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その最弱は力を求める  作者: コトユエロテイ
第2章【正義争奪の罪人達へ】
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19.【隠す】

エンテンシャー攻略作戦。その対象となったエンテンシャー。つまり、リディアが乗り込んだエンテンシャー。それを突撃した超巨大エンテンシャー。それに従って進んだ先で遭遇した、アキトたちの乗るエンテンシャー。

ここまで複雑に絡まり合ったエンテンシャー経路が、まるで示し合わせたかのように綺麗に交差することなど、不可能だ。それほどまでに、リディアとアキトの遭遇は不可解で、どうしようもなく必然の、作為的なものだった。

三台のエンテンシャーが重なり合って激突したその跡地。今は一台しかいなくなってしまった、エンテンシャー。静寂に支配されているエンテンシャーで、リディアは静かに座席に座り込んだ。

激動のエンテンシャーの乱舞。些か総重量が重過ぎる戯れに、リディアはアキトの気配を感じずにはいられなかった。その激突に、リディアは感じずにはいられなかった。もし、これがアキト陣営による故意的な激突で、それでいて、リディアを救いたいと思った感情のなせる業だったのなら、それは、リディアの思うアキトの好意的な頭の良さだ。

だがしかし、アキトのその良い頭の良さが導き出した最適解の作戦がこれだったというなら、些か優雅さに欠けるというか、強引が過ぎるというか。

アキト側の状況が逼迫していて、その中で導き出された作戦で、アタモスファータ陣営からすれば革新的で、緊急時における最善策だったのかもしないが、それを考慮する必要などないリディアは、それに対していくらでも文句をつけてやれる。

だって、彼は言ったのだから。自分は、敵だと。お前とは、相容れないのだと。


「別に、二回も言わなくてもわかるわよ。」


敵。

かつて救った少年から、次こそは救わないといけない青年に、二度も面と向かってそう言われるのは、さすがのリディアでもこみあげてくるものがあった。

怒りというよりも、寂寥感。いや、もっと、形容しがたい、心を何度も指され、弱々しいけれど、無視できない疼きのような感情。けれど、それが微かに愛しさも刺激してくるのだから救えない。

今は、今ばかりは、その感情と、区切りをつけなければならない。

リディアという正義に、アキトという正義を屈服させる刃を、差し出さなければならない。それを邪魔するのならば、自分という敵ですら退ける。

それが、リディアの正義であり、アキトを下す根幹だ。

もうすっかりいつものポーカーフェイスを取り戻したリディアは、冷静にこの状況を分析し始めた。


「ロビンフット、第四十地区……?」


エンテンシャーは、基本的に地下トンネルを走っている。もちろん、用途に応じて地上を走るものもあるが、基本的な運用場所は地下だ。そんなエンテンシャーは、マザーシステムとの接続、または近隣フロムとの情報交換でしか位置情報を確認できない。

そのため、緊急時に避難、位置確認を行えるように、避難口と現在位置の魔力塗装が、トンネルの壁面に光っているのだ。

約三十メートルごとに設置されたそれらは、今現在ちょうどリディアの眼前で発光しており、先ほどの激突の応酬によって壁という仕事を放棄したエンテンシャーの怠慢によって、明確にその文字を金麗に向けて届けた。

ロビンフット第四十地区。

王城付近の区画の名前で、かつての騎士団長、ヴィッチローク・ロビンフットの名前にあやかってつけられた名前だ。原因不明の大火災、それによって焼け、焦土と化した地獄から、何十人もの人々を救い出した、騎士団屈指の実力者。感謝の意味を込めて区画の名前にまでなった彼は、今はどこかで隠居生活を楽しんでいるらしい。

そんな英雄並みの所業を成した男も、今現在の騎士団序列に当てはめると中位ほどにしか食い込むことができない。それほどまでに、この国の騎士団の飛躍は凄まじく、その隙をついたアタモスファータは底が知れない。

とまあそんな経緯で、リディアにとって、この国の人間にとって、ロビンフットという地名は知らない場所ではないのだ。

場所的に、ロビンフットからエンテンシャーで王城に向かうには数十分の時間を要する。ここからアキトを追ったとしても、自分には追い付くことすらできない。そんな現実的な推測で、リディアは無利益な正義感よりも多少の利益をもたらす探索を選んだ。


