9.【絶対手】
ウドガラドの最前線。最興の都、中央都は、地獄の様相を呈していた。
エンテンシャーのジャックから始まり、各地で始まった虐殺は、既に滝のような量の血液を街に解き放ち、その美しい煉瓦細工を真紅に塗らす。
ペンキの入ったバケツをぶちまけたように赤に塗れる街並みの中、中央都の中央で、暴虐の限りを尽くした彼らは、己の戦果を報告し合いながら談笑に興じていた。
エンテンシャーで未だに張り込む、アタモスファータ最年少の少年と、未だに街中を闊歩しているアタモスファータの単細胞カルバラを除いて、全ての人員がそこに集結していた。
中央都を引っ掻き回して混乱の渦に叩き落としたとはいえ、その混濁も一過性。いつかは国が情報の収束にあたり、アタモスファータに対応してくるだろう。ならば、その時間を与えない。それが、アタモスファータが勝つためのスピード戦術。休む暇を与えない、完全に自分勝手な自慰行為。
しかし、勝利は俄然近くなる。
騎士団の遠征の影響で、国の戦力は大きくダウンしている。エンテンシャーのジャックで、アタモスファータが国際的なラインをジャックしている可能性をちらつかせたため、そう簡単に外部からのエンテンシャーを受け入れることもない。つまり、騎士団が入国できるようになるのは、少なくとも数日経ってから。
圧倒的な有利は、アタモスファータにあった。
唯一の懸念があるとすれば。
「罪なき国民に無残に刃を振りかざし、あまつさえその命を啜る。その蛮行、人類史に刻まれる恥と知れ!」
瓦礫の山の上。なかなかの高さと広さを兼ね備える一種の丘のようなもの。その上で集結したアタモスファータ。その存在感は、相当なものだっただろう。
その口ぶりからするに、アタモスファータの虐殺についても、それを成し得る戦闘力に関しても、その声は熟知している。それなのにも拘わらず、その声からは怯えというものが感じれない。
むしろ、義憤に怒る糾弾は、威圧感すら感じるほどだ。
では、そんな声はどうしてそこまでの行動ができるのか。
死にたがりの号哭か、はたまた偽善の勘違い、空気の分からぬ愚者の所業か。アタモスファータの中で、誰が処理を行うのかという弛緩した空気が流れ始める中、されど彼女は引くことがない。
腰に下げた美麗な剣と、整った顔立ちに桃色の髪。異世界の奇抜な髪色の人々の中でも一際目を引く桃色は、天から降り注ぐ輝きに煌めいて神々しさすら感じさせる。
主戦力である三人は、ハーリバー以外が帰還していない。その強さに絶対的な信頼を置いている彼らは、それが敗北によるものでないことを確信している。だからこそ、圧倒的有利に対して一切の懸念を削ぎ落とすことができる。
だが、彼らの中には、この世界で一番と言っていいほどに慢心を嫌い、油断に嫌われている男がいる。
その男は、黒い髪をしていた。
十人十色と言えば聞こえはいいが、雑多な髪色で彩られる人間達とは違い、地味で取り柄のない、目立たないものだった。しかし、その黒は雑多の中でよく映える。たった一目見ただけで、個人を特定する手段に成り得るほどに。
「あれが竜伐だ。警戒を解くな。」
己の魔装に手をかけ、吶喊の第一歩を刻んだアタモスファータの面々に、背後からか細い声が突き刺さる。それに首根っこを掴まれ、一切の行動を封じられた彼らは、警戒の指示に一瞬の逡巡を挟み、再び桃色の少女を見た。
眼光は鋭く、肢体はしなやかに。
対照的な要素が奇跡的な調和を生み出す、美しい少女。しかし、その瞳には些かバランスの取れていないほど大きな殺意の波動。その天秤の反対側には、きっと並外れた愛国心がふんぞり返っている。
彼女への脅威度を一新したところで、桃色の少女の背後に二つの影が降り立った。
まるで見えない床を蹴るかのようにして到着したその影も、きっと竜伐の戦乙女たちであろう。そして、それが三人揃ったということは。
