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その最弱は力を求める  作者: コトユエロテイ
第2章【正義争奪の罪人達へ】
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21.【アイソレーション】

落下によって叩きつけられる風圧が顔面を晒し、迫ってくる見えない奈落を予感して、しかし、その過程で掴み取らなければならないものへと悪寒して、それでも、アキトは瞳を閉じなかった。目を見開いて、コマを切り詰めて、限界まで引き伸ばされた時間の中、耳朶で空回りする旋風が、侵入してくる音という情報を粉砕して、アキトのただでさえ不足した五感を抑制する。

暗闇に犯され始めた漆黒のナイフを、しかしアキトの視線は捉えて離さない。千切れるほどに伸ばした手も、結局ナイフには届かない。だから、せめて視線でだけは、この手とナイフを繋ぐ糸を切らせない。


「頼む……っ……『賢者への冒涜(セル・ガルディエル)』ッ!!」


風圧によってズレた眼鏡を押さえ、多少の衝撃では吹き飛ばないように万全を期して銃口を向ける。そして、満を持して詠唱した。起動した特殊魔装は、雷魔術結合寸前の状態を作り出し、一瞬の完全な停滞を生み出す。

世界に歯向かうことのできない万象が、世界の理の停滞の中で動けるはずもなく。アキトの特殊魔装から弾き出された停滞という名の不可視の己は、張り詰めた空間の中に確かにナイフを捉えた。

完全なる停滞に掴まれて落下を封じられたナイフは、一瞬の空白に呑み込まれ、それを振り上げたアキトによって落下から上昇へとベクトルを歪められる。

アキトの視線をなぞるように、完全なる停滞空間はナイフを掴み取った。そして、それを遥か先にまで離れてしまった大穴の光の方へと振り上げたのだ。もちろん、雷の放電と共に攻撃拒否を知らせた規外魔法は停滞を鈍らせ、掴み取っていたナイフを取り落す。自由落下に伴って落ちてくるナイフを、自分も落ち続けるアキトが胸で受け止める。


「あっぶねぇ……!」


少し先の未来にある落下死という終着がいまだ確定的なものなのにも関わらず、アキトはまるでなにもかもが救われたといわんばかりの表情で胸を撫でおろした。全くと言っていいほどアキトの安全は保障されておらず、このままなら派手めな投身自殺であることに変わりはないのだが、今更助けを求めても間に合うかわからない。

完全に人間としての力のみでしか戦えないマリィには、既にアキトを救える手立てはほとんどないだろう。しかし、アカネの月界ならばどうにかなる可能性がある。先ほどのエンテンシャーの救済に残滓を使い切ったため、高いコストを支払ってもう一度起動しなければならないが、アカネならばそれくらいのエネルギー消費を厭うことはないだろう。

がしかし、アカネの月界は移動に使うか使わないかという二択に挟まれている。アキトが自分可愛さの延長で悪戯に浪費できるほど、月界というのは軽くないのだ。


「芸がいないのは許してくれよ、賢者さん。『賢者への冒涜(セル・ガルディエル)』。」


落下するのみとなったアキトは、顔も、下手すればその称号の意味すら知らない賢者に対して謝罪して、しかし悪びれなく片手を目前の闇に伸ばした。銃口を定めるように、サイトを固定した。

発動した細長い停滞空間が、その伸ばしたアキトの手を食んで、しかし尚展開の勢いを増して剥き出しになった岩肌に激突する。

ゴリゴリと土煙を噴出させ、しかし止まらない勢いに、アキトは再び詠唱を重ねた。


「『賢者への冒涜(セル・ガルディエル)』」


再装填された攻撃拒否と入れ替わりに、雷が迸り、停滞した空間を再び作り出し、岩肌をがっしりと掴む。そして、完全に静止した。掴んだ岩肌は、完全なる停滞に囚われ、その魔力の一粒であっても動くことが許されない。しかし、静止を強要されるのは掴まれた岩だけだ。その掴まれた不変の岩に抉られ続けた岩肌には、アキトの落ちてきた軌跡を表すように一筋の窪みが生まれ、アキトの足を乗せるくらいならば問題ないほどの安息地帯を作り出していた。

