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異世界ゆうしゃA ~亡国の残響~  作者: 小城乃ひかり
第五章 忘れられた勇者

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継承者(2)

異世界ゆうしゃA ~亡国の残響~ 第五章

その夜、聖都に、奇妙な噪ぎが広がった。


宿の女将が、エルクたちの部屋の扉を、慌てた様子で叩いた。


「お客さん、ちょっと……街の様子が、変なんです」


四人が外に出ると、通りには、住民たちが、不安げな表情で、ざわめいていた。


「みんな、同じ夢を見たって言うんです」


近くにいた商人の男が、震える声で言った。


「崩れる世界。黒い空。門。勇者……」


「世界の終わり、って——みんな、同じ言葉を使うんです」


別の女性が言った。


「気味が悪くて」


通りのあちこちで、似たような証言が、繰り返されていた。

誰一人として、示し合わせたわけではない。

それなのに、見た夢の内容が、驚くほど、一致していた。


恐慌が、街全体に、静かに、しかし確実に、広がり始めていた。

誰かが叫び、誰かが走り出し、子供を抱いた母親が、家の戸を、固く閉めた。


「これは——」


ミレナンが、青ざめた顔で言った。


「自然な現象じゃないです」


「第五軍か」

リアが、剣の柄に、手をかけた。


四人は、街の中心へ向かった。

だが、走り回っても、何の手応えもなかった。

誰かを助けることも、何かを止めることも、できなかった。

ただ、不安だけが、街中に、満ちていくのを、見ているしかなかった。


「——上だ」

エルクが、ふと、声を上げた。


屋根の上に、黒い人影があった。


黒い装束。

顔には、表情の読めない、無機質な仮面。

その輪郭は、夜の闇に、自然に溶け込んでいた。


「残響の継承者」

声が、降ってきた。


性別を感じさせない、平坦な響きだった。


「あなたは、見えますか?」


「何をした」

エルクが、声を張った。


「私は、見せただけです」

ユラギが、静かに答えた。

「未来を」


「未来?」


「この街の人々が見た夢は、私が作ったものではありません」

ユラギが、続けた。

「ただ、見やすくしただけです。世界が、これから迎える光景を」


その言葉の不気味さに、四人は、言葉を失った。


「お前は、何のために、それをする」

エルクが聞いた。


「目的は、一つです」

ユラギの声に、わずかな、笑みのようなものが、混じった。


「忘れさせること。そして、必要な時には、思い出させること。今夜は、後者でした」


「ふざけるな……!」

シュウが、剣を構えたまま、屋根に向かって踏み出した。


しかし、ユラギは、それに、まったく動じなかった。


「戦う気はありません」

ユラギが言った。


「今日は、見せに来ただけです」


その輪郭が、ゆっくりと、薄れていく。


「またお会いしましょう、継承者」


それだけ言って、ユラギの姿は、夜の闇に、完全に、溶けて消えた。


街には、ただ、恐怖の余韻だけが、長く残った。



その出来事から、二日後の夜、グローワは、四人を、図書館の、さらに深い場所へ案内した。


これまで訪れたどの場所よりも、奥にある、地下封印区画だった。


「ここには、勇者A本人の遺物がある」

グローワが、重い扉の前で言った。

「剣。装備。そして——記録の、最後の一部」


扉が、ゆっくりと開いた。


中には、古びた剣が、台座の上に、安置されていた。

刃は、もう、鈍く曇っていた。

その傍に、当時の防具の残骸と、小さな魔力結晶が、置かれていた。


エルクは、その結晶に、思わず、双眼鏡を向けた。


レンズの中、その結晶は、淡く、しかし、確かに、光っていた。


「これは——」


「彼の、残響の名残だ」

グローワが言った。

「魔力結晶は、強い感情を、長く保存することがある。これは、五十年、ここに、留まり続けている」


エルクは、結晶に、ゆっくりと、手を伸ばした。


触れた瞬間、頭の中に、何かが、流れ込んできた。


「間に合わない」


声だった。


「誰も、救えない」


別の声が、重なった。


「もう一度」


「今度こそ」


その声は、苦しみに満ちていた。

怒りでも、憎しみでもなかった。

ただ、深い、深い、後悔と、絶望が、その声の奥に、渦巻いていた。


エルクの膝が、崩れた。


「エルク!」

リアが、すぐに、その体を支えた。


「大丈夫か」


「……ああ」

エルクは、額に、冷たい汗を浮かべていた。


「聞こえた。あの人の——苦しみが」


その場の誰も、何も言えなかった。

ただ、エルクの背中を、リアが、静かに支え続けていた。



その夜、エルクは、宿の部屋で、一人、横になっていた。


眠っているのか、起きているのか、自分でも、わからなかった。

ただ、視界が、ゆっくりと、別の景色へ、移り変わっていった。


夜空が、見えた。


