忘れられた未来(2)
異世界ゆうしゃA ~亡国の残響~ 第五章
鐘楼の上、ユラギの輪郭が、一度、大きく振れた。
「ならば」
ユラギの声が、低く響いた。
「もう少し、深く、見せましょう」
その瞬間、広場全体を覆う黒い霧が、一気に、濃度を増した。
視界が、完全に、闇に閉ざされる。
そして、それぞれの内側に、別々の景色が、流れ込んできた。
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リアが、見たのは、崩壊した王都だった。
レグルスの城が、瓦礫の山となっていた。
空は、黒く、裂けていた。
その裂け目から、無数の異形が、溢れ出していた。
足元に、エルクが、倒れていた。
動かなかった。
「——エルク」
リアが、駆け寄った。
だが、いくら呼びかけても、応えはなかった。
「私は……」
リアの声が、震えた。
「閉じる者として……失敗した」
世界が、ゆっくりと、門の奥へ、吸い込まれていく光景が、視界の端で、広がっていった。
人々の悲鳴が、遠くから、聞こえてくる。
「私の、せいで……」
涙が、リアの頬を、伝った。
剣を握る手が、震えていた。
「やめろ……!」
リアが、声を、振り絞った。
「これは、私が見たい未来じゃない……!」
その叫びが、闇の中に、響いた。
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シュウが、見たのは、ヴァルガンのあの戦場だった。
ゴルゴンナックの巨大な爪が、迫る。
エルクを庇おうとして、間に合わなかった自分。
だが、今度は、もっと、酷かった。
倒れていくのは、エルクだけではなかった。
誰も、守れなかった。
「俺だけが——」
シュウの声が、掠れた。
「俺だけが、生き残る……?」
その光景の中で、シュウは、一人、立っていた。
仲間の体が、周りに、横たわっていた。
それは、これまでの戦いで、何度も感じてきた恐怖を、何倍にも、増幅させたものだった。
「いやだ……!」
シュウが、叫んだ。
「俺は、誰も、失いたくない……!」
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ミレナンが、見たのは、研究の果ての、孤独だった。
すべての記録が、燃えていた。
仲間たちの姿が、一人ずつ、消えていった。
最後に残ったのは、自分一人だった。
誰もいない、図書館。
誰も読まない、研究記録。
誰にも、伝えられなかった、知識。
「私……」
ミレナンの声が、震えた。
「一人じゃ、何も、できないです……」
手帳を握る手に、力が入った。
それは、孤独の恐怖そのものだった。
仲間を失うことへの、深い、深い、不安だった。
「いやです……こんなの……」
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エルクが、見たのは、まったく、違う景色だった。
そこには、争いがなかった。
戦争もなく、死者も、いた。
だが、その死者たちは、苦しんでいなかった。
静かに、穏やかに、すべてが、一つに、溶け合っていた。
世界は、もう、分裂していなかった。
門も、なかった。
すべてが、一つの、完成された景色になっていた。
その中央に、勇者Aが、立っていた。
優しい目をしていた。
これまで見てきた、苦しみに満ちた姿とは、違っていた。
ただ、静かに、安らかに、そこに立っていた。
「これが」
エルクの口から、声が漏れた。
「間違っているか?」
その声は、誰のものか、わからなかった。
ユラギの声なのか、勇者Aの声なのか、それとも、自分自身の、心の声なのか。
エルクは、答えられなかった。
その景色は、あまりにも、美しく、あまりにも、安らかだった。
争いのない世界。
苦しみのない死。
それは、確かに、一つの、救いの形だった。
剣ではなく、言葉でもなく、ユラギは、答えそのものを、揺さぶっていた。
エルクの中で、何かが、崩れかけていた。
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その頃、聖都の外縁、巨大な白樹の根元では、別の戦いが、進んでいた。
大樹の根が、異常に脈動し続けていた。
グローワが、その前に立ち、両手を、根の表面に当てていた。
ユラギの幻術は、広場だけでなく、街全体に、黒い霧として広がっていた。
大樹の根を経由して、聖都そのものの魔力に、干渉してきていた。
グローワ一人の力では、その全てを、受け止めきれない。
根を流れる魔力が、じわじわと、逆流を始めていた。
