17.【突撃のエンテンシャー】
その少年の生涯は、語ろうと画策するには些か長すぎて、知ろうとするには惨すぎて、知ってしまったからには棄てることのできないほど、どこまでも固形に近い液体だった。
★
アキトへの対抗手段としてアルサーを送り出した後、リディアはその細身の体の限りで件のフロムへと疾走した。地面を叩く靴底の感触も、頬を通り抜けていく風の冷ややかな感触も、どうしようもない奇異の視線も、全てを振り切るように、切り裂くように、リディアの進む先は、フロム。
侵攻で籠城を選んだ、頭の可笑しい敵。策略で篭絡を狙った、頭の切れる敵。
その罠に、真正面から飛び込んでいかなければならない。魔獣の口に飛び込んでいくような、無謀な指示だ。階級的にはリディアより下だったが、エンテンシャーに呑み込まれた騎士は確かにリディアより強かった。
リディアが騎士団序列に冗談でも踏み込んだのなら、彼女が最下位にすら軽く御されるのは必然。
階級でしか駒を動かしていない、マニュアル通り過ぎる対応に巻き込まれて、リディアはここまでの苦難に直面していた。
「竜伐第一聖、リディア。着任しました。」
既に起動を済ませた魔装の輝きと共に、リディアはフロムの入り口に待機する職員へと姿勢を正した。その魔力の残滓に振り向いたフロム職員は、酷く安心したように胸を撫でおろし、目の前の生贄に心からの賛美を送った。
地下に降りるための階段。フロム職員越しに見えたそれが、リディアには絞首台への階段にしか見えなかった。それほど、少女の精神は死という気配を近く感じていた。
死地に蟠る独特の気配が、ヒリヒリと、リディアの胸を焦がす。
気配に震える。しかし、それを肉体に反映させることは許されない。どれほど弱くても、どれほどそれが自分にふさわしくないと自覚していても、彼女だけはそれを背負い続けなければならない。
この震えを、現実のものとしてはいけない。
それが、仮初の英雄、リディアという少女の、宿命なのだから。
「帰巣本能は、接続されていますか?」
共に階段を進むフロム職員に、今のところ見つけることのできた不安要素を問いかけた。
帰巣本能。というより、マザーシステム。リディアの質問の帰巣本能は、基本的にマザーシステムの全般を指す言葉としても用いられる。
それを察したフロム職員は、エリートとしての性能を十分に発揮して完璧な答えを返した。
「帰巣本能は、エンテンシャー内の機巧が破壊されています。魔力指示を飛ばすことはできても、エンテンシャー自体を動かすことは完全に不可能です。」
おそらく、リディアに引き継ぐためにこのフロムにいる全員が、事細かに調べ上げられた情報をため息を吐くように容易に並べられる。それほどまでに、このエンテンシャーの攻略難易度は高い。
その要因の一つにもなっているのが、この帰巣本能の不振だろう。
フロム職員の口ぶりから、マザーシステム自体の接続はなされているのだろう。しかし、こちらからエンテンシャーを動かそうとしても、推進力生成を司る魔力製品が破壊されているため不可能。強引に帰巣本能だけを封じられた形だ。
「それ以外の防犯機巧、操縦補助、遠隔対話機巧、エバクラフトのエンテンシャーですので、それ以外にもまだ生きているマザーシステムの機巧が複数あります。」
「エンテンシャーを動かされることだけを、嫌った……?」
エバクラフトの機体である籠城されたエンテンシャー。そこに詰め込まれた機能は、言葉として並べるには多すぎる。そのため、それ以外という言葉でくくられたが、それに該当しない機巧がひとつ。
帰巣本能。
遠隔操作でエンテンシャーを操作することのできる帰巣本能だけを無効化したところを見るに、マザーシステムをつないだ状態で、かつ帰巣本能だけを無効化したかったととれる。
微かな痕跡の残滓ではあるが、アキトの嫌な思想が見え隠れしていた。
「私のための、舞台。」
このフロムにエンテンシャーを縛り付け、それ以外の機巧は停止させない。つまり、アキトのようにどんなものでも貪欲に利用しようという宣言。そして、それによって得られるのはリディアの行動を縛り付けることと、アキトの行動を俄然自由にすることのできるという宣言。
おあつらえ向き。というには些か意地の悪い、リディアのための舞台。
