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愛したのだ……一歩。雪風に混じって彼女の笑い声が聞こえた。鈴を転がすような可愛らしい音色だ。また一歩、カンタの足を前に進めた。今では目にとびこんできて視界を霞ませる雪片も気にならなくなっていた。カンタの体温で溶けて頬を濡らす雫も重力にまかせておけばいいのだ。そんなものは一時的なまやかしで、すぐにどこかへ消えてしまう。カンタの愛も、カンタの誠意も、カンタの記憶も、今なおジクジクと痛むカンタの心の傷も、全ては過ぎ去る運命なのだ。風の唄のように刹那で、雪のように儚い……カンタを遮るものは何もなかった。このまま情動に身をまかせ、目の前の女を抱きしめればいいのだ。それなのに、カンタの足は止まった。何かがカンタの心を繋ぎとめていた。またである。鈴を転がすような笑い声とは別に風の中に誰かの声がするのだ。探して……わたくしを見つけて……約束よ、約束よ。その声はたしかにそう言っていた。カンタは怒りを感じた。それは体の奥底からふつふつと湧きあがってきたものだった。無いものを見つけろなどと勝手なことを! それがこの世にあるならば言われなくても見つけているわ! カンタは叫んでいた。寒さで震える顎で何かを叫んでいた。カンタにも理解できない何かを叫んでいた。しかしそれもつかの間、カッと燃え上がった感情は鎮火もはやく、叫び疲れて肩で息をするカンタに残ったものは空虚さと寒さだけだった。カンタはかじかんだ手を擦りあわせて口もとへもっていき、自分の息で温めてみた。だがいくら息を吐いても手が温まることはなかった。仕方がないと諦めたカンタは両手をコートのポケットにつっこみ、かかとで雪に無意味な図形をかいた。そんなことをしていても何にもならないと分かっていても、それでもやらざるを得なかった。何かでこの空虚感を埋めたかった。しかしカンタの心に開いた穴は予想以上に深く、そんな行為で埋められるようなものではなかった。風の中でしきりにカンタに訴えていた声はどこかに消えていた。今なおカンタの耳に届くのは風の唄と、鈴を転がすような笑い声。まるでそれが唯一カンタの心の穴を埋められるとものだといわんばかりに。カンタは顔を上げた。渡り廊下の下でスリングショットの彼女が微笑んでいる。行こうか、とカンタは思った。もう自分に残された道はそれしかないように思えた。カンタの頭の上では電線が奇妙な揺れ方をしていた。前後に揺れたと思ったら今度は左右に身をよじり、そのまま縄跳びのように回転しはじめた。