攻撃拒否が完了する音色を待たず、アキトは確実な一歩で足場へと躍りでた。

眼下の死を食む虚空から、眼前の死を待つ岩肌に。

まずは絶命を延命にシフトさせ、救命という次の使命に進みたいアキトだったが、彼の人生はそこまで甘くない。彼が唾棄してきた人生は、浪費してきた時間は、そこまで短くない。

なにもない手の中で、掴み取らなければならないものを収めるために、アキトはここでリタイアするわけにはいかないのだ。


「っ、くっそ……アカネに頼るしか……」


本格的にどうしよもない現状が立ち込めてきた中、アキトはどうしようもない最終手段を思案した。

そんなアキトの脊髄で、何かが小さく燻った。ジュクジュクと脈動した何かが、流動して、行き先を求めて、ここから出せ、そんな叫び声をあげながら、弾ける寸前で暴れている。

それは、魔力だった。


「魔力が、増幅した……?」


アキトの中を巡る魔力が、ぐん、とその脈動の速度を速めた。すなわち、均等に張り巡らされていた魔力が、行き場を失うほどにギチギチに詰め込まれ、血管を浮かすほどの胎動がアキトに魔力の増幅を告げた。

もちろん、所詮アキトのポテンシャルの魔力だ。増幅したといっても大した量ではない。生命機能の存続を顧みずに魔力をフル放出して中級魔術を発動させられるほどしかないアキトの魔力が、高性能の魔装補助とギリギリの魔力精密操作によって何とか中級魔術の中でも難しいとされる風属性魔術を使えるほどになっただけ。

つまり、元が少ないアキトの魔力が増えたところで、そこまでの総量ではないということだ。がしかし、それが増幅したというのはアキトにとってあまり経験のない不可解な現象だ。

もしここまで簡単に魔力に目覚めて、その量を増幅させることのできるのなら、アキトはこの一年間でここまで苦労していない。絶対的に、この魔力増幅にはなにかしらの裏があるはずだ。

必然であるはずの論理の姿が見えず、慢心に溺れそうになったアキトは、刹那の魔力にかつての光景を見た。


「ッ……!そうか、あの時と、樹林の時と同じ。」


惨劇の深緑、カーミフス大樹林。アキトが召喚された地であり、リディアに出会った地であり、リンカーネーションを失った地。

そこで、アキトは覚醒因子だとかいう摩訶不思議な力に苛まれたのだ。魔力分類理論に基づいた未知の魔力なのでは?というアカネの言葉を受け止めるのなら、圧倒的な激情によって噴出したあの覚醒因子も、この現象と似た症状、魔力増幅の一種だったのかもしれない。

激情によって噴出した覚醒因子の魔力。今回、危機感によって増幅した魔力は、きっと前述した特殊な力を備えているものではなく、魔術運用や魔法運用に使われる無知覚魔力だろう。ただ魔力が増えたくらいで、この状況をどうにかできるというには、アキトは弱すぎた。


「最っっっ悪の賭けに出てみるか……?」


苦笑いをしながら自分で提示した言葉。しかし、既に準備を始めたその姿から、その賭けを決行しようとしているのは明白だった。

アキトが十余年培ってきた頭脳。この世界で最弱が戦っていく中で、唯一の武器となる、頭脳。それがどれほどの冴えを見せても、結局の所は、スカスカの十余年の経験則からしか情報を導き出すことはできないのだ。

つまり、多少の無理があったとしても、多少の賭けになったとしても、算出されたただ一つの作戦を決行することしか、今のアキトにはないのだ。

もちろん、失敗してアカネが月界でアキトを救ったとしても、最悪その場合はアカネの月界を比較的使わない方法で勝ちをさらう方法を考えるだけだ。全てをアカネにかけた自分勝手で理不尽な作戦を、アキトは生み出したのだ。

