14.【勇者ではないです。】
アルサーの身体の操作権を所有した。その事実と、アルサーの努力値の継承という願望は、今回に限っては完全に合致しなかった。
誰よりも魔装を巧く扱えるようにと努力してきたのはアルサーであって、才能に驕っていたソウではない。だがしかし、ソウにはそんなアルサーには絶対に手に入れることのできない才能があった。
例え磨き上げられていない原石であったとしても、それが研鑽の果てのダイヤモンドに勝てないのは世の摂理。
ならばこそ、この盤上は不利であると同時に有利。ソウ達は、悲観する必要などない。
例え磨き上げれていない原石でも、ただの石ころに負ける道理はないのだから。
けれど。今回ばかりは相手が悪かった。美しさで勝負しようとした原石は、醜さで勝負しようとした石ころに睨まれる。
結局は、勝負場の整え方。どちらが上かは、明白であった。
そんなアキトは、完全武装の臨戦態勢で、ソウに対して他の何者も参戦無用の勝負を挑む。
「エセ勇者、言いたいことはあるか?」
開戦の言葉でも、覚悟の問答でも、憎悪の雑言でもあった。
チリが積もり山となり、山が連なり陸となり、募りつのった石は固い。それこそ、ダイヤモンドにも砕けぬほどに。
「どうして……どうしてなんだい?……君は、……この世界に何の恨みがあってこんなことをする?」
悪辣で、それでいて鮮烈な口撃に、ソウはなんの物理ダメージもなしにへたり込み、すべてを諦めたようにアキトに問うた。この世界に、何の恨みがある?
ソウからしてみれば、アキトの行動はおかしいのだろう。彼の価値観では、この世界はどこまでも自分に都合がいい。
才能を手にして、一心同体の仲間がいて、そして、それによって生み出された正義感の鎧が、全ての自分を正当化してくれる。
そんな世界で、どうしてその甘美を満喫できない?その芳醇な感覚に陶酔しない?
曰く。
「どうして君は、勇者にならない?」
なりたければ、なればいい。
地図に載るほどの大国を滅ぼす大犯罪者になることと、小さな善行を纏ったエセ勇者になること。果たしてどちらが簡単なことかは、誰でもわかるはずだ。本能で、選択できるはずだ。
しかし不運なことに。アキトだけはそうではない。
その理論が当てはまるのは、勇者に足る力を持っている者だけだ。
「教えてやろうか?お前みたいな偽物の勇者の結末を。」
「……へ……?」
唐突だった。ソウの問いに答えないまま沈黙を召喚し、それを自らで切り裂いて、アキトの枯れた声が嘲笑に震えた。混入した異物、感傷が、震えた。
「全部きっと、たまたまなんだ。思えば、誰でも自分を勇者だと正当化できる。」
過去にどれほど悪行を成していても、どうしようもない欠陥を抱えていても、人間というのは、この世界を主観でしか捉えられない。だからこそ、この世界には過ちという言葉が生まれるし、正解という不可解が我が物顔で人を殺す。
そうして、そんな主観で人は誰もが自分を勇者だと思う。自分の行動の全てにそれらしい理由をつけて、正当化する。
「それで手に入れた薄っぺらい正義感で、この世界を生き抜いてみろ。どこかで、どうしようもない自分との齟齬が生まれる。」
自分の感情ではない。それは、自分だと思いたくない自分を覆い隠すための変装だ。その変装が、自分のものであるはずがない。
見られたくないものを隠すために、どこかから掻っ攫ってきたベールだ。そのベールは自分のものでは決してないのだ。では、そんなベールに命を懸けることができるか。何かを撃ち捨てることができるか。
無理だ。