「このエンテンシャーなら、調査もすぐに終わりそうね。」


リディアが現在進行形で探索を始めようとしているエンテンシャーは、そこまで広いものではない。探索にそれほど時間はかからないであろう。

理由はそれだけではないのだが。


「半分壁が吹き飛んだエンテンシャーなんて、私でも初めて見たわ……」


背後からの大質量の吶喊と、それを受け止める王城行きの多少頑丈なエンテンシャー。それに板挟みとなったリディアの乗るエンテンシャーが、完全に無傷でいられるはずがない。ボロボロのエンテンシャーは、もはや空間を遮断する役割を全うしている部分の方が少なく、辛うじてエンテンシャーという形は保っているだろうが、機能的にはただの残骸と大差ないだろう。

基本的に地下を走るエンテンシャーが損壊することなど、本当にイレギュラーなのだ。


「魔力貯蔵庫も潰れてる、ってことは、動力機巧が正常でも動かせないわね。」


崩壊の傷跡を無表情で眺め、さして時間もかからずに操縦室へと到着したリディアは、その横に併設された所謂燃料タンクの惨状を見て、その美しい眉を顰めた。

限りなく低い可能性ではあったが、リディアが機巧をいじって再起動できるほどの損壊だったのなら、このエンテンシャーに乗ってアキトたちを追うことができた。

しかし、魔力貯蔵庫、走行に必要な燃料のないエンテンシャーに機巧としての正常が戻ってきたところで、大して意味はなかった。

本格的にこのエンテンシャー攻略戦が試合に勝って勝負に負けた状態になってきたことを歯噛みするべきか幸運だとほくそ笑むべきか、リディアには判断しかねた。きっとあの少年なら、満面の笑みで勝利を語るのだろうと想像して、リディアはまだだと自分を律した。

その想像に晒してもいいほど、今の自分は強度が高くない。吊るされたなら千切れてしまうほどに、もろい。

まだ、笑みを漏らせるような立場にない。

たった数秒の意識改革、しかし、それがこれまでのリディアの人生の時間を繋いできたのだから、数秒の積み重ねも馬鹿にできない。

そんな一新した視界が、早速その異変を感知した。


「魔力反応……?」


体内魔力の感知、または操作を行うのは、魔力変換を用いる人間にとっては当たり前のプロセスだ。しかし、自分の体外の魔力を探るというのは、もはや魔法に匹敵するほどの意味を持つ。そんな超次元の力を、リディアが手放しで扱えるほど、強さというものは甘くない。

リディアがそれを探知できたのは、一重に。その魔力反応というのが些か大きすぎたからに他ならない。その大質量の根幹が、おぞましすぎたことに他ならない。

リディアの目前、あるのは、ひしゃげた魔力貯蔵庫。顕現魔法並みの超魔力、その片鱗を感じて、少女は臆せずにその扉に手をかけた。


「潰れて開きもしないなんて……どれだけの力でぶつかられたのよ。」


呆れを通り越してその破壊力に称賛すら送りたくなってきたリディアは、確固としてその扉を開いてくれない魔力貯蔵庫に同情気味の視線を送った。

そんなアキトに振り回された同士の傷の舐め合いの中で、リディアの築き上げてきた勘。というより、アキトという異分子によって鍛え上げられてしまった姑息なほどの観察眼が、そっと空間を透かした。


「違う……この魔力反応は、ここじゃなくて……!」


もしこの場に魔法部隊の人間がいたとして、どれほどの人間がその気配の根幹に気づくことができただろう。誰もが、これほど強大な魔力反応があるのだから、根源は近くにあり、自分はそれにあてられているのだと錯覚しただろう。しかし、そんな錯覚を元とする狭い視野を、リディアは鈍角レベルで広げた視野の中で塗りつぶした。

ここまで巨大な魔力反応を、魔力反応を感知できない人間にさえも、感知させてしまうほど自分勝手なパワーバランスの崩壊者が、魔力貯蔵庫。その遥か先。エンテンシャーの突撃によって崩壊した魔力光が生み出した闇の中から視える。

曖昧で、茫洋で、そんな巨大の代名詞を塗り替えるように、その魔力反応は確固として敵を捕らえていた。

己の姿を捕捉した、都合の悪い存在であるリディアには一切興味を示さず、ただ一心になにかを探して、その大きすぎる魔力反応でなにもかもを探って、そして、そして、ぐらり、と。闇に溶ける。

恐ろしいまでの静寂。しかし、リディアにとってそれは静寂とは程遠い世界だった。早鐘を撃ち、空白を刻み、無音を嫌った心臓が、うるさいほどに、煩わしいほどに、邪魔とすら思うほどに、加速した。

