」
「もう一つ」
「はい」
「仲間たちに、会いに行きたい」
「行けます」
「行けるか」
「あなたが決めれば、行ける」
「……そうか」
勇者Aは、光の柱を見た。
「この核を、お前が押さえるのか」
「そのために来ました」
「一人では、閉じきれない。開く者が必要だ」
「わかっています。あなたが、一緒に押さえてくれるなら、閉じることができます」
「代償がある」
「わかっています」
リアが、繰り返した。
「覚悟の上で、来ました」
勇者Aは、リアを、見た。
「お前は、閉じる者だ」
「はい」
「これが、お前の役割か」
「役割だけではありません」
リアが言った。
「隣にいたい人が、外で待っているから、戻らなければなりません。だから、ちゃんと、閉じます。そして、戻ります」
「戻れるか」
「戻ります」
「確証は」
「ありません。でも、戻ります」
勇者Aは、その答えを、長い間、見ていた。
それから、わずかに、笑った。
五十年前の、仲間たちと旅をしていた頃の笑顔に、近かった。
「……わかった」
「一緒に、押さえてくれますか」
「ああ」
「仲間たちに、会いに行けます」
「そうか」
「待っていると、思います」
「……そうだな」
勇者Aは、立ち上がった。
光の柱へ、向かった。
「行こう」
・
・
・
光の柱の前に、二人が、立った。
「どうすればいい」
リアが聞いた。
「私が、核の内側に入る。お前は、外から、押さえろ。王家の血で、封じてくれ」
「わかった」
「一度始めたら、止められない」
「止めない」
「途中で、強い引力が来る。飲み込まれそうになる」
「耐える」
「耐えられるか」
「耐えます」
勇者Aは、それ以上、何も言わなかった。
光の柱へ、向かって、歩いた。
一歩、二歩。
柱に触れた。
光が、爆発するように、広がった。
この空間全体が、揺れた。
浮かんでいた景色が、激しく揺れた。
リアは、足を踏ん張った。
吹き飛ばされそうになった。
しかし、踏ん張った。
「——今だ!」
勇者Aの声が、聞こえた。
リアは、両手を、光の柱へ向けた。
王家の血が、発動した。
これまで感じたことのない力が、体の奥から、溢れ出した。
閉じる者として、封じる力。
門を閉じるための力。
それが、最大まで、開いた。
光が、さらに広がった。
周囲の浮遊する景色が、一つずつ、光の柱へ向かって、引き込まれていき始めた。
市場の景色が、消えた。
夜の村の景色が、消えた。
子どもたちの景色が、消えた。
一つずつ、解放されていった。
「——まだだ」
リアは、力を、さらに、注いだ。
体が、きつかった。
引力が、強かった。
飲み込まれそうだった。
しかし、踏ん張った。
「戻る」
リアは、声に出した。
「ただいまと言いに、戻る」
その言葉が、力になった。
根拠のある力ではなかった。
しかし、確かな力だった。
・
・
・
勇者Aの体が、光の中で、薄れていた。
「——もう少しだ」
声が、遠くなっていた。
「お前は、戻れ」
「戻ります」
「……ありがとう」
「何に対して」
「ここまで来てくれたことに」
リアは、答えなかった。
代わりに、力を、もう一段、上げた。
「仲間たちに、よろしく伝えてください」
「……伝える」
「会いに行けます」
「……そうだな」
「長い間、一人だった」
「そうだ」
「もう、一人じゃなくていい」
勇者Aの声が、さらに、遠くなった。
「……そうだな」
「お疲れ様でした」
返事は、なかった。
しかし、光の中で、何かが、穏やかになった気がした。
長い、長い時間を、背負い続けてきたものが、ここで、ようやく、下ろされたような。
そんな気配があった。
そして——
光が、収束し始めた。
柱が、細くなっていった。
リアは、力を、最後まで、保ち続けた。
細く。
細く。
さらに細く。
そして——
光が、消えた。
核が、閉じた。
門の中心が、静かになった。




