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その時、見よ一匹の牝の豹あらはる、軽くしていと疾し、斑点ある皮これを蔽へり、毛色華やかなるこの獣、頭を高くし劇しき飢ゑをあらわし、善き望みを我に起こさせぬ。と思いきや、豹はカンタの腕に鼻をこすりつけきた。カンタがおそるおそる喉を撫でてみると、豹は気持ちよさそうに喉を鳴らした。どうやらこいつに敵対する意思はないらしい。それどころか妙になついているではないか。これではまるで大きな猫だ。豹はカンタのコート噛むと、そのままひょいっと自分の背中にカンタを担いだ。カンタはエアードールを抱えたままつかまった。その背中はまるでヴェルヴェットの絨毯ようで、心地よい手触りで温かくほんのり獣臭かった。豹は素早い身のこなしで化け物たちの群れをすり抜けるとそのまま走り出した。逃げたぞ! 追え! 化け物たちが口々に叫んだ。カンタはぶるぶる震えながら後ろを振り返った。確かに何かが蠢いて追ってきていた。神様仏様豹様! どうかお助けください! とカンタは心の底から祈った。生きてさえいればやり直せる、壊れた日常だってどうにかなるかもしれない。それもこれも生きてさえいればの話だ。豹は狭く入り組んだ路地裏を抜け靖国通りへ出た。誰が雪の降る夜の暗闇を走り抜けるのか? それは豹にまたがって空気嫁を抱えたカンタだ。空気嫁はカンタの体温をうけてほんのり暖かい。あなた、あれが見えませんか、と空気嫁はいった。甘い舌を持った年下の男の子だって? 私の空気嫁よ、それは願望の切れ端だ。世間にそんな都合のいい男なんていないんだよ。愛おしいきみよ、来なさい、私と一緒に! 楽しい遊びをしましょう。浜辺には色とりどりの花が咲き乱れ、艶やかな衣もあなたを待っている。あなた、あなた、聞こえないの? 私にささやきかけるこの声が。落ち着きなさい、私の妻よ。それは舞い落ちる雪のささやきだ。可愛い子よ、一緒に行こう。娘もあなたを待っている。娘は無慈悲な夜の女王、夜を支配し、あなたのために歌って踊る。あなた、あなた、あれが見えないの? 首都高の下にたたずむ娘たちが。私の妻よ、私の妻よ、それははっきり見えている。ドブにかかる単なる欄干だと。愛しているよ、私はあなたに惚れぬいた、あなたが迷いを断ち切れないなら、力づくでも……あなた、あなた、私の心を掴んだわ! 若いツバメは私に親身になってくれた! カンタはうめき声をあげてエアードールを抱えたままヴェルヴェットの背中にしがみついた。




