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異世界ゆうしゃA ~亡国の残響~  作者: 小城乃ひかり
第五章 忘れられた勇者

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五十年前(2)

異世界ゆうしゃA ~亡国の残響~ 第五章


山岳地帯、魔族領の境界。


勇者パーティが、偵察のために進んでいた道で、一人の魔族戦士と遭遇した。


まだ若い戦士だった。

長い裾の黒い衣服を纏い、感情の読めない金色の瞳をしていた。

人間に対する、明確な憎しみを、その目に滲ませていた。


「人間か」

低く、よく通る声だった。


「お前が、勇者か」


「そうらしい」

勇者Aが答えた。


戦いは、すぐに始まった。


若い魔族の力は、強かった。

剣士の若者も、槍使いも、すぐには対応できなかった。


しかし、勇者Aの剣が、その動きを、徐々に上回っていった。


幾度かの斬り合いの末、若い魔族は、地に膝をついた。

勇者Aの剣先が、その喉元に向けられた。


仲間たちが、緊張した様子で見守る中、勇者Aは——剣を、引いた。

「もう、終わりだ」


その言葉に、若い魔族は、困惑したように顔を上げた。

「なぜ、殺さない」


「理由がない」

勇者Aが、静かに答えた。


「私は、魔族だ」


「だから?」


その問いに、若い魔族は、初めて、理解できないものを見るような顔をした。


「お前は、何者だ」


「勇者、らしい」


その答えに、若い魔族は、何も返せなかった。


勇者Aは、それ以上、戦おうとはしなかった。

仲間たちを促し、その場を後にした。


若い魔族——ノクトは、その場に、しばらく座り込んでいた。

理解できない感覚が、胸の中に残っていた。


それ以降、ノクトは、遠くから、勇者Aの姿を見るようになった。

敵として、ではなかった。

ただ、理解できない何かを、確かめるように。

その視線の先に、いつも、勇者Aの姿があった。



魔王城は、黒く、そびえていた。


当時の魔王は、後にゼルガドやルシラが従っていた存在とは、また異なる、巨大な力を持つ者だった。

その姿は、もはや人の形を保っていなかった。


勇者パーティは、その城門の前に立っていた。


剣士の若者。

魔術師の女性。

槍使いの戦士。

癒しの力を持つ者。

そして、勇者A。


五人は、互いの顔を見て、小さく頷いた。

言葉は、必要なかった。


城内は、これまでのどの戦場よりも、過酷だった。


無数の魔物が、波のように押し寄せた。

壁という壁から、刃が突き出し、罠が作動した。

進むだけで、すでに、満身創痍だった。


それでも、五人は、進み続けた。


最奥の間に辿り着いた時、すでに、誰の体にも、無傷の場所はなかった。


魔王が、そこに立っていた。


戦いは、これまでの戦いとは、比較にならないほど激しかった。


魔術師の女性が、広範囲の防御結界を張り続けた。

だが、魔王の一撃が、その結界を貫いた。

彼女は、力を使い果たし、その場に倒れた。


槍使いが、隙を作るために前へ出た。

魔王の腕の一振りが、彼を遠くまで吹き飛ばした。

立ち上がろうとしたが、再び立つことは、できなかった。


癒しの力を持つ者が、倒れた仲間たちに駆け寄ろうとした。

しかし、魔王が放った闇の刃が、その背を貫いた。


剣士の若者が、叫びながら、魔王に斬りかかった。

最後の力を振り絞った一撃だったが、魔王の防御を崩すことはできなかった。

彼もまた、力尽きた。


残ったのは、勇者A、一人だった。


仲間たちの体が、戦場の端に、横たわっていた。

動く者は、もう、誰もいなかった。


勇者Aの目から、何かが消えた。

悲しみでも、怒りでもなかった。

もっと深い、静かな、何かが灯った。


「終わらせる」


その声には、これまでの戦いで見せていた、優しさの色はなかった。


勇者Aの剣が、これまで誰も見たことのない速さで、魔王に向かって踏み込んだ。


激しい戦いが続いた。

何度も、何度も、剣と闇がぶつかり合った。

城が崩れ、壁が裂け、空が震えた。


最後の一撃は、誰の目にも、見えなかった。

ただ、魔王の体が、光の粒となって、崩れ落ちていくのが見えた。


魔王は、討伐された。


世界は、救われた。


英雄が、誕生した瞬間だった。



しかし、その勝利の中に、勇者Aは、ただ一人で立っていた。


仲間たちは、すでに、息をしていなかった。


