11.【ハッピーエンド】
反応は、まさに三者三様。
グレンは、その冷酷そうな無表情を、堪え切れないとでも言うように凶悪に歪めている。戦うという本能への歓喜。それは、どれほど理性が殺そうと、どれほど大きな罪であろうと、誰であっても消すことはできない。それほどまでに、グレンという男の剣は完成している。
リディアは、依然無表情。しかし、その細かな機微を記すのなら、強張った表情。口元をキュッと引き結び、杖を持たない左手を握りしめ、その少年の反逆に想いを巡らせる。
そして、そのきっかけとなった少女は。
「ぁ……あ、アキト……くん……!」
地面に叩きつけられた衝撃で全身の骨は砕け、筋肉の断裂する音とともに世界が暗転した。意識というにはお粗末すぎる嗚咽の連鎖によって自分を知覚した時、リンカーネーションは既にボロボロだった。
いくら精霊と契約できるような少女であっても、その体は少女。か弱く柔い、ただの少女の肉体だ。
血塗れの視界の中で、痛みだらけの感覚の中で、感情の間欠泉が吹き荒れる心の中で、ただひとつ、輝いていた。
自分を守ろうとしてくれる少年がいた。自分のために壁を越えようとする少年がいた。
何かを捨てる覚悟をした少年がいた。
その最弱こそ、ミカミ・アキトだった。
瀕死かもしれない。足手纏いかもしれない。邪魔かもしれない。けれど、その少年の勇気に、愛に、最弱に、伝えたかった。自分はまだ生きている。自分はまだ見えている。
あなたを、■■■■。
リンカーネーションの首筋から弾けた闇が中空で蠢き、幾何学的に折れ曲りながらボロボロの樹林の中を突き進む。
目指す先、最弱。
伝える言葉、勇気。
少年よ、刃を振るえ。その命に報いるために。
★
(覚醒因子の集合体の力が、月界に登録された、か。顕現魔法すら上回る、人類至高の力に。)
しかし。
「月界領域は自分の身体のみ。月界顕現は小さな果物ナイフ。国すら造り上げられる月界を用いてその程度とは、『最弱』というのも存外大変なものだな。」
グレンの瞳からは、先ほどまでの興奮が綺麗さっぱり冷え切っており、アキトの擬似月界に対する落胆を、全くと言っていいほど隠せていなかった。
グレン曰く、一国すら築き上げられるという『月界』。しかし、ミカミ・アキトの手にかかれば、そのとてつもない力でさえも、たったひとつの小さな果物ナイフへと格を落とすことができるわけだ。
それでも、闇に落ちた一筋の可能性。それを掴み取るために、ミカミ・アキトは刃を握る。ミカミ・アキトは剣士に挑む。ミカミ・アキトは命を賭ける。
「やめといた方がいいぜ。お前は、これからその果物ナイフに負けるんだ。これ以上自分の格を落とすなよ。」
震える瞳を見開き、恐怖と戦いながら精一杯の力でグレンを睨みつける。しかし、それを対して意に介さずに、グレンは剣の柄へと手をかけた。
グレンとしても、その月界に警戒をしているのだろうか。剣を抜こうとする姿には、アキトでさえも違和感を持った。しかし、わざわざ挑発までしたのにも関わらず最大限の警戒というのは、グレンの今までの行動からしたら不可解な様相だと感じる。
彼が危惧しているのは果たして『脅威』なのだろうか?
アキトには、どうしてもそうは思えなかった。
そう、どちらかといえばグレンは。『時間』を気にしているのではないかと、やけにクリアな頭で考えた。
★
命を賭けたミカミ・アキトを、グレンは殺すことができない。
脳内に、何かが巡っていた。それは、月界だったのだろうか?そもそも月界というのは何なのだろうか?
