第25話:運ばれてくる負傷者たちと、ガルドの倒れた報せ
どれほどの時間が経っただろうか。
永遠にも思えるような重苦しい沈黙と、遠くで響き続ける鈍い地鳴り。
地下貯蔵庫の冷たい空気の中で、私は膝を抱えたまま、ただじっと息を潜めていた。
バンッ!!
不意に、地下室へと続く分厚い木の扉が、乱暴に開け放たれた。
「ひぃっ!?」
「ま、魔物が……魔物が来たぞ!」
避難していた人々が悲鳴を上げ、部屋の奥へと逃げ込もうとパニックになる。
私もビクッと肩を跳ねさせ、膝の上の黒猫を抱きしめながら、ギターケースを庇うように身を固くした。
だが、階段を転がり込むようにして降りてきたのは、悍ましい魔物ではなかった。
「おい、ここを開けろ! 怪我人を運んできたぞ!」
「しっかりしろ! ポーションはもうないのか!?」
血相を変えた街の衛兵たちと、ボロボロになった数人の冒険者たちだった。
彼らの肩には、意識を失ってだらりと手足を垂らした、血まみれの仲間たちが担がれている。
「こっちへ! 早く寝かせて!」
女将さんがいち早く我に返り、貯蔵庫に積んであった麻袋を広げて即席のベッドを作った。
次々と運び込まれてくる負傷者たち。
冷たく澄んでいた地下室の空気が、一瞬にしてむせ返るような鉄の匂い――強烈な血の匂いに塗り替えられていく。
「あ……っ」
私は、運ばれてきた人たちの顔を見て、息を呑んだ。
土気色になった顔。引き裂かれた革鎧。
その中に、見覚えのある顔があったのだ。
顔の半分に大きな火傷の跡がある、眼帯のおじさん。
丸太のように太い腕をしていた、魔法使いのローブを着たおじさん。
つい先日、広場で顔を真っ赤にしながら、私に串焼きや青い石を差し入れてくれた、あの厳つくて優しい常連の冒険者たちだった。
「嘘……」
声にならない呟きが漏れる。
ローブのおじさんはお腹から酷い血を流し、眼帯のおじさんは片腕が不自然な方向に曲がったまま、苦痛に顔を歪めて呻き声を上げていた。
「しっかりしておくれ! 今、綺麗な水と布を持ってくるからね!」
女将さんが泣きそうな顔で声をかけながら、必死に傷口を布で押さえている。
私も居ても立っても居られず、黒猫を木箱の上にそっと下ろして、彼らの元へと駆け寄った。
『……おい人間。見るな』
黒猫が私のズボンの裾を咥えて引き留めようとしたが、私はそれを優しく振り解いた。
血まみれになった眼帯のおじさんの傍に膝をつき、震える手で、彼の無事な方の手を握りしめる。
冷たい。あんなに大きくて力強かった手が、氷のように冷たくなっていた。
「……っ、がぁっ……」
おじさんが微かに目を開け、私を見て何かを言おうと唇を動かした。
でも、口から血の泡がこぼれるだけで、言葉にならない。
私はポロポロと涙をこぼしながら、彼の手を両手で包み込んで、必死に首を横に振った。
喋らないで。お願いだから、死なないで。
「ひどい有様だ……回復魔法が使える奴はもう、魔力切れで倒れちまった……」
怪我人を運んできた衛兵の一人が、絶望的な声で壁に手をついた。
「西の門は……防衛線はどうなっているの!?」
女将さんが血だらけの手で衛兵に詰め寄る。
地下室にいる全員が、息を呑んでその答えを待った。
衛兵はギリッと歯を食いしばり、首を横に振った。
「……もう、限界だ。魔物の数が多すぎる。前衛の盾だった連中も、次々とやられちまってる」
その言葉に、地下室は水を打ったように静まり返った。
みんなの顔から血の気が引いていくのが分かる。
私は、嫌な予感に心臓を鷲掴みにされながら、衛兵の服の袖を必死に引っ張った。
「……っ、あ、あ……!」
声が出ない。でも、どうしても聞かなきゃいけない。
身振り手振りで、必死に自分の背丈よりもずっと大きな剣を振るうジェスチャーをする。
一番大きくて、一番前で戦っていた、あの人のことを。
私の必死な様子に気づいた衛兵は、顔を歪めて目を伏せた。
「……ガルドなら、まだ前線にいる。だが……」
衛兵の言葉が、重く、残酷に響き渡る。
「……さっき、巨大なロック・トロールの一撃をまともに食らった。俺たち後衛を逃がすために、自ら盾になって……」
「……っ!」
「あいつはまだ倒れちゃいない。折れた腕で、今も一人で門の前に立ち塞がってる。でも……もう長くない。あいつが死ねば、防衛線は完全に崩壊する……っ!」
頭の中を、鈍器で殴られたような衝撃が走った。
『今日はもう、宿に帰んな』
数時間前、広場で私の頭を撫でてくれた、ガルドさんの大きく温かい手。
『お嬢ちゃんの音楽が聴けねえのは残念だが……お預けだな』と笑った、あの不器用な笑顔。
その彼が、今、私たちのために命を散らそうとしている。
「あぁっ……そんな……」
女将さんがその場にへたり込み、両手で顔を覆って泣き崩れた。
地下室は、完全な絶望の空気に包まれた。もうダメだ、誰も助からないんだという、暗くて冷たい諦め。
(……ガルドさん……)
私の視界は涙で完全にぼやけ、息をするのも苦しかった。
あんなに温かい人たちが、こんな冷たい石の床の上で苦しんで、外では大好きな人が死にかけている。
私は、握りしめていた眼帯のおじさんの冷たい手を、そっと床に下ろした。
そして、ゆっくりと立ち上がる。
『……おい。人間』
足元から、黒猫の低く、警戒するような声が聞こえた。
私は振り返り、自分の木箱の上に置いたままになっていた、赤いベルベットのギターケースを見つめた。
中で鈍く光る、銀糸の弦。
私の心の中で、今までずっと私を縛り付けていた透明な鎖が、音を立てて千切れていくような気がした。
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次回お楽しみに。