なんの示し合わせもなく、提示もなく。アキトは、全幅の信頼でもって飛んだ。

彼女は、絶対に目を逸らさない。

アキトが落ちたこの奈落も、アキトが死んだ可能性も、絶対に目を逸らさない。それは、かすかに得られる情報でもアキトを感じるため。その微かな情報の中から、アキトを救い出す足掛かりとするため。

なにより、アキトを、信じているから。

こんなところで死ぬような男じゃないと、信頼しているから。

アカネは目を逸らさない。そして、再び彼が回帰することを、その片鱗を確信しているのだ。

誰の受け売りでもない。彼女自身が信じた、その男のために。


「ほら、やっぱり、来たじゃないか。」


奈落の大穴。手を伸ばしたアキトの先で、アカネが小さく微笑んだ。その光景を予感していたように、微笑んだ。その笑みだけで、アキトは数瞬前の勇気に報いることができる。


この戦争に、命を懸けられる。



人間の本能。それは、種としての本能、人としての本能、個人としての本能。どれであったとしても、命を繋いでいくことへの欲求に他ならない。

それが性欲であれ睡眠欲であれ食欲であれ、直結する先には己の命があり、続いていく種への純然たる投資となる。そんな本能に内包されている現象は、何もそれだけではない。

過敏になった本能故、普段は感じない気配を知覚したり、飛躍的な超常を発揮したり、脅威を感知する機能が特出して強化される。そうして摂取された恐怖は、生殖器に訴えられたり、脳髄に流されたり、胃に突撃したりする。

そして、そんな本能に大方指令を出し終わった後に、なにより重要な人間としての機巧に全ての力と時間を費やすのだ。

それこそ、『魔力』。

この世界の全てのものに変換することができる万能物質であり、全ての生命活動に必ず必要な絶対物質。

欠けることも、満ちることも許されない、世界を司っているといっても過言ではない、世界規模の代名詞。そんな魔力が、本能の延命機能に含まれていないはずがないのだ。


魔力製造本能。


春刹や魔力器官を持つ生物の全てが等しく有している、身体に必ず宿る絶対的な機能。

もちろん、マリィのように魔力を一切持たないものには当てはまらないが、逆に言えばそれ以外の生物には必ず当てはまる、まさしく本能である。

危機感でも、痛みでも、絶望でも。どんな形であったとしても、それに死を予感したのなら本能は悲鳴を上げる。そして、それをどうにかするために、魔力を製造する。

その魔力増幅によってどれほどの効果が得られたか、ということに関しては、魔力製造本能のあずかり知るところではないが、今回のように使う者が使える者で、環境が使える環境だった場合、それがどれほど命を繋いでくれるか計り知れない。

今にも身体を突き破って、燃やし尽くして、切り刻んで、迸って、抉り取って、押し流して、突き差して、欺こうとする魔力たちを、しかしアキトの身体は逃がさない。

折角もらった魔力なら、本能がくれたチャンスなら、使い切って使い潰して、結果にすらも唾を吐こう。

信じるのは、黒の彼女。

恐怖すら今は魔力に、巡る魔力の奔流が、彼女を求める自分の奔流。

小さく一歩を踏み出した。小さな魔力が躍り出た。

ミカミ・アキトが、飛んだ。


「見とけよ賢者、規外魔法メーカーは、お前だけじゃない。」


まるで背負った刀を引き抜くように、振り抜いた刀を構えるように。虚空で舞うアキトが、背中に伸ばした手を振り抜いた。

行き場のなくなった魔力が、本能に触発された魔力が、外を求めていた。這い出ることを求めていた。

世界を、求めていた。


「規外魔法『隔界(エクソダス)』」


それは、一線を画し、琴線すら隠し、信念で隔す規外魔法。

世界から隔絶されるような、切り取られたような、法則から解き放たれたような超加速。


白くたわんだ空気の波動が、黒の中でよく映えた。

衝撃に呻き、速度にビビり、血液すら遅れる。しかし、アキトだけがそれを見ていた。しかと見ていた。

その先の未来のアカネを、見ていた。


「ほら、やっぱり、来たじゃないか。」


アキトの背中から放出された魔力が、歪曲して、曲解して、虚空に刻まれる。結合は、風。

かつて、少年は覚醒した。膨大な覚醒因子が体中を駆け巡り、張り巡り、そして、その奔流の力は己の身体すらも傷つけた。

春刹にも通じている重要な魔力導線、脊髄から背中にかけてのラインにあったそれが、はじけ飛んで、張り裂けたのだ。アカネの処置がなければ、人工的に魔力を注入し続けて生活しなければならないほど危険な傷だった。