そして、それを無理だと理解したとき、アキトの云う『齟齬』が、精神を蝕み始める。
今、この瞬間の、ソウのように。
「たとえば、森の中で女の子を救ったとする。たとえば、街の中で女の子を救ったとする。たとえば、牢獄の中で女の子を救ったとする。」
「それの……なにが悪い……?」
「悪くないんだよ。」
アキトの云うあり得るはずのない経験談に、ソウが疑問を挟んだ。
アキトの云うあり得ないはずの経験談。それは、誰が見てもハッピーエンド。誰のものでもない物語。悪いところなんて、何もない。誰もが望んだ、ハッピーエンド。
満足できないのはきっと。
「当事者だけ。」
掠れた自嘲の含み笑いには、余裕すらあった。
「え?」
「当事者だけなんだ。その救済に、後ろめたさを感じるのは。」
当事者だけ。
新緑の景色が、灰色の景色が、漆黒の景色が。
アキトの脳裏で暴れ出す。曇天の現実を、侵食する。
「救われたやつも、それを見てたやつも、それを祝福するやつも。誰もがそれを正しいという。ハッピーエンドだという。お前は立派だ。その精神は、誰に穢されることもあってはいけない。そんな仰々しい言葉で、大したことない少年をもてはやすんだ。そして、それを見て誰もが気持ちよくなる。」
救ったはずが、救おうとしたはずが、その事実が、その結果が、その称賛が、なによりも当事者の心を殴りつける。お前のその心を大事にしろ、と。まるで、自分という人間の何もかもを知り尽くしたかのように知ったかぶった奴らが、声高に評価という名の呪いをかけるのだ。
それは、正義感でも高潔な精神でもなんでもない。ただの、取り繕ったポーズであるのに。
「クソだ。」
右足の裏に仕込んだナイフが、ドスッ、とソウの右肩に突き立てられる。ただの蹴りの痛みではない異常に、ソウは反応することすらできなかった。
心の中で未だに呼応する空白と、それ以上にわだかまる焦燥感が、痛みすら消して見せた。
「なんの計算もなしに人を救うなんてこと、ある筈がねえだろうが。打算無しで命張れるほど、俺ができた人間じゃないって、わかるだろう?そういう気持ちを、言いたくても言い出せない。そういう齟齬が、いつまでも自分の首を絞めるんだ。」
持って生まれた正義感。望んで培った倫理観。そのうえで、救済という行為に意味を見出すのなら、そこには重厚な理由が生まれる。しかし、薄っぺらい正義感というものには、それがない。
クソみたいな生活で、クソみたいな人間が、クソみたいな世界から突然現れて、突然聖人君子になるなど、どこまで都合のいい頭をしているのか。
人は打算で命を張って、算段で態度を変えて、演算で表情を作り出す。
そうして、いつまでも呪いがつき纏う。
皆に認められているのは、自分ではなく、自分が見られたくないものを隠すために奪い取った何かだ。決して、自分ではない。
それが、どうしようもない『齟齬』となって『自分』を襲う。
「そんな苦悩に苛まれない奴だけが、勇者になれる。勇者を名乗る資格がある。」
引き抜いたナイフを靴の下で地面と挟み、自傷する。
「なあ、ブレイバー。お前は、勇者か?」
たとえ嘘だとしても、勇者を名乗れ。そうすれば、楽になれる。どうしてそうしない?
それが、ソウの語る異世界の生存戦術だったのだ。ならば、アキトはそこに己の正義を重ねよう。自分なりの生存戦術を重ねよう。
そのアキトの考えを脳髄に注入された後で、彼の問いかけはソウに鉛のように重く感じられるだろう。
もう一度、問う。
お前はそれでも、勇者を名乗りたいと思うか?
自分を殺してまでも、知りもしないブレイバーとして生きたいか?