「竜伐大集結、作戦通りだ。」
主戦力で三か所の同時攻撃。その隙間に張り巡らせるようにその他の人員が小さいながらも暴虐を解き放った。つまり、中央都は現在進行形で混乱状態。パニックの最中にある。
黒竜を下した少女たちは、パニックからの脱出の方法を誰よりも心得ている。誰よりも、刻まれてしまっている。
そう、根源の切除だ。
つまり、中央都に充満したパニックを収拾させるには、そのパニックを生み出し続ける根源、アタモスファータの切除が必須となってくる。それは、黒竜討伐を経た彼女たちにしてみれば当然の帰結であり、そうすることでしかその大決戦の意味を肯定することはできないのだ。
そんな心理を逆手にとって、アタモスファータの参謀はかき集められるだけの襲撃軍をこの中央都の中心に集結。
根源の切除を目的とするウドガラドの主戦力の一角、竜伐を引き摺り出すことに成功したのだ。
そう、この談笑の場は、決して油断から生まれた作戦の綻びでも、作戦の中に生まれた無意味な空白でもない。その場こそ、この国に残った最終懸念の一つ、竜伐へと講じる、アタモスファータ最初の賭け。
「やっと集まったな鈍間。お前らの怠慢が国民を殺した。それを正当化するなよ。」
侮蔑の表情をフードで覆い隠し、喉元に刻まれた凄惨な傷跡を撫でる。その声は、枯れていても、どこか聞き流すことのできない。掻き消すことのできない力を感じる。
それは、音量的な問題でも、音の性質的な話でもない。それは、間違いなく。
その声に内包された感情が、感情という言葉の枠を乗り越えるほどの執念を持っていたからだ。
感情を飛び越えて、覚悟を塗り替えて、それは、正義となる。
「俺の名前はミカミ・アキト。」
バサリ、と。黒髪がはためき、フードがたなびく。
淀んだ瞳。まるで泥濘のように濁り、憎しみに、悲しみに、後悔に煮詰められた感情たちは、その各々の色を真っ黒に染め上げられて、唯の一つ、たった一つの正義に変換される。
復讐。それは、なにより救い難く、なにより虚しい。しかし、なによりも否定することの難しい、難儀な正義。
誰にも、止めさせない。
感情も、覚悟も、正義すら飛び越えて、愉悦の表情で、その下に何かを埋葬して、ミカミ・アキトは言い切った。
「アタモスファータの殿、俺は、お前たちの敵だ!」
その言葉を、アキトはどこに向けて叫んだのだろう。
自分自身に向けてか。それとも、仲間への鼓舞だったか。はたまた、ここまで自分を支えてくれた、半身にも等しい彼女へ向けてか。
今、誰よりも苦渋の表情を噛み締める、リディアに向けてか。
「君は、弱い。君は、本当に弱いわ……!」
金麗の表情は、どんな感情を孕んでいたのだろうか。
アキトを救うことができなかったことへの悔恨。または、彼が弱かったことが何も間違いではなかったという運命への慟哭か。
間違いないのは、クールビューティー、ポーカーフェイスを貫き通すほどに無表情に定評のあるリディアが、これまでにないほど、同僚の竜伐ですら見たことのないほどに顔をしかめ、自責に心を歪めているということ。
それが、国崩しと同じか、それ以上に特異な事例だということ。
なにより、それほどまでに、リディアがアキトのことを想っていたということ。
視線が交差する。
挑発的な、それでいて、自虐的な、そんなか弱いアキトの眼差しと、悔恨に打たれ、堪えがたい激情を、その金麗の瞳に押しとどめるリディアの視線。
黒と金の乱舞が、きっと数えられないほどに行われてきた乱舞が、数えられないほどに行われることを夢見る乱舞が、今だけは、この空間を二人だけのものにする。
きっとその刹那は、リディアの、アキトの人生の中で、絶対的に深く刻まれたものになっただろう。
その最弱は、金麗との対立を経て、尚、力を求める。
★
