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カンタはキャリーバックを引きずって九段坂を降りだした。相変わらず雪で煙って見えない大きな玉ねぎを探しながら北の丸公園を過ぎ、少し行くと九段下の駅だった。終電の過ぎたメトロの入り口は閑散としていた。カンタは傘を畳むと、入口の屋根で少し休むことにした。真っ赤になった手を息で温めたが指の感覚は戻らず、仕方がないとコートの隙間から胸元へ突っ込んだ。手は驚くほど冷たく、カンタの体はビクッと震えた。カンタはブルブルと震えながら、目の前で煌々と道路に明かりを落す交番について可能性を模索した。簡潔に言えば、暖を取りにお邪魔しても問題はないのかということだ。交番の中は暖房が効いていてさぞ温かいだろう。贅沢は言わない、五分でもいいのだ、五分でも自分を受け入れてくれれば体温が回復し、すぐ目の前の神保町まで一息で行けるはずだ。しいて希望を述べるなら、温かいお茶でも一杯出してもらえて、どうしょもない愚痴を聞いてもらえるのなら言うことはないが。しかしそこまで求めるのはワガママというもので、自分としてはどうしてもと勧められればそうするのであって、人の好意を無碍に断るなんて道理はどこにもないのであって、そりゃ湯気の立つお茶を一杯頂けるのなら、自分としては素直に受け取るし、警察官に感謝をすることはやぶさかではない。舌が火傷するほど熱いお茶を、冷ましもせずに啜って、アチッとなっている自分を想像してみた。素晴らしかった。寒い日にお茶、これぞ日本の心ではないだろうか。どこら辺が日本の心なのか分からなかったが、カンタはお茶に日本人の熱いスピリットを見た。そんなものを頂けるとなったら、自分はいったい、どうなってしまうだろう。日夜世の平和を守り、困った人には親身になり、社会の片隅で泣き崩れるものあればそっと肩を叩いて共に立ち上がる、そんな人間に、カンタもなりたかった。だがはたして、警察の業務には通行人に暖を取らせるという項目があるのか、それは未知数である。行政府の人間が、一個人に対してどこまで踏み込んでいいのか、カンタには分からなかった。そこはやはりお役所仕事である、何かの規則で用もない人間を居座らせてはならないと決まりがあるかもしれない。警察密着24時的なテレビ番組だと、わりかしフランクに招き入れていたような気もするが、あれも映像には映っていないだけでなにか緊急事態だったのかもしれない。そう考えると今の自分にははたして交番の戸を叩く権利があるのか否か、納税者のカンタは途方に暮れた。