彼女だけの、絞首台。
もし敵がアキトの思想をモロに受け継ぎ、底に戦闘力まで付与されているのなら、このエンテンシャーに潜んでいる頑固な敵はアキトの上位互換ということになる。
所詮下位互換のアキトすら御せなかったリディアが、アキトの上位互換の少年を相手取る。
酷く陰鬱な対戦カードに、リディアは小さくため息を吐いた。
階段の終わりが見えた。
徐々にその姿を現す、絶望の巨躯。盛大に鎮座するエンテンシャーは、都合数十年、この国の移動手段を支えてきた功労者だったはずだ。決して、ここまで腫れもの扱いされて、なかったことにされるような罪人ではなかったはずだ。
このエンテンシャーだけは、リディアたちのように、罪科を背負わされる謂れはないのだ。なるはずがないのだ。
それが、今、このエンテンシャーから発せられる死臭によってなかったことにされようとしている。
ここまで築き上げてきた功績を、たった一度の殺戮に利用されただけで、貶めようとしている。
それはまるで、あの少年のようで。青年のようで。
思い出した悔恨の念に、艶やかな唇から一筋の赤い糸が引いた。
★
テーブルの上にエンテンシャーの間取りを叩きつけた男が、その部屋に詰め込まれた全員に聴こえるように声を張り上げて言った。
「これより、エンテンシャー攻略戦、作戦会議を始める!尚、現場指揮は竜伐に一任。配備戦力は魔法部隊十二名。通信指揮は、自分、ハーヴェストが行うものとする。」
作戦会議室。フロムに併設された職務用の建物に設置されている、会議室と仮眠室を兼ねた多目的室。この緊急会議室は、そんな現場も現場の中で行われていた。
作戦目標はこの会議室から数メートル先で鎮座するエンテンシャー。異様な雰囲気を放ちながら何もかもを睥睨する、魔獣の口腔。
「共有された情報は省く!各自、確認を行うように。この作戦会議では、つい先ほど見つかった懸念点の三点についてを共有し、そのうえで作戦を立てる!与えられた時間は三十分!」
王城指揮としても、単純戦力になり得る指揮官、ハーヴェストを、いつまでもこの作戦に割いている余裕はない。そもそも、この作戦自体は優先度の低いものだ。竜伐の黒竜討伐戦の功績がなければ、放置されていたであろう案件。しかし、黒竜討伐戦は確かに存在し、その功績である役職ですら、王城勤務階級には確かに記されている。
竜伐がこのエンテンシャーを攻略する可能性があるのだから、そこに多少ではあるが戦力が割かれたというわけだ。
「まず一つ、敵はどうやら一人で、魔力索敵にかからない。」
魔法部隊のエンテンシャー外からの索敵では、死体になる前、または死体になる寸前のウドガラド側の戦力しか確認できなかった。つまり、魔法部隊はエンテンシャーに内に敵は存在しないという結論を出したのだ。
それがどれだけ不可解か。魔力に愛され、その愛でもって命を繋いでいたリディアには激痛のように脳髄に焼き付き、理解せざるを得なかった。
つまり、敵は死んでいる人間。または、魔力を一切有さない人間。そんな人間が存在するだろうか?
この世界の人間というのは、等しく魔力を有して生まれてくる。というより、魔力や魔力器官を有さない人間は、生命活動に必須なそれを吸収できないため、生存すら不可能だ。
では、敵は死体か?違う。死体になるのはこちらの方だ。相手は死体の生産者。対するこちらは、それを死体と判定するほどの情報しかない。
長考は必至だった。
「二つ目は、所属不明のエンテンシャーが、このフロムを通過する可能性がある。あくまで可能性だが、もし接触の危険性があった場合は、フロムの進路変更装置で対応する予定だ。」
直接的に作戦に関わることではないため、そこまでの重要性はない。ハーヴェストも、それを理解しているのだろう。その表情に大した情報の混入はない。
「最後だ。エンテンシャー三階通路に、妙な魔力反応を観測した。先の騎士の魔法、あるいは魔装である可能性が高いが、警戒を怠らないでくれ。以上だ!」
先の騎士。その身を賭してこのエンテンシャーへと乗り込んだ騎士、エレンテシア。彼の使用した特殊魔装『ラクエウス』は、まだ彼が騎士としての経歴が短かったことから、詳細な性能が記されたデータが王城にも存在しなかった。
