表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界ゆうしゃA ~亡国の残響~  作者: 小城乃ひかり
第五章 忘れられた勇者

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
104/147

継承者(1)

異世界ゆうしゃA ~亡国の残響~ 第五章


朝の宿には、いつもとは違う空気が流れていた。


誰も、よく眠れなかった。


昨夜、グローワから聞いた真実が、四人それぞれの中で、まだ消化されないまま、重く沈んでいた。


食堂に集まった四人は、しばらく、誰も口を開かなかった。


シュウは、いつもなら真っ先にメニューを覗き込むはずだったが、今朝は、ただ黙って、椅子に腰を下ろしていた。

ミレナンは、手帳を開いたまま、何も書かずに、ページの端を見つめていた。

リアは、料理にほとんど手をつけず、時折、視線だけを、エルクの方へ向けていた。


エルクは、目の前のパンを、一口齧っただけで、それ以上、食べる気が起きなかった。


頭の中で、昨夜聞いた言葉が、何度も、繰り返されていた。


勇者A。

世界融合。

魔王。


それらが、一本の線として繋がった瞬間の感覚が、まだ、消えていなかった。


「——もし」

エルクが、ぽつりと言った。

三人が、それぞれ顔を上げた。

「もし、俺が、あの人だったら」

エルクの声は、小さかった。

「同じことを、選ぶのかな」


誰も、すぐには答えなかった。


シュウが、何か言おうとして、口を開いたが、結局、言葉が出てこなかった。

リアは、ただ、エルクの方を見つめていた。

ミレナンは、手帳を、そっと閉じた。


答えの出ない問いが、テーブルの上に、しばらく、漂っていた。


「食べないと、もたないぞ」

シュウが、ようやく、それだけ言った。


「ああ」

エルクは、もう一口、パンを齧った。

味は、ほとんど、感じなかった。



その日の午前、グローワは、図書館ではなく、巨樹の根元にある、観測施設へ四人を呼んだ。


そこは、これまで訪れたどの場所とも違っていた。

壁も天井もなく、巨樹の根が、そのまま、複雑に編み込まれて、空間を作っていた。

根の表面には、淡い光を放つ紋様が、無数に刻まれていた。


「ここで、世界樹の状態を観測している」

グローワが、根の一部に手を当てながら言った。

「大地の魔力の流れ、世界の歪みの規模、それらすべてが、この樹を通じて、観測できる」


「それで、何がわかったんですか」

エルクが聞いた。


グローワの表情が、わずかに、硬くなった。

「門が、増えている」


「増えている?」


「想定より、早い」

グローワが、根の紋様の一つを指した。

そこには、複雑な記号と、小さな光点が、いくつも浮かんでいた。


「これが、現在、観測されている、門の活性化地点だ。北部の門以降、明らかに、数が増えている」

光点の数を見て、ミレナンが、息を呑んだ。


「こんなに……」


「世界中で、同時に、軋みが進んでいる」


グローワが言った。


「これまでは、数百年単位で進む現象だと、思われていた。だが、今の速度は——その想定を、大きく超えている」


エルクは、無意識に、腰の鞄から、魔導双眼鏡を取り出していた。


「外を見てみるか」

グローワが言った。


エルクは、観測施設の開口部から、空へ向けて、双眼鏡を構えた。


普通の目では、何も見えない、ただの青空だった。

だが、レンズを通すと、その景色は、まったく違うものに変わった。


空に、薄く、黒い線が、走っていた。

一見、雲の切れ目のようにも見えるが、よく見ると、それは、空間そのものに入った、傷のようなものだった。


その線は、地平線の彼方、ある一点に向かって、緩やかに伸びていた。


「あれは……」

エルクが、思わず声を出した。


「東の方角だ。あの先は——」


「レグルスだ」

リアが、即座に言った。


エルクは、双眼鏡をさらに調整し、その先を、見つめた。

レグルスの方角に、微かな魔力の反応があった。

それは、これまで見てきた、どの魔力の流れとも、質感が違っていた。

重く、沈み込むような、暗い色をしていた。


「世界の裂け目よ」

グローワが、静かに言った。

「勇者Aが、見ていたものだ」

その一言に、エルクの背筋が、冷たくなった。


五十年前、彼が、たった一人で見ていた光景。

誰にも理解されず、誰にも証明できなかった、世界の傷。


それを今、自分も、同じ目で、見ている。


エルクは、双眼鏡を、ゆっくりと、下げた。


「俺にも、見えてる」


その声は、自分でも、驚くほど、静かだった。


「あの人が見ていたものが、今、俺にも見えてる」


