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大体店主も止めろという話である。こんな日に客を送りだすか奴が居るか? 普通はもう少しゆっくりしていってくださいくらい言うものだろう。少なくとも自分が店主の立場ならそう言う。自分が○○の立場なら、という物言いは嫌いだし、そういうことを言う人間を軽蔑しているカンタではあるが、こんな雪の中に放り出されれば使ったって構うもんかと思った。たとえそれが自分のせいだとしても、店主になんの落ち度もなかったとしてもである。その一言さえあれば今ごろは暖かい店内でゆっくりしていた筈だし、いらぬ恥をかかなくてもよかったのだ。カンタは店主の不人情に腹を立てた。こちらは尻の穴まで提供しよとしていたのに、カンタの善意が伝わらなかったのだ。そうこうしている間にも雪は降り続け、すでにニ、三センチは積もっているだろうか。何もかもが嫌になったカンタは、相変わらず風にゆれてキーキー音を立てるランプを睨んだ。壁に下がった蔦の緑がいやに目だった。もしや、と思いカンタが近づいてよくみてみると、プラスチックで出来ていた。引きちぎってやりたい衝動にかられたが、そんな事をしても何の益もないのでやめた。さて、戻るかとした矢先に店の電気は消えランプの灯りも消えた。暗い路地裏に残されたカンタは寒空に向かって吠えた。しかしカンタの叫びは雪交じりの風にかき消され、誰の耳にも届くことがなかった。とりあえず……と急に冷静になりとりみだしたことを恥ずかしくなったカンタは、雪を蹴りながらこれから何をすべきか勘案した。とりあえず、とりあえず、と呟きながら考えてみたが、これといっていい案は浮かばなかった。仕方がない、とカンタはため息をつくと、とりあえず靖国通りに戻ることにした。カンタが見過ごしただけで、もしかしたら開いている店があるかもしれない。一縷の望みにかけてカンタはキャリーバックを掴んだ。完全に雪の積もった路上は、思ってたほど歩き辛くはなかった。濡れた路上とは違い滑らないだけ足に力が入り、キャリーバックも楽に運べた。キュッキュッと靴音を盾ながらカンタは歩いた。数メートルもいかないうちに早くもカンタの息は上がり始めた。いくら歩きやすいとはいっても、それは濡れた路上と引き比べての話であり、やはり歩き辛いのは変らなかった。そのうち汗をかきはじめ、雪が目に入って立ちどまったときなど、風が骨身にしみた。クソッ! とカンタはコートの袖で顔を拭いながら思った。女の声なんてまったく聞こえないではないか。そもそも妻の心とは何なのだ。妻の心なら妻と一緒にある筈ではないか。