わからない。ただひとつの理解は、それが力であるということ。
正直、その果物ナイフの力で何ができるのか、どう扱うのかすら分かっていない。脳内でぽつりと浮かんできたのはその月界の名前だけ。その月界を呼び覚ますための名前だけ。
数メートル先で佇むグレンの姿。頼りない果物ナイフ、それが、グレンという『死』と、アキトの未来というものを切り離す唯一の刃。
断ち切れるだろうか。切り取れるだろうか。一片も残さずに、一糸も残さずに。
もしも、もしかしたら、そんな話かもしれない。それでも、絶対に逃してはならない。守るべきものだけは、守りきるための武器で、護らなければならない。
そんなプレッシャーに塗りつぶされ始める思想、思考。何もかもが黒く見える。しかし、その黒を切り裂く金に救われる。
さすれば、うなじの方から這いずってきた何かが、アキトの頰を小さくくすぐった。
闇はアキトの首元に蔓延り、左腕に絡まりつきながら、勢いを止めることなく蝕み続ける。
それは、リンカーネーションの精霊。『フランベリアル』によって顕現してしまった、いてはならない存在。終焉を演じる7人の演者の1人。
闇精霊『アクセタリアン』。
精霊使いが珍しいわけでも、闇精霊が珍しいわけでもない。問題は、リンカーネーションの方にある。
リディアですら見たことのないような奇異的な方法で、彼女はグレンへと黒雷を撃ち放った。闇属性魔術の補助という一点において特化している闇精霊は、その身にこれといった攻撃スロットを持ち合わせない。
しかし、『アクセタリアン』が撃った『何か』は、黒き雷となってグレンを襲い、あまつさえ破壊力すら内包していた。
そんなリンカーネーションの精霊が、生きている。生きて、アキトを蝕み、叫んでいる。
『私は生きている。私は、君を、■■■■。』そう、叫んでいる。
リンカーネーションの命の息吹を、命脈の存在を、声高らかに宣言している。まるでアキトを安心させるように。
「ありがとう…………」
誰に向けた感謝だったのか、聞かなくてもわかった。何度言っても足りない。きっと、足りた、と感じることは、これからもないのだろう。だからこそ、何度でも言いたい。言わせてほしい。これから先も、ずっと。
その感謝を、日々としたい。
「力、足りてるの?」
「足りないな。」
ナイフを片手にグレンを睨め付けるアキトに、リディアが呆れたように聞いた。随分と情けないものではあるがそれに即答し、アキトはゆっくりとリディアに向き直る。
「力を、貸してくれないか……くれませんか。」
「…………協力して欲しい、って最初に頼んだのは私よ?」
「てめぇ、まじで性格曲がりすぎだろ。」
「初めて言われたわ。」
悪びれない様子のリディアに苛立ちながらも、今までの重圧が消えていくのを感じた。リディアが気を使ってくれたのか、そんな馬鹿な考えは即刻捨て去って、どうせそんな女だったと苦笑する。
たとえ性格が曲がっていようと、少女の生き様だけは変わらない。出会ってから、短いながらも今までの時間で、彼女の真っ直ぐな心根だけは知ったはずだ。
情けない。上等だ。
弱い。当たり前だ。
クズだ。お互い様だ。
力が欲しい。求め続ける。
「……!……あぁ、…………最弱昇華」
名前が浮かんだ。それはきっと、この武器の象徴だ。
★
リディアの保有する魔力量は、数多の魔術師たちを打倒する。魔力に魅せられた誰もが、その才覚に対して嫉妬した。その才能を妬み、少女ではなく魔力を評価した。
『才能とは、武器である。』
リディアの師事した男の、持論、座右の銘のようなものだった。
文面だけ見たならば、その言葉に不審なところはひとつもない。当たり前のことを、ただ当たり前に並べたにすぎない。しかし、その男に魔力を教わったリディアにとっては、全く違う意味を持っていた。
ほぼ全ての武器が魔力を用いて起動する魔装社会。その魔装社会であれど、いや、だからこそ、彼ら彼女らが持つ魔装は、その全てが例外なく重い。魔力機巧を大量に内包すればするほど、武器は重さを増し、扱うことへのハードルを上げ続ける。
