第21話:鳴り響く警鐘と避難。黒猫の「絶対防御」宣言
ゴォォォォォォォォン……ッ!!!
ゴォォォォォォォォン……ッ!!!
腹の底まで響くような、重く、低く、悲痛な鐘の音が街を揺らした。
大聖堂の警鐘。それが意味するものは、この街に迫る致命的な危機だ。
「きゃあああっ!」
「逃げろ! 早く門から離れるんだ!」
「子供を、誰かうちの子供を……っ!」
窓の外から聞こえてくるのは、いつもの活気ある商人たちの声ではない。
恐怖に引き攣った悲鳴、怒号、そしてパニックに陥った人々が石畳を蹴って逃げ惑う足音だった。
まだ昼下がりだというのに、西の空から押し寄せるどんよりとした黒い雲のせいで、街全体が夕暮れのように薄暗くなっている。
その暗さが、人々の恐怖をさらに煽っていた。
「……っ」
私はベッドの端に座ったまま、震える両手で自分の肩を抱きしめた。
怖い。
森に転移してきた初日の夜と同じくらい、いや、それ以上に恐ろしい。
あの時は自分一人の命の危機だったけれど、今は違う。
この街全体が、あの上に広がる黒い雲――『魔物暴走』という得体の知れない暴力に飲み込まれようとしているのだ。
「お嬢ちゃん! お嬢ちゃん、いるかい!?」
バンッ!と乱暴に部屋のドアが開け放たれ、宿屋の女将さんが飛び込んできた。
普段の優しくてふくよかな顔は真っ青に青ざめ、息を大きく弾ませている。
「よかった、ここにいたね! さあ、早く地下の貯蔵庫へ行くよ! 西の門に、信じられない数の魔物の群れが迫ってるんだ!」
女将さんは私の腕をガシッと掴むと、半ば引きずるようにして部屋の外へと促した。
「あ、待って……」
私は声にならない声を上げ、慌ててベッドの上に置いてあったギターケースを背負い直した。
これだけは、絶対に置いていけない。私の命と同じくらい大切なものだから。
『……おい人間。そんなに慌てるな。俺の歩くペースが乱れるだろうが』
足元から、ひどく場違いなのんびりとした声が聞こえた。
見下ろすと、黒猫が大きな欠伸をしながら、私の足にスリスリと頭を擦り付けている。
外では街中がパニックになっているというのに、この小さな相棒は全く動じている様子がない。
それどころか、いつも通りの偉そうな態度で尻尾を揺らしている。
私は黒猫を抱き上げようとしたが、黒猫はヒョイッと身をかわし、自ら先頭を切って階段を降り始めた。
女将さんに手を引かれながら、私も急いでその後を追う。
一階の酒場は、すでにもぬけの殻だった。
テーブルや椅子が乱倒れ、逃げ出した客たちが飲みかけにしたエール酒が床にこぼれている。
つい数時間前まで、みんなが笑ってご飯を食べていた場所が、こんなにも無惨な光景に変わってしまうなんて。
女将さんは酒場の厨房の奥にある、分厚い木の扉の南京錠を外し、重い扉をギギギと開けた。
そこから、ひんやりとした冷たい空気が流れ出してくる。
「さあ、早く中へ! ここなら、石造りで頑丈だから……っ」
薄暗い階段を降りると、そこは食料や酒樽が積まれた広い地下貯蔵庫だった。
すでに、近所の子供たちやお年寄りが十数人ほど避難してきており、皆一様に身を寄せ合って震えている。
「怖くないよ、大丈夫だからね……」
女将さんは泣きじゃくる子供たちの頭を撫でながら、震える声で慰めていた。
私も貯蔵庫の隅にある木箱の上に腰を下ろし、ギターケースを胸にギュッと抱きしめた。
分厚い石の壁と天井に囲まれているはずなのに、外からは絶え間なく人々の叫び声と、地響きのような轟音が微かに伝わってくる。
ガルドさんたちは、今頃あの西の門で戦っているのだろうか。
あんなに優しい笑顔で差し入れをくれた、厳つい常連のおじさんたちも。
私の音楽を聴いて「痛みが引いたよ」と笑ってくれた、傷だらけの冒険者たちも。
みんな、血を流して戦っている。
この街を、私たちが避難しているこの場所を守るために。
(……私には、何もできない)
その事実が、恐怖よりも重く、冷たく私の胸にのしかかってきた。
『……おい人間。何をそんなに震えている』
不意に、抱きしめていたギターケースの上に、黒猫がポンッと飛び乗ってきた。
そして、私の青ざめた顔を、真っ直ぐに琥珀色の瞳で見つめ上げてくる。
『この街の連中がどうなろうと、お前が心配することではない。お前はただの楽士だ。剣を振るうのは、あの筋肉ダルマどもの仕事だろう』
黒猫の言葉は冷たい。
けれど、その声には不思議と焦りや怯えが一切混じっていなかった。
『それに、忘れたのか? お前には、この世界で最強の用心棒がついているんだぞ』
黒猫は得意げに鼻を鳴らすと、私の腕の中で丸くなり、赤いベルベットに顔を擦り付けた。
『俺がこうして傍にいる限り、俺の張った結界の中なら、たとえこの世界が滅んでもお前には傷一つ付かん。安心しろ。……だから、そんな悲しそうな顔をするな』
最後の一言は、とても小さく、不器用な優しさに満ちていた。
黒猫は、私が恐怖で震えているのではなく、外で戦っている人たちを心配して悲しんでいるのだと、ちゃんと分かってくれているんだ。
「……っ」
私は袖口で目を擦り、黒猫の柔らかい背中をそっと撫でた。
ありがとう。あなたがいてくれて、本当に心強いよ。
でも、だからといって「自分だけが助かればいい」なんて、どうしても思えない。
私の居場所は、私が音楽を届ける相手は、この街のみんななんだから。
ズズンッ……!!
その時、地下室全体を揺るがすような、一段と大きな衝撃が伝わってきた。
西の門の方角からだ。
「ひぃっ!」
「門が……門が破られる……!」
避難している人たちが、恐怖で悲鳴を上げて頭を抱える。
私はギターケースを抱きしめる手に、さらに強く力を込めた。
黒猫の絶対防御の宣言で、自分の命の安全は保証されているのかもしれない。
でも、私の心は、あの上で命懸けで戦っている人たちの元へと飛んでいこうとしていた。
冷たくて暗い地下室の中で、私はただ祈ることしかできない自分の無力さに、ギリッと唇を噛み締めた。
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次回お楽しみに。




