3.【アタモスファータ】
アカネ・アーバリシアという人間のことを語るのなら、『研究』という言葉を使わなければなるまい。
その少女の根幹は、いつだって探究心と好奇心だった。その淑女の全ての精神は、いつだって変わらなかった。老いることも、廃れることも知らぬ、健全な精神。
けれど、それはことアカネの価値観でのみいえることだった。
世間の常識を考えれば、幼いころから部屋に引きこもり、恋も友情も知らない箱入り娘。それだけならまだしも、常識や研究以外の娯楽も知らないと来たものだ。そこらのじゃじゃ馬な貴族の娘の方がよっぽど御しやすかった。
そんな天才、アカネ・アーバリシアは、初めて好意という感情に触れた。
始まりは、ミカミ・アキトとの遭遇だった。
全てを諦めたように見えて、どこかで大きな目標を燃やしているそんな、不思議な少年。
研究を愛したこれまでの人生で、アカネは魔力というものの醜さを充分すぎるほどに知っていた。それによってもたらされる恩恵も、それらの生み出す美しさも、何もかもを汚く塗りつぶす、そんな胸糞の悪い魔法を、魔術を、研究を、触れ、見て、体験してきた。
そして、それに飲み込まれた研究者も、同じくらい見てきた。だからだろうか。ミカミ・アキトの濁った眼を見たとき、アカネは彼をいつかの研究者と重ねた。そして、助けたいと思った。
始まりは、ただの正義感。いや、正義感ともいえないうっすらとした漠然とした危機感。
しかし、その後の同居生活でアカネは確信した。ミカミ・アキトと自分は、とてつもなく性格的に相性がいいと。
些細なことだ。食事の趣味から寝る時間、起きる時間、休みたい時間、何もかもがよく似ていた。
そのうえ、アカネへの恩義のあるアキトは、元来の性格も相まってその生活で家主に負担がないように様々な気遣いに力を注いでいた。
話したがり屋のアカネと、会話を愛するアキトのコンビは、でこぼこながらもその形を確かなものとして生活していた。
ふとした瞬間、アキトがいることに幸せを感じ、またある瞬間切なさを感じる。そんな感情を、アカネは好意と判定した。
きっと間違った自己分析ではなかったろう。しかし、判定結果に乗っ取って行われる行動は、些か上品さに欠けるが。
★
アカネに分け与えられた魔力は、染み渡るように全身に広がり、巡る純然なるエネルギーを確かなる再起に変換していた。
閉塞魔装を引き抜かれて決壊した魔力のダムは、順調にその貯蔵量を増やしていった。多少の痺れはあるものの、じんわりと付与される痛みは、生命の証明だった。
そう、アキトはすでに動けるほどの力を得ていた。きっと、アカネとてレイプ紛いのことをしたかったわけではなかったのだろう。アキトを押し倒しているその体勢は、拒みたければ充分拒否できるような位置取りだった。
それでも、アキトの動きを一時的に奪ったのは、流されても不自然ではない言い訳を、アキトに与えるためだったのだろう。少しでも、なびいてほしくて、漏れ出てしまった願望の、一滴だったのだろう。
冷静にそんな客観視をしてみたが、アキトの脳内に巡るのは心底大きな困惑、そしてなにより、経験したことのないこの状況への、興奮すら伴った早鐘の鼓動。
アカネは、形的にはそれをレイプとしているが、その実選択はアキトに一任されている。
アカネからの性交渉に、限りなくYESといいやすい状況で、その合否を問われている。
ここで彼女を押しのけて、その空っぽの犯行を糾弾するのもいいだろう。彼女に身を任せて、思考を放棄して快楽に身をゆだねるのも、間違いではないだろう。脳内を焼け焦がすほどの衝動に、正直になってしまっても、彼女は受け入れてくれるだろう。
かつてない決断。それは、己の貞操を、そしておそらくアカネの貞操をもかけた選択。
きっと、普通の少年だって経験する可能性のある選択だ。これまでの命の選択に比べたら、そこまでだと、そう言われてしまってもおかしくないだろう。
けれど、それでも、その選択はYESの艶やかさが濃厚すぎて、NOの渇きが切なすぎる。