竜伐を一堂に会した始まりの決戦。それは、竜伐を一度集めるという危険性を孕みながらも、成功すればその後の作戦を比較的優位に進めることのできる賭けだった。その上、アキトの予測だけで言えば、成功率はほぼ百%。どんなイレギュラーが起こったとしても、こちらが有利になることには変わりない、完璧に近い作戦だ。
内容は単純。戦力の分散だ。
遠征にて不在の騎士団に代わって、竜伐たちは国の警護を司っている。主戦力の人数は三人。些か少ないが、アタモスファータの特異性を考えれば仕方のないことだろう。
そして、それに対抗し得るほどの主戦力が、アカネを抜きにしてアタモスファータには三人。
本当に簡単な話。アキトは、敵すらも操って、ウドガラド主戦力対アタモスファータ主戦力、一種のタイマンの場を用意しようというのだ。
アキトたちアタモスファータの最終目標は、ウドガラドの所有する月界と成り得る顕現魔法。それを手に入れるためには、王城への侵入は必須課題だ。
そして、竜伐はもちろんそれを拒んでくるだろう。アカネの存在のお陰で、それに勝てる可能性はあるが、お荷物を一人背負った状態で竜伐を相手することには変わりない。
最大の懸念要素のために、アカネの力は温存しておきたいというのが、アタモスファータの総意だ。
だからこそ、戦力の分散。竜伐の分断。
王城付近には、騎士団寮、国軍兵舎、王城勤務者寮など、戦力が固まっている。そこを竜伐を相手取りながら突破することは至難の業。そこで、アキトは王城を基準とした戦力分散作戦を考え出した。
王城があるのは中央都の南部。つまり、南部の王城からできるだけ戦力を遠ざけたいというのがアタモスファータの本音だ。そこで、アキトは竜伐の戦闘力の高さを、ヴィエラ、リディア、アミリスタの順であると仮定し、強い人間をできるだけ王城から遠ざけて戦わせるように指示を出した。つまりは、ヴィエラを王城から一番遠く、アミリスタを王城に一番近くということだ。そうすることで、不測の事態への対応も、もしもの敗北も、一番いい状態で受けられる。
ここからアタモスファータは一斉散開。竜伐を引き連れて王城の警備を手薄にする。
ヴィエラにあてがわれた相手は、カルバラ・グリフィルト。アタモスファータの人員の中で、アカネに次いで高い戦闘力を持つ巨漢だ。未だに彼が暴れているのは、中央都の北部。
つまり、カルバラは待ち受けているのだ。ヴィエラ、その剣を俺に届かせることができるか?そう、問いかけているのだ。
悟るだろう。竜伐の面々は、それが戦力を分散させるという作戦だと理解しているだろう。しかし、彼女たちは王城の警護に対して最大限の信頼を置いている人物がいる。
戦力の分散による不利と、未だに繰り広げられ続ける暴虐の犠牲者を天秤にかけて、犠牲者たちを取ることは確定的なことだった。
リディアにあてがわれた相手は、マリィ・ファンクランド。アタモスファータ最年少にして、暗殺技術を用いた戦闘力ならばカルバラにすら追いつく可能性のある、魔力を一切持つことのできない異端の子。
未だにエンテンシャーで籠城戦を演じている少年は、カルバラとは違い確固とした思考を持ってリディアを待ちわびている。
リディアは、竜伐の中で一番応用力のあるオールラウンダーなのだ。どんな状況でも的確な分析を行い、それに対応する秀才。
剣による絶対的な切断力。それを持ったヴィエラが、一番の被害をもたらしているカルバラに行く。竜伐最強のヴィエラが戦えない今、結界という使い勝手のいいとは言えない力でアミリスタがエンテンシャーに向かうことは難しい。
必然的に、報告に上がっていた二番目に被害者の多いエンテンシャーへの対応は、リディアに任されるのだ。悲しいことに、指し示したように、それが彼女たちにとっての最善でもあるのだ。
アミリスタにあてがわれた相手は、ハーリバー。半分を魔獣とした、アタモスファータ最年長の老人。そして、それと同時にアタモスファータをまとめる、賢人。
