勇者と魔王(2)
異世界ゆうしゃA ~亡国の残響~ 第六章
「俺には、一つだけ、わかることがある」
エルクが、続けた。
「何だ」
「あなたは、まだ、この世界を、憎んでいない」
勇者Aは、動かなかった。
「憎しみなら、もっと、違う形になる。ただ消せばいい。苦しめてから消せばいい。だが、あなたは、そうじゃない。あなたは、やり直したいと言っている」
「……」
「やり直したいということは、まだ、期待しているということだ」
「期待?」
「新しい世界への、期待。今の世界ではなく、もっと正しく始まった世界への、期待」
勇者Aは、エルクを、長い間、見た。
「……お前は、残響を、どこまで使っている」
「それは関係ない」
「関係ある。残響は、声を聞く力だ。死者の声を。戦場の痕跡を。並行世界の記憶を。お前は、私の何を、聞いた」
エルクは、答えなかった。
しかし、勇者Aは、その沈黙から、何かを、読み取ったようだった。
「聞こえるか」
「何が」
「私の迷いが」
その言葉は、静かだった。
しかし、その静けさの中に、重さがあった。
エルクは、《残響》を、わずかに、開いた。
流れ込んできたものがあった。
仲間たちの死の瞬間。
一人になった墓地での、長い時間。
グローワとの決裂。
ノクトとの最後の対話。
「間に合わなかった」という声。
そして——
「今度は間に合わせる」という、決意。
強い、揺るぎない、決意。
しかし、その奥に、もう一つ、別のものがあった。
ほんの、わずかな。
揺れ。
「……ある」
エルクが、答えた。
「迷いが、ある」
勇者Aは、その答えを、否定しなかった。
「お前には見えるのか」
「《残響》だから」
「……そうか」
「迷っているなら、止まれる」
「迷っているのと、止まれるのは、違う」
「でも、可能性がある」
「可能性は、五十年前から考えてきた。その上で、この結論に至った」
「じゃあ、聞く」
エルクが、一歩、前へ出た。
「もし、別の方法があったら?」
「別の方法?」
「世界を消さずに、世界の歪みを修復する方法が、あったとしたら」
「……そんな方法はない」
「あるかもしれない」
「証拠は」
「ない。でも、俺には、仲間がいる。グローワがいる。アルテフェインがいる。バルゼディスがいる。ミレナンがいる。全員、あなたよりも、知識は劣るかもしれない。でも、一人じゃない」
「一人と大勢では、何が違う」
「気づけなかったことに、気づける」
勇者Aは、その言葉を、しばらく、受け取っていた。
風が吹いた。
廃墟の石畳に、どこかから飛んできた紙が、舞った。
「お前は——」
勇者Aが、言いかけた。
「もし、五十年前、お前のような者がいたら、どうなっていたか」
「どうなっていた」
「……わからない」
「俺も、わからない」
「だが、今、ここに、いる」
「そうだ」
エルクが、剣を、握り直した。
「今、ここに、いる。だから、止める」
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勇者Aが、剣を、抜いた。
その瞬間、世界が、震えた。
空間が、裂けた。
門から、無数の魔力が、勇者Aへ向かって、流れ込み始めた。
黒い光が、勇者Aの体を、覆っていった。
五十年間、積み重ねてきた魔力が、一点へ、集まっていった。
その圧力だけで、地面が、えぐれた。
「来い」
勇者Aが、言った。
「残響の継承者」
エルクは、《残響》を、発動した。
世界中の声が、流れ込んできた。
門の声。
異界獣の声。
仲間の声。
世界樹の声。
そして、勇者Aの動きの「痕跡」。
五十年間、戦い続けてきた者の剣の軌跡が、《残響》を通じて、入ってきた。
読めると、思った。
次の瞬間、勇者Aが、消えた。
「——」
エルクは、反応できなかった。
《残響》が警告を発した。
後ろ、ではなかった。
上から。
見上げる間もなく、衝撃が、来た。
まるで、山が、落ちてきたような重さだった。
地面が、割れた。
エルクが、吹き飛ばされた。
ガルゴンが、反射的に、盾代わりに体を出したが、その衝撃波だけで、数メートル、押し戻された。
「たった、一撃で——」
シュウが、呆然と言った。
エルクは、地面から、起き上がった。
体が、重かった。
腕の感覚が、薄かった。
一撃を受けただけで、それだけの消耗があった。