このままでは、大樹そのものが、ユラギの幻術に、侵食される。
「——くっ」
グローワの額に、汗が、滲んだ。
その時だった。
根の表面に当てていた手に、外からの魔力が、届いた。
南の方角から、細く、しかし一定の流れを持つ魔力が、根へ向かって、流れ込んでいた。
グローワは、その魔力の質感を、瞬時に、読み取った。
人間ではない。
エルフでもない。
だが、古代エルフ魔法の理論に基づいた、精緻な構造を持っていた。
禁術の領域にまで踏み込んだ者だけが持つ、深みのある色をしていた。
グローワには、その発信源が、わかった。
しかし、わかっていても、今は、問う余裕がなかった。
送り込まれてくる魔力を、大樹の根に、馴染ませる。
自分の魔力とは、質が、違う。
しかし、干渉せず、補うように、流れてくる。
まるで、長年、同じ理論を学んだ者の手癖のように、自分の魔力の隙間へ、自然に、入り込んできた。
「精神干渉、遮断」
グローワが、静かに、言った。
大樹の根が、大きく、脈動した。
グローワ一人では、ここまでの出力は出せなかった。
遠くから届く、その魔力が、不足を、正確に、埋めていた。
魔力の波が、根を通じて、街全体に、広がっていった。
街の各所で、崩れ込んでいた人々が、少しずつ、意識を取り戻し始めた。
子供の泣き声が、徐々に、止まっていく。
兵士たちが、混乱から、覚醒していく。
グローワは、根から手を離さないまま、南の方角を、一度だけ、見た。
誰の姿も、見えなかった。
声も、届かない距離だった。
しかし、その魔力の送り方には、明確な意図があった。
交渉でも、取引でも、ない。
ただ、今、この場で、街が壊れるのを、阻止しようとしている意志だけが、そこにあった。
グローワは、それ以上、考えなかった。
今は、受け取るだけで、十分だった。
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聖都から遠く離れた南の森の中、ルシラは、大きな岩の上に腰を下ろし、目を閉じていた。
両手を膝の上に置き、意識だけを、遠くへ伸ばしていた。
細い魔力の糸を、聖都の大樹の根へ向けて、送り続ける。
転移魔法で直接向かう方が、効率はいい。
しかし、今は、行かない。
行く理由が、まだ、ない。
ただ、世界が消えるのは、嫌だった。
それだけだった。
「……世界が嫌いなわけじゃないのよ」
誰もいない森に、ルシラが、静かに、呟いた。
「消えてほしくないから、やっているだけ」
黒い翼を、体に、そっと、畳んだ。
木漏れ日が、白い肌に、落ちていた。
大樹の根が、魔力を受け取ったことは、感触で、わかっていた。
向こうが誰であれ、受け取った。
それで、十分だった。
ルシラは、目を、開けなかった。
ただ、静かに、魔力を、送り続けた。
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広場では、戦いが、まだ、続いていた。
遠くから届く、見えない力が、街全体の幻術を、徐々に、弱め始めていた。
その影響は、広場にも、及んでいた。
黒い霧が、少しずつ、薄れていく。
リア、シュウ、ミレナンが、それぞれ、見せられていた幻から、ゆっくりと、解放されていった。
「——リア!」
シュウの声が、響いた。
リアが、目を、瞬かせた。
さっきまで見ていた、崩壊した王都の光景が、嘘のように、消えていた。
代わりに、見慣れた、聖都の広場が、視界に戻っていた。
「無事、か」
「ああ……お前もか」
ミレナンも、震える手で、杖を握り直していた。
その時、鐘楼の上で、ユラギが、ゆっくりと、仮面に手をかけた。
「——もう、隠す必要は、ないようです」
仮面が、外れた。
その下から現れたのは、若い魔族の顔だった。
角は、小さく、目元には、これまでの戦いとは似合わない、穏やかさがあった。
狂気や、嘲りは、そこには、まったく見られなかった。
ただ、深く、強い、確信だけがあった。
「私は、あの方を、信じています」
「世界は、壊れている。だから、救う。魔族も、人間も——全部」
リアが、剣を構えたまま、叫んだ。
「全員、死ぬんだぞ……!」
「今も、少しずつ、死んでいます」
ユラギが、静かに、答えた。
「戦争で。病で。老いで。それなら——救われるべきです」
その言葉には、嘲りも、悪意も、なかった。
ただ、本気で、それを、信じている者の、静かな確信だけが、あった。
それこそが、ユラギという存在の、最も恐ろしい部分だった。
力でも、技でもなく、その、揺るぎない、純粋な信仰が、戦う者の心を、内側から、揺さぶってくる。




