勇者と魔王(3)
異世界ゆうしゃA ~亡国の残響~ 第六章
勇者Aは、その言葉を、聞いていた。
表情は、変わらなかった。
しかし、その目の奥に、何かが、あった。
「認めないか」
「認めない」
「なぜ」
「リアがいる。シュウがいる。ミレナンがいる。ガルゴンがいる。レイオンがいる。ケンがいる。ジェイドがいる。ユウがいる。グローワがいる。ノクトがいる。ルシラがいる。ライディスがいる。今、ここにいる全員が、消えていい理由がない」
「彼らが死んでも、新しい世界が生まれる」
「新しい世界に、彼らはいない」
「新しい命がいる」
「俺には関係ない」
勇者Aは、わずかに、首を傾けた。
「関係ない?」
「見たこともない命より、今、隣にいる者の方が、俺には大事だ。それの何が悪い」
「……」
「悪くない、と思っているはずだ。あなたも、そうだったんじゃないか。仲間のために戦ったんじゃないか」
勇者Aは、答えなかった。
「あなたも、最初は、見たこともない世界の民より、隣にいた仲間の方が、大事だったはずだ」
「……そうだ」
「それは、今も変わらないんじゃないか」
「変わった」
「本当に?」
「本当に。仲間が死んでから、世界という大きなものしか、見えなくなった」
「仲間が死んだ後で、初めて見えるようになったものがあるのはわかる」
「ならば」
「でも、見えなくなったものもある」
その言葉に、勇者Aは、動きを止めた。
「見えなくなったもの」
「隣にいる者の顔。声。笑い方。あなたは、今、それが見えているか」
沈黙が、落ちた。
門の光が、揺れた。
「……見えている」
勇者Aが、静かに、言った。
「何が?」
「お前の顔が。仲間の顔が」
「ならば」
エルクが、一歩、前に出た。
「もう少し、聞いてくれるか」
「……」
「止まれと言っているわけじゃない。一分だけ。俺の話を聞いてくれ」
勇者Aは、剣を、構えたまま、答えなかった。
それが、答えだと、エルクは受け取った。
・
・
・
「一つだけ、聞く」
エルクが言った。
「五十年前、あなたが最も守りたかったのは何だった」
勇者Aは、すぐには、答えなかった。
「仲間だ」
「仲間が死んで」
「……世界が続いても、意味がないと思った」
「それは、今も?」
「今は、違う」
「何が違う」
「仲間はいない。だから、守るべき者を、世界全体に広げた」
「広げた?」
「全ての命を、等しく、扱うことにした。誰も特別に扱わず、誰も切り捨てず、全員を、新しい世界へ、繋ぐ」
「それは——」
エルクは、少し、考えた。
「孤独から来ているんじゃないか」
「何?」
「誰かを特別に思ったら、また失う。だから、全員を等しく扱うことにした。そうすれば、誰かを失う悲しみを感じなくて済む」
「違う」
「本当に違うか」
「……」
「あなたは、仲間が死んでから、誰かを特別に思ったことはあるか」
「ない」
「それが、答えだ」
勇者Aは、その言葉を、受け止めた。
否定しなかった。
「それが、間違いの始まりだったと、思う」
「誰かを特別に思うことが?」
「違う。特別に思えなくなったことが」
勇者Aは、長い間、エルクを見た。
その目の奥に、何かが、揺れていた。
「……お前は、誰かを特別に思っているか」
「思っている」
「誰を」
「リア」
「それだけか」
「シュウも。ミレナンも。ガルゴンも。会ってきた人間全員」
「全員を、特別に思えるか」
「思える」
「なぜ」
「全員、俺の隣にいてくれたから」
勇者Aは、それに、何も言わなかった。
しばらく、ただ、エルクを見ていた。
「……羨ましい」
その言葉は、小さかった。
おそらく、自分に言い聞かせるつもりで、言ったのではなかったかもしれない。
しかし、確かに、聞こえた。
エルクは、それを、受け取った。
「一緒に考えよう」
エルクが、言った。
「別の方法を。世界を消さずに、修復する方法を。俺には、グローワがいる。アルテフェインがいる。全員が一緒に考える。あなた一人で五十年考えたものより、もっと速く、もっと正確な答えが出るかもしれない」
「……」
「もし、答えが出なかったら、その時は、また話し合う。それでも答えが出なければ、あなたの言う通りかもしれない。でも、まず、やってみる価値がある」
勇者Aは、答えなかった。
門の光が、揺れた。
世界融合は、まだ、進んでいた。
「……時間がない」
勇者Aが、言った。
「もうすぐ、完成する。途中で止めることは、できない」
「止められるか?」
「……わからない」
「わからないなら——」
「だが、お前には止められない」
「やってみなければ、わからない」
「……」
「もう一度だけ聞く。あなたは、本当に、今を生きているすべての者を、消したいか」
勇者Aは、答えなかった。
その沈黙が、長かった。
これまでで一番、長い沈黙だった。
「……来い」
勇者Aが、言った。
「残響の継承者」
剣を、構え直した。
「本気で来い。私も、本気でいく」
その言葉の意味が、何なのか、エルクには、まだ、完全には、わからなかった。
しかし、その目の奥に、これまでなかったものが、あった。
・
・
・
勇者Aの背後で、何かが、動いた。
黒い影が、形を持ち始めた。
巨大だった。
勇者Aの何倍もある、巨大な黒い影。
人の形をしていたが、もはや、人のそれではなかった。
五十年間、蓄積されてきた魔力が、その一点に、集まっていた。
「あれは——」
グローワが、息を呑んだ。
「魔王としての、完全な姿だ」
ノクトが、低く言った。
「まだ、輪郭しかない。しかし」
「その気配だけで——」
全員が、息を、呑んだ。
その存在感は、これまでのどの戦いでも、感じたことのない種類のものだった。
勇者Aが、静かに、言った。
「次で終わらせよう」
エルクは、剣を握り直した。
《残響》が、これまでになく、強く、響いていた。
世界の声が、全部、入ってきていた。
仲間の声。
世界樹の声。
門の声。
そして——
勇者Aの声。
「……まだ、聞こえる」
エルクが、呟いた。
その「聞こえる」の意味を、エルクだけが、知っていた。
戦いの記録ではなかった。
迷いが、まだ、聞こえていた。
「次で終わらせる」
エルクも、言った。
意味が、少し、違った。
戦いで終わらせるのではなく。
別の形で、終わらせる。
その確信だけが、今、エルクの中に、あった。
「行くぞ」
リアが、隣で、言った。
「ああ」
シュウが、短剣を、構えた。
ミレナンが、杖を、握りしめた。
四人が、前を、向いた。




