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異世界ゆうしゃA ~亡国の残響~  作者: 小城乃ひかり
第六章 終焉の彼方

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世界の亀裂(1) エルナト

異世界ゆうしゃA ~亡国の残響~ 第六章

夜明け前の賢者の塔は、いつもと変わらない静けさに包まれているはずだった。


エルナト王国の中央にそびえるその塔は、建造から数百年を経てなお、風雨に揺るがない石積みの重みを持っていた。

最上階の観測室は、常に魔導灯の淡い光に満たされ、複数の魔力観測装置が静かに稼働していた。世界各地に存在する門の魔力を常時監視していた。


しかし今夜はいつもと違った。


アルテフェインは、観測室の中央に立ち、六枚の魔導板を同時に睨んでいた。金色の瞳が、各板に映し出される数値を、素早く、しかし慎重に、読み取っていた。

普段は穏やかに光るその瞳が、今夜はわずかに、鋭く収縮していた。


バルゼディスが、分厚い古文書を抱えたまま、部屋の端から近づいてきた。


「アルテフェイン」


弟の名を呼ぶ声に、珍しく、緊張の色があった。

バルゼディスは門の異変の調査のためヴァルガンからエルナトの賢者の塔まで来ていた。


「観測値を見ろ。第四軍観測点と、エークレイア周辺の数値だ」


アルテフェインは、黙って、バルゼディスが指した魔導板を見た。


数値は、増加していた。

それだけなら、これまでにも見てきた現象だ。

だが、その増加の仕方が、これまでとは違った。


一点への集中ではない。

東、西、南、北——方角を問わず、観測されている全ての門が、同じ周期で、同時に、脈打っていた。


「これは」


若い賢者の一人が、震える声で言った。


「門同士が、呼応しています」


バルゼディスは、その言葉に、短く頷いた。


「ヴァルガン北部の門が完全開放された際、エルナトの門も連動して反応した。あれは局所的な現象だと、当時は判断した。だが——」

バルゼディスが、記録板を広げた。

そこには、各地の門の反応パターンが、時系列で記されていた。

「今夜の現象は、その比ではない。反応している門の数が、分かっているだけで十七。おそらく、未確認の門も含めれば——」


「全てだ」

アルテフェインが、静かに言った。


バルゼディスは、弟を見た。


「確証はない。だが、この周期の規則性を見れば、おそらく、分かっていない門も含めて、世界中の全ての門が、今夜、共鳴を始めている」


その言葉に、観測室の中が、静まり返った。


若い賢者たちは、互いに視線を交わした。

誰も、何も言えなかった。

言葉を探していたのではなく、その現実の重さに、言葉そのものが出てこなかった。


そして、その沈黙の中で——記録用の魔導結晶が、一つ、砕けた。


高く澄んだ音が、部屋に響いた。


次の瞬間、別の結晶も、続いた。

また一つ。

また一つ。


観測装置が、警告音を鳴らし始めた。

処理できる魔力量の上限を、超え始めていた。


「外を見ろ」


アルテフェインが、窓の方へ、歩いた。


観測室の窓は、四方を向いていた。

アルテフェインは、東の窓の前に立ち、空を見た。


夜明け前の空は、本来、濃い藍色のはずだった。

しかし、東の空の一点に、黒い歪みがあった。

線のように細く、だが確かに、青空の向こうを、侵食していた。


「世界そのものが、裂け始めている」


バルゼディスが、横に並んで、その歪みを見た。


世界の傷、かつて自分が言った言葉が、今、現実として、目の前に存在していた。



エルナトの王都に、鐘が鳴り響いたのは、夜明けと同時だった。


普段の鐘とは、まったく違う音だった。

緊急を告げる、連続した打音が、まだ眠っている市民たちを、一斉に叩き起こした。


街の至るところで、魔導灯が消えた。


エルナトの王都は、魔力を動力源とする設備が多い。