アキトの中で、どうしようもない憧れの後ろ姿が、金に燻っていた。
★
見たくないものを見なくてはいけない。
それが強制的なものであれ自主的なものであれ、その事象に遭遇する人間としない人間の差は顕著だ。
見たくないものを、認識しているか、していないか。
見たくはないものを認識していなければ、それは文字通り見たくないものではない。見れるものだ。それほどに心を殺しているだとか、それほどに世界に興味がないだとか。原因はあれど、メリットはあまりない。
対称に、見たくないものを認識して、それに対して絶対的な意識を持っている者というのは、瞼を閉じるという選択肢を持っているのだ。瞼を閉じて、思考してしまって。どうしようもなくなった時、それを無に帰そうと考えてしまうのだ。
「うるさァい!!『パラケル』ッ!!」
流転する。静寂と停滞に甘えていた緩慢な台本が、ビリビリに引き裂かれて加速する。状況は、加速する。
魔力の尻を叩くためだけに鍛え上げられた見事な詠唱発声器官。それは、順調に振動を体中に浸透させていき、やがてバッ、と突き出したソウの右腕から風刃の斬撃となって解き放たれる。
風属性初級魔術『パラケル』。
風属性の魔術は、結合状態のときの魔力同士が極めて離れている。そのため、瞬時に発動するには精度の低い魔術にならざるを得ない。それこそ、自分すら傷つけてしまうほどの。
そんなリスクを限りなく低くするために、ソウは敢えて初級魔術を選んだ。きっと、そこにエンテンシャーへの気遣いなどない。
空気の爆ぜる音。まさに鎌鼬の一撃。強引に暴風を斬撃にまで昇華しているのだ。その破壊力は量りしれない。
そんな超速の一撃をすんでのところで回避。アキトの鼻先を掠めるように飛んだ斬撃は、小さな魔力光をまき散らしながら魔力に溶けた。
「ッ!」
このまま魔術をばら撒かれれば、例えアキトの攻撃拒否でもしのぎ切れない。そもそも、魔装を扱うに値しないアキトは、魔装の使用に相応の負荷を要する。そこに発動に必要な魔力も合わせれば、使用回数が残り少ないというのは当然のことだった。
だが、そこで出し惜しみしても待っているのはバラバラの自分の死体。
結局、アキトの取れる選択肢は、大多数が敗走、逃走、回避なのだ。掴み取った逃走の先。それこそ、エンテンシャー。
このままソウが魔術を乱射しても、躊躇って撃たなくなったとしても、アキトへの直接被害を最小限に抑えられる最善の逃走先だ。そして、そんなアキトの考えも露知らず、ソウは怖気づいて魔力の装填をやめた。
このままエンテンシャーに魔術を叩き込めば、ソウまでもが勇者から魔王側の立ち位置になってしまう。勇者という都合のいい場所から引き摺り下ろされてしまう。
アキトから突き刺された思想が、なによりアキトの命を救った。
「くそっ!」
室内戦闘には、ソウにも大きなリスクがある。
そもそも魔術の使いどころが難しくなるうえに、アルサーの制御なしでは過破壊をま逃れず、おちおち発動すらできない。その隙を突かれて喉元を掻き切られれば、ソウとて命の存続に自信はない。
歯噛みして抜いたのは、必殺の魔装『クー・タ・グラス』。アルサー専用にカスタマイズされたそれを、ソウが強引に使うのは魔装衛生的に圧倒的によろしくはないのだが、それ以外に室内戦闘に使えそうな手札がないのでは仕方がない。引き抜いた剣を使い慣れていない様子で握りしめ、エンテンシャーのひしゃげた穴を睥睨した。
自分のぶちあけた。というより、自分によってぶちあけられた感慨深いものだが、そこに瞑想を捧げられるほど心の余裕は有り余っていない。大した安全マージンも取らずに、ソウは何の躊躇いもなくエンテンシャーに乗り込んだ。
「え」
容赦なく首を狙ったナイフ。それがやけにゆっくり見えた。
「がっ……!『テラ』!!」
土属性初級魔術『テラ』。
微かなタイムラグと共に現出した小さな土塊が、ナイフの刃を防ぎ、殺傷能力を殺した状態でソウの首に叩きつけられる。崩壊した土塊。しかし、ソウに一切の傷はない。