エンテンシャー内部の魔力反応が彼の魔装によるものだったのなら、それは先の激戦の余波だ。何ら問題はないだろう。しかし、それが未だ判明していない敵の『なにか』だった場合、それは最大の懸念事項となり得る。
「作戦の立案は、王城指揮部!参謀のウルガ氏のものだ。」
ハーヴェストのような指揮官を束ね、その情報を収束して総合的に是非を出す。いわば、今現在のウドガラドの脳のような働きをする、作戦立案本部。通称王城指揮部。その組織のほぼ全権を握るとされている、参謀。緊急時故の無理な采配によって、参謀と王直属護衛を兼任するウルガという人間が、この作戦の立案者だ。
というより、今現在中央都で行われている戦闘、あるいは対策は、そのほとんどがウルガの立案によるものだ。アキトの予想したフロムでの検問叱り、各エンテンシャーの管理叱り、彼によって、アタモスファータの盤面のウドガラドは常に最善を選択してきた。
そんな秀才の成す、エンテンシャー攻略作戦。
「検討を祈ろう。主に誓って。」
ハーヴェストのその啖呵によって、作戦会議はその本質に突入する。最善手を、模索するために。
★
エンテンシャーを前に、リディアと魔法部隊の十二名が集結していた。
リディアはもちろんのこと、魔法部隊の人間の魔力変換能力の精度には目を見張るものがある。それをサポートする魔装ですらも、役割をプラスから乗算へと退くほどに。
そんな彼らの魔装は、ほぼ全員が杖の形をとっている。起動するまではリストバンドとして手首に飾られる隠密系の魔装が半数と、そもそも魔装内部に内包した機巧が複雑すぎて小型化できなかった大型のものが半数。
もはや杖と呼んでいいのか怪しいほど巨大なものや、腕と一体化した次世代型の特殊魔装を持つ者もいる。
それこそ、魔法、魔術系の魔装にあまり重きを置かない騎士団を大きく突き放す、圧倒的な魔力変換精度の高さ。威力も規模も劣っていたとしても、騎士団の荒削りな魔力変換には出せない確かな精度が、彼ら魔法部隊を魔法部隊たらしめる本質だ。
これほど心強い味方は、リディアのこれまでの戦闘経歴の中では珍しいだろう。とりわけ、あの樹林での非力な戦友と比べると尚更。
それなのに、どうして。こんなにも、違うのだろうか。
「突入ッ!!」
余計な思考を取り払い、目の前の闘争にのみ己を奮い立たせるように、うだる脳髄を冷やすように。その殺気すら冷却材に変えて、リディアのたった数歩の距離が、死地へと進む数千里を踏破する。
もはや、その進撃に余念などない。あるべきものはただ一つ、そこにあるのは、ただ一つ。
あの少年に、ミカミ・アキトに叩きつける、糾弾と、それを覆い尽くすほどの救済。それでもって、やっとリディアはあの樹林の悲劇を終わらせることができる。
あの惨劇は、絶対に消えることはない。しかし、あの惨劇を終わらせることすらできないなんて、あの青年が、少女が、不幸すぎる。
だから、リディアは吼える。金獅子は進む。
唸る咆哮の魔力が、リディアの『プロキオン・クルーガー』の中で暴れまわる。
★
それは、有り余った静寂を切り裂くほど強かに、しかし、それに見合わぬけたたましさで警鐘を鳴らした。
その接近に、ハーヴェストも、魔法部隊の人間も、一番近い距離に存在したリディアでさえも、気づけなかった。気づくことを、許されなかった。その慢心を、誘われた。
リディアが踏み込んだエンテンシャーへと、魔法部隊の面々が進む。リディアのファーストコンタクトで、入り口付近の印象は安全の文言を示した。もはや残るのは進撃の選択肢のみ。
魔法部隊の人間が、慎重に一人。そして、二人目の足が入り口を跨いだ。
少し遡り、このエンテンシャー攻略作戦の全体的な指揮系統を統括するハーヴェストは、妙な伝達を受け取っていた。魔力分類理論によって発見された、通信伝達を可能とする魔力。それによって稼働する無線機が、緊急時の非常回線でハーヴェストに割り込んだのだ。
「こちらエンテンシャー攻略戦、フロム指揮、ハーヴェスト。要件は」
エンテンシャーへの突入に参加しない後方支援、または非戦闘人員の魔法援助により、リディア、魔法部隊総勢十二名の動向はハーヴェストの目前に置かれたパネルに魔力情報として映し出されている。
