聖都の異変(2)
異世界ゆうしゃA ~亡国の残響~ 第六章
図書館の中は、いつもより、静かだった。
司書たちは、グローワの指示で、市民の避難誘導に出ていた。
残っているのは、グローワと、エルクたち四人だけだった。
グローワは、窓の外の大樹を見ながら、立っていた。
背中を向けたまま、話し始めた。
「百年前、私は、世界で初めて異世界召喚術を完成させた」
声に、いつもの冷静さはあった。
だが、その奥に、これまで聞いたことのない、重さがあった。
「召喚陣の設計。魔力供給の計算。異界との接続経路の確立。全て、私が、中心になって作り上げた」
「それは聞いています」
ミレナンが言った。
「だが、その時、私が考えていたのは、技術の完成だけだった」
グローワが、ゆっくりと、振り返った。
「召喚される存在が、どうなるかを、深く考えていなかった。彼らが、元の世界に帰れなくなることを。仲間が死んでも、自分だけが残され続けることを。世界の歪みを、一人で背負い続けることを」
エルクは、何も言わなかった。
「勇者Aを呼んだ時、私は彼のことを、最高傑作と呼んだ。今もその言葉を、覚えている。道具に名前をつけるような呼び方だった」
グローワの目が、わずかに、揺れた。
だが、涙は出なかった。
「彼は、世界を救った。私の作った召喚術によって、この世界に呼ばれ、仲間を失い、一人で門の真実を見続け、最後に、世界を終わらせることを選んだ」
「グローワ様のせいではない」
リアが、短く言った。
「あなたが召喚術を作らなければ、勇者Aは来なかった。だが、門の問題は、召喚術より前から存在していた」
「そうだ」
グローワが、頷いた。
「だから、私の罪は、彼を壊したことではない。彼が壊れていく過程を、見ていながら、止められなかったことだ。技術を作った者の責任として、使われ方まで、考えるべきだった」
図書館に、静寂が、落ちた。
シュウが、腕を組んで、床を見ていた。
ミレナンは、手帳を開きかけて、閉じた。
「今、大樹が傷ついている」
グローワが続けた。
「世界樹は、世界の歪みに最も敏感な存在だ。門が増えるほど、大樹は弱る。私が作った召喚術が、門を使う技術を人間に広めた。その結果として、今、大樹は悲鳴を上げている」
「それは——」
エルクが言いかけた。
「因果関係の話をしているわけではない」
グローワが、遮った。
「ただ、認める、ということだ。私の研究は、世界を救う切っ掛けを作ったが、同時に、世界を壊す切っ掛けも、作った。その両方が、事実だ」
誰も、反論しなかった。
グローワは、再び、窓の外を見た。
大樹の幹を走る黒い筋は、さらに、広がっていた。
「だから、今度は、止める」
グローワが言った。
「百年前に終わらせられなかったことを、今ここで終わらせる。それだけだ」
その言葉には、謝罪も、後悔の演技も、なかった。
研究者としての、冷静な決意だけがあった。
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街の外れで、結界が、一瞬、揺らいだ。
エルフの見張りが、それを感知して、声を上げた。
「何者か——」
現れたのは、長い黒髪と、小さな黒い角だった。
漆黒の法衣が、風に、わずかに揺れていた。
紫の瞳が、街の入り口に立つ者たちを、静かに、見回した。
ルシラだった。
エルフの見張りたちが、一斉に、武器を構えた。
「魔族だ」
「裏切り者がなぜここに」
ざわめきが、広がった。
エルフにとって、ルシラは、同族でありながら、禁術に手を染め、魔族となった者だ。
百年前の記憶を持つ者もいた。
その感情は、単純な敵意よりも、もっと複雑なものだった。
エルクたちが、外へ出た時、その緊張した場面に、出くわした。
「止めろ」
グローワが、前へ出た。
見張りたちが、グローワを見て、動きを止めた。
ルシラとグローワが、互いを、見た。
長い、沈黙だった。
百年という時間が、二人の間に、重く、積み重なっていた。
同じ研究室で、同じ理論を追いかけていた頃のことを、どちらが、どれだけ、覚えているのか。
二人のどちらにも、その答えは、外からは見えなかった。
ルシラが、先に、口を開いた。
「ずいぶん、久しぶりね」
声は、軽かった。
いつもの余裕のある口調だった。
だが、エルクには、その軽さが、わずかに、作られたものに見えた。
グローワは、相手の顔を、正面から見たまま、言った。
「生きていたか」
それだけだった。
ルシラが、小さく、苦笑した。
「大変な歓迎ね」
「お前のことを、よく知っているから、そうなる」
見張りたちの緊張は、解けていなかった。
エルフの一人が、グローワに向かって、囁いた。
「グローワ様、この者は——」
「わかっている」
グローワが、静かに、答えた。
「しかし、今は、それを言っている場合ではない」
ルシラは、周囲の視線を、平然と受けながら、一歩、前へ出た。
「謝るつもりはない」
ルシラが言った。
「百年前のことも、今の立場も、全部、私が選んだことだから」
「知っている」
「でも、今は、世界を守るために来た」
グローワは、しばらく、何も言わなかった。
大樹を、一度、見た。
幹の黒い筋を、確認するように。
「……なら、協力しろ」
それだけだった。
謝罪もなく、再会の感傷もなく。
百年前の因縁は、そのままにして、ただ、今必要なことを、言った。
エルフの見張りたちは、困惑した表情をしていたが、グローワの言葉に、武器を下げた。
ルシラは、グローワの隣に並んだ。
長身の銀髪と、長い黒髪が、並んで、大樹を見る。
「大樹の状態は」
「悪い。地下の根から、門の魔力が侵食し始めている」
「封印で止められる?」
「一時的には。だが、根本的な解決にはならない」
「じゃあ、時間を稼ぐだけね」
「そうだ」
二人の会話は、短く、実務的だった。
百年という歳月が、互いの研究の蓄積を、それぞれに深めていた。
同じ言語で話せる相手が、今この瞬間、隣にいる。
それだけが、今の二人の間にある、事実だった。
シュウが、エルクの隣で、小声で言った。
「なんか、すごい空気だな」
「昔の話は、後回しにしてる、ということだ」
エルクが、答えた。
「ということは、今は後回しにできる、ってことか」
「そういうことだ」
ミレナンが、二人のやり取りを、手帳に、素早く書き留めていた。
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ルシラとグローワが、大樹の根元へ向かう間、エルクたちは、少し離れた場所で、状況を整理していた。
「魔導双眼鏡で見たものを話す」
エルクが言った。
「世界中の門が、一点に向けて魔力を送っている。そこから、逆に、黒い魔力が世界へ流れ出している。まるで、心臓みたいな動きだ」
「心臓」
ミレナンが、繰り返した。
「魔王が、世界全体を、自分の体みたいに使い始めている、ってこと?」
「そう見えた」
「ならば」
リアが言った。
「その心臓を止めれば——」
「止め方がわからない。場所も、正確にはわからない。双眼鏡で方角は見えたが、距離は掴めなかった」
「グローワ様かルシラさんなら、わかるかもしれないです」
ミレナンが言った。
「後で聞く」
エルクは、大樹を見た。
黒い筋は、今朝より、確実に、広がっていた。
上に向かって、幹を、登っていく。
枝へ。
葉へ。
枝の先端で、一枚の葉が、音もなく、黒く変わった。
それが、しばらくして、風もないのに、落ちた。
エルクは、その葉が地面に触れる瞬間を、黙って、見ていた。