「お前っ!」
なんて、卑怯な。そう告げようとしたソウを遮るように、アキトの第二の刃が直上から両手の膂力を合わせて落ちてくる。
アルサーの鍛えてきた身体能力。その扱い方こそ心得ていないが、素人が使ったとしても抜群の能力を引き出せるような訓練を、アルサーはしていた。ソウの動きは人間には不可能なほどに俊敏で、即座にアキトの刃の斬撃圏内から離脱。狭い廊下でアキトから距離をとり、反撃の姿勢を固め、既に居ないアキトを視線が切った。
「なっ!?」
アキトという人間は、自分の攻撃が露見した状態で二撃目を決められるなどという甘い考えを持ち合わせてはいないのだ。むしろ、完全なる不意打ちである初撃でさえ、アキトは決まると思っていなかった。そんな彼が、おとなしく続きの一撃を放つはずがないのだ。
ソウに不意打ちが決まらなかった時点で、既にアキトの作戦の一つは破綻して乗り捨てられた。
「どこに……!」
ドタドタと走り回る音。そこかしこから聞こえてくるその足音は、きっと乗客たちが恐怖に我慢できなくなった音だろう。その中から、アキトの足音だけを聞き分けるなど、超聴力をもってしても不可能。
ならば、才能に全力で頼るしかない。二度目の産声を上げた瞬間に、この世界に生まれ落ちた瞬間に、ソウは自覚した。その才覚は、間違いなく最強に至れると。
それほどまでの全能感を解き放つ才能に、自分の意志すら捧げて問いかける。脳内の自分ではない演算機械に、土下座で頼み込んだ。
回転音、駆動音。
ミカミ・アキトは、どうして二撃目に両手で攻撃できた?
「片手には、量産魔術杖を持ってたはずなのに。」
ほとんど無意識に、エンテンシャーの防犯機巧のスイッチからの射線を障害物で切った。
刹那。エネルギーの塊が炸裂して、引き伸ばされて、純粋な破壊力となった魔力の弾丸が、かつてのソウの座標を木っ端微塵に蹂躙した。
「エンテンシャーの防犯機巧を動かすスイッチには、押すと魔力を流して機巧を発動させるプログラムが組んである。だけど、今このエンテンシャーの機巧は死んでいる。そこに量産魔術杖を接続して、即席の罠にする。」
アカネの卓越した魔装工学を、ほんの少しかじったアキトだからこそできた、刹那の業だ。
量産魔装というのは、エバクラフトのブランド以外に製造することが禁止されている。戦争への距離をできるだけ長くしようという目的のために講じられている策だが、アキトはそれすらも逆手に取った。
フロム職員から奪い取った量産魔術杖は、フロム職員に支給される量産魔装。つまり、エバクラフト製。
そして、このエンテンシャーもまた、エバクラフトの車両だ。
機巧を接続する規格は、互いに合致する。
エンテンシャーの防犯機巧を発動するボタン。そこから生まれる魔力の行き先を、アキトの奪い取った量産魔術杖にする。そして、アキトは物陰から瓦礫か何かを投擲してボタンを押せば、居場所を悟られることのない、完全に不意を突ける極上の罠となる。
「どこまで卑怯なことを……!」
瞬時にそれをやってのけたことに驚きこそすれ、結局そこに残るのは憤慨。
正々堂々戦えだとか、そんな義憤じゃない。ただ、このストレス過多の状況を早くどうにかしたいという苛立ちからくる、ただの八つ当たりのようなものだ。
エンテンシャーの外壁の存在を徐々に無き物としていくアキトたちの所業にすら目がいかなくなったところで、やっとのことでソウは気づいた。
「動いた!?」
エンテンシャーが、確かに動いたのだ。
紛れもなくアキトたちが止めたはずのエンテンシャーが、紛れもないアカネという味方の姿が見えない状態で、動き始めたのだ。
キュルキュルと、超加速する機巧の連鎖が、エンテンシャーのマザーシステムの再接続を告げる。
浮遊感。魔力によって最小化されたそれも、人間の五感を欺くまでには至らない。外の景色を視認していないソウであっても、エンテンシャーが元来た道を戻っていると感じ取ることができた。