そんな傷跡は、放置されてやがて穴といえるほどに広がった。そんな穴を、アカネは自分で独自に開発した医療用の魔力製品で、魔力戦闘に支障のないように作成した魔装で塞いだのだ。

魔力導線の穴から魔力が漏れ出ることを防ぎ、その魔力導線内の魔力の流動を円滑に行う特殊魔装。

閉塞魔装である。

そんな閉塞魔装は、過負荷によって故障しないように、魔力を噴出する機能を兼ね備えている。アカネからその魔装の存在を知らされた後に、いろいろと弄り回していた結果見つけた機能だが、こんなところで役に立つとは思ってもみなかった。

二つの穴から噴出するように設計されたそれは、魔力の結合を風に限定するための措置だ。そこで推進力を生んでしまうという欠点はあるが、炎になったり雷になったりしないための仕方のない措置だ。

それが、今回は役に立った。

噴出した魔力は風に結合し、行き場を探し求めていた魔力は体内の魔力を総動員してアキトから出ていこうとする。逃亡しようとする。脱出しようとする。

そして、途方もない粒子の彼方で、風となってアキトを吹き飛ばす。

結合に値しなかった魔力は、風に散らされて散乱し、紫紺の魔力光を微かに散らして霧散する。

壁を蹴り上げながら飛距離を稼ぎ、その手を伸ばすアキト。しかし、奈落から光への回帰はそう甘くない。

辿り着けない先、アカネへの道。

乱暴に外した眼鏡を、精一杯伸ばした手の先に。

どうせ使うなら、使える魔法をすべて使うのも悪くない。かつての賢者は、己で生み出した規外魔法を一つしか使えなかったと聞く。

ならば、アキトが示してやればいい。

魔装とよくできたエンジニアさえいれば、こんな最弱であっても、規外魔法の総数で賢者に勝つことができると。

戦うことができると。


「『賢者への冒涜(セル・ガルディエル)』ッ!」


吐き出す空気さえ枯渇して、背中から噴出して、体内の極端に少なくなった魔力のその奥の奥で、思考すら司っていた魔力たちを引っ張り出して、そして、伸ばした手の先にある魔装に流し込む。

アキトの手、そして、そこから放たれる停滞空間のリーチ。

そんな手札を使いに使って使い潰したアキトの決死の回帰行で、やっと、その大穴の入り口に近づくことができる。

そんな手札を使いに使って使い潰したアキトの決死の逃避行で、やっと、手が届かないのだと気づくことができる。

やっと、アカネという女が自分を好きなのかを理解する。

アキトの停滞空間が掴んだアカネの手。虚空を掴んだアカネの手が、ぐいっとそれを引き上げて、それに付随するアキトが引っ張り上げられる。

そして。


「おかえり。」


黒髪の抱擁に、頬をうずめることになるのだ。

立往生、それに変わりはない。しかし、失った物ばかりではない。

得た物も、知り得たこともある。

魔力枯渇によって生じる呼吸困難に喘ぎながら、朦朧とする視界でアキトはアカネを見た。

閉塞魔装から魔力を注入し、アキトに生命の粒子を注ぎ込んでいくアカネを見た。

一時的に、王城侵攻は幕引きとなった。

依然つかない決着に、残る戦火は約二つ。アキトたちのあずかり知らない闘争に、アキトたちの停滞を補ってくれる闘争に、アキトたちの進軍を後押しするための闘争に、その時間を食いつぶして、使い尽くして、ミカミ・アキトと参謀の読み合いは休戦した。



