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熱い、とカンタは思った。体の底からカンタを燃え上がらせる原因は、暖房だった。暑いのだ。体はすっかり温まり、今では汗をかくほどだ。それでも暖房の風は容赦なくカンタの体にふきつける。暑いなら当然店主に一声かけて暖房を弱めてもらうなり席を変えるなりすればいいだけ話なのだが、好意でやってもらっている手前自分から言い出すのは気が引けた。見るからに手持無沙汰な店主はカップを磨いていた。なんとかこちらの状況に気づいてもらえないだろうか。それとなく上着を脱いでみようか? いや、いかにもあてつけがましい、却下である。もっと自然な振る舞いはないものだろうか……丁度いい温度に冷めたコーヒーを啜っていると頬を伝って汗が垂れた。紙ナプキンでテーブルを拭きながら自分は何て無力なんだろうとカンタは惨めになった。ただ暑いですというその一言すら他者に伝えられないでいる。今のカンタならば童話の太陽にも勝てるであろう。願いは北風、この上衣を吹きとばしてくれ。そんなことを考えていると店主がやってきてコーヒーのお代わりいりますかと言った。お願いしますと肯いたカンタの様子に気づいた店主は、リモコンを持ってきて暖房の温度を下げてくれた。顔色も良くなりましたね、と店主が言った。おかげさまで生き返りました、とカンタは言った。お客さんには悪いですけどね、さっきは幽霊でも入ってきたのかと思いましたよ。真っ青な顔をして、頭には雪までのせてるんですから、そう言って店主は笑った。本当に幽霊になりそうだった手前笑えない冗談だったが、店主の話に合わせてカンタも愛想笑いを浮かべた。こんな時間になったのはお仕事ですか、と聞いてくるので、カンタは言葉を濁して肯いた。その話はあまりしたくはなかったのでカンタは話を変えることにした。そういえば、随分遅くまでやっていますが、今日は特別なんですか? 時計の針はすでに一時半を過ぎていた。相変わらず連絡をよこさないシュウサクに、カンタはイラっとしたが、そんなことはおくびにも出さなかった。うちもともと深夜営業なんです、こんな日じゃなければ夜更かしの文学青年が朝まで本を読んで過ごしてますよ。時間のことは気になさらないで、ゆっくりしていってください。店主は空のカップをもって戻っていった。ああ……とカンタは感嘆した。恩知らずの部下と違って、ここの店主はなんて優しいのであろう。カンタの胸にじん、と暖かいものが広がった。こんな店主にならば、自分の大切なものを捧げたって罰は当たらないだろう。求められればカンタは尻を差す所存である。




