第28話:防衛線の崩壊危機。迫る絶望と、逃げ惑う人々
メメリ、メメメリッ……!!
地下貯蔵庫の分厚い石壁をすり抜けて、それは鼓膜ではなく、直接骨を震わせるようなひどく不吉な音として響いた。
巨大な木材がへし折られ、重い鉄の蝶番が悲鳴を上げてねじ切られるような音。
「……あぁっ、嘘だろ……」
「門が……西の正門が、破られる……っ!」
血まみれの冒険者を運んできた衛兵が、頭を抱えてその場にへたり込んだ。
その絶望的な叫びは、地下室に僅かに残っていた希望の灯りを、完全に吹き消してしまった。
ズドォォォォンッ!!!
直後、今までとは桁違いの地響きが街全体を揺るがした。
数万の魔物の群れを堰き止めていた最後の防波堤が、ついに決壊した音だ。
「ひぃぃぃっ!」「嫌だ、死にたくないっ!」と、大人も子供もパニックになり、ただ暗い部屋の隅へと身を寄せ合って震え上がる。
防衛線は、崩壊したのだ。
ガルドさんたちが命懸けで守っていた線が越えられ、凶悪な魔物の群れが街の中へとなだれ込んでくる。
それは、この街の終わりの始まりだった。
私は、背中のギターケースのベルトをギュッと握り直し、重い木の扉へと続く階段に足をかけた。
「お嬢ちゃん!?」
私の背中を、悲痛な声が引き留めた。
振り返ると、女将さんが怪我人の手当を放り出し、血だらけの手で私の腕を力強く掴んでいた。
「どこへ行くつもりだい!? 外は地獄だよ! 門が破られたなら、ここはもうすぐ魔物で溢れかえる! 出ちゃダメだ!」
女将さんの目は涙で真っ赤に充血し、私の腕を掴む手はガタガタと震えていた。
私を心配して、娘のように思ってくれているからこその、必死の引き留め。
その優しさが痛いほど伝わってきて、胸が締め付けられそうになる。
でも、私は。
私は、ゆっくりと首を横に振り、女将さんの震える手に自分の手を重ねた。
そして、引き留めるその手を、優しく、けれどはっきりとした力で解いた。
「……っ、お嬢ちゃん……」
(ごめんなさい、女将さん)
声が出ない喉の奥で、私は精一杯の言葉を紡いだ。
私が行ったところで、魔物を倒せるわけじゃない。物理的な力なんて何もない。
それでも、大好きな人たちが死にゆくのを、安全な暗闇の中でただ耳を塞いで待っているなんて、絶対に嫌だ。
私はもう、元の世界の時のように、逃げて隠れるだけの私じゃないから。
私は女将さんに向かって、安心させるようにフッと微笑んでみせた。
そして、深く一礼をしてから、迷うことなく階段を駆け上がった。
『……行くぞ、人間』
私の足元を、黒猫が影のように寄り添い、共に階段を駆け上がっていく。
重い扉を押し開け、一階の酒場へと飛び出す。
そこは、数時間前まで私が知っていた平和な宿屋ではなかった。
「……っ」
窓の隙間から入り込む空気は、ひどく焦げ臭い。
外から差し込む光は、夕暮れだからではなく、街のあちこちで上がり始めた火の手による不気味な赤色だった。
ギィィ、と宿屋の入り口のドアを開け、外の通りへと足を踏み出す。
「退け! 邪魔だ!」
「東の門へ急げ! 魔物が来るぞ!!」
大通りは、西の門から逃げてきた街の人々や商人たちで溢れかえっていた。
荷車を捨て、お互いを突き飛ばすようにして、少しでも遠くへ逃げようとパニック状態に陥っている。
泣き叫ぶ子供の声、怒号、そして西の方角から迫り来る、地鳴りのような魔物たちの咆哮。
完全に統制を失った、崩壊していく街の姿がそこにあった。
「おい、そこの娘! 何をしてる、そっちじゃない! 逃げるんだ!」
逆方向へ走っていく衛兵が、西を向いて立ち尽くす私を見て鋭く叫んだ。
人々の流れはすべて、東へ、東へと向かっている。
その抗いがたい濁流の中で、私だけがただ一人、炎と黒煙が上がる西の門の方角を見据えていた。
『……どうした。足がすくんだか』
黒猫が、燃え盛る空を見上げながら、試すように私に問いかけた。
その声に、私は首を横に振る。
怖くないわけがない。
自分の無力さは、さっき地下室で思い知ったばかりだ。
それでも、私の足は前を向いている。背中のギターケースには、お爺さんが張ってくれた銀糸の弦と、私の「声」が詰まっている。
(行こう)
私は小さく息を吐き出し、人々の逃げる波を逆行するように、西の門へと向かって最初の一歩を踏み出した。
瓦礫が転がり、黒煙が立ち込める道。
迫り来る絶望の足音に向かって、声を持たない少女と、小さな黒猫は、ただ真っ直ぐに歩き始めた。
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次回お楽しみに。