たった一瞬、それを捕捉しただけで。

びっしゃりと背筋を濡らした冷や汗と、乾き始めるそれを忘れさせないほどの震え、そして、それを塗り替える安堵の発汗が、少女の瞳を艶やかに彩った。

何者か、何(ゆえ)か、闇は鋭利を匿った。



巨大すぎる魔力反応。振り上げた拳を下す先を見失い、振り上げた理由すら見失ったそれは、やけになってそれを振り下ろすのではなく、次の振り下ろす機会のために拳を振り上げたまま消えていった。

得体のしれない存在の痕跡、それすらも恐ろしくて、リディアは急かされるように一通りの探索を終えて、ロビンフット第四十地区の地上へと続く階段へ逃げ込んだ。

無表情に浮かんだ冷や汗が、その事象がどれほどイレギュラーで、特異な出来事だったのか雄弁に語っている。

満身創痍。これほど五体満足な満身創痍はないであろうというほどに、今回のリディアの戦闘は内側しか抉ってこなかった。リディア自身の機体ではなく、それを動かすエンジンを壊してしまおうという運命の試練。いや、脳のない性の獣。

どうにも、あのもぬけの殻だったエンテンシャーに共感を禁じえず、地上の明るい空を眺めて、リディアは身体が重くなるのを自覚した。

突然、大気中の魔力の重さを感じた。突然、体の中に匿った心とかいう弱点が重要さを増したのを感じた。突然、進みだす一歩が怖くなった。ぬるま湯の中で、これ以上なにもしたくない。そんな、安定しすぎた精神状態。それ以上の行動によってもたらされる不安定を、許容しない精神状態。

考えてみれば、リディアがこのアタモスファータの侵攻で被ってきた精神的な苦労は、全戦闘員、関係者の中でもトップクラスのものだっただろう。もちろん、王直属護衛兼、緊急参謀のウルガのように戦闘区域のほぼ全てを手中に収め、その重さを握り続けないといけない膂力には負けるだろう。しかし、戦闘中に肉欲に飲まれる愚図よりは、よっぽど憔悴していた。

止まって、落ち着いて、そして、認識してしまったから。自分が、どれほど頑張ったか、これから立ち向かうとして、どれほど頑張らなければならないのか。

その想像。ただ、思考しただけで、脳内の魔力が流動しただけで、疲弊は憔悴へと変わり、弱音は慟哭へと昇華される。

もはやリディアの不安定な精神状態を支えるものは、竜伐(サルヴァトス)とかいう仮初の英雄。その象徴である徽章だけだった。なんとか精神を再起させようと。うんともすんとも言わなくなった心の静寂を切り裂こうと、リディアは胸元に揺れる徽章を触り、


「ッ……ない……?落とした?いや、そんなはず……」


そこに仮初の英雄に対する期待。それが込められた徽章が、綺麗さっぱりなくなっていた。

元来、王城直属勤務者たちのカーストは、固定されてきた。騎士団を頂点とするその絶対のカーストに、ほんの少し竜をしばいただけの竜伐(サルヴァトス)だとかいう職業が食い込んできたのだ。

そこに、反発が生まれないはずがない。そんな反発を黙らせるために、黙殺するために、期待と、功績と、呪いを込めて、その徽章は竜伐(サルヴァトス)という名前でリディアやアミリスタ、ヴィエラを縛ったのだ。

なのに、そんな自分の戦うための意思の核。その根源が、見つからないのだ。

あれほど逃げたくて、あれほど弱音を吐きたくて、それでも、この徽章のために、竜伐(サルヴァトス)のためにと戦おうと己を奮い立たせてきた竜伐(サルヴァトス)が、消えたのだ。

突如、激情がリディアを襲った。


「あぁ……」


それは、戦う指標を見失った。戦う意味を見失った。戦う活力を失った。そんな、虚無感だとか寂寥感だとか、薄っぺらいものじゃない。彼女は、そこまで薄っぺらい理由で戦っていたわけじゃない。彼女の目標はただ一つ。リディアという人間が、命を懸けてこの中央都(セントラル)を駆けるのは、ただ一つ、あの少年に、再起の言葉をかけるためだ。

決して、薄っぺらい称号に左右されるべきものではなかった。


「そう……そうよ。私は、アキトを、この国を、守るために。」


誰かを、守るために。

肩の荷が下りたようだった。

どうしようもない力で自分を押さえつけて、戦う理由すら奪い取ろうとした竜伐(サルヴァトス)という勲章が、たった一瞬目を離した隙に、消失したのだ。なんという爽快感、なんという多幸感。

なんという、戦意!