リディアが乗り込んで敵影を視認しなかったことも、魔法部隊の一人目が乗り込んだところも、しっかりと、その目で見た。自分の盤上で繰り広げられる演劇の模様と、手にしたパンフレットの正確さに、身震いすらしていた。
そんなハーヴェストに叩きつけられた緊急伝達。
魔力に乗ってやってきた若い男の声は、酷く憔悴していて、まるで煉獄に揉まれる罪人のような酷薄さを感じさせる。そのただならぬ声音を受け取りながらも、しかしハーヴェストの視線は魔力液晶を離れない。
多少の伝達機巧や書類から目を離すことはあれど、ハーヴェストだけはそのパネルから目を背けることは許されない。魔力を介した命のやり取りの中で、どれほど凄惨な殺戮が行われようと、どれほど許され難い冒涜が行われようと、彼だけはそれを見続け、そして、この国を勝利に導くという役割がある。
だからこそ、彼はそのパネルからは絶対に目を離さない。
「こちら、……仮ではありますが騎士団所属、…………エ、アニマ・アルサーと申します。」
喀血だろうか。咳き込むような、しかしそれを抑え込んでなお伝えなければと奮起する、文字通り血を吐く覚悟の言葉が、その肩書を名乗らせた。若い男は、アニマ・アルサーといった。
仮に、と前置きしたということは、騎士団が遠征に向かってからこの国に配属された新人。実力は本物だろうが、その経歴が多少短い新米騎士、といったところだろうか。しかし、そんな実力を兼ね備えた騎士が、少なからず憔悴した、推定するならば負傷している状態で連絡を寄越したということは、ただならぬことだろう。
「自分も、いつまで息が持つかわかりません……突然連絡してしまったこと、ぐっ……お許しください。」
喋ることすら苦痛。肺に取り込んだ酸素すらもどかしい、そんな生命すら侵された状態の青年が、それでも尚伝えねばならぬと、話さなければならないと身体に懇願して、その通信機を取ったのだ。偶然このフロムの通信機につながったとはいえ、それを無下にするのは戦士であるハーヴェストにはできなかった。
「問題ない。その愛国心、称賛に値する。もし可能なら、その要件を教えて貰えないだろうか。」
「感謝します。……すぅ……王城避難便のエンテンシャーは、奴ら……アラモスファータに占拠され、乗客も全員が死滅しました。」
「ッ……!そう……か。」
ハーヴェストの見つめるパネルの先、最初に乗り込んだ魔法部隊の男が、その特殊魔装でさらに奥の安全確認を行っているところだった。魔力制御の精密さにかけて、彼らの背を捉えられる人間は、この国にはいない。その実力が、ここまでの時間をかけて行った安全対策。敵の魔力を捉えられないなりに工夫を凝らした、規外魔法にすら到達しうる苦悩の結晶。
その安心感の塊である液晶映像を見ていながら、おもわずハーヴェストは握っていたペン型の魔力製品を取り落とした。
「本格的に、ウルガ氏の講じた作戦を実行するように進言しよう。貴官も、助けがくるまで持ちこたえてくれ。栄光を約束しよう。」
「……ありがとう、ございます。……健闘を…………祈ります……」
ブツリと。数ミリにも満たない魔力、それによってもたらされた繋がりが、その質量では信じられないほどの静寂で、重々しく声を切った。完全なる、安全地帯。
例え、そのエンテンシャーがアタモスファータを引き摺り出すための罠だったとしても、それが、参謀ウルガの作戦であったとしても、それに対抗したアルサーという騎士と、エンテンシャーで死んだ乗客の命の重さは計り知れない。
肺腑の中で暴れる鉛のような鼓動が、重鈍な伝達で全身を侵していく。それでも、ハーヴェストは見ることをやめない。
この作戦を、この国の勝利を、祖国への敬愛を、輝かしい栄光を、その瞳の奥で夢見ることを、やめることはない。
所詮、パネルしか見ていない身で。
★
その接近に、誰も気づけなかった。
心の奥に燻った男の影に掴まれた愚鈍な金の女も、己の見なければならない魔力にしか目がいかない落ちこぼれ達も、演劇の表面だけを見て評価を下そうなどという傲慢な観覧者も、誰も、感じることすらできなかった。
そんな愚者たちの生み出した失望の静寂を切り裂いて、ハーヴェストの放棄した警報機巧だけが、強かに警鐘を上げた。愚者たちに落胆するように、もはや希望など唾棄したように。