沈黙が痛い。吐息が辛い。皮膚が怖い。
これは、きっと自分が動かなければ始まらない。そんな場面だ。絶対的なキーパーソンが自分である、非常に特異な例だ。
脳髄の電気に手を伸ばし、精神の勇気に目をくばせ、世界の空気を吸い込んで、その声を届けなければならない。
いわゆる、覚悟だ。
「あ……ちょ……ごめ」
しかし、経験不足の困惑が、覚悟を決めた興奮に変わった時、性は容赦なく牙をむく。それこそ、遺伝子に刻まれたレーゾンデートル、あるいは、深層心理のエゴ。
こらえがたい衝動が下半身に集中し、どうにもならない本能に顔を赤くする。
なんであろうと、その感情の行きつく先は海綿体に他ならない。
まだ若いアキトの下半身のモツは、アカネの股の柔らかさを堪能しながら、ピンとそそり立った。
「ミカミくんが恥ずかしがるなんて、初めて見たかもしれないな……ふふっ」
そう、どうやらアキトに馬乗りになっているアカネには、必然だがその性の昂ぶりが伝わったらしい。
服越しではあるものの、本来他人に触れられることのない部位だ。そのうえ、アカネはアキトからしても好感を持っている人物であり、なんなら今肉体の交わりを求められているのだ。多少羞恥心を駆逐しているアキトとはいえ、申し訳なさやら恥ずかしさやら情けなさで顔を熱くさせることは避けがたいことだろう。
そんなアキトの普段見せない表情を観測することに成功したアカネは、純粋な意味でエロい顔立ちをさらに艶やかな表情で染め上げ、その硬い感触に幸福感を覚えてすらいた。
羞恥心で消えてなくなりたい衝動の中で、アカネのどこまでも白い柔肌が目に入った。
己の下半身の上でむにゅりと形を変えるふとももの魅惑の肉感と、そこから視線を上げれば視界に飛び込んでくる引き締まったウエスト。ちらり、と覗くへそは、きめ細かい肌の中で形を変えて、アキトに新たな性癖の予感すら与えるようなエロさだった。
「お前から、やったんだからな。」
「へ?」
依然頬は赤いまま、アキトの視線がアカネの滑らかな曲線を貫いた。
先ほどアキトを押し倒したときにはだけたのだろう。絶妙に肌の見えるネグリジェを押し開き、一部分しか見えていなかったお腹をすべて露出させる。
「ちょ、ちょっ!ミカミくん、そんな突然!?」
慌てるアカネのその声すら、今はアキトの理性のリミッターを外そうとする興奮材料でしかない。ただでさえ沸騰しそうな脳に、そんな可愛い声音が飛び込んでくれば、すでにアキトの葛藤というものは焦燥へと変わる。
ここからどうすればいい?そんな消極的な疑問から、ここからなにをしようか、という己の嗜好へのまっすぐで、純粋な期待。そして、愛おしいと、愛したいと、そんな気持ちに付きまとう独占欲も、多分に溢れ始める。
己の側面に投げ出されているふとももを、両手でそっと触れる。多少の躊躇いとか緊張も、その天国のような感触の前には無力だった。
決してアカネが痛がらないように、嫌がられてもやめられるかはわからないが、一応表情を確認しながら。指先の1本1本が感じとる感触の心地よさとエロさに任せて、手を這わせていく。
「いちいち了承なんて取れそうにない。すまん」
「え……ええええええ!!」
アカネの白い肌が少しだけ赤くなるのが見えた。両手で隠された顔も、隠しきれなかった耳と一緒で、真っ赤に染まっているだろう。
ふとももの感触に名残惜しさを感じながらも、アキトの手はアカネの腹部へと差し掛かる。
「うぅ……」
恥ずかしさが限界点を突破したのか、湯気すら見えてきそうなほどに羞恥に震えるアカネ。普段のクールビューティーな姿は面影すらない。
滑らかな曲線美でもって描かれるアカネのウエストを掴み、そのまま引き締まるラインをなぞっていく。
「ん……ぅ……んっ」
アキトとの手によって鳴らされる艶やかな歌声が、その滾る情欲をさらに刺激する。
肩で息をするほどに呼吸を荒げたアカネは、依然両手で顔を隠したまま刺激に体を震わせる。
「駄目だよぉ……ミカミくんに触られると、なんだか、心臓がきゅーって……幸せすぎて、死んじゃいそう……にっ!」