既にこの場にいるハーリバーは、即刻アミリスタへ攻撃を行い、戦闘を開始することができる。
とてつもない速度で飛び出していったヴィエラと、それに追随するほどの速度で駆けるリディアを視認して、ハーリバーは満足そうに頷く。
結界とは、彼にとって、決して乖離した話ではないのだ。未知の敵でも、見たことのない技術でもない。見知った、取り込んだことすらある、そんな技。
喰うに値する、そんな敵。
そうして開始されたウドガラド襲撃の第一段階。それは、竜伐の憔悴を目的とした、紛うことなき完璧な作戦だった。
★
王城の付近に固まっている国軍兵士たちも異常事態に際した伝令によって、各地で暴れるアタモスファータ、総勢三十名ほどの対応に、千単位で駆り出されていた。
そんな中、アタモスファータ内最強の力を誇るアカネは、アキトとともにエンテンシャーの停留所、フロムにいた。
この襲撃の開始直後、アタモスファータが有利となるのは自然の摂理。必然だった。
その理由は単純なもので、背負っているものの大きさが、本当に段違いだからだ。
アタモスファータの三十名ほどの人員は、全員が死への覚悟をもって戦いに赴いているし、何かしらの技能でもって安全マージンを取ることができる。
しかし、この国の国民は、ただの国民だ。他の国の一般人と比べて多少戦えるといっても、国柄的に戦闘力に重きを置く人間が多かったとしても、彼らはただの国民だ。
何か確固とした戦う理由があるわけでも、それに備えているわけでもない。突然の襲撃に冷静に対応できるほど、完成された精神を持ち合わせてはいないのだ。
ならば、そこを叩けば後は簡単。崩れた戦力に追撃、撃破。
アタモスファータと違って、国は重荷を抱えた状態で戦わなければならない。失うものなど何もない、本当に身軽な犯罪者たちに、大陸の如き重さの命の数々を背負って、その重鈍さで尚戦わなければならない。
アタモスファータの有利は、決定されていた確定事項だ。
では、そんな確定事項を不確定事項にするためには、何をすればいい。
重荷を、手の届かない場所に避難させればいい。
アタモスファータが国民を傷つける。それを許容できないことが、国側が不利な理由だ。ならば、その国民自体を、比較的手の届きにくい王城付近に避難させればいい。
王城は、恒常的に警備が厳しく、立地的にも入り組み方も、何もかもが堅い。それが、王城という王を匿う。いや、押さえつける、城。
そうすれば、被害を気にして戦う必要がなくなり、竜伐も、国軍兵士も、万全の状態で愛国の限りを尽くせるというわけだ。
「その方法がエンテンシャー……私にはどうにも納得できないのだが……」
「あっち側には、相当頭のキレるやつがいるんだろうな。」
アキトの予想とそれ通りに動く国側を見ながら、アカネはしかし納得がいかないようで思わずアキトに小声で囁いた。それを受けたアキトは、敵ながらその最善手を称賛するように視線を流した。
アキトの視線の先。エンテンシャーの入り口で行われる検問と、その捜査員の後ろで待たされる数人の人間。全員が黒髪。
エンテンシャーで国民を避難させようとすれば、それに紛れてアタモスファータが王城に行く可能性が高くなる。いわば、心臓に毒を送り込む可能性があるのだ。
「殿が王城に行きたいのを知っていて、わざとこうして直行のエンテンシャーを走らせようとしてる。」
他の国では変わってくるが、正規の反乱、革命の場合を除いて、ウドガラドが襲われる場合はその目的のほとんどがこの国に代々受け継がれる顕現魔法だ。実際、アキト達の目的はそれだし、そのためにこの王城直結のエンテンシャーに乗ろうとしている。
アキトたちが確定的な有利を掴みとった裏側で、ウドガラド側も確定的な最善手を打ってくる。
決して読み違えない、優秀な差し手が。
「だからだろうな。ほら。」