きっと、その重荷を取り去ったのは、アキトだ。徽章を掠め取ったのは、アキトだ。


「私を抱きしめたとき、……!あんな時まで、本当に姑息だわ。」


だけれど。


「あなたがそうするなら。私も、負けない。」


奇しくも。どこまでもリディアの戦意を砕き切ったのは自軍の兵士で、それを修復して、戦意を吹き込んだのは、敵の殿、ミカミ・アキト。ここまで皮肉な再起は、本当に想定外だった。しかし、彼もタダでそれに手を貸すほど、お人好しではない。

しっかりと、竜伐(サルヴァトス)という徽章を奪い取って、自分の勝利の糧にした。それによって救われてしまったのだから、一概にやられたとは言えないが、そんな部分含めて、やられた。

試合に勝って勝負に負けた。そんな健闘違いな評価が、リディアの中で跡形もなく砕けて、燃焼して、それすらも原動力として、燃え上がる。

出来上がったのは、再起を願う少女の、健気な願いと、試合に負けて、勝負にも負けたという清々しいほどの敗北感。

そして。


笑みが零れそうなほどの、反骨心。


金麗の再起は、最弱の再起を願う。ただ一つ、その正義のもとに。

ただ、一つ。


その金麗は、願いを手向ける。



アキトたちの乗る王城直行エンテンシャーは、存外小さな損害で破壊を抑え、快適な王城直行を可能にしていた。そんなエンテンシャーに蔓延るのは、アキトとアカネ、二人きりの桃色空間。ではなく、まるで修羅場のような暗い空気に淀む、灰色空間だった。


「ミカミくん、わかってるかい?君は自分がなにをしたか。」


普段の忠犬のような愛らしい態度は鳴りを潜め、アカネの冷たく冷え切った眼は余すことない軽蔑でアキトを刺す。いや、アカネに限って軽蔑という感情はないだろうか。強いて言えば、純真無垢な嫉妬から生まれる、憤怒というべきか。

アカネの横に正座して、ひたすらその切れ間のない叱責に反論の機会を探るアキトは、己の横で怒りながらも黒髪交じりの白髪を弄る怒り心頭な彼女に奇異な目線を向けた。


「悪かったよ……でも、あれはしょうがなかったんだよ……」


珍しく歯切れの悪いアキトの態度に、アカネは心底よろしくない気配を感じたのか、そのただでさえ切れ長の凛々しい目を鋭く研ぎ澄ませて、煮え切らない青年の頬をがしっ、とつまんだ。


「あんなにっ!本気になった女を置いてっ!なんでっ!違う女をっ!抱きしめに行けるんだい!?!?」


そう、このエンテンシャーに今現在蟠っている憤怒の矛先は、どちらかというとアキトよりもリディアの行動によって引き起こされたものだ。というのも、アキトとアカネの桃色空間に、リディアのエンテンシャーが突撃して数秒。通信機に入った伝令に、アキトはアカネとの逢瀬などまるでなかったかのように飛び出し、リディアを救いに行ったのだ。そして、あろうことかその少女を抱きしめ、弁明にさえ金麗の気配を感じさせているのだ。


「だから……!あっちが勝手に抱き着いてきたんだよ!俺の過失じゃないだろ!?」

「いいや!ミカミくんだって抱きしめ返してたじゃないか!!あれは明確な下心があったからだ!!」

「じゃあ俺が盗んできたこの徽章はなんだよ!?」


アキトの抱擁は、時間的にいえば前半善意、後半策略だ。

最初、ある落ち目からリディアのその塩らしい態度に対してシカトを決め込めなかったアキトは、思わずその温かさを彼女に享受してしまった。しかし、それだけではないのだ。アキトは、後半、リディアの肢体の魅了から解放された後半戦で、徽章の所有権をアタモスファータへと移動させるという成果を持ち帰ってきたのだ。


「これがあれば、今からお前の負担も減るだろうな、って思った俺のおもいやりだろうが!!」

「その思いやりがあったら、私だけを見る思いやりも持てるだろう!?」


白熱する議論。もはや平行線を辿るそのエクスクラメーションマークの応酬は、アキトの確固とした自我と、めんどくさいアカネの愛らしい自我が拮抗することによって起こっているものだ。この平行線を強引に捻じ曲げ、終息させようとするならば、アキトがこの場でアカネと既成事実を作るぐらいの甲斐性が必要であるため、現実的に不可能だ。