竜伐(サルヴァトス)第二聖、女剣士ヴィエラ・アンスタクトの半生は、努力という二文字に帰着する。

上流階級の騎士家系に生まれたヴィエラには、兄弟がいなかった。子宝に恵まれなかったアンスタクト夫妻に、やっとのことで生まれてきてくれた子供。それが、家を継ぐことのできない女だった時の周囲の落胆は、凄まじいものがあったらしい。

親族から養子の打診をされるほどの環境の中で、両親だけは彼女を信じ、育て続けてきた。

存外上手くいったヴィエラの成長は、完全に両親の愛情の成した奇跡だったろう。

そうして、努力と研鑽の果て、ヴィエラはフラントロウムの騎士養成学校へと進学。その後、ウドガラドの騎士団へと配属し、来る黒竜討伐戦によって戦果を挙げ、竜伐(サルヴァトス)の称号を賜った。

歴代のアンスタクト家に前例のない女性当主として家を引っ張るその姿は、まさしく戦乙女。

握った宝剣の重みは、彼女が積み上げてきた研鑽の重さ。かざす刃の鋭さは、彼女が研ぎ澄ませてきた己の鋭さ。

なにより、その正義に燃える瞳の輝きこそ、彼女を真の勇者たらしめる絶対の強さ。


竜伐(サルヴァトス)最強の剣士、ヴィエラ・アンスタクトの、絶対の刃。


崩壊の爪痕がダイレクトに赤く刻まれる惨状は、そんな爪痕が赤褐色に滲み始めるほどに手遅れで、その光景を異常だと思わないほどに平常に紛れた、規模の広すぎる暴虐の景色だった。

己の桃色の髪すらも、そんな赤の中ではくすんで見えた。

握った宝剣『イグニシア』の刃は、それを正確に反射して、凄惨な景色をさらに物騒に彩った。

そんな、地獄の様相を呈した破壊の跡に見合わぬ少女を見て、この惨状の主は嬉しそうに哄笑をあげた。

それはまるで、待ちわびていた邂逅に息を呑む純情のように。

それはまるで、待ちわびていた殺戮に唾をのむ期待のように。

アタモスファータ戦闘員の破壊力の中でトップをひた走る模倣の天才。カルバラ・グリフィルトは、心底楽しそうに、その血まみれの両手を震わせた。


「もっと、俺に勝ちを寄越せ。俺に、価値を寄越せ。お前の最強を、寄越せッ!」


目の前の極上の料理を頬張る前に、それを喰らうことに対する感謝を、冒涜を、述べる。そして、尚飽き足らぬ力への情欲を、滾らせながら。

進む道に転がった瓦礫を踏みつぶして、折り重なった死体を蹴り飛ばして、足首に縋りつく臓物を引きちぎって、死臭を、死香を纏った破壊の権化が、破壊の権化を背負おうとする男が進撃する。

蹂躙が闊歩した軌跡には、既にひしゃげていた死体が、更に摺り潰されて、辛うじて残っていた生前の機能すら排除。掃除に苦労する汚れへと変換していく。

やがてヴィエラとの距離を十メートルほどとしたカルバラは、巨体を揺らして静止して、凶悪な双眸を少女に捧げた。


「所詮、蛮族の貴様に手向ける価値などない。」


そして少女も、余すことない侮蔑をカルバラへと捧げた。


「あ?」


突如として繰り出された口撃に呆気にとられたカルバラ。

彼には、期待があった。この凶悪な惨状を生み出した巨躯に、所詮十余年の周辺で生を貪る童女同然のヴィエラが、取り繕った強がりに身をやつしていることすら、期待していた。

しかし、実際はどうだろうか。

享受するはずだった呆然を受け取ったのは彼女で、吐き捨てるはずだった当惑を馴染ませたのは自分だ。


「もちろん、私から貴様にくれてやる勝利も、存在しない。」


先制攻撃を喰らったのは、自分だ。

カッと、全身の血液が沸騰して、茹って、燃焼して、内臓ごと燃やし尽くしてしまうのではないかというほどの激熱の憤怒が、カルバラを貫いた。

いっそメンタルすらどついたその衝撃に、カルバラは大きく息を吐いて目を見開いた。


「そうだな……そうだ。騎士団っていうのは、そうだよな。」


カルバラが指し示した先。ヴィエラのあまり豊かとはいえない胸に飾る、二つの徽章。そのうちの一つ、あまり認知度は少ないが、確かにそれは力の証だ。騎士団に所属している、証だ。