それなのに、警鐘の音色はけたたましく鳴り響く。そのどうしようもないギャップが、音にかき消される。
「さ……え、」
リディアの乗るエンテンシャーに、それを超える巨大なエンテンシャーが激突した。
ガラスを割ったような甲高い破壊の音と、それをかき消すほどに重苦しい振動の鼓動、かき混ぜられた不協和音は、やがて暴風と共に終息する。
正体不明のエンテンシャーが、攻略対象のエンテンシャーを拉致して、些か乱暴すぎる移動を開始した。
リディアたちが臨まなければならないエンテンシャーは、帰巣本能によって誰かに動かされることを嫌い、尚かつ、それ以外のマザーシステムの機能を殺されたくなかった。だからこそ、移動という手段を切り捨ててその特権を握りしめたのだ。
しかし、もしそれが、切り捨てられていなかったとしたら。
それが、交換条件に見せかけた、バランスの崩壊だったとしたら。それが、快進撃の演劇ではなく、仕組まれた悲劇の始まりだったとしたら。
ガリガリと、未だに拮抗するエンテンシャー同士の力量の削り合い。しかし、所詮止まっていただけのエンテンシャーが、その大きさをはるかに凌駕する他のエンテンシャーに、加速力まで持ち合わせた状態でぶつかられたのなら、結果は誰が見ても明らかだ。
破壊の旋律は終止の刻印によって封じられ、それによって呼び出された風量も衝撃波も残骸の弾丸も、全て、何もかも置き去りにして、自分勝手な律動を描き始める。
エンテンシャーがエンテンシャーを押して、叩き出して、弾きだして、強引に進む。
エンテンシャーに乗りかけていた魔法部隊の二人目は、突然の追突によって体勢を崩すも、なんとか留まって役目を全うすべくエンテンシャー内部への侵入を強行する。
フロム安全システムは、その役割を全うすべく、エンテンシャーに接近できないようにゲートを閉じた。
エンテンシャーが進入してくるときに、その経路に落下することを防ぐための安全装置。しかし、不幸なことにそれは魔法部隊の二人目の男の片足を食み、激突の勢いを受け付けても選択を覆すことはなく。
彼の下半身を上半身から引きちぎった。
「げぇ……がぉあ……!!」
灼熱の感覚、心身を焦がす喪失感、そして、バランスを崩したことによる、エンテンシャーからの落下。既に高速移動を開始したエンテンシャーから、落下。
きっと、彼は誰よりも安らかな死を迎えただろう。きっと、痛みなんて感じる間もなかったはずだ。彼の中で、痛覚が余計な気を回すより先に、この世界の法則が、慈悲深い槌を振り下ろした。
呆気なく血だまりになったそれを、正体不明のエンテンシャーの風圧が塵芥へと微分する。もはやそこに、人の面影はなかった。
同僚の死に対して硬直する程、魔法部隊の面々も落ちこぼれてはいなかったということだろうか。即座に冷静さを取り戻した魔法部隊は、リディアと共にエンテンシャーに乗り込んだ同胞に攻略作戦を任せ、その正体不明のエンテンシャーの概要を即座にハーヴェストに問う。
「作戦会議で話した、所属不明のエンテンシャーだ!だが!……おかしい、報告では、もっと小型のものだったはずだ……あそこまで巨大なエンテンシャーなど、見たことが……」
数百人の人を運んで進むエンテンシャーを、意図も容易く動かしてしまえるほどの巨大なエンテンシャー。しかも、その所属が不明と来た。もはやそこにアタモスファータの介入を予感しないほどお気楽な頭の持ち主は、その場にはいなかったらしい。
皆が正常な判断で、しかし悲観的な判断で、悔恨に、というよりも無力感に、歯噛みして、震えて、そして、悟った。
「やられた……」
自分たちは、どうしようもないほどに負けたのだ。
参謀のウルガという強大な後ろ盾をひけらかして、それに慢心して、お粗末になった足元を、これでもかというほど派手に、奇妙に、掬われた。
地面に這いつくばって、まだ痛む足を押さえて、エンテンシャー攻略作戦は、完全に失敗した。
★
と、して。
戦う意志すらない脆弱な捨て駒を、わざわざ気にかけてやれるほど、アキトが始めてリディアの受けた聖戦は甘くない。エンテンシャー攻略作戦は、完全に開始した。多少ともに戦う仲間が少ないが、かつての樹林の最弱戦線に比べれば雲泥の差だ。