うるんだ瞳が両手の隙間からアキトを覗き、真っ赤な表情が征服感を助長する。
ぞくぞく、と背筋を走る快感に思わず冷や汗すらかきながら、アキトの手がアカネの胸元へと差し掛かる。
ネグリジェの裏に隠されていた胸へと手を伸ばす。
アカネの胸のサイズは、簡単にいえば規格外だ。これまでの人生で、巨乳という存在に出会ったことがないわけではない。しかし、アカネの胸囲はそれはもう凶悪で、日常生活で度々はさまれる巨乳あるあるギャクに心をかき乱されるのは、すでにアキトの中では諦めの境地にすら入っていた。
しかし、この1年。その魅惑の肢体を自由に貪れる機会など、来るはずがなかった。
期待に荒い息遣いを滲ませて、何もかもを押しのける大質量に手を伸ばす。
「ちょ、ちょっとまって!!」
と、そんな天国へと続く道筋を突然閉ざされ、アキトの両手が空を掻く。虚しくひくひくと震えるその指先からは、理性と欲望の葛藤、まさに天使と悪魔の最終戦争の勃発がうかがえる。
窘めるように、あわや懇願するように、その美声を嬌声一歩手前の本当に危ない声へと変えながら、息を荒げて前髪を揺らす。
瑞々しい肌には緊張からか興奮か、はたまたこれまでの攻防の余波か。艶やかに幾筋かの汗がきらりと光っていた。
「私ばかり触られるのは、その、公平性に欠けると思うんだ……だから、その……」
リソースを割くことができなかったのか、顔を隠していた手はアキトの胸板を復越しに撫でており、上気する表情は切なそうに歪んでいる。
「私も、ミカミくんを、感じていいかい……?」
不安そうに聞くアカネに、アキトの半身がびくりと反応することで答えを返す。それを満足そうに、幸せそうに、愛おしそうに感じながら、艶めかしい水音を立てて舌なめずりする。
アカネが自身の下着に手をかける。我慢できないとでもいうように焦る両手は、おっかなびっくり鼠蹊部をなぞり、わき腹をくねらせながらサイドの紐をほどく。紐をほどくという動作に、ここまでの色気を感じる日が来るとは思わなかった。そんなある種の感動に鼓動を高鳴らせ、じっとりとした感触の下半身が淡い快感に包まれるのを感じた。
アカネのしなやかな手がアキトの下半身をなぞり、ゆっくりと己を塗り込んでいく。
もはや下着というよりはただの布になってしまったそれをぽいと放り投げ、アカネの秘部が露わになる。思わず引き寄せられる視線の先、残念ながらガードは堅いようで、すでに片手の要塞が視線をカットしていた。
「ミカミくん……えっち……」
恥ずかしそうに前髪に視線を隠しながら、それでもどこか嬉しそうな雰囲気をにじませながら少女が行為へのカウントを数え始める。
「う、うるせぇ……」
顔を背けたアキトに、してやったり、というような表情で広角を上げるアカネ。そして、その勢いそのままに、羞恥心を押し殺してアキトのズボンに手をかける。
【月界→発動。=貞操『スプリエル』……】
血液が、アカネの股下からあふれ出すそれが、アキトの服を濡らした。
アカネの表情とその美声も、痛みに関しての反応はない。ただ一つ。それは、何かに対する苛立ちと、何処にぶつければいいのかわからない無力感の激情。
彼女の女性器から流れ出しているように見えるそれは、きっと人間の機能的な話ではなく、なにかしらの干渉によるものだろう。
「は?」
「…………私では、駄目だというのか……」
うるんだ瞳は、大した時間をかけずに雫を吐き出し、目じりから涙として流れ出す。
その不可解な事象に、アキトは一切の理解を行うことができなかった。同じ月界術士として、なにかしらの月界が発動したというのはぼんやりながらわかった。それが死に直結するような月界でないことは、おそらくターゲットとなったアカネを見ればわかった。
けれど、いま、2人、その間にきっと心の壁も、距離も、障害もなかった。
純粋に互いが互いを求め合い、互いにそれを与えたがった。
この世界で2人きり、そういってもいいほどに、アキトとアカネは愛し合えるはずだった。