権力に固執しない騎士団の自由奔放な化け物たちは、その徽章を身に着けることすら遵守せず、彼らは己の剣にのみその徽章を光らせるのだ。

だがしかし、その徽章すらも己の証明とするヴィエラの胸には、騎士団を示す証がしっかりと飾られている。


「あいつらは本物だ。だから、反吐が出る。あそこは、強さだけで生きていけるほど甘い場所じゃない。だから、反吐が出る。」


胸の奥に蟠った吐露に、カルバラはため息を吐いた。嘔気に晒された肺腑を上る不快感を吐き捨て、睨む先、騎士団の少女。


「くれよ……なあ、その徽章を汚した称号を!俺にッ!!」


歪曲する。魔力が、その本能に従ってカルバラから立ち上る。カルバラの内部で加速するその流動に、弾ける魔力たちの叫喚に、まだ足りないと叫ぶ糾弾に、周囲の魔力たちですら応じた。

間欠泉のように吹きすさぶ魔力が、ヴィエラの肢体すら晒した。その暴風に微かに身じろいで、確かな戦闘への移行を確信した。

下げた重心と提げた宝剣、掲げた誇りと見上げた空に、正義と刃と強さを手向けて。


「くれてやる。ここで死んだ同胞の無念も、痛みも、悲しみも。全てを集めて、尚足りないほどの屈辱と、憐憫を。」


竜伐(サルヴァトス)最強の少女は、絶えることのない命の螺旋の中で、絶えてしまった命を繋いで、その正義を裁く。


「貴様にやれるのは、それだけ。それだけだ。」


アタモスファータの戦闘員最強と、ウドガラド興国竜伐(サルヴァトス)最強の一戦。

対した称号を喰らい、それを模倣し、己の力とする模倣の天才と、それに喰らわれる側であるのにも関わらず強さを喰らい続ける少女。

偽物、本物。そんなくだらない論争は、必要ない。必要なのは、ただ一つ。

穢れなき聖戦でも、誇り高き決闘でもない。必要なのは、ただ一つ。

確固とした、純然とした、勝利。

享受できるのは勝利だけ。享受してやるのは痛みだけ。

汚れなき生線を跨ぎ、誇り高き血統を穢す。


カルバラ・グリフィルトの拳と、ヴィエラ・アンスタクトの剣の応酬。火蓋は、殴り、斬られ、落とされた。



暗い、暗い闇の中。

それは、人の形を模していた。がしかし、誰が何と言おうと、それは人ではない。

もしそれが人だったとしたら、この世界の人の形は総じて人外。修正は必至で、それにかかる労力も甚大なものになるだろう。

がしかし、感じる魔力の波動だとか、生じる命の脈動だとか、報じる恐怖の呼応だとか、そんな本能の警鐘を抜きにして見れば、それはどうしようもないくらいに人だったし、おぞましいほどに表情があった。

いっそミカミ・アキトよりも愛想のいいその表情に、透かした恐怖を見るか表面の笑顔を取るかは賛否あるだろうが、ただ一つ言えるのは、どちらであっても終末はあまり変わらないであろうということ。

認識していたはずの表情は、時が進むうちに認識できなくなり、飽和していた安心感はやがて恐怖を取り込み始め、見えていた奥行きは完全に消失する。

不安感によって視ることを拒絶し始めた脳の反応によって、彼の姿は自然と影となる。

真っ黒に塗りつぶされて、漆黒に呑み込まれて、しかし、闇に紛れるその姿は、存在感の塊だ。どんな手練手管を用いても、見ないことは許されない。認識しないことを許容しない。

