12.Last【とある異世界の生存戦術】
照明がギリギリまで落とされた、どこかアングラな雰囲気を感じさせる部屋。部屋といっても、並べられたテーブルと棚に並ぶ酒瓶、カウンターの存在で、そこが酒場だというのは簡単に理解できる。
むせ返るようなアルコールの臭いは、きっと子供くらいなら酔わせてしまうほどの強さだっただろう。鼻腔を突き刺す刺激臭といっていいそれらは、嗅いでいて心地いいというものではなかった。
そんな刺激臭の源泉。筋骨隆々の男の寝息、暗器の存在をほのめかす金属音を纏った石灰色の青年、場所に見合わぬようなスーツでグラスを傾ける初老の紳士。皆が、陽の下を歩いているような風貌ではない。
しかし、今日ばかりはイレギュラーが1人。
「お前、馬鹿じゃないのか?」
ドアの向こう、くぐもった音で伝わっている青年の声。大きくなる足音は、ついにはその扉を開け、アルコールの霧へとその身を晒す。
うっ、という吐き気に嗚咽が絡みついた声をあげ、青年はなんとかそれに耐えながらカウンターに着く。
軽装の鎧を身に纏い、黒の外套をのぞかせる青年の頭髪は、まるで骨のような灰色だった。きめ細やかな頭髪の一本一本が美しく、その場違いさを増幅させる。
しかし、青年の腰元には一本の片手剣がさがる。外見だけで判断するのならば、片手剣魔装をメインとする騎士と取れる風貌だ。
座りにくそうに身じろぎをするが、その魔装だけは手放さない。ただの田舎上がりの坊主ではないのだろうと判断。それは、彼に声をかけた。
「よぉ、若えのにこんな所に来て、どうしたんだ?」
「……?」
自分に声をかけているのだと理解するまでに数瞬を要した灰髪の青年は、暗闇から現れたそれに目を見張った。
淀んでいる。
自分とは大して年が変わらないであろうそれが、とてつもない危険律に見える。
「僕は、……この世界の酒!飲んでみたかったんだよ!……んぐ、の、飲んで見たかったんだ……」
無視するわけにもいかず、質問に答えを返す。
妙に焦りながら口調を修正した青年。そこまで情緒の揺れに敏感なのは、まだ健常者の証しだろうと微笑ましく思い、それはフードに手をかける。そうして、同時に。
灰色の青年が、その手を魔装にかけているのを見つけた。
「まぁ、怪しいよな……名前、教えてもらえないか?」
自嘲して首を振り、それはフードから手を離す。そして、ニコリと笑った口元だけを見せながら、青年に名前を問うた。
魔装に触れた手はそのままに、青年は答える。
「アニマ・アルサー。名前の方がアルサーで、家名がアニマだ。」
「てことは、アイクの出身か……!いい魔装を持ってるな、とは思ったが……」
それの瞳の淀みが深くなったことに、青年、アニマ・アルサーは魔力を脳髄に送り込むが、どうやら杞憂に終わったようで、それの目線は片手剣型の騎士剣魔装に釘付けとなっていた。
対話の途中に武器を握りしめていることに対して後ろめたくは思うも、どこか底の見えないそれに対する警戒を、アルサーは解くことができなかった。一閃決闘式の会敵は、腐る程行って来た。その間合いで、相手は無手。たとえ何かしらの魔法を所有していたとしても、その奇跡の前に斬りふせるのみ。
そう出来る力が、自身が、アルサーにはあった。
「あー、話が逸れたな。んで、この国には何しに来たんだ?見た所、来てまだ時間も経ってないんじゃないか?」
不気味な対話相手に密かに冷や汗を垂らすアルサーとは真逆に、それはにこやかに会話を続行する。
アルサーの在国状況を言い当て、それをまるで常識だとでもいうように語るそれは、長けている観察眼の扱い方が、いささか性根が悪いように思えた。
しかし、そのまま黙っているのも不況を買いかねない。そう判断したアルサーは、ゆっくりと己のことを語り出す。
「一応、今日の早朝に『フラントロウム』から来たんだ。騎士学校卒の配属ってやつだよ。」
「…………騎士……そうか……。」
ギョロリ、そんな音すら聞こえて来そうな勢いで、それの眼球が動き巡る。アルサーには見えていないその動き、感じ取れたのは、その不気味さだ。何もかもを透かされているような、不気味さだ。
思わず剣を抜きそうになるも、なんとか抑え、それの動向を探る。
一度間違えれば、喰らわれる。
「随分災難だったな。」
「え?」
「いや、こっちの話だよ。アドバイスしてやろうか?新米騎士君。」
「あ、あどばい・・す?」
今にも射殺さんと言わんばかりのなにかを放って来ているのにも関わらず、それは依然変わらぬ声色で云う。
「ひとつ、己の強さを過信するな。」
アルサーを指し、
「ふたつ、刃を汚すことを躊躇うな。」
魔装を指し、
「みっつ、…………成果の出ない努力は、研鑽でも苦労でもない。」
己の胸を指し。
ガタリ、と立ち上がったそれは、黒いフードを剥ぎ取り、その顔の全貌をアルサーに晒す。
黒く、燻んだ淀んだ瞳。果たして自分と同じ『人』に、そんな表情ができるものがいるのだろうかと言わんばかりに壊れ果てた笑み。瞳の色と同じ、深い黒。
そして何より、喉元に覗く、大量の傷跡。
奇妙な器具を両目につけた男は、その黒髪を揺らして立ち去る。
「今のは……?」
問いかけるアルサーに振り返り、黒の青年は云う。
「とある異世界の生存戦術だ。クソみてえな世界のな。」
そして、深く、暗く、万象を嚙み殺すような視線で持って。
何もかもに憎悪を振りまくボロボロの声音で持って。
奇妙な魔装をきらめかせて。
「覚えとけよ。これからお前の初仕事になる名前だ。」
「っ、……」
「お前の人生に刻みつけられる名前だ。」
「ッ!」
「そんでもって、世界に刻まれる名前だ。」
アルサーの前に置かれたグラスが弾け飛ぶ。飛散するアルコールなど気にもとめず、抜き去った魔装を黒髪の男に突きつけ、アルサーの頬を冷や汗が伝う。
「ミカミ・アキト。それが、俺の名前だ。」
酒場の中で燻っていた全員を引き連れて、アルコールの臭いを振り払って、その少年、否、青年は今度こそ立ち去る。
揺れる外套と小さな背中を見て、アルサーは吐き気に息を漏らした。
きっとその嗚咽は、アルコールの臭いのせいだけではなかっただろう。
1年。
後に、『カーミフス大樹林の惨劇』と呼ばれるメイド殺害事件。その1年後。
ミカミ・アキト、19歳。
その最弱は、力を求める。
国を引きずり下ろせるほどの、破壊の力を。