幼い子供の過ちを正すように、それが過ちであると刷り込むように、無慈悲な何かは彼らをいとも容易く引き剥がし、そのつながりを断とうとした。
しゃくりあげるアカネが、今度は別の意味で顔を隠す。
「ごめんね?」小さな声でそう呟いて、涙を必死でせき止めて、自分をないがしろに、というよりアキトへの純粋な申し訳なさだけを吐き出して、静かにアカネは心を閉ざした。
俊敏な動きで立ち去ろうとするアカネ。それを見送る。なぜだか、そのビジョンが容易に想像できた。けれど、絶対にそれではいけない気がした。呼び止めなければならない気がした。
「アカネ!」
びくりと震えたアカネが、錆付いた人形のようにぎこちない動きで振り向く。
この1年。散々、心のうちは覗きあったはずだ。それでも、呼び止めた3文字に含まれた感情を怒りだと思ったのか、アカネの瞳の水分量は、先ほどとは比べものにならなくなっていた。
「俺も男だ。もちろん、性欲を完全に切り離すことはできないし、お前をそういう目で見てしまうことが一切ないかといわれると、自身は持てない……」
突然の独白に目を丸めるアカネ。言ってることは割とド畜生なことだ。そうなってしまうことも不思議ではない。
呼び止めたはいいものの、自分の気持ちを言語化することの難しさに、アキトは気づいている。声に出すことの難しさも、その行為の良し悪しの判断において、アキト以上に悩んだ人間はいないだろう。
「けど、俺はそれを抜きにして、お前からエロを抜きにして、ちゃんとお前がす……気に入ってる。」
一切の恥ずかしげもなく、告白とも取れる言葉を連ねていく。
「何が起きたのか、どうしてお前がそこまで謝るのか、俺は多分理解できてない。だけど、これだけは云っておきたかった。」
「み、ミカミくん……」
「……ただ、さっきも言ったけど、俺も男だ。この状況でお前をタダで返せるほど枯れてないんだ。」
「え?」
少し感動気味な空気の中、ベッドに膝立ちしていたアキトがアカネへと歩み寄る。。
うるんだ瞳をアホっぽくぱちくりさせて、アキトの顔色を伺う。
「これで、満足しとく。」
そうして、アキトはアカネを抱きしめた。
一瞬何をされたのか理解できなかったのか、呆然としていたアカネが、その突然の抱擁に赤面する。
「な、なななな!?にゃ、……うぅ……ミカミくぅん……」
じんわりと血液が流れ込んできて、体中が幸福感に包まれていく感覚。その心地よさにアカネの艶めかしい唇がアキトの耳をついばんだ。そして、無意識にそんなことをしていた自分に再び赤面する。
1人で忙しい百面相をするアカネを愛おしそうに見つめるアキト。
国を相手取る大立ち回りは、もうすでに目前へと迫っていた。
★
「ウドガラドを壊したら、晴れて俺たちも犯罪者だな。」
「私は、ミカミくんと一緒なら構わないよ。」
まだ夜のにおいの残る世界で、罪人となる彼らは未来を馳せる。
今日、この早朝の問答でもって、彼らの戦争は始まる。きっと、辛いだろう。容易ではないだろう。終わるもの、始まるもの、停まるもの。入り乱れるそれらは、きっと互いが互いに正義を持っている。
それは、憎悪と怨嗟かもしれない。復讐の刃かもしれない。穢れを祓う聖戦かもしれない。
血を競う、けじめかもしれない。純然たる、愛国心かもしれない。救いたいと願う、不器用な優しさかもしれない。
共に歩くための、覚悟か。共を貫くための、何かか。
皆が皆、違う思想で命を削り、失って、得て、そうして、変わる。
始まるのは、ただの反逆ではない。
全てに置いて正義を賭ける、罪人たちの乱舞。
「犯罪者2人で、次はフラントロウムだね。」
「ああ。文字通り、世界を支配する力が手に入る。」
まだ始まってすらいないウドガラド興国の破壊。それすら前置きであるかのように、まだ不確定な道筋の空想を思い描く。一見、目の前の目的すら目に入っていない愚者に思えるが、きっとそれは、うるさいくらいに思考をかき乱す鼓動への、密かなあてつけだったのだろう。戦うために精神を鎮める、賢者の心だ。