街路の灯り。

建物の空調。

通信用の魔導水晶。

市場の計量装置。


それらが、一斉に、停止した。


まるで、世界全体の魔力循環が、どこかで詰まり始めたかのように。


空を飛んでいた魔導船が、突然、推力を失った。

王都の西港に停泊していた三隻が、そのまま、海面へ向かって落下し始めた。

甲板から、乗組員たちの叫び声が、上がった。


街に、混乱が、広がった。


何が起きているのかを、理解できている者は、ほとんどいなかった。

ただ、当たり前にそこにあったものが、次々と、機能を失っていくという恐怖だけが、人々の間に、感染するように、広がっていった。


アルテフェインは、塔から外へ出た。


王都の広場に立ち、空を見上げる。


亀裂は、もう、細い線ではなかった。

空の一角が、黒く染まり始めていた。

その染まり方は、インクが水に滲むような、緩やかな広がりだった。

だからこそ、逆に、止められないという感覚があった。


市民の一人が、広場で、立ち尽くしたまま、空を見ていた。

老人だった。

その目に、恐怖ではなく、ただ、静かな呆然とした光があった。


「空が、割れている」

老人が、誰にともなく、呟いた。


その言葉は、広場に集まり始めた人々の間に、静かに、広がっていった。


「空が、割れている」


同じ言葉を、誰かが繰り返した。

また別の誰かが、繰り返した。


やがて、その言葉は、一つの事実として、エルナト全体に、浸透していった。


アルテフェインは、それを聞きながら、観測室へ戻った。


「避難の準備を始めろ」


振り返らずに、バルゼディスへ向かって言った。


「魔導通信を全開放。エルフの国、ヴァルガン、レグルス——使えるすべての通信経路で伝達する」


「内容は」


「世界規模の災害が始まった。門への接近を禁止する。各国は自国民の避難を最優先にしろ」


バルゼディスは、一瞬、躊躇した。


「それを言えば、パニックになる」


「もう、なっている」


アルテフェインが、窓の外の広場を、一瞥した。


バルゼディスは、それ以上、何も言わなかった。



エルナト近郊の森は、夜明けの光の中で、不自然な静けさに包まれていた。


いつもなら、夜行性の魔物が巣に戻り、昼行性の動物が動き始める、穏やかな時間帯だ。


しかし、今朝は違った。


森の奥から、低い地鳴りのような音が聞こえていた。

木々の葉が、風もないのに、激しく揺れていた。


そして——森の魔物たちが、一斉に、同じ方向を向いていた。


草食の獣も、肉食の魔物も、普段なら互いに捕食し合う関係の生き物たちが、種の壁を超えて、同じ方向を見つめていた。


門の方向だった。


やがて、それらは動き始めた。


群れを形成し、静かに、しかし確実に、門へ向かって進んでいく。

普段、縄張りを侵犯された魔物は、激しく反応する。

しかし今、彼らは、互いに無関心だった。

まるで、何かに、引き寄せられているように。


その移動の途中で、最初の変化が起きた。


一頭の中型の魔物の体表から、黒い靄が、滲み出した。

最初は、まるで、影が剥がれていくようだった。

だが次第に、その靄は、形を変え、体そのものに、融け込んでいった。


魔物の目が、赤く染まった。


体が、二回り、大きくなった。


四肢が、異なる形に変形していった。


それは、もう、元の魔物ではなかった。


異界の魔力を、体内に取り込んだ、別の何かだった。


冒険者ギルドへの緊急連絡が、王都に、届いたのは、それからしばらく後のことだった。


「街道に異常。通常種ではない大型の魔物が複数。接触した部隊に、死傷者が出ています」


連絡を受けたギルドマスターは、その報告を読んで、しばらく、動けなかった。


「全ての種が、同時に変異している……?」


それは、これまでどの冒険者も、どの賢者も、経験したことのない事態だった。

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