彼に付与された感情は、ほぼ人間と変わらないものだろう。人を模した見た目は、中身すら反映させる。そして、そこに介入した興味は、等しく敵を見据えている。

それがどんな基準でもって敵とみなすのか、それがどれほどの基準でもって敵を探すのか。殺すのか。

その全てが計り知れるはずがないが、その敵の脅威を、世界すらも認識して、危惧して、そして、見ることを放棄したがった。

自浄作用に、過浄作用を強要せざるを得なかった。


「ネメルデラ・インクトゥス……唯一の不具合っ、……世界終焉律、最後の一柱。」


ボロボロと崩れ落ちたエンテンシャー経路。地下を掘り抜いて作られたその壁面は、ただでさえ魔力によって強化され、エンテンシャーが通過しようがしまいが、絶対の非損壊性を保っていた。そして、今回に至ってはそれすらも強化して、魔装によって展開された超結界によって破壊という概念の要すら封じていた。

しかし、それは容易に自浄作用を弾き飛ばし、吹き飛ばし、この世界から乖離した、隔絶した力を振りかざす。既にこの世界にない存在に対して、誰が法則を押し付けることができるだろうか。


「ッ……特殊魔装『鉄骨』ッ!!」


真価を解き放つ。

自浄作用はその力を手中に収め、目前に存在する、存在してほしくない願望に向かって刃を振り上げた。

到底辿り着かなかった破壊力をさらに高めて、握った手加減を破り捨て、秘めた手腕を解き放ち、掌握する。

その不具合を、消失させる。

白く、そして黒い。まるで鉄の塊を振り回しているのではないかというような武骨な剣。両手剣としての形は保っているが、その厚い刀身と地面にめり込むほどの質量は、既に人間が振るう域にない。

しかし、彼の両手はそれに大した興味を示さないように軽々と剣を引き、詠唱によって発動した真の機巧の輝きに表情を照らした。

どす黒い紫がオーロラのように軌跡を描き、暗闇の中で黒以外の色をやっとのことで露呈させた。

しかし、それで収まるほど彼の魔装は甘くない。彼の魔装を生み出した師は甘くない。

刀身がカチカチと組み替えられて、根元から形状を変化させていく。

内蔵されたアームと駆動用のレールによって形状を変化させていく剣は、切っ先の鋭利さを消し去り、軽量化のために刃の中心に展開した穴の中で魔力を迸らせて凶悪なフォルムへと変化した。


「七つ目……貴様が誰に生み出されたのかも、何を目的とした存在なのかもわからない。だが、貴様はこちらの世界に来ていい器じゃない。」


脇腹に空いた風穴。そこから噴出する血液の量は、既に致死量を五度ほど越しただろう。しかし、鍛え上げられた肢体から、整った口腔から突き刺される美しい低音は、その重傷を一切感じさせない。


「ミカミ・アキトでさえも、俺は相応しくないと思っていたが。貴様は、奴を圧倒的に凌駕するほどにこの世界に適していない。この世界に、許されていない。」


まるで邪魔であるかのように、口腔に充満した命の雫をぺっ、と吐き出して、紫紺の刀身を揺らして、剣士はその影へと依然声をかけ続ける。

その影へと、駆ける。掻ける。

そして、時間軸すら置き去りにしてしまいそうな超速で、その影の背後から紫紺を叩き込む。


「仮初に帰れ、鏡の住人。」


殴打となるような鉄塊の激突は、彼の卓越した剣技によって斬撃へと昇華され、それでも消えない威力はやがて空白へと到達する。

しかし、その影の前には、等しく無力だった。


『■■■■■、世界■……■■■■。俺が、■■■■■■■、』


ノイズ混じりの声が、慣れない発音で音を落とす。

はじけ飛んだ肉片のかけらが、影を通過した。一瞬で世界に回収されたその肉片に対して大した感慨も得ずに、それは血液すらなかったことにされた結界の中で静止した。

まるで、この世界に慣らすように。

初めて触ったゲームの操作方法を手探りで探すように。それは、心底楽しそうに手を伸ばした。


遅延してます。

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