「戻っている……そうか、操縦室!」
エンテンシャーが確固とした動きで後退している。それは、紛れもない事実。
フロム職員が勝手に移動させたという可能性もなくはなかったが、なんのアナウンスもなくエンテンシャーが動いている時点でその可能性は限りなく低い。
同時に、既に操縦室は占拠されていると考えられる。そして、このエンテンシャーの後退。アキトは、操縦室にいる。
アルサーの鍛え上げた健脚は、地面でわだかまっていた塵芥を霧散させながらソウを弾き出し、その手を徐々に操縦室へと近づける。破壊によって生み出された障害物が多い故、最高速で走ることはできないが、一般人には到底到達できない速度で操縦室を探す。
やっとのことで見つけた操縦室。
扉は目前。いるのはわかっている。真っ白な扉をスライドさせて、殴りこむ。
「は……ぁ……?」
居ない。誰一人として、操縦室にはいない。
誰の操作もなく、エンテンシャーはひとりでに動いていた。まるで、ここにはいない誰かに操作されているかのように。
「どうして、……彼が、操作していたわけじゃないのか?」
その時、耄碌したソウの脳髄の中で、史上最上級の演算機が、叱責するように結果を吐いた。
エンテンシャーが操縦者なしで動く方法。現在の状況。このエンテンシャーシステムの核。導き出される結論は。
「帰巣本能ッ!?」
エンテンシャーがフロムにあるマザーシステムの子機に接続されているときに限り使用することのできる、緊急帰還プログラムだ。通常、なにかしらのトラブルでエンテンシャーが停止した場合や、内部の状況で停止した場合に使用されるもの。
先ほど、ソウはこのエンテンシャーがマザーシステムに接続される音を聞いた。アルサーの聴力でも入ってくる情報を、ソウの脳内の演算機がこれ以上ないほど明確に決定を下したのだから、間違いであるはずがない。
しかし、ソウはそんな貴重な情報を見逃し、アキトがこのエンテンシャーを操縦するために操縦室にいると誤解した。誤解、させられた。これほど逼迫した状況の中で、突然エンテンシャーが動き始めれば、誰かが操縦したのではと考えるのはごく普通のことだ。
一度接続を遮断したエンテンシャーが、再びマザーシステムとの交信を所望した。なにかがあったと考え、フロムは声を寄こすだろう。しかし、エンテンシャー側から帰るのは沈黙のみ。
帰巣本能を起動して、エンテンシャーをフロムに帰還させる。それは、人の弱さに付け込んだ、当然の帰結だった。そうして、エンテンシャーは移動を開始した。
まさか、それが自動操縦プログラムを巧く利用したミスリードだと、誰が気付けるだろうか。
そして、そんな盲点を掴み取り、抉り出し、慎重に慎重を期して、尚それでも異常といえるほどの安全マージンを張り巡らせて、やっとのことでアキトはナイフを突き刺す。
盲点に、刃を差し込む。
「僕をここにおびき寄せて、時間を稼いだ……?なにがしたいんだ?」
しかし、そんなアキトの策略に思い当たったところで、彼の思い描くプロットが見えない。アキトは、どこを伏線に、どんな結末に連れて行こうとしているのか。
「まさか!?」
わざわざ魔力導線の接続までして罠を張り、自分の居場所を隠した。それが操縦室に向かってマザーシステムを接続するためだったというのは理解できる。しかし、そこから操縦室を抜け出してどこに向かったのかがわからない。
あのまま正面戦闘に持ち込まれた場合、アキトの敗北は明白。それに気づいた故の逃走かとも思ったが、誰よりもソウはわかる。同郷の人間だからこそ、わかってしまう。
日本人というのは、なにかと人の心を透かす。心を読むように、警戒を溶かすように、気配を逃がすように。
自我を、絡めとるように。
「人質……?」
操縦室から乗客たちの乗る客席まではほぼ一直線。脳内の演算機が一切の反応を示さないことに懸念を抱きながらも、自分の持ち前の直感を信じて駆ける。初めの一歩で踏みしめた地面は、続きの二歩目で遥か彼方へ、最後の三歩目、突き破るは、客室扉。