巨大な白樹の上、星々の間に、人の姿があった。


長い時間を経た、半透明の輪郭。

だが、それは、第四章で見た、あの恐ろしい思念体とは、違っていた。


そこにいたのは、若い、優しい目をした、青年の姿だった。


「——残響の継承者」


声が、静かに、響いた。


「お前は……」

エルクが、聞いた。


「私は、失敗した」

勇者Aの思念が、答えた。


その声には、悲しみが、滲んでいた。


「お前は、どうする」


エルクは、すぐには、答えられなかった。


「世界を、守るか」


勇者Aが、続けた。


「やり直すか」


「壊れたものを、残すか」


「壊して、救うか」


その四つの問いが、夜の静寂の中に、重く、響いた。


「分からない」


エルクが、ようやく、声を出した。


「俺には、まだ、答えが見えない」


勇者Aの思念が、それを聞いて、静かに、笑った。


「それでいい」


その笑みは、第四章の恐ろしい存在からは、想像もできないほど、優しかった。

苦しみ抜いた、一人の英雄の、最後に残った、わずかな温かさだった。


「お前には、まだ、時間がある」

勇者Aが、言った。


「俺には、なかった。だから——間違えた」


「間違えた、と、思っているのか」

エルクが、思わず聞いた。


「わからない」

勇者Aが、答えた。


「今でも、わからない。だが、お前には、わかってほしい」


「何を」


「迷うことを、恐れるな」


それだけ言って、勇者Aの姿は、夜空に、溶けていった。


エルクは、目を覚ました。

頬に、涙が、伝っていた。

理由は、わからなかった。

ただ、胸の奥に、これまでとは違う、静かな何かが、残っていた。



同じ頃、遠い山中で、ノクトが、突然、足を止めた。


冷たい汗が、額に滲んでいた。


「——あの方が、接触した」


ノクトが、低く呟いた。


そこに、ルシラが、転移の魔法で現れた。


「始まったわね」


ルシラが言った。


「エルク?」


「継承者だ」

ノクトが、答えた。


その声には、これまでとは違う、複雑な響きがあった。


「あの方は、彼を、敵だと思っていない」


ノクトが、続けた。


「後継者として——見ている」


ルシラは、それに、何も言わなかった。

ただ、星空を、長い間、見上げていた。



王城地下、古代召喚施設。


巨大な魔法陣の中央に、黒い亀裂が、小さく、開いていた。


王が、その亀裂の前に、立っていた。

ユラギが、その傍らに、姿を現した。


「接触は、成功しました」


ユラギが言った。


「残響の継承者は、迷っています」


王が、わずかに、笑った。


「まだ、勇者になれる」


「まだ、魔王にもなれる」


ユラギも、わずかに、笑った。


「この世界は、腐っている」


王が、低く言った。


「だから、やり直す」


その言葉は、勇者Aの思想と、似ているようで、どこか、違っていた。

勇者Aが見ていたのは、世界そのものの崩壊だった。

だが、王の目に映っているのは、別の何かだった。


その目的が、世界を救うことではなく、世界を支配することにあるのだということを、知る者は、まだ、誰もいなかった。



深夜、王家資料室。


ライディスは、一人、古い書類を、机に広げていた。


百年前の記録。

その中に、当時の王の肖像があった。


その顔を、ライディスは、じっと見つめた。


そして、現在の王の顔と、見比べた。


「——ありえない」


ライディスの声が、震えた。


百年前の肖像と、今の王の顔。

年齢の経過が、明らかに、合わなかった。

あまりにも、似ていた。

似ているのではなく——同じだった。


召喚。

門。

王家。


それらが、頭の中で、急速に、繋がっていった。


その時、背後に、気配を感じた。


「もう少しですよ」


声が、聞こえた。


ライディスは、即座に、振り返った。

だが、誰もいなかった。

ただ、声だけが、その場の空気に、残っていた。


ライディスは、初めて、明確な恐怖を覚えた。


王。

国。

正義。


これまで、自分が信じてきたものすべてが、今、音を立てて、崩れ始めていた。



その夜、聖都の宿で、エルクは、窓辺に立っていた。


魔導双眼鏡を、レグルスの方角へ向ける。


黒い魔力が、空の裂け目の奥で、脈動していた。

門が、そこに、確かに存在していた。


そして——その向こうに、巨大な影が、わずかに見えた。


普通の目には、決して映らない、巨大な何かの輪郭。


「また、門が開く」


エルクが、静かに、呟いた。



遠く、レグルス。

地下深く、亀裂が、ゆっくりと、脈動していた。


王が、その前に、立っていた。


「始めよう」


王が、低く言った。


ユラギが、その傍らで、静かに、答えた。


「世界の終わりを」


黒い光が、亀裂の奥から、漏れ始めた。


門が、ゆっくりと、開き始めていた。

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