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普段であれば鼻歌を歌いながらでもすぐにたどり着ける靖国通りが、なんだって今日に限ってこんなに遠くに感じるのだと文句も言いたくなるが、それはこの大都会東京が、たまの変わった景色でも楽しみながら行きなさいよとサービス精神をきかせてくれているのだろう。他人の好意は素直に受けるべきである。SFやファンタジーではないのだから物理的に道が伸びているわけではなく、ただ積もった雪が行く手の邪魔をし、人間歩き辛くなるだけでここまで不便になるのだという現実を指摘するのはナンセンスである。無意味でイヌティーラでズィンロスでセンサセンソである。それよりもほら、顔をあげて見てみるべきだ。この明かりの消えた光景を。きょうは ステキな日だ はなが さいている ことりたちも さえずってる こんな日には おまえみたいな ヤツは… ということで、カンタは地獄で燃えてしまいたい気分になりそうなところを、すんでのところで耐えた。何故ならば、今のカンタは前向きになっているからだ。天気は著しく変わりはじめ、みぞれだと思ったら今度はぼた雪が降りだした。交互に代わる天気の中を、カンタはひたすら靖国通り目指して歩いた。時折傘に積もった雪振り落とし、そのたびに細いフレームが折れるのではないかと心配になった。が、案外頑丈で、カンタの前向きが傘に乗り移っているかのようだった。カンタはぼた雪を見ていると、何故か地下室に引きこもりたい衝動に駆られた。いかんとカンタは思った。そんな後ろ向きでは駄目だぞと自分を叱責した。しかしよくよく考えてみると、引きこもるという行為が世間では何故後ろ向きと取られているのか、カンタには考えれば考えるほど分らなくなった。人間だれしも無限というわけにはいかず、六十兆の細胞で構成された体は、つねに外部の制約を受けて存在している。極端な話、呼吸止められただけで生きてはいけない。そんな人間の行動範囲も限られ、外周四十万キロメートルのこの地球の上でしか存在できず、そんな人間は広義の意味では引きこもりに分類されるのではなかろうか。なんて安いSF小説の知識の受け売りを持ち出したところで幼年期なんて終わる筈もなく、人間はこの地球の上で好き勝手繁栄して、それぞれがそれぞれの行動範囲を持っているわけで、それをいたずらに縮める行為は褒められたものではなく、フロンティアスピリットの欠けた人間は、いつの時代にも馬鹿にされる存在なのだ。それでもこの広い世界で、時にはに引きこもりたいと願うのは人情で、今のカンタもそんな気分だった。




