第40話:変わらない日常。噴水広場の指定席と、いつもの「極上のマタタビ」
本日3話目
1部完結です!
西の門での激戦から数週間が過ぎ、街は驚くほどの速さで活気を取り戻していた。
倒壊した建物には新しい木材が組まれ、石畳の隙間にこびりついていた黒い煤も、連日の雨と人々の掃除によって綺麗に洗い流された。
今、街を包んでいるのは、焦げ臭い硝煙の匂いではない。
朝早くから店を開けるパン屋の香ばしい匂いと、行き交う人々の活気に満ちた挨拶、そして復興作業に勤しむ男たちの力強い木槌の音だ。
私はいつものように、宿屋の二階で身支度を整えていた。
ベッドの傍らには、あの戦いを見事に耐え抜いた赤いベルベットのギターケース。
その中には、お爺さんが命を吹き込んでくれた、銀糸の弦を張った大切な相棒が収まっている。
(……よし。行こう)
私は鏡の前で一度だけ深く深呼吸をし、自分の喉にそっと触れた。
透明な壁は、もうどこにもない。
まだ一度にたくさんの言葉を話すのは難しいけれど、心の中で溢れる想いを、私はもう自分の「声」で紡ぐことができる。
「お嬢ちゃん、準備はいいかい?」
一階に降りると、女将さんが元気な声で送り出してくれた。
「……はい。いって……き、ます」
辿々しいけれど、確かな温かさを宿した私の言葉。
女将さんは一瞬だけ、眩しいものを見るように目を細め、それから最高に優しい笑顔で「いってらっしゃい!」と背中を押してくれた。
外に出ると、突き抜けるような青空が広がっていた。
赤と青の二つの月が沈み、黄金の太陽が街を隅々まで照らしている。
噴水広場への道すがら、私は何度も足を止めることになった。
「おはよう、お嬢ちゃん! 喉の調子はどうだい?」
「今日は一段といい顔をしてるね! 演奏、楽しみにしてるよ!」
すれ違うすべての人たちが、私に笑顔を向けてくれる。
かつては「言葉が通じない異邦人」として、あるいは「声を失った迷い子」として、世界から切り離されているように感じていた私が。
今は、この街の温かな景色の中に、当たり前のように溶け込んでいる。
噴水広場に到着すると、そこにはいつもの指定席――女神像の下の一段高くなった場所が、私を待っていた。
ギターケースを下ろし、蓋を開ける。
朝日を反射してキラキラと輝く銀糸の弦は、まるで私に語りかけてくるようだった。
『……ふん。ようやく到着か。お前のファンサービスに付き合うのも、なかなか骨が折れるな』
足元の影から、黒猫がふらりと姿を現した。
大きな欠伸をして体を伸ばすと、当然のような顔をして、私の足元の一番いい場所に陣取る。
『さあ、人間。街の連中も、そしてこの俺も、お前の極上のマタタビを待ちわびているのだ。今日という素晴らしい一日の始まりに相応しい、最高の音色を聴かせてみろ』
私は黒猫の琥珀色の瞳を見つめ、クスッと笑って頷いた。
(分かってるよ、相棒)
私はギターを構え、指先に意識を集中させる。
ポロン、と最初のコードを弾くと、銀色の波動が波紋のように広場へと広がっていった。
ざわついていた広場が、一瞬で静まり返る。
人々が手を止め、耳を澄ませ、私の方を見つめる。
その中には、完治した腕で仲間の肩を組むガルドさんの姿もあった。
お爺さんの楽器屋から顔を出した職人の姿もあった。
私は、彼ら一人一人の目を見つめるようにして、ゆっくりと歌い始めた。
♪——『長い夜が明けて 光が満ちる』
♪——『あなたがくれた この声を 風に乗せて届けよう』
私の歌声は、もう戦場の悲痛な叫びではない。
穏やかな風のように、流れる水のように、ただそこにある幸せを祝福するための旋律。
ギターの音色と重なり合い、街の空気を優しく、柔らかく塗り替えていく。
演奏が終わると、広場は割れんばかりの拍手に包まれた。
投げ込まれる銀貨や銅貨。それ以上に温かい、人々の「ありがとう」という想い。
「シェイラ(ありがとう)……しぇ、い、ら!」
私は何度も頭を下げ、覚えたての言葉を精一杯に繰り返した。
そのたびに、胸の奥が熱くなり、自分がこの場所で生きていいんだという確信が深まっていく。
日が傾き、街がオレンジ色に染まる頃。
私はようやくギターをケースにしまい、最後の一人にお辞儀をした。
「お嬢ちゃん、また明日も聴かせてくれよな!」
ガルドさんの大きな手が、私の頭をポンポンと撫でる。
「……はい! また、あした!」
私が元気よく答えると、彼は驚いたように目を見開き、それから嬉しそうに鼻をすすって歩いていった。
帰り道、石畳に長く伸びる私と黒猫の影。
(この世界に来て、本当によかった)
失った声。閉ざした心。
けれど、この世界で出会ったギターと、不器用な相棒と、温かい人たちが、私を新しい私に変えてくれた。
これからも、この指で音を紡ぎ、この声で想いを伝えていこう。
この大好きな街で。
『……おい。何を黄昏れている』
黒猫が私の足元を見上げて、少しだけ不服そうに鳴いた。
『今日の夕飯は女将が特製シチューだと言っていたぞ。俺の腹の虫をこれ以上待たせるなら、次は結界を有料にするからな』
「あはは、ごめんね。急ごう、相棒!」
私はギターケースを背負い直し、駆け出した。
隣を並走する小さな黒い影と共に。
私たちの物語は、まだ始まったばかり。
けれど、この先にどんな困難が待ち受けていようとも、私はもう俯かない。
私には、最高の相棒と、私自身の「声」があるのだから。
赤と青の二つの月が昇り始めた夜空の下。
少女と黒猫の笑い声(と文句)が、穏やかな街並みの中に心地よく響き渡っていった。
第1部:極上のマタタビ奏者と伝説の魔獣 【完】
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これで1部は完結です。
描きたいところ描けました。
2部は簡単なプロットはありますが他作品も進行中ですので一旦完結です。
ご希望が多ければ急ぎます(笑
どうぞ宜しくお願いします。