空気の弾ける音と、扉の爆砕する音に、どうしようもなくなった乗客たちがソウを見た。
「落ち着いて!……落ち着いて聞いてくれ、……この車両には、ウドガラドを襲撃した犯罪者が乗ってる!だからっ!」
サク、と。柔らかなチョコレートにナイフを差し込むように。バターにヘラを滑らせるように。クリームに柔らかな空気を送り込むように。ソウの右肩に、円盤型の殺傷魔装がめり込んだ。
「え」
生の鮮血が、チョコレートのようにどす黒い血液が、白い騎士服を汚していた。
★
ミカミ・アキトがソウを遠ざけてしたかったこと。
人質を取りたかったのではないか?そんなソウの考えも、悪くはない考えだったろう。しかし、人の命が人に握られているという状況にどうしようもないトラウマを持っているアキトが、それを出来るはずがない。
意地は悪いが、ソウの知りえるはずのない情報で、アキトは自身の張り巡らせた蜘蛛の糸に、獲物をひっかけることができた。
考えてもみれば、ヒントはそれだけではなかった。人質をとるために、あそこまで大掛かりな仕掛けが必要だろうか?最悪、量産魔術杖の罠が発動した時点で客席に向かい、誰か人質を見繕えば、わざわざ操縦室に行く手間もかからなかったのではなかろうか。
その時点で、アキトが人質を取りたかったという仮説は愚論だったと、完膚なきまでに証明することができる。ソウの脳内演算機が反応しないわけである。
彼の脳内の演算機は、そんな素人の欺瞞に反応してやれるほど不出来ではないのだ。
話は戻るが、アキトのしたかったこと。
これは、基本的に三つの条件が揃わないと達成できないものだった。
一つ目は、ソウが操縦室に向かい、戻ってくるまでの時間を稼ぐこと。
二つ目は、ソウに対してアキトの声が聞こえないこと。
三つ目は、ソウが、客席に存在しないこと。
そして、この三つを完全に満たすことができる方法を、アキトは一つしか思いつかなかった。考えれば、もっと力があれば、ここまで大掛かりなことはしなくてもよかった。しかし、アキトには力がない。
だから、力とは何か、考える。
力とは、確固たるもの。確固たるものだと示すための、絶対の手段。
それが、速さであれ、重さであれ、膂力であれ、等しくそれは自分の目前に広がる障害という名の壁を解体する、一発の爆弾。
で、あるならば。ミカミ・アキトの思う力の一つに、『数』というものがある。
たとえどんな一騎当千の騎士であっても、一万の軍力には勝てない。たとえどんなに強くても、数多の弱いには勝つことができない。
「弱いって、アドバンテージにもなるんだな?」
客席を背にしたアキトは、その凄絶な笑みを肩越しにソウに向け、決して油断を感じさせぬ身のこなしで操縦室へと進む。脅威はない。障害もない。
救いようがない。
★
自分の身体に沈んでいく、円盤。鋭利な円盤の回転力は、容易に骨肉を断ち、内臓に挨拶をして血液を排した。まるで滝のように流れ落ちる血液と、滝のように浴びせられる視線。そのもとに晒されたソウには、忍耐力だとか精神力だとか、そういう類の力が求められる。最早それは、修行のようなものだった。
唯一、そんな縛りから逸脱した殺傷力だけが、ソウの全てを現実へと回帰させた。
「ああ、そういう……ああ、なるほどね……はは」
乾いた笑みが、喀血と共に床を汚した。
乗客たちは皆、敵を確かに捉えていた。
ウドガラドを襲った犯罪集団。アタモスファータ。そのリーダーであり、スパイである男、アニマ・アルサーという敵を、確かに捉えていた。
「放て『ヴァルテクス』。」
風属性上級魔術『ヴァルテクス』。
風刃の軌跡は、その内包された風圧によって透かした向こう側の景色を歪ませ、他人行儀な危機感をソウに抱かせた。そして、順調にソウの腕を切り刻み、抉り取った。
力を開放した風の刃は、内包した物量の限りでソウの右腕を喰らい、血液も血管も、組織液の一滴までも自分たちのものだと、痛覚へと言い聞かせる。
