第36話:魔物のボスの出現と、歌声のクライマックス
地平線の向こう側から、地を這うような低い、不気味な地鳴りが近づいてくる。
敗走していたはずの魔物たちが、まるで何かにひれ伏すようにしてその場に平伏し、ガタガタと震えている。
「……な、なんだ、あいつは……」
最前線で剣を構えていたガルドさんの、震える声が響いた。
黒煙と土埃を切り裂いて姿を現したのは、城壁の塔すらも見下ろすほどの巨大な影。
それは、幾つもの魔物の特徴を併せ持った悍ましい姿の巨獣――『災厄のベヒモス』だった。
その全身は岩よりも硬い漆黒の鱗に覆われ、六つの目は真っ赤な殺意の光を放っている。
奴が一歩足を踏み出すだけで、大地は悲鳴を上げ、西の門の広場にまで強烈な「死」の気配が吹き込んできた。
「グォォォォォォォォォォッ!!!」
大気を引き裂く咆哮。
その一撃にも似た衝撃波に、黄金のバフを受けていた冒険者たちでさえ、思わず足を止めて顔を強張らせた。
物理的な力だけではない。この魔物は、触れる者の心を折る『絶望の波動』を放っていた。
「あ……、あぁ……」
「勝てるわけねえ……。あんなもん、人間がどうにかできる相手じゃ……」
さっきまでの反撃の勢いが、急速に萎んでいく。
黄金のオーラはまだ消えていない。けれど、それを受け取る彼らの「心」が、巨大な絶望を前にして凍りついてしまったのだ。
私は瓦礫の上で、ギターを抱きしめる手に力を込めた。
怖い。心臓が痛いくらいに脈打ち、喉の奥がまたギュッと締まりそうになる。
けれど、背後で膝をつきかけているガルドさんたちの姿を見て、私は強く唇を噛み切った。
(ここで、終わらせない……っ!)
私は、今までの人生で一度も出したことがないほどの強烈な力で、六本の弦を一気に振り抜いた。
ジャガジャガジャガ、ジャァァァァァァァァンッッ!!!
銀糸の弦が、摩擦で熱を帯びるほど激しく振動する。
放たれた銀色の光が、黒猫の結界を突き破らんばかりに膨れ上がり、戦場の闇を白銀の世界へと塗り替えていく。
私は大きく口を開き、肺の中にある全ての空気を、私の命そのものを、歌声に乗せて解き放った。
♪——『止まない雨のなかで 凍えていたのは私だった』
歌い出しは、低く、けれど芯の通った確かな響き。
絶望の波動に飲み込まれそうになっていたガルドさんたちが、ハッとして私の方を振り返った。
♪——『だけど あなたがくれた温もりが 私に声をくれたんだ』
私は瓦礫から一歩踏み出し、今にも襲いかかろうとしているベヒモスを真っ向から見据えた。
恐怖はある。けれど、それを上回る「届けたい」という熱い想いが、私の喉の壁を完全に粉砕していた。
♪——『見上げて 夜空を裂くこの旋律を!』
♪——『一人じゃない 私たちの心は、今ここで重なる!』
Bメロからサビに向かって、リズムを加速させる。
ギターの叩きつけるような打撃音と、私の突き抜けるような高音がシンクロし、戦場に渦巻いていた「死の気配」を、文字通り物理的な力で弾き飛ばしていく。
お爺さんがくれた銀糸の弦が、限界を超えて発光していた。
私の指先からは血が滲んでいたかもしれない。でも、痛みなんて感じなかった。
そして、私は最高の盛り上がり(サビ)へと突入した。
♪——『輝け! 絶望を焼き尽くす 祈りの光よ!』
♪——『倒れても 何度でも 私があなたの傷を癒やすから!』
♪——『未来を掴むその手を 絶対に離さないで!!』
広場全体が、太陽が現れたかのような眩い黄金の光に包み込まれた。
極上のバフが、冒険者たちの肉体だけでなく、彼らの「魂」にまで火を灯したのだ。
「……ああ、そうだ。お嬢ちゃんが、まだ歌ってくれてるじゃねえか」
ガルドさんが、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳には、先ほどまでの怯えはない。
代わりに宿ったのは、歌声によって極限まで高められた闘志と、少女に守られている不甲斐なさを自嘲するような、冒険者らしい不敵な笑みだった。
「野郎ども……聴いたか。あんなに小さいお嬢ちゃんが、声を枯らして俺たちを呼んでるんだぜ」
ガルドさんが、大剣を再び構える。
彼の背中から立ち昇る黄金のオーラは、ベヒモスの巨体にも劣らないほどの巨大な翼となって広がっていった。
「ここで逃げたら、一生男じゃねえ。お嬢ちゃんの歌を最高の勝利で飾ってやるぞォッ!!」
「「「おおおおおォォォォォッ!!!」」」
冒険者たちの咆哮が、ベヒモスの咆哮を上書きした。
私の歌声という『最強の加護』を背負い、彼らは再び、絶望の象徴へと向かって地を蹴った。
私は歌い続ける。喉が焼けても、指が動かなくなっても。
この歌が続く限り、彼らは無敵だ。この歌がある限り、誰も死なせない。
「あああああああぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
歌声のクライマックスと共に、戦士たちが巨大なベヒモスへと肉薄する。
異世界の夜空に、銀色の粒子と黄金の光、そして一人の少女の魂の叫びが、最も美しく、最も激しく響き渡った。
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次回お楽しみに。




