レグルス崩壊(3)
異世界ゆうしゃA ~亡国の残響~ 第五章
ライディスは、ユラギとの戦いを、中断していた。
剣を、納めることはしなかった。
だが、その視線は、もう、ユラギに向けられていなかった。
崩れる建物の下から、子供の泣き声が、聞こえていた。
ライディスは、瓦礫の山に、駆け寄った。
両手で、重い石材を、引き上げ、その下から、小さな体を、引き出した。
「大丈夫だ。もう、大丈夫だ」
子供を、母親の方へ、抱き渡す。
母親が、泣きながら、何度も、頭を下げた。
ライディスは、それ以上、何も言わず、次の場所へ、向かった。
倒れた兵士を、助け起こす。
逃げ場を失った老人を、安全な場所へ、導く。
崩れた家屋の中から、もう一人を、引き出す。
王都中を、駆け回り続けた。
ユラギが、その様子を、煙の中から、静かに、見ていた。
「——なぜです」
ユラギが、聞いた。
「王は、あなたを、捨てた」
ライディスは、瓦礫を、退かす手を、止めなかった。
「それでも、民は、捨てない」
ライディスが、答えた。
「私は、軍務卿だ」
その答えは、王への忠誠でも、勇者への憧れでも、魔王への恐怖でもなかった。
ただ、自分が、ずっと、果たすべき責務として、信じてきたものへの、答えだった。
王でもない。
勇者でもない。
魔王でもない。
ただ、軍務卿として、国を守る男。
それが、ライディスの、辿り着いた、答えだった。
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崩壊が、さらに、進んでいく中、第五軍の動きに、変化が、生じていた。
ユラギの輪郭が、わずかに、揺らいでいた。
これは、想定していた展開とは、違っていた。
魔王の計画は、もっと緻密で、もっと制御された、世界融合だった。
王の、この暴走は、その計画とは、明確に、異なっていた。
「魔王様は、これを、望んでいません」
ユラギが、低く、呟いた。
「何だと」
ライディスが、振り返った。
「あなたの王が、急ぎすぎたのです」
ユラギが言った。
「あの方の計画は、もっと、緩やかなものでした。だが、これは——制御できていない」
崩れる王都を、ユラギは、しばらく、見渡していた。
そして——
「今回は、ここまでです」
ユラギが、静かに、言った。
煙が、辺りに、広がっていった。
第五軍の忍者たちが、一人、また一人と、その煙の中に、姿を、消していく。
「いずれ、また」
ユラギが、最後に、言った。
「その時、あなたは、何を、守るのでしょう」
その言葉だけを、残して、ユラギの姿は、完全に、闇の中に、消えていった。
ライディスは、知らなかった。
もう一人のユラギが、すでに、遠い聖都で、エルクたちに、敗れていたことを。
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地下施設は、すでに、半分以上、崩落していた。
ライディスは、瓦礫を踏み越えながら、王の元へ、駆け戻った。
王は、崩れた天井の下、一人、立っていた。
体には、すでに、いくつもの怪我があった。
それでも、王は、門の前から、動かなかった。
その姿は、ライディスが、幼い頃から見上げてきた、威厳ある王の姿とは、もはや、別人のようだった。
だが、その背中の輪郭だけは、不思議と、あの夜、自分の頭を撫でてくれた手の温もりを、思い出させた。
「陛下! こちらへ!」
ライディスが、手を、伸ばした。
王は、それを、拒んだ。
「私は——」
王の声が、震えていた。
「勇者には、なれなかった」
崩れる瓦礫の音が、王の声を、かき消しそうになっていた。
「魔王にも——なれなかった」
「ただの、王だった」
ライディスは、それでも、王に、手を、伸ばし続けた。
「陛下!」
王は、ゆっくりと、ライディスを、見た。
その目には、もう、これまで見てきた、威厳も、野心も、なかった。
ただ、長い年月、誰にも、理解されることのなかった、一人の人間の、孤独だけが、そこにあった。
崩れ落ちる瓦礫の隙間から、わずかに差し込む、異界の光が、王の顔を、青白く、照らしていた。
その表情には、不思議と、安堵に似た色が、滲んでいるようにも、見えた。
長い、長い、孤独な戦いが、ようやく、終わるという、安堵だったのかもしれない。
「お前は——」
王が、最後に、言った。
「私になるな」
その言葉と同時に、天井が、大きく、崩れ落ちた。
ライディスは、咄嗟に、後ろへ、飛び退いた。
瓦礫が、王の姿を、完全に、覆い隠していった。
「——陛下!」
ライディスの声が、崩落する瓦礫の中に、響いた。
応えは、なかった。
王の生死は、確認できなかった。
土煙が、晴れていく中、ライディスは、その場に、しばらく、立ち尽くしていた。
腕に、力が、入らなかった。
膝が、わずかに、震えていた。
これまで、自分が、人生のすべてを懸けて、信じてきたものが、たった一晩で、瓦礫の下に、消えていった。
それでも、悲しみに、浸っている時間は、与えられなかった。
地上では、まだ、助けを求める声が、響き続けていた。
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朝が、来た。
レグルス王都は、半壊していた。