まるでチェーンソーにぶった切られたような凄惨な傷口は、その脅威を徐々に広げていき、アルサーの右腕を千切る寸前にまでもっていった。
「僕が、…………敵だったのか。」
そんな惨状を成したのは、何の変哲もない、一般人だった。
騎士として戦うでも、国軍として命を散らすのでも、参謀として力を預かるでもなく、こうしていの一番に安全圏へと逃れようとする、ただの一般人。
そんな彼らが、魔術を撃ったのだ。あろうことか、自分たちを守るために駆けてきた騎士に向かって。
それは、考えてみれば簡単なことだった。ソウが客席に突入したとき。彼らの冷めた目は悠然と語っていたではないか。
「死ね、反逆者。『ウェルネス』」
風属性中級魔術『ウェルネス』。
がたいのいい男の詠唱によって顕現した風の螺旋は、鍛え上げられた腕に絡みつき、霧散する。否、吸収される。毛穴から侵入した中級魔術。普通ならば内側から爆ぜたとて不思議ではない所業。しかし、風属性の魔術に至ってはその限りではない。
魔力操作に長けた者ならば、生み出した魔術を取り込むことすら可能だ。
そして、そんな拳がどこに行くのかと問われれば。
騎士の顔面に激突した拳から、波動が漏れた。収まらない。止められない。とめどない。
風圧が、暴風が、衝撃が、殴打の域を超えた絶対的な力となって解き放たれる。ソウが、吹き飛んだ。
客席の扉をさらに破壊して吹き飛んだソウ。彼ならば、今の未熟な一撃にカウンターを決めることなど容易かった。しかし、彼にはそれができなかった。
正義というのは、こんなところでのしかかってくる。
彼の語った正義が、どうしようもなく世間一般の正義に近すぎたせいで。世間一般の思想に汚されすぎたせいで、薄っぺらかったせいで、彼は決断できないのだ。
本来守らなければいけない彼らを、今だけは自分に危害を加える彼らを、己の正義に虚空の刃を突き立てる彼らを、『敵』だと。殺さなければならないと、決断できないのだ。
「くっそ……くそ……無理だ。レベルが、違うだろぉがよぉ……」
才能があった。
どんな魔術も規格外の力で呼び出すことができて、脳内に埋め込まれた演算機は、情報さえ与えればどんな答えも返してくれる。与えられた身体を上手く動かすための反射神経も、処理速度もあった。
貰った才能が、あった。
けれど、そんな才能が、ただの青年に、何の力もない青年によって退けられた。
あの瞬間。アルサーと分断され、アキトがソウとその莫大な才能と戦うことになったとき、彼はここまで計算していたのだろうか。
ソウが自分の正義を否定されるのを恐れたことを。そのせいで、正義を貫こうと躍起になってしまうことを。そこに付け込むように、エンテンシャーに乗っていた一般人を味方につけることも。
あの時、あの瞬間。彼の放ったエセ勇者という言葉から、始まった。
「力が、……欲しい。」
エンガン・ソウは、初めて力を渇望した。
これまで、力なんていらなかった。既に、持っていたから。
けれど、今は違う。そんな力に頼ってもどうしようもない相手に、出会ってしまった。レベルが、格が、勝負している次元が違う相手に、出会ってしまった。
そんな時、人は一概に同じ行動をとるだろう。
誰に言われるわけでもなく、誰に言うわけでもなく。お願いだ。頼むから。そんな嘆願の果て、そんな嘆願すら尽き果てた先で、最早纏うことのできるベールのなくなった時。
荒削りの、武骨で、無作法な言葉で云う。
「力を、くれ……彼を、倒せるくらい。彼に届くくらいの。」
視界の奥で乗客たちの目が見えた。
「僕にッ!力を寄越せ!!」
初めての言葉。初めての感情。知らない感情、いらないと思った感情、みじめで、二度と味わいたくない、胸糞の悪い感情。
無力感。
だからこそ、ソウの想いはなによりも輝くのだ。
アキトに届くくらい。アキトを倒せるくらい。自分を変えてくれる、助けてくれる。ほどの力。
もっと高くに届く、力。
「勇者に、届くくらいの……!」
エンガン・ソウの覚醒。