ただ一人の魔法部隊の存在が、ここまで大きなものだとは、リディアも存外このエンテンシャーの、危険さとは違う不気味さに、あてられていたのかもしれない。
衝撃は、あった。
目の前で人間の身体が引きちぎられ、あまつさえひしゃげ落ちて水滴にまで分解されたのだ。無感情でいられるはずがない。表情こそなかったかもしれないが、確かにリディアの感情には余裕がなくなった。
それが、戦友の存在によって救われるのだ。僥倖どころの話ではない。
エンテンシャー攻略作戦に、綻びはなかった。
「何のつもりかしら。」
そして、なんの綻びもなく、魔法部隊の男は魔装の銃口をリディアに向けた。
腕と一体化した次世代型の特殊魔装。取り外しも簡単で、魔力伝達と変換効率が非常に高く、操作に必要とされる技量こそ高いが、内包した機巧の重さもカバーしやすいという比較的実用的な特殊魔装だ。
彼の右腕に装着された魔装は、その掌を指先まですっぽりと覆っており、機械的な滑らかなフォルムによって近未来的な様相を見せていた。その掌の中央で燻る魔力光は、近未来的な様相で、リディアを向いていた。
「ぶ、ぶき……武器を、捨てて……ひっ、ひひっ……そこにしゃがめ……早くッ!!」
あくまで冷静に問いかけたリディアに対して、対照的に男は鼻息荒く怒号を飛ばした。
冷ややかな目線が男を射抜き、熱に浮かされた視線が少女を舐る。
作戦に、綻びはなかった。言えば、その男にも、なにも綻びはなかった。彼は、普通に生きて、普通に戦って、そして、普通に後生を唱える。
「一発ヤらせろ……なぁ?いいだろ?どうせ、俺もお前も死ぬんだからさ?」
淫蕩。
均等に保たれていた趨勢が、心臓の鼓動に浮かされて、人情をどこまでも浸透させて、命を懸けて、最後の交渉に男は賭けた。
リディアという絶世の美女の魅惑の肢体に、凌辱の限りを尽くして死のうと。
恐怖というのは、どこまでも人間を本質へと近づける。例えそれが本能であれ、願望であれ、男という種族が死に瀕したとき、種を残そうと性欲に訴えかけられるのは当然の摂理で、なんの綻びもない人の性だった。
冷え切った。
よもやコキュートスかと見紛うような絶対零度の視線を湛えて、大きな双眸が男を値踏みした。
顔は、悪くはないだろう。きっと、上流階級の出だ。多少の夜遊びもしてきたはずだ。色街に繰り出していたのなら、見た目こそ悪いかもしれないが出来のいい女の享楽を叩き込まれているだろう。
きっと、優良物件だ。このまま死に絶える前に、快楽というものに塗れて死ぬことを求めるのなら、彼は絶好の相手だった。
そんな男に微笑んで、心底愛らしい笑顔で、リディアは口を開いた。
「誘い方がなってないわ。私は、自分本位なくらいが好き、だけど、貴方のそれは自分本位なだけで、誘うというより襲うだわ。」
笑顔で。
「それに、多少は震えを隠したらどうかしら。そんな小さな性根で私を誘ったなら、貴方の持っているモノも、所詮たかが知れるわ。」
可憐さを増した、満面の笑みで。
「ああ、まだ満足しなくてもいいわよ。不満はまだあるから。その表情、もっとどうにかならなかったのかしら?私が殺されるかもしれない状況で辛うじて抱かれてもいいと思った男は、もう少しマシな表情ができたわよ。」
過激さを増して、完全な敵へ。
「所詮こんな状況で肉欲に頼るなら、まだ子供みたいに暴れられた方がいい。」
最後だけは、本当の笑みで、言い切った。ゼロを刻む間もなく無表情へと舞い戻った少女の激烈な口撃に、男は腰を砕かれたようにうなだれ、肩を震わせた。
「言わせとけば……いい気になってんじゃねーぞアマ。」
もはや恐怖だとか躊躇だとか、本能を押さえつけていた機能の残骸すらも、リディアの絨毯爆撃によって爆ぜ飛んでしまったのだろう。男の顔を彩るのは、醜悪な自分本位な性欲。本当に残滓ほどしか残っていなかったとはいえ、その声を震わせるほどには存在したそれらは、もはや何も押さえつけようとはしない。
内側から零れ落ちる本懐は、時計の針のように不可逆で、蘇生不可能なほどに倫理をコケにする。
ただ一つ、汚泥のような性を、吐精という結末へと導くために。
震えたリディアの手、袖にへばりついた五指。
next→明日3/9 10:00