王城は、崩落し、その瓦礫の山が、かつての威厳の名残を、わずかに、留めていた。
街の至るところに、門の痕跡——空間が裂けた跡が、残っていた。
死者の数は、数えるだけでも、長い時間がかかるほどだった。
兵士たちが、貴族たちが、口々に、声を上げ始めた。
「軍務卿が、反逆した」
「王を、裏切った」
その声は、次第に、街全体に、広がっていった。
誰も、地下で何が起きたのか、正確には、知らなかった。
ただ、王が、消え、ライディスが、生き残ったという事実だけが、人々の間で、勝手な解釈を、生んでいった。
ライディスは、地位を、失った。
国を、失った。
故郷を、失った。
しかし、それでも、彼は、最後まで、避難の指揮を、続けていた。
瓦礫の下から、人を引き出す。
怪我人を、安全な場所へ、運ぶ。
食料を、配給する。
すべてを失った男が、それでも、できることを、続けていた。
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遠く、聖都エークレイア。
エルクは、双眼鏡を、まだ、レグルスの方角に、向けていた。
崩壊したレグルスの空に、巨大な、傷が、残っていた。
世界そのものが、その一点で、歪み続けているのが、見えた。
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ノクトが、その方角を見ながら、静かに、呟いた。
「もう、時間がない」
その声には、深い、諦めにも近い、確信があった。
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闇に包まれた、どこかの場所。
古い玉座が、静かに、佇んでいた。
その上に、座る者の、目が——ゆっくりと、開いた。
「——世界が」
声が、静かに、響いた。
「動き始めた」
その視線の先には、誰の目にも、映らない、遠い景色があった。
エルク。
ライディス。
そして、世界中の、門。
すべてが、その視線の中に、収まっていた。
レグルスの空に開いた、巨大な裂け目を起点として、世界各地の門が、次々に、脈動を、始めていた。
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レグルス王都、崩壊から、数日が、経った。
瓦礫の片付けは、まだ、終わっていなかった。
それでも、人々は、少しずつ、前を向き始めていた。
炊き出しの煙が、避難所の一角から、立ち上っていた。
子供たちの泣き声に混じって、わずかに、笑い声も、聞こえるようになっていた。
ライディスは、軍務卿の地位を、正式に、剥奪されていた。
王の死——あるいは、行方不明——の責任を、すべて、彼一人が、負わされる形になった。
真実を知る者は、ごくわずかだった。
そして、その真実を、信じようとする者は、さらに、少なかった。
それでも、ライディスは、街を、去ろうとはしなかった。
避難所の片隅で、彼は、毛布を配り、傷の手当てを、手伝っていた。
かつての部下の何人かは、まだ、彼に、敬礼を、続けていた。
肩書きを失っても、変わらない何かが、そこには、確かに、あった。
「軍務卿——いえ、もう、その呼び方は、違いますね」
声をかけてきたのは、かつての部下の一人だった。
「これから、どうされるのですか」
ライディスは、しばらく、答えなかった。
ただ、瓦礫の隙間から見える、まだ完全には塞がっていない、空の裂け目を、見上げていた。
「止める」
ライディスが、静かに言った。
「あの方を。それから——あの王が、見ようとしていたものの、正体を」
「一人で、ですか」
「一人ではない」
ライディスが、答えた。
その脳裏に浮かんだのは、エルクたちの顔だった。
まだ、何が起きたのかを、知らせてはいない。
だが、確かに、同じ夜の下で、同じ真実に、近づいていたはずだった。
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同じ頃、聖都エークレイア。
エルクは、まだ、宿の窓辺に、立ち続けていた。
東の空に残る、消えない傷を、双眼鏡越しに、見つめていた。
「——レグルスは、どうなったんだ」
エルクが、誰にともなく、呟いた。
詳しい状況は、まだ、わからなかった。
ただ、あの規模の崩壊が、無傷で済むはずがないことだけは、確信していた。
リアが、隣に、静かに、立った。
「行くしかない」
リアが、言った。
「次は——レグルスだ」
エルクは、頷いた。
グローワが、その背後で、低く、言った。
「世界中の門が、目を覚まし始めている」
「これは、もう、誰か一人の問題ではない」
ノクトがレグルスの方向を見つめていた。
ルシラの視線も、遠く東の空に、注がれていた。
それぞれが、別々の場所で、同じ予感を、抱いていた。
世界は、確かに、動き始めていた。
魔王の目覚め。
王の野望の残響。
エルクは、双眼鏡を、ゆっくりと、下げた。
そして、東の空を、もう一度、肉眼で、見つめた。
「行こう」
その一言だけを、エルクは、静かに、口にした。
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第五章「忘れられた勇者」 完結
そして、世界は、第六章へと、続いていく。