ちょうど、ゆっくりと世界が光の魔力に満ちていく。
人々が芽吹き、木々がざわめき、生きとし生けるものたちが、それを称賛とともに享受する。
「魔力紋、魔力吸収剤、魔装に覚悟。全部持ったか?」
「もちろん。ミカミくんへの愛も、抱えきれないくらいに。」
「余計なものは捨ててくぞ。待っといてやるから捨てて来い。」
「必要さ!1番重要といってもいいくらいに。私の行動の原動力だよ!?」
む~、と頬を膨らませながら反論するアカネ。冗談なのか本気なのかいまいちわからない彼女の言動に心を乱されながらも、よく似た黒髪をやさしくすいた。
「そうかよ。」
そうして、懐かしさに目を細めた。
こうして、鬱陶しいくらいにくっついてきて、問答無用で手を引っ張って、落ち込む暇も、泣く暇さえもくれない、迷惑な性格。けれど、気づいた時には欲してしまっている、そんな愛らしさ。
茶髪の輪郭に重ねてしまうところを鑑みると、きっとアカネはあの少女に似ているのだろう。そしてきっと、同じくらいアキトを救っている。
ついその少女に向けるような笑顔が漏れ出てしまうのも、無理はなかった。
「あっ……えと、……あはは…………」
そんなアキトの表情が琴線に触れたのか、真っ赤な顔で風を煽ぐアカネは、いつもとは違う余裕のない表情で目を泳がせた。
普段笑うことの少ないアキトの微笑みの表情は、アカネには刺激が強すぎたらしい。
考えてみれば、邪魔がなければその貞操はアキトが奪うことになっていたのだ。昨夜の淫靡な雰囲気が、そう簡単に抜けるはずがなかった。
「……、まあともかく、ありがとな。」
「その言葉は、無事に帰ってこれたときに聞きたいっていうのは、ちょっと我儘だろうか?」
答えは分かっているのだろう。茶化すように言ったアカネは、少し高い目線でアキトを覗いた。
「俺の性格、分かってくれてんじゃんかよ。」
我儘だ、と。感謝に包んで伝えられた言葉は、どこかうれしそうだった。
★
「俺たちの悲願は、ウドガラドを堕とすこと。それぞれ理由も、力も、熱量も違うはずだ。だが、俺たちは同じことを目標としている。」
20人ほどの気配がうごめく大聖堂。
既に制圧が完了してるため、彼ら彼女らは各々好きなように椅子に座っている。
「そこで、フランベリアルを発動させようと思う。」
大仰に、というわけではないが、質素ながらも美しく飾り付けられた背景をバックに背負いながら、演説じみた声量で声高に声を届ければ、どうしても大仰に見えてしまうのは仕方がないだろう。
しかし、そんなアキトの発言を聞いた彼らの反応は、大仰な言葉に沸いたようにも見えた。
ざわざわ、と。仲間外で群れられるほど器用なメンツはいないため、その呟きはきっと認識を正すための反復作業だったのだろう。それほどまでに、青年が話した内容は彼らが認識していた現実とは乖離していた。
フランベリアル。それは、この世界を滅ぼす可能性を秘めた、不可解な現象。
同じ思想を深く、深く共有した人間が、大人数で自害。思想に汚染された魔力によってその思想が存在的に具現化してしまう現象だ。そして禁忌境界の設立という負の偉業を成し遂げたものでもある。ただの人間が、そのうえ戦闘的な技能をほとんど持たないというアキトに扱わせるには、些か危険すぎた。
何より。
「フランベリアルを為すためには、自害という欠陥的な作業があるはずです。それに関しては、どう解決するおつもりで?」
と、ざわつくメンバーの中で一番紳士的に席に座っているだろう老人が、変わった形状の杖を携えて問うた。
既に白髪交じりになっているグレーの髪をオールバックに流し、おそらく進んでいるであろう老化を感じさせない、妙な若々しさを感じる男だった。
彼の問いは最もだ。フランベリアルは、その最終的なプロセスに自害が含まれる。それも多人数の。
そんな不確定な事象に命を懸けるなど、国を壊すとする彼らですら馬鹿なことを、と失笑するだろう。
「もちろん、ちゃんと解決策は考えてる。まず、自害なんていう項目がある時点で、これは手段とか技術とかそういうものには成り得ない。」