魔術師の女性。

槍使いの戦士。

癒しの力を持つ者。

剣士の若者。


四人とも、戻ってこなかった。


世界中が、その勝利を祝った。

英雄の凱旋を、誰もが歓迎した。

だが、その歓声の中で、勇者Aの目だけが、どこか、別の場所を見ていた。


世界は救われた。

だが、誰も、救われていなかった。


その後、勇者Aは、グローワとともに、門の研究に没頭するようになった。

討伐の喧騒が去った後も、彼は、誰よりも長く、書庫に残った。


調べるほどに、新たな事実が浮かび上がった。


世界は、壊れている。

門は、増え続けている。

世界は、分裂している。


このままでは、いつか、世界そのものが、崩壊する。


「戦って、終わりじゃない」


勇者Aが、グローワに言った。


「何も、終わってない」


「時間はある」

グローワが、そう答えた。

当時、それは、研究者としての、慎重な見立てだった。


「ない」

勇者Aは、それだけ言った。


その時から、勇者Aは、笑わなくなった。



年月が経つにつれ、生き残った召喚者たちは、一人、また一人と、世を去っていった。


老衰で。

病で。

事故で。


誰も、元の世界へ戻る方法を、見つけられなかった。


そして、最後に残ったのは、勇者A、一人だった。


仲間たちの墓が、並んでいた。

雨の日、勇者Aは、その墓の前に、一人で立っていた。


灰色の空から落ちる雨が、彼の肩を、長い時間、濡らし続けていた。


「俺たちは——」

勇者Aの声が、雨音に紛れて、静かに響いた。


「何のために、来たんだ」


その問いに、答える者は、誰もいなかった。


遠く、丘の上から、その姿を見ている者がいた。

ノクトだった。


若い魔族の戦士は、ただ、その背中を見ていた。


そこに見えたのは、英雄ではなかった。


壊れ始めている、一人の人間だった。


ノクトは、初めて、恐れを感じた。

それまで、戦場で、どれだけ強大な敵と対峙しても、感じなかった種類の、深い恐れだった。



地下書庫の光が、ゆっくりと薄れていき、視界が、現在の図書館へ戻っていった。


エルク、リア、シュウ、ミレナンの四人は、しばらく、言葉を失っていた。


「その時」

グローワが、静かに言った。


「彼は、まだ、勇者だった」


「まだ……?」

リアが、思わず聞いた。


「ええ」

グローワが、頷いた。


「本当に、壊れるのは、その後よ」

その言葉に、四人は、また、重い沈黙に包まれた。



エルクは、グローワが差し出した、もう一枚の肖像を見つめた。


そこに描かれていたのは、戦いを終えた直後の、勇者Aの顔だった。

優しい目をしていた。


その目は、確かに、どこか、自分に似ていると、エルクは感じた。


しかし、次のページをめくると、その先は、焼け焦げていた。


紙の端が、黒く炭化し、文字のほとんどが、判読できなくなっていた。

記録は、そこで途切れていた。


ただ、わずかに残った一行だけが、読み取れた。


『最後の召喚者』


「これは……」


エルクが、その文字を、指でなぞった。


グローワが、静かに言った。


「彼は、世界を救った」


「そして、世界に捨てられた」


その言葉が、図書館の静寂に、長く、深く、残った。


シュウも、ミレナンも、何も言わなかった。

ただ、その焼け焦げた紙を、見つめていた。



遠い過去、雨に濡れた墓の前で、一人立っていた勇者A。


その背中を、ノクトが、丘の上から見ていた。


風が、雨を運び、墓標を濡らしていた。


勇者Aの声が、もう一度、響いた。


「世界は、間違っている」


その一言だけを、ノクトは、はっきりと聞いていた。



回想は、そこで終わった。


地下書庫に、再び、静寂が戻る。


グローワが、封印箱に、再び蓋をした。

紋様の光が、ゆっくりと、消えていく。


「次が、最後だ」


グローワが言った。


「勇者が、魔王になった日を、話す」


エルクは、何も言わず、ただ、深く頷いた。


窓の外、巨大な白樹の枝葉が、夜風に、静かに揺れていた。

その揺れ方が、まるで、五十年前の記憶を、今も抱え続けているかのように、見えた。

<登場人物>

勇者Aのパーティ

・勇者A

・剣士の若者

・魔術師の女性

・槍使いの戦士

・癒しの力を持つ者


過去の魔王

・魔族の王、巨大な力を持ち人の形を保っていない

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