第17話:緑の錠剤と捜査線上の亡霊
1. 異常な供述
深夜の新宿で立て続けに発生した二つの凄惨な傷害事件は、所轄の西新宿署をひどく混乱させていた。
一人は、サバイバルナイフを持つ半グレ集団を錆びた鉄パイプ一本で叩きのめした、気弱そうな大学生。もう一人は、分厚いガラス灰皿や割れたビール瓶で同棲中のヒモ男を半死半生にした華奢な女性、美穂だ。通報によって現場へ駆けつけた警察官たちにより、二人はそれぞれ現行犯逮捕された。
しかし、西新宿署の取調室に連行された彼らの様子は、ベテランの刑事たちでさえ首を傾げるほど異常なものだった。
しかし、西新宿署の取調室に連行された彼らの様子は、ベテランの刑事たちでさえ首を傾げるほど異常なものだった。
警察という厄介な場所を警戒して都合が悪くなったのか、彼らに憑依した地縛霊たちは表層の意識をスッと引っ込め、肉体の主導権を本来の持ち主へと返還してしまっていたのだ(肉体への憑依状態自体は続いている)。
そのため、取調室のパイプ椅子に座らされていた大学生は、「ひぃッ! ぼ、僕は何もやってない! 気づいたら血まみれの鉄パイプを持ってて……!」と完全に元の気弱な青年に戻ってパニックを起こし、頭を抱えて震え上がっていた。 一方の美穂もまた、「ごめんなさい……ごめんなさい……ユウヤ、死なないで……!」と怯えきった様子で顔を覆い、ただ泣き崩れるばかりだった。
自分たちが半グレやヒモ男を半死半生にした記憶など一切なく、ただわけが分からず泣き喚く二人の姿に、刑事たちは全く取り調べにならず頭を抱えるしかなかった。
二人の薬物検査からは未知の化合物が検出されたものの、現場での「圧倒的で残虐な加害者」から「怯えきった気弱な若者」へのあまりにも極端な変貌ぶりは、単なる幻覚作用や薬物中毒の枠では説明がつかない異常さだった。
二人の薬物検査からは未知の化合物が検出されたものの、その「完璧な別人格」への変貌ぶりは、単なる幻覚作用や薬物中毒の枠を完全に超えていた。
2. 共通の証言
一方、救急搬送された被害者たちは、幸いにも一命を取り留め、病院のベッドで意識を回復していた。
病室を訪れた生活安全課の加賀見と仁科が事情聴取を行うと、全く無関係に見えた二つの事件の被害者たちが、恐怖に顔を引きつらせながら全く同じ証言を口にした。
「あいつら、突然『緑色の錠剤』を飲んで苦しみ出したかと思ったら……急に化け物みたいに強くなって、時代劇みたいな口調で襲ってきたんだ!」
半グレも、ヒモ男のユウヤも、口を揃えて「緑の錠剤」の存在を訴えた。この共通の証言により、警察は一連の異常な豹変と傷害事件の原因が、新宿の闇市場で流通し始めているその未知の薬にあると断定した。
3. 捜査線上の名前
西新宿署の会議室では、重苦しい空気が漂っていた。
岩尾署長の指示で動いたサイバー犯罪対策課が、加害者や被害者のスマートフォンの履歴を徹底的に洗い出し、闇サイトでの「緑の錠剤」の取引ルートを特定したのだ。
「署長。薬の製造元が判明しました。某大学の心理学教授の研究室です」
報告を受けた警察が即座にゼミの研究室を家宅捜索すると、そこからさらに不可解な事実が浮かび上がった。押収された過去の研究記録には、「霊的交信(霊との対話)を誘発する脳波実験」というオカルトじみた資料が残されていたのだ。
そして、その実験の被験者として記録されていた一人の女性の名前が、岩尾署長の目を釘付けにした。
――『辰巳真由』。
つい先日、異常渇水で干上がった長野県の高岡ダムの湖底で、自ら命を絶ち遺体となって発見された女の名前だ。警察はかねてより、九頭龍会会長である堂本殺害事件の裏に、真由が何らかの形で関与していると睨んでいた。
「……辰巳真由。そして『霊的交信』か」
偶然とは思えない符合に、岩尾は眉間に深いシワを寄せた。論理的な警察の捜査線上に「霊」という不可解なキーワードが浮上した以上、この街で頼る(あるいは疑う)べき人間は一人しかいない。
「加賀見、仁科。相馬探偵事務所へ行け。あの探偵をマークしろ」
岩尾は重々しい声で部下たちに命じた。
4. 直感と遭遇
その頃、馨は夜の気配が濃くなり始めた歌舞伎町の喧騒の中にいた。 行き交う人々の波を避け、ネオンの死角となる薄暗い路地裏へ足を踏み入れた馨は、そこで顔馴染みの地縛霊から信じがたい話を聞かされ、思わず足を止めていた。
『馨、大変だ! この路地の奥にずっと居座ってた、幕末の維新の志士の霊が突然消えちまったんだよ!』 「消えた? 成仏したってことか?」 『違う! 昨日、変な緑の薬を飲んで苦しんでた若者が立ち上がった瞬間、そいつの体の中に吸い込まれるように「憑依」しちまったんだ! 生きた人間の体を奪いやがったんだよ!』
「生身の人間に……憑依しただと!?」
地縛霊がその場所から離れることなどあり得ない。ましてや、生者の肉体を奪って現世を動き回るなど、馨の常識を根底から覆す異常事態だった。 馨が目を見開き、そのあまりにも危険な現象に激しく動揺していた、まさにその時だった。
「――相馬さん? こんな路地裏で、また独り言ですか」
背後から不意に声をかけられ、馨はビクッと肩を揺らして振り返った。そこには、西新宿署の加賀見と仁科が立っていた。
「……警察が何の用だ。俺は今、取り込み中なんだが」 馨が内心の動揺を隠し、面倒くさそうに顔をしかめると、仁科が真剣な表情で一歩歩み寄ってきた。
「相馬さん。最近、新宿の街で『緑の錠剤』が出回っているのを知りませんか? それから……『辰巳真由』という女性について、何かご存知ないかと」
その二つの単語を聞いた瞬間、馨の心臓が冷たく跳ねた。 (「緑の錠剤」と「辰巳真由」……? なぜここで、死んだあいつの名前が出てくる?)
ひどく嫌な予感が馨の胸をよぎった。
だが、ここで警察に事情や自分の推測を話せば、物理的な証拠と霊的な現象が入り混じる厄介事に巻き込まれるのは火を見るより明らかだ。
「……緑の薬? 知らないね。辰巳真由ってのも初耳だ」 馨は表情を崩さず冷たくシラを切ると、二人の追及をかわすように足早にその場を立ち去った。