「そりゃあ、ここの雑魚を何人か殺しちまえばいいじゃねえのか?」
しっかりとフランベリアルに対する不安を否定したところで、それをなかったことにしようとする声が一つ。
筋骨隆々のたくましい体つき。邪魔とでもいうように上半身に服は纏っておらず、傷跡の覗く筋肉の圧力は、何度見ても圧倒される。
「ハーリバー、てめえもそう思わねえか?いくら国を堕とすとはいえ、こんな雑魚連中に足引っ張られたら、勝てるもんも勝てねえってよ。」
続けて、さらに意見を重ねる。今度は矛先を変えて、他の面々をけん制しつつ、実質的にここでの戦闘力が己に次ぐ男に同意を求める。向けられた質問を手で制したのは、一番最初にフランベリアルに疑問を呈した老人。
復讐の火に燃える男、ハーリバー。
「ミカミは今、ちゃんと説明をしたはずだ。フランベリアルの自壊行為を、彼は欠陥と言ったんだ。あなたも、彼の慧眼を認めているから、ここにいるものだと思っていたのだが、果たして違ったか?」
「ちっ、……そうだな、悪かったよ。」
決して納得はしていないだろう。しかし、構成員の中で権力的に1番の発言力を誇る老紳士に窘められてしまえば、たとえ筋肉を蓄えていたとしても引き下がるしかない。不満げな様子で椅子の背に座りなおし、腕を組む。
静観していたアキトは、こうなることが分かっていたかのように満足そうに凶悪に微笑み、その渦中の男に水を向けた。
「それで、話してもいいか?カルバラ。」
傷だらけ、といっても、首元に幾閃の傷跡を携えるアキトからすればまだマシな領域ではあるが、些かワイルドすぎる風貌の、屈強な戦士。かつてウドガラドの騎士団にすら所属していたほどの実力を持つ、この集団の中で随一の火力を誇るアタッカー。
かつての再戦を願う、模倣の鬼才。カルバラ・グリフィルト。
アキトの淀んだ瞳に再び舌打ちして、無言の首肯で答えを返した。
「断言する。フランベリアルを俺たちの武器にする過程で、お前らの誰一人として欠けさせることはない。そのための準備も、断言するための確証も、運用するための方法も、この1年で考えてきた。この1年で、生み出してきた。」
世界を終わらせる7つの可能性、世界終焉律。その一つに数えられるフランベリアル。それを使おうという狂気すら感じる発言にざわめいていた者たちも、アキトのその力強い言葉で鼓舞されたのか、まだ何の根拠も聞かされていないのにも関わらず、若干の期待を抱きはじめていた。
「方法は簡単だ。あれの原理は所詮ただの魔力収束だ。思想魔力を作って収束する。それさえできれば、自壊も自害も、必要ない。」
フランベリアルの基本は、その人物たちの思想に染め上げられた魔力をまとめ上げることにある。もちろん、思想魔力の作成も困難ではあるのだが、命の危険はほとんどない分、まだ良心的と言える。
つまり、フランベリアルの欠陥である自壊、自害の必要性を消し去ってしまえば、その禁忌は最強の魔法になる。規則から外れた魔法、規外魔法。その頂点に、間違いなく立つことができる。
「んで、肝心のその方法ってのは、なんなんだ?」
「ああ。俺たちの中で、最強の奴は誰か、わかるか?」
カルバラの急かす声にニヤリと笑い、アキトが皆に質問を投げかける。
この中。といっても20人ほどの集団だが、その質は途方もなく高い。もともと国に反発していた過激派を、アカネが勧誘して集められたメンツである。こと闘争に至っては、このメンバーはきっと化け物ぞろいの騎士団すら喰らう。
そんな中で、最強とされる人物。それは、
「アーバリシア。いくら我々が腕に自信があるといっても、悪魔の子である貴方には敵わない。」
月界を理論だけで開発するという荒行を成し遂げた魔力のスペシャリスト。そんな天才的な頭脳には、ほんとうに僅かではあるが勝てる可能性のある余地が残されている。
しかし、悪魔に魅入られ、見初められ、魔力を共に共有する彼女には、アカネには、その悪魔という本質には、絶対的に勝つことはできない。悪魔とは、そういうものだ。