グローワは、それに、何も答えなかった。

ただ、エルクの横顔を、長い間、見つめていた。



その日の午後、聖都の外縁、結界の境界付近で、異常な魔力反応が観測された。


報告を受けたエルクたちは、すぐに、現場へ向かった。


森の入り口、結界の淡い光が、地面に円を描いている場所だった。

その円の縁に、一人の人物が立っていた。


長い黒髪。

紫の瞳。

小さな黒い角。

黒い翼。

漆黒の法衣。


「ルシラ……!」

シュウが、剣を抜きながら、声を上げた。


リアも、即座に、大剣を構えた。


しかし、ルシラは、戦う様子を、まったく見せなかった。

ただ、興味深そうに、周囲を見回していた。


「今日は、戦争じゃないわ」

ルシラが、軽い口調で言った。

「調べに来ただけ」


「何を調べに」

エルクが、警戒を解かずに聞いた。


「世界樹のことよ。ここの結界、随分、変質してる。誰かが、無理に、世界の歪みを抑え込んでる」

ルシラが、結界の縁を、指でなぞった。


その時、グローワが、現場に到着した。


ルシラの姿を見た瞬間、グローワの表情が、これまでで最も硬くなった。


「グローワ……」

ルシラが、その名を、口にした。


声に、わずかな、温度のようなものが、混じっていた。

「久しいわね」


グローワは、何も答えず、ルシラを、じっと見つめた。


二人の間に、目に見える緊張が、張り詰めた。


かつて、同じエルフだった。

同じ研究室で、同じ理論を、追いかけていた。

だが今、二人は、まったく違う場所に立っていた。


「まだ、研究者ごっこ、してるの?」

ルシラが、口元に、小さな笑みを浮かべた。


「まだ、欲望に、支配されているのね」

グローワが、静かに、返した。


その言葉に、ルシラは、わずかに、目を細めた。

笑みは、消えなかった。

だが、その奥に、別の何かが、一瞬、見えた気がした。


「百年前、私たちは、同じものを、追いかけていたわ」


ルシラが、静かに言った。


「召喚術の理論。門の構造。世界の真実。あなたも、私も、同じ場所から、始まった」


「だが、お前は、道を違えた」

グローワが言った。


「違えた、というより——先に進んだだけよ」


ルシラが、肩をすくめた。


「あなたたちが、踏み込めなかった領域に、私は、踏み込んだ。それだけ」


「禁術は、人を壊す」


「壊れたのではないわ」


ルシラが、初めて、わずかに強い声で言った。


「変わったのよ。あなたたちが、ずっと足踏みしている間に、私は、答えに近づいていた」


「答え?」


エルクが、思わず聞いた。


ルシラの視線が、エルクへ向いた。


「世界が、なぜ壊れているのか。なぜ門が増えるのか。あなたたちは、それを、ただ観測するだけだった。私は、その理屈の先まで、知りたかった」


「それで、追放されたのか」

シュウが聞いた。


「追放、というのは、ずいぶん優しい言い方ね」

ルシラが、苦笑した。

「でも、間違ってはいないわ」


その口調には、自嘲とも、誇りとも、はっきりしない、複雑な響きがあった。


「あの人も、知っているのか」

エルクが、ふと、聞いた。


「勇者Aのことだ」


その問いに、ルシラの表情が、わずかに、変わった。


「知っているわ」


ルシラが、静かに答えた。


「あの人は——間違ってた」


そこで、一度、言葉が止まった。


風が、結界の縁を、静かに撫でていった。


「でも、誰より、正しかった」


その言葉に、誰も、すぐには反応できなかった。


矛盾しているはずの二つの言葉が、ルシラの口から、同じ重さで、語られていた。


「どういう意味だ」

エルクが聞いた。


ルシラは、それに、すぐには答えなかった。

ただ、空を見上げ、東の方角——レグルスの方向を、しばらく見つめていた。


「あなたにも、いつか、わかるわ」


それだけ言って、ルシラは、踵を返した。


「今日は、これで」


「待て——」

シュウが、声をかけたが、ルシラの姿は、もう、薄れ始めていた。

転移の魔法が、その輪郭を、淡く溶かしていく。


「また、来るわね」

その言葉だけを残して、ルシラは、完全に、消えた。


その場に、しばらく、誰も、何も言わなかった。


グローワが、ようやく、静かに、口を開いた。

「彼女にも——答えは、ない」


「答えがない、というのは」

ミレナンが聞いた。


「彼女自身、まだ、迷っている。それだけは、確かだ」

グローワの声には、複雑な感情が、滲んでいた。

かつての友人であり、競争相手であり、そして今は、敵となった存在への、整理しきれない想いが、その一言の中に、込められていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