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しかしこちらもタダで尻を差し出すつもりはない。それはそれ、これはこれである。こちらで御厄介になるために差し出すのだ。カンタは卑しく生を求めることにした。だいたい最近の奴らは、すぐに生きるか死ぬかと言いだしすぎなのだ。迷った時にはまず生を選び、それからどうするか、と悩むべきなのである。たとえそれが大義などなく、客観的に見ても何の意味もないカンタの人生でもだ。一つの問題が解決した。カンタは晴れ晴れしかった。カンタ以外の人類にとって女の髪の毛一本ほどの価値しかない解決だとしても、解決は解決である。車輪が回り、物事が一つ進んだのだ。これで何かしらの変革がカンタの人生にもたらされるはずである。人生において重要なことは、常に可能性と対峙することにあるのかもしれない。カンタはそんなことを考えながら、カンディード気取りで腰を上げ、窓まで行った。カーテンをめくり、水蒸気で曇った窓を手で拭った。外は相変わらずの空模様である。街灯に照らされてちらつく雪は心なしか強くなっているように見えた。そういえば、とカンタは思った。傘はどこにいっただろうか? 店の傘いれには一本の傘もささっていない。路地裏をぶらついていた時には確かに手に持っていた筈なのに、いつの間にか傘は消えていた。いくら思いだそうとしても無駄だった。そもそも自分はどうやってこの店まで辿り着いたのだろうか? こんがらがった記憶は数十分前の出来事すらカンタに示そうとはしなかった。ただ断片的なイメージがカンタの頭に去来するだけで、それはとても自分のものとは思えなかった。まるでどこかの時点でカンタが分裂し、もう一人のカンタが歩んだ道のりのようだ。カンタは出来の悪い叙述トリックを読まされているような感覚にとらわれた。三人称だと思っていた文章が実は一人称で、そんな適当なネタばらしがこの先起りえるのか、その場合自分はどういう役柄になるのか、カンタにはわらない問題だった。そう、新たな問題の出現である。重畳、自分の人生はトロッコにのってレールの上を滑りだしている。ならば進もう、この投企の波に乗らない手はない。もう一人の自分は、今どこにいるのだろうか。もしかしたらあちらのカンタは今頃シュウサクと合流していて、そちらはそちらで別の物語が進行中なのかもしれない。自分がシュウサクに対して、連絡一つよこしゃしないと腹を立てるのは不当なのだ。何故ならば、シュウサクはすでにカンタと出会っているからだ。本人を眼の前にしてその本人に連絡を入れる変り者は世間にそう多くはない。