「わかってるじゃねえか。なら、それを使うしかないよな。」
アカネの絶対的な力の顕示。それは、アキトの一種の自慢のようなものだった。
「フランベリアルの発動に大人数が必要なのは、それによって具現化されるものを持続的に存在させるエネルギーに魔力を多く使うからだ。だが、俺たちはそんな厄介なものを持ち続ける気はない。ウドガラドを襲撃する間だけ、存在していればいい。」
フランベリアルによって具現化されるものの存在を安定させて、世界に定着させる。それには、想像を絶するほどの魔力を浪費する。定着の甘い存在は、それによって引き起こされる痕跡すら甘い。もし具現化したものが剣だったなら、しっかりと定着していなければ斬撃は不確定。無かったことにされることもあるし、概念としてそこに永続的に存在を刻まれることもある。
アキトたちは、それでよかった。斬撃がなかったことにされて、のちに殺したはずの人物が存在を取り戻したとしても、そのころにはウドガラドは壊された後。その人物に打つ手はない。
だから、今回のフランベリアルの実行に人数はいらない。
「だから、必要な思想魔力は、すべて俺が作成した。」
「なっ、本当か!?」
「ミカミ…………」
皆が多種多様な反応を示すなか、彼とアカネの準備の本質はそこにない。
「そして、それをこの魔装に詰め込んである。」
アキトの手に在ったのは、小さな棒状の注射器。
ボールペンのように押すことのできるボタンがあり、その対極からはアキトの思想魔力を注入するための針が覗く。
普段は隠れている針は、魔装が握られたときに反応して顔を出すようになっており、不思議な緊張感を漂わせる。
「原理は省くが、アカネの超最強の技術で、フランベリアル成立寸前のところに調節してある。」
注射器内部の魔力は、アカネの繊細な魔装技術の賜物で思想魔力をうまくキープしており、ほんの少しのトリガーで発動できるようになっている。
「まぁ、そんなわけで、あとは簡単だ。使いたいときに、これを頭に打ちこめ。俺たちは、同じ目的を共有している。それをパスワードにして、国を堕とすという概念を擬人化させる。」
ウドガラドを滅ぼす。その目的だけは、この集団の中で共有されている唯一のもの。つまり、一種の思想魔力のようなものだ。もちろん、それは明確なイメージではないため、フランベリアルに昇華されることはない。ただ、そこに発動寸前の思想魔力が送り込まれたら話は別だ。
国を堕とす、という曖昧な思想は、アキトの思想魔力に発動の為のほんの少しの魔力となり、フランベリアルへの到達、すなわち魔法のトリガーとなる。
「擬人化してあらわれる少女の名は、【エマ】。そんで、呼び出すとき、俺のイメージと、お前たちのイメージをリンクさせるために、特定の言葉を設定しておく。」
アキトの思想魔力が流れ込み、フランベリアル発動のトリガーとなる国を堕とすという各々の思想。それは、しっかりと混ざり合う必要がある。そうしなければ、思想の力は弱くなり、正常な発動が望めなくなる。
そこで、国を堕とすという目標を、ある一つの言葉に紐づけてパスワードのような役割とする。それにより、アキトの思想と彼らの思想は、限りなく近い同じイメージを共有する。
「俺たちウドガラド反乱軍のある種の識別名であり、俺の目標をそのまま取り入れた単語。」
アキトは、この集団を結成した時、何かしら不便だからと名前を付けた。それは、国を壊す。力を得る。そんなアキトの願いの込められた名前だった。古代帝国語で、『正義争奪の罪人たち。』
「最終手段として覚えておけ。俺たちであり、その魔装であり、この規外魔法の名前。そして、世界に名を轟かす、たった一度きりの反乱軍の名前だ。」
アカネがアキトに寄り添って、決して大きくはない。しかし、よく通る声で告げる。
「ミカミくんを長に添え、国を壊す罪人たち。襲撃はあと12時間後。この戦いで、私たちは真の最強を目指す。全ては、力を求めるために。」
それこそ、
「我ら、『アタモスファータ』に、勝利あれ。」