だからこそ、アキトは平行線の議論から身を引いた。そして、小さくアカネの肩を押した。


「へっ……?」


広い座席に押し倒されたアカネは、自分を押し倒したアキトに対して、一瞬前の怒りなど忘れたように頬を紅潮させ、凛々しい瞳を綻ばせながら愛らしい吐息を漏らした。


「俺が本当にその気なら、抱きしめるだけじゃすまない。お前が一番わかるだろ……。」

「ひゃ、ひゃい……」


アキトのボディランゲージ、というより、愛情表現全般におけるアカネの認識は、ツンデレのデレの密度が高い、だ。アキトを恋愛ゲームのヒロインのように捉えて属性を付与したアカネは、彼にツンデレの属性を付与した。そんな誇り高きツンデレは、アカネが称するにはデレが少ないらしい。

そんなアキトは、いざデレたときの愛情表現が凄まじく、それはアカネの姉マウントですら容易に剥がされるほどだという。つまりは、愛情表現故の痴話げんかで、犬も食わないような応酬だったわけだ。


「み、ミカミくん……その……あの……私も、抱きしめてほしい、かも、しれない……な」


そんな傍から見ればバカップルの茶番に見えた安っぽい喧嘩に、アカネはキラーパスを寄越した。これ以上何を求めるのか、と。若干面倒くさそうなアキトに、頬を染めて、しかし潤んで震える瞳を合わせて、しかし最後は羞恥に耐えきれなくなったのか視線を逸らして。

押し倒されたままの状態で、視線を逸らしたアカネが両手を広げて抱擁を要求した。


「ぁーったよ……」


それを受け入れて、アカネの豊満な胸が己の胸板にむにゅりと押し付けられるのにも構わずに、アキトはその面倒くさいの真骨頂を持ち上げて、先ほどまでの座席に座った状態へ。椅子の使い方を身体でもって教える。

それに満足そうに、というよりいじらしく頬を染めて視線を下に向けるアカネは、「こんなことじゃ……許さないんだから……」と、許すというよりも完全に陥落した表情で視線を落としていた。


と、そんなチョロいアカネのことは、この際大して問題ではないのだ。このエンテンシャーの状態を修羅場と称したのは、アカネの厄介さが原因ではない。それは、対応しなければならない案件が、問い詰めてくる叱責が二つあることが根幹にあるのだ。


「アキトさん……どうして僕を下がらせたの?」


声は、どこから放たれたものなのかを認識することすら、難しかった。いや、不可能だった。

確かに、声が存在するのだ。まだ声変わりも終わっていないであろう少年の、高い、しかしあどけなさの残る声音が。しかし、そんな声を発した声帯が、喉元が、口腔が、人体が、一切合切が、アキトの、アカネの視界の中には存在しなかった。

あるはずだ。その声に見合った、少年の姿が。十歳前後で、快活な笑みで、跳ねまわるようなはつらつとしたエネルギーを有り余らせた、健康体の姿が。

ない。

よくよく聞いてみれば、虚無から突如発生したその声も、声変わり前の高さを保っているから聞けたもので、もしこれが声変わりを終えて低い声で行われていたのなら、呪詛でもこもっているのではないかと邪推してしまうほどに混濁した声だった。

それは、およそ十歳前後の子供の披露していい声でも、姿の消し方でもない。それは明らかに、精神年齢を圧倒的に偽った、偽らざるを得なかった、どうしようもない少年の、子供の、象徴ともいえる会話だった。

名を、マリィ・ファンクランド。アタモスファータ最年少の、暗殺ギルドに家名を貰った、魔力を持たない異端の子。


「あの女の人なら、僕でも殺せた。僕、まだ力が足りないですか?」


不安そうな不安定な声が、再び虚無から生み出された。どこからともなく現れる声、その主の所在を突き詰めることがどれほど意味のないことなのか、理解して、諦めて、日常に取り込んだ。それが、この状況に大した驚きを見出さないアキトたちの末路なのだ。

アキトを慕っている風な子供の声に、確かに歪なところは見受けられる。どこか危うい雰囲気があることも確かだろう。しかし、話している内容だけを除けば、それは叱られるのを待つ子供のような純粋さを兼ねた、非常に年相応の態度だったといえよう。

