第39話:奇跡の歌姫の誕生。でも、私の居場所はやっぱり……
本日2話目です
スタンピードの夜から、三日が経った。
街はまだ、あちこちに破壊の爪痕を残していたけれど、人々の表情には絶望の影はなかった。
瓦礫を片付ける男たちの威勢のいい声、炊き出しの煙、そして何より、自分たちが生き残ったという強い活気が、街全体を包み込んでいる。
「……ふわぁ」
私は宿屋のいつものベッドで、ゆっくりと身を起こした。
戦いの直後は丸一日以上泥のように眠り続け、ようやく昨日あたりから体が動くようになったのだ。
喉の痛みも、だいぶ落ち着いてきた。
まだ少し掠れているけれど、ゆっくりとなら言葉を紡ぐことができる。
(……不思議。声が出るのが、こんなに嬉しいなんて)
私はそっと自分の喉に手を当てた。
元の世界で失ったものが、この異世界で、あの大好きな人たちのために命を削るようにして歌ったことで、ようやく返ってきたような気がした。
『おい、寝ぼけ顔の人間。いつまで夢の世界に浸っている。俺の腹の虫はすでに大合唱を始めているぞ』
ベッドの足元で、黒猫がしっぽをパタンと叩いて催促する。
私は苦笑いしながら「ごめんね」と口にし、身支度を整えて一階へ降りた。
しかし。
一歩階段を降りた瞬間、私は自分の目を疑った。
「あ、起きたのかい! さあ、みんな、お嬢ちゃんがお目覚めだよ!」
女将さんの元気すぎる声と共に、酒場を埋め尽くしていた人々が一斉に立ち上がった。
そこにはガルドさんや常連の冒険者たちだけでなく、見たこともないほど立派な服を着た街の役人や、花束を持った住人たちで溢れかえっていたのだ。
「救世主様、目覚められましたか!」
「あなたの歌声が、この街を救ってくださった!」
「ぜひ、我が商会の専属になっていただきたい!」
怒涛のように押し寄せる、称賛と感謝の言葉。
テーブルの上には、山のような果物や豪華な贈り物、そして見たこともないほど大量の金貨が入った袋まで置かれている。
街の広場には私の石像を建てるという話まで持ち上がっているらしく、私はあまりの熱狂に、思わず階段の途中で固まってしまった。
「お、おい、みんな! お嬢ちゃんが困ってるだろうが! 少しは下がれ!」
ガルドさんが割って入ってくれるが、彼自身も「いやぁ、本当に凄かったんだぜ、あのお嬢ちゃんの歌は!」と、隣の役人に自慢げに話している。
しばらくして、街の代官を名乗る恰幅のいい男性が、深々と頭を下げて私にこう告げた。
「お嬢ちゃん、いや、奇跡の歌姫殿。王都のギルド本部からも、あなたを『特級支援術師』として正式に招聘したいとの打診が来ております。王宮での演奏も夢ではありません。地位も名誉も、望むままですぞ」
王都。王宮。特級。
私の頭の中では、それらの輝かしい言葉が滑って、うまく像を結ばなかった。
確かに、私の歌に力があることは分かった。
でも、私が歌いたいのは、豪華な宮廷や見ず知らずの偉い人の前じゃない。
私は、戸惑いながらもゆっくりと首を横に振った。
そして、掠れた、けれど確かな自分の声で、一番伝えたい言葉を口にした。
「……しぇ、い、ら(ありがとう)。でも……わたし、は……ここ、がいい……」
一瞬、酒場が静まり返った。
代官もガルドさんも、驚いたように目を丸くしている。
私は背中に背負った、お爺さんが直してくれた大切なギターをぽんぽんと叩いた。
そして、窓の外に見える、いつもの噴水広場を指差した。
(私は、あそこで弾くのが一番好きなんです。みんなが笑ってくれる、あの日々のままがいいんです)
言葉は足りなかったかもしれない。
けれど、私の決意の固さを感じ取ったのか、ガルドさんが豪快に笑いながら私の肩を叩いた。
「はははっ! そうかよ、お嬢ちゃんらしいや! 王都の偉いさんには悪いが、俺たちの歌姫は、この街の広場がお気に入りなんだ。諦めてくれや!」
冒険者たちからも「そうだそうだ!」「お嬢ちゃんは俺たちの仲間だ!」と野次が飛ぶ。
代官は残念そうに肩を落としたけれど、私の意志を尊重してくれると約束してくれた。
山のような贈り物は「街の復興に使ってください」とジェスチャーで伝えると、女将さんが「本当に欲のない子だねぇ」と呆れながらも、私のために特大のオムレツを作ってくれた。
* * *
【黒猫の視点】
(……ふん。ようやく静かになったか)
俺は宿屋の外、人気のない裏通りの塀の上で、満足げに毛繕いをしていた。
街の連中が娘を『聖女』だの『救世主』だのと祭り上げるのは勝手だが、やれ王都だの宮廷だのと、俺の極上マタタビ(歌声)を遠くへ連れ去ろうとする輩には、密かに爪を立ててやるところだった。
『お嬢ちゃんは俺たちのものだ!』などと騒いでいる筋肉ダルマどもも、実に厚かましい。
こいつは『俺』の楽士だ。そこを勘違いされては困る。
(まあ……地位も名誉も金も、すべてを袖にして「いつもの広場がいい」と言うのだから、この人間は本当に救いようのない阿呆だな)
だが、そんな欲のない、純粋な祈りを音に乗せるからこそ、あの歌声は俺の魔力核をあそこまで激しく揺さぶったのだろう。
俺は宿屋の窓から、女将さんと談笑しながらオムレツを頬張る娘の姿を眺めた。
スタンピードを一人で防いだようなものだというのに、自慢するどころか、注目を浴びて顔を赤くしている。
伝説の魔獣たる俺が守る相手としては、いささか頼りない気もするが……。
(……まあ、いい。あの日々が戻ってくるのならな)
俺は、一足先に広場の方へと視線を向けた。
あそこの女神像の下。
今日も、明日も、その先も。
俺はあそこで丸くなり、娘が紡ぐ極上の音色に包まれて、昼寝を楽しむのだ。
そのためなら、たとえ王都の軍勢が来ようが、別の魔物暴走が来ようが、すべて俺の肉球一つで塵にしてやる。
俺は満足げに喉を鳴らし、午後の柔らかな日差しを浴びながら、優雅に宿屋の中へと戻っていった。
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次回お楽しみに。