まだ理解の及ばないようなアカネに、アキトが示したのは捜査員の後ろで退屈そうに時間を潰す黒髪の数人。
「黒髪を片っ端から止めてる?」
「多分、リディアから殿が黒髪だっていう情報を貰って、革命軍じゃないかの身元確認でもしてるんだろう。」
「それじゃあ、どうやって突破するんだい?優秀な殿さん?」
アキトたちの並ぶ列は、もう検問の順番をアキト達に明け渡す寸前になっており、このまま検問にかけられれば、アキト達が革命軍だというのがバレるのは必至だ。
しかし、そうして小声で聞くアカネは、アキトに楽しそうに作戦の是非を問うた。
ウドガラドの参謀、あるいは頭のキレる国軍兵士、フロムの職員でもいい。それは、きっと定められた最善手を絶対に外すことなく掴みとることのできる、できた人間のやることだったのだろう。
しかし、最善手というのは出来得る限りでの最善の手。決して、絶対に、例外なく勝利を掴みとることのできるものじゃない。
「あっちには、優秀な参謀がいるんだろう。絶対に最善手を打てる、優秀な。」
しかし、最善手というのはあくまで最善。この世界には、最善を選んだとしても突破できないことというのが、まるで石ころのようにそこら中に転がっている。そんな中で、あえて最善を外し、外した最善を積み重ねて絶対を作る者がいる。
永遠の思考者エゴロスフィニカしかり、初代賢者メデル・テンプルしかり、彼らの導き出すそれは、今できる中で一番良い選択ではない。絶対に勝利することができる、神の手ともいえる一手だ。
「でも、こっちには、最善手を選べない、出来損ないの演算機がいるんだ。」
その手の使い手は、歴史に名を残す偉人だけではない。
たった一度の革命軍、その殿の少年もまた、しかり。
「見せてやるよ。絶対手の差し手を。」
呟いた瞬間、人ごみが割れた。
現れたのは、息を切らしたリディアだった。
★
竜伐の三人には、基本的な業務内容が割り振られている。
竜伐内最強、騎士団序列でも中位に食い込む、ウドガラドの数少ない女騎士団の一人、ヴィエラ・アンスタクト。彼女は、その突破力と戦闘力から襲撃の業務を請け負う。
ウドガラド随一の結界の操作力と、決定的な効果範囲を誇る、有弦の魔女の一番弟子、そして、最期の弟子であるアミリスタ・アンドロシア。彼女は、その防御性能から警護を請け負う。
そして、そのどちらともの役割、下手すればそれ以外の業務にもあたる、所謂オールラウンダー的な立ち位置にいるのがリディアだ。
彼女の経歴は異質で、ヴィエラやアミリスタと違って上流階級の人間ではない。もちろん、ヴィエラもアミリスタも、血の滲むような修練の日々で竜伐に成りあがったのだが、家柄を差し引いた分の手柄を上げなければならないリディアが竜伐になったのは、純粋に不可解といってよかった。
柔軟な国柄による部分もあるが、竜伐という称号を生み出した忌まわしき黒竜討伐戦。その当時のリディアの肩書きは、一介の国軍兵士。その出世は、些か突然すぎるものだった。
現在の働きをみれば、それが妥当な評価だったとわかるが、当時の国は荒れに荒れた。その時に生まれた竜伐への忌避感はいまだ根強く残っており、竜伐寮が他の王城勤務寮から隔離されている理由の一つにもなっている。
つまりは、リディアというのはとんでもなく状況対応力が高いのだ。
それこそ、ただの国軍兵士から突然王城勤務になっても、業務に支障をきたさないほどに。
実際、アキトと初めて邂逅したカーミフス大樹林の任務も、その概要が詳しくは分からなかった為リディアが派遣された。
そのため、襲撃のヴィエラ、警護のアミリスタ、そして、それらを兼ねるリディアというのが、竜伐業務形態の全貌だった。
そんな中、勃発したアタモスファータとの全面戦争。リディアが派遣される場所は、大方予想がついていた。
国際フロム。