もちろん、内容を加味すれば、年相応が見つからないほど物騒になるのだが。


「ごめんマリィ。あれは、完全に俺の我儘だ。俺はお前の力に何も不安なんて抱いてない。むしろ、俺が一番厄介だと思ってるリディアと戦わせようとしたんだ。信用してる。」


どこを向いて話せばいいのか。姿の見えないマリィの声に、とうにそんな疑問を放棄したアキトは既に体力の絞り尽くされた全身を休ませるように天を仰ぎながら答えた。

実際、竜伐(サルヴァトス)の実力というのはアキトとアカネの導き出した推測の域を出ない。あの三人の序列を正確に記したデータは、王城に忍ばせたスパイにも発見できなかった。

つまり、そんな状況下で、実力が確かに知れている、確かに撃破しやすいリディアにマリィをあてがえたのは、その大役に見え合う実力が確かに備わっていたかに他ならない。


「ほんとにっ!?」


そんなアキトからの心からの言葉を聞いて、所在の割れない声が、嬉しそうに跳ねた。

アキトの上で、跳ねた。

それは、十歳前後の子供だった。石灰色の髪をフードで覆い隠し、死んだような瞳で世界を俯瞰する双眸。なにより、纏う雰囲気が、幼い見た目であるのにも関わらず青年、あるいは老人のようにも思えるのだ。

もし、何の意識もせずに、この小さな体躯を視界の端に収めたら、アキトは今でも青年だと勘違いする自信がある。それは一重に、マリィという子供が纏う、老人にも劣らない人生への諦観から、子供の容姿を差し引いたときに現れる気配が青年に酷似していることから起こる、人間の思い込みのようなものだ。

だからこそ、こうしてなんの屈託もなく笑うマリィは、年相応の子供のように見えるのだ。

やっとのことでその姿を現したマリィは、アキトへの全幅の信頼からか、一切の武器を座席に投げ捨てて、心地よさそうにアキトの膝の上で体を揺らしていた。


「マリィ、思いついたらでいいんだけどさ。あのエンテンシャーに乗ってるときに、なにか感じなかったか?」


嬉しそうに、幸福感に浸っていたマリィに、アキトがダメ元で意見を問うた。

比較的魔力というものへの適性がないアキトですらも、リディアが感じたものと同じ、得体のしれない何者かの視線を、『敵意』を感じたのだ。

アキトですらも感じることができたのだ。アカネの感じたプレッシャーは相当のものだったろう。しかし、次第に消失したそれらは今ではすっかり鳴りを潜め、小さなしこりとなってアキトの心の中にだけ沈殿していた。

そんな慢心への異常ともいえる忌避が、アキトをその問いへと駆り立てた。

そんなアキトの性格を知ってか知らずか、おそらく全幅の信頼の成果か、マリィは、嬉しそうに答える。


「多分だし……魔力がない僕の言うことだから、全然信用はできないかもしれないけど……」

「いいさ。俺も似たようなもんだ。信用してる。」

「……!うんっ!」


保険、と言ってしまうとどこか意地汚いように感じてしまうが、それはアキトからの信頼を無下にしたくないというマリィの健気さがなせる業であり、卑下すらも愛らしさに昇華させる、子供にしかできない無垢な技だった。

そんな技にまんまとかかったアキトは、優しく微笑んでマリィに安心感を手渡して、その後の言葉に耳を澄ました。

マリィには、魔力がない。

なにかに確実に勝てるというもの、それがほぼ存在しないアキトが、暗殺的戦闘でアタモスファータ最強クラスに上り詰めるマリィに、唯一勝てるもの。それが、魔力の運用量だ。それほどまでに、マリィには魔力が一粒たりとも関与していない。

体内に埋め込んだ生命維持魔力製品がなければ、生まれてからたった数時間で死んでいても可笑しくなかったらしい。その数時間の賢明な治療のお陰で、マリィはこうして笑みを向けているわけだが。

そんなマリィが、顕著に感じられること。それが、害意。

暗殺という、完全なる闇の中で研ぎ澄ませた感覚で、マリィは感じ取るのだ。その『何か』の正体を。


「きっとあれは、まだ出てこない。」


魔力のないマリィが、魔力の関与しない感覚だけで語る、些か信憑性の高すぎる意見。


「まだ、隠れてる。」


隠れることこそを本懐とする暗殺者に、隠れていると称される、『何か』。

白い哄笑が、聞こえる。


next→3/11~3/12 10:00

活動報告に詳細を載せています。

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