「これが……本気の勇者A」
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「父上!」
レイオンが叫んだ。
ガルゴンは、すでに、走っていた。
片腕で戦斧を担いで、勇者Aへ向かった。
老いた体が、最大の速さで、地を蹴った。
戦斧が、振り下ろされた。
勇者Aは、片手で、それを、受け止めた。
音は、なかった。
ただ、ガルゴンの体が、止まった。
片腕の老王の全力が、片手で、止まった。
「ほう」
勇者Aが、初めて、戦いながら、言葉を発した。
「強い」
ガルゴンが、歯を食いしばった。
「押せん……!」
戦斧が、弾かれた。
ガルゴンが、後退した。
それでも、笑っていた。
「全力でやってきよる。それだけで、余は満足だ」
「アルテフェイン!」
バルゼディスの声が、飛んだ。
アルテフェインが、すでに、詠唱を終えていた。
これまでの戦いで使った中で、最大の魔法だった。
光の柱が、勇者Aへ、直撃した。
爆発が、起きた。
煙が、辺りを、覆った。
全員が、固唾を呑んで、見ていた。
煙が、晴れた。
勇者Aは、そこに、立っていた。
無傷だった。
「……全力だったが」
アルテフェインが、静かに言った。
「届かなかった」
「グローワ!」
ノクトが声をかけた。
グローワは、すでに、動いていた。
世界樹の根を通じて、精霊の力を、集めていた。
地面から、白い光が、吹き上がった。
精霊魔法の結晶体が、勇者Aを、包み込んだ。
一瞬、動きが、止まった。
「今だ!」
ノクトが、飛んだ。
第四軍の剣士たちが、四方から、同時に、踏み込んだ。
勇者Aが、動いた。
一体をかわし、一体を弾き、一体の剣を折り、一体を地に伏せた。
四人が、同時に、吹き飛んだ。
「一人で……四人を」
ルシラが、唇を噛んだ。
「結界を張れ!」
「どこへ?」
「どこでもいい! 少しでも行動を制限する!」
第二軍の魔導士たちが、結界を、展開し始めた。
しかし、勇者Aの魔力は、結界を、紙のように、貫いていった。
「まだ足りない」
勇者Aが、言った。
感情はなかった。
ただ、事実として。
一歩も、下がっていなかった。
しかし、ルシラたちの結界は勇者Aの動きを止めた。
一瞬だった。
その一瞬を、リアが、待っていた。
全力で、踏み込んだ。
大剣が、最大の速さで、振り抜かれた。
勇者Aの肩を、刃が、かすった。
浅かった。
しかし、確かに、届いた。
黒い外套が、わずかに、裂けた。
血が、一筋、流れた。
勇者Aが、初めて、動いた。
肩を、見た。
「……成長したな」
その声に、これまでとは違う響きがあった。
・
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・
エルクは、立ち上がっていた。
全身が痛かった。
腕が、まだ、震えていた。
しかし、《残響》は、まだ、動いていた。
それだけが、今の支えだった。
もっと深く。
エルクは、《残響》を、さらに深く、開こうとした。
「エルク、無理をするな」
リアが、隣に来た。
「大丈夫か」
「大丈夫じゃない。でも、続ける」
「なぜ」
「《残響》で、何かが聞こえる。まだ、聞き切れていない何かが」
リアは、それ以上、言わなかった。
ただ、剣を構えて、エルクの隣に、立った。
エルクは、目を、閉じた。
《残響》の声が、広がった。
仲間の声。
世界の声。
門の声。
そして、勇者Aの声。
剣の動きではなく、もっと深い場所。
勇者Aが、五十年間、背負ってきたもの。
仲間が死んだ瞬間。
一人で墓の前に立った時間。
誰にも理解されなかった孤独。
「間に合わなかった」という絶望。
それが、全部、流れ込んできた。
そして——
「今度こそ間に合わせる」という、強い、強い、決意。
「この人は……」
エルクが、呟いた。
「本当に、世界を救おうとしていた」
その言葉は、誰にも届かなかったかもしれない。
しかし、エルクには、それが、はっきりと、わかった。
方法が間違っていても。
やり方が違っても。
この人は、最初から最後まで、世界を救おうとしていた。
誰よりも、強く。
誰よりも、長く。
誰よりも、孤独に。
剣が、震えた。
「それでも」
エルクは、構え直した。
「俺は、あなたのやり方は、認めない」