エンテンシャーに立てこもり、その内部に入った者の全てを呑みこみ尽くす、異質な襲撃者。
その意図を完全に読み解くことはできないが、リディアにはどこか確信めいた気配を感じ取っていた。
狡猾で、陰湿で、それでいて、底知れない。かつて垣間見た、少年の執念。
アキトの、気配。
一見、どんな理由があってそれをしているのかはわからなくても、その実、裏ではしっかりと理にかなった論理があるし、それが絶対的な決め手になることもある。
そして、リディアが派遣されたそのエンテンシャーにも、似たような匂いを感じたのだ。
アキトを救えなかったことへの罪悪感をかなぐり捨てるように、ひたすらにフロムへの道をひた走る。
もし、リディアの予想が正しいのならば。それはリディアをおびき出す罠だ。
竜伐の基本的な業務内容は、暗黙の了解的に国中に広まっている。その情報を手に入れて、わざわざ特異な舞台を用意したとしたら。リディアをおびき出すために、普通とは違う状況を作ったのだとしたら。
それは紛れもなく、アキトの嫌な頭の良さだ。
★
「っ、これは……!?」
フロム管理室。エンテンシャーの乗り込み口から、階段、自動販売所まで、フロム内の様々な場所を遠隔視認することのできる、フロムを支配しているといっていいその場所で、このフロムの長は驚愕に表情を歪ませた。
彼が確認したのは、フロム内を見渡すことのできるカメラではない。リディアからの要望によって預けられた、魔力紋の受信機、ヌリエヴル端末だ。
あまりあてにはならないだろう、そんな言伝とともに借用されたそれは、リディアの油断によって成立する、ある罠が仕掛けられている。
リディアの油断。それは、今回、かなり悪い状態で、現在進行形で起こってしまっている。油断、というよりは、アキトの行ったエンテンシャーへの采配、リディアを誘い出す状況に考えを巡らせすぎてしまったというのが正確だろうか。ともかく、彼女はしてはいけない類の油断を、隙を、アキトに晒してしまった。
リディアは失念していた。
アキトが、魔力紋を利用する可能性を。
「エンテンシャー二番入口に対象の魔力紋反応を検出!総員ッ、突撃!!」
全フロム職員による一斉突撃が、エンテンシャー二番入口に殺到する。過剰戦力と言ってもいいほどの指令。しかし、相手は国を相手取るほどの胆力を持った組織の殿。出し惜しみは逆効果。
最善手は、総員の配備だ。
息を切らして、肩を揺らして、それでも足りぬと体中から溢れ出る栄光への身震いと全能感。
そうして、何とか革命の阻止を成したと誇らしげな感傷に浸っているフロム長に、背後から扉を蹴破る音が響いた。
「っ!?」
「今の指示、即刻撤回してください!」
息を切らしながら、しかしそれでも冷静さを忘れることなく、金麗の魔術師、リディアが、クールな表情でそう言った。
★
フロム職員が逼迫した表情で魔装を手にし、尚落ち着かぬ感情を押さえつけるように頭を押さえながら駆けていく。それを何の懸念もなく見送り、アキトとアカネは驚くほどスムーズにエンテンシャーに乗り込んだ。
人ごみを割って現れたリディアも、その大人数の中から瞬時にアキトを見つけ出すことは不可能だったようで。フロム職員の検問によって集められた黒髪の人間がいたことも災いして、アキトたちは何の障害もなく王城への直通列車に乗り込むことができたのだった。
アカネの月界によって移動したため、リディアよりは早く王城直通フロムに到着したが、彼女の目指す他のフロムより王城に近いこのフロムで再会するのは、予想外の出来事だった。
ただ、リディアがそこに現れたとしても、現れなかったとしても、きっとその結果は変わらなかった。
そんな予想外をあまり気にしていない様子のアキトに、アカネは多少驚きつつ尋ねた。
「何をしたんだい?」
しかし、アカネにとって予想外だったのはそれだけではない。
アキト達の検問を目前にして、何故フロム職員が持ち場を離れたのか。その大役を放棄したのか。
それは、アカネからしてみれば完全なる不可解。たった一片の理解すら及ばない、恰好の謎だった。魔力の学者といっていい彼女は、探求というものに人生を賭けているといっていい。
自分に理解の及ばない何かを、理解する糸口に殺到してしまうのは、仕方のないことだったろう。
「今回は完全にお前のお陰だ。」
アキトが指差したのは、己の手の甲。かつて魔力紋のあった場所。今はもう、何もない場所。
今は、もう、何もない場所。
「なるほど……だから魔力紋を持ってこさせたわけか……」
魔力のスペシャリスト。結界にまで手を伸ばすほどの実力を兼ね備えたアカネには、その仕草だけでアキトが何をしたのかほぼ理解できたようだった。
いえば、アキトも語るようにそれはほぼアカネの手柄。
アキトの魔力紋を引き剥がし、魔力抑制クリームすら入手したアカネのお陰で、このフロム混乱は巻き起こったのだ。
「魔力紋にクリームを塗って、二番入口の床に張り付けた。エンテンシャーに乗り込む奴らの靴裏が、勝手に魔力紋の効果を開放させるようになる。」
魔力抑制クリームによって、魔力紋からの魔力放出は抑えられている。その状態でフロムの床に魔力紋を配置。それをエンテンシャーに乗り込む人々の足がクリームを削いでいき、徐々に魔力紋としての力を解放させていったのだ。アキトから剥ぎ取られた時点で、その魔力紋はフロムの床の位置を伝えるだけの役立たず。本当に馬鹿らしい、魔力屑になる。
そんな罠にまんまと騙されて、フロム長は総員へと指令を出した。彼が視認したのは、フロムの床にこびり付いた時代遅れの魔力紋。デコイ。
アキトたちのいる一番入口から、総員を引き上げるという愚行を、アタモスファータの策士は誘発したのだ。
「さすがにリディアは気づいたみたいだし、あいつには今後も警戒だな。」
「そうだね。実際、今からも警戒した方がいいかもしれないね。」
「え?」
アキトの懸念に同意したアカネは、自分たちが国中から狙われているという状況なのにも拘らず、嬉しそうに、どこか含んだ表情で車両の入り口を指差した。
フロムに集まっていたほぼ全員の収容が終わったエンテンシャーは、その巨大な体から駆動音を響かせて徐々にスピードを上げていく。加速する大質量は、現在匿っている全員を王城の絶対の守りに導いたのち、またとんぼ返りして次の国民を乗せて王城へと運ぶ。
つまり、アキト達がいつのエンテンシャーに乗って王城に向かおうとするのかは、ウドガラド側にも特定しにくい。
しかし、アキトが魔力紋のトリックを使ったお陰で、少なくともそのフロムにアタモスファータの一員がいたという証明になったのだ。ならば、フロム自体の警戒に多くの人員が動員されるのは確か。
そして同時に、アキト達の乗っているエンテンシャーへの警戒が強まるのも、また確かなのだ。
「あのくっそ女……」
アタモスファータが占領したフロムに向かうのは、竜伐としての任務で決定付けられた使命。それを無碍にすることはできない。リディアがアキト達の乗るエンテンシャーにできることはもうない。アキトは、そう推測していた。そんな最善の可能性に賭けた。
そして、最後の足掻きとでもいうように、リディアは送り込んできたのだ。自分の手先、というより、その信用に値する、現在ウドガラドにいる数少ない騎士を。アキトの顔を知っている、数少ない証人を。
アニマ・アルサーを。
「どう切り抜けるかしら。アキト。」
視認することすらできなかった最弱に、竜伐の少女は祈りを込める。
きっと君ならそうする。きっと君なら、これを一番嫌がる。
過ごした時間は、ほんのわずかなものだった。けれど、受け取った悪意は、これまでの比ではない。
受け取った分、返そうではないか。
リディアからアキトに送る、初めての悪意を。