彼は言う。才能とは、武器である。
才能を持つものは、武器を用いて戦う時に有利となる。しかし、その武器が役に立たない盤面に引きずり込まれた時。
武器は、重いだけだ。
才能に対するプレッシャーは、武器の重さとなってのしかかり、その道を全力で閉ざしにかかる。
才能があるだけ、才能だけ。そんな言葉への答えとして、少女への手向けとして、きっと彼はこの言葉を用意していたのだろう。そしてそれに気づけたのは、1人の少女と、哀れな剣士だけなのだろう。
「ッ!……それは……?」
才能を背負った少女が、才能を求める少年に驚きを漏らす。
声は徐々に平静を取り戻していき、最終的に小さな困惑を残した美声へと途切れていく。
少年から立ち上る魔力。
滝のような質量が流れ落ちるのではない。何かひとつ、太陽のようななにかが、とてつもない量のそれを解き放っている。アキトの全てを象徴するように、奮い立っている。
アキトの唱えた名前。
擬似月界というものを発動させるためのものがひとつ目の名前だとしたら。今アキトが唱えた名前は、『技』の発動だ。
声を乗せて、その力への触媒として、果物ナイフの希望を日本刀のように研ぎ澄ます、技。
「最弱……昇華……」
アキトの口から、古代帝国語として紡がれた詠唱の形。直訳したリディアの声は、不可視の因子に掻き消される。
「月界領域の拡大……いや、起動か。」
気付いたグレンの動きは、リディアの動体視力すら超えて魅せた。
ガクリ、と倒れたかのように見えたグレンの体は、既に体というよりも線となっており、それがグレンだと認識した時には、既に彼は眼前に居た。
アキトの脳髄を貫くように。叩き突くように、グレンの刃は金を放ち、輝きで持ってアキトの意識を断ち切ろうとする。
それこそが、アキトの擬似月界の起動だった。
「やっと、捉えた。」
「ッ……!」
微かに眉をひそめたグレンは、果たしてなにを思ったのだろうか。
手応えの無さ?強気の発言?アキトの表情?どこからだろうとおかしくない。けれど、抱いた感情はきっとひとつ。
危機感。
恐怖でも、怨嗟でも、屈辱でもない。ただただ磨き続けてきた、今からも磨かれ続ける勘が、グレンの迷走する行動選択肢の決め手となった。
グレンのしなやかな足が、形作る全ての筋肉を総動員してアキトを蹴り砕く。しかし、それは攻撃のための蹴りではない。それは、逃亡のための疾駆だ。
額から噴き出す血を拭い去って、アキトが吐き出す。
「喰らえ……ッ!!」
呟かれた言葉は、細々としていた。グレンに届くかもわからない。しかし、その言葉の内にとんでもない高揚と緊張を絡ませていた。
轟ッ!
地面の亀裂が境界へ、漂う魔力が暴風へ、駆ける因子が斬撃へ。己の前方に突き出した果物ナイフ。その切っ先から、暴虐が再現される。空間を喰らい尽くしながら理に蝕まれるそれは、魔法というには小さすぎる。しかし、剣撃というにはいささか語弊のある威力だった。
「攻撃反射。リデリア……と言ったか?」
淡々と語るグレン。その美しい低音からは、アキトへの最大限の警戒が見て取れた。
速すぎて、リディアすら状況を把握できなかった。
グレンの超速の打撃を、アキトの擬似月界の切っ先から展開した何かが阻み、それをそっくりそのままグレンに返し込んだわけだ。
つまりは。敵の攻撃を月界領域で受け止め、その受け止めた攻撃力を覚醒因子で再現し、相手に送り返すカウンター。アキトの擬似月界とはすなわち、最強の攻撃反射であり、敵にすら攻撃力を借りなければ勝てないアキトにしか発現できない、最強にして最弱の月界。
擬似月界『その最弱は力を求める。』
★
其の国は、繁栄という言葉の体現と言われるまでに栄えていた。灰の色に彩られた煉瓦たちは、その直方体を積み重ねて、絡み合わせて、重ね合わせて街を作り上げ、美しい様相を生み出す。
灰の街に木霊する子供達の声。喧騒に紛れる人々の足音。
その特異な街の在り方ゆえに、唯一と言える繁栄を極めた王国。グランティア整合前の国の中では、最強の戦国と称された『フラントロウム』すら喰らうと言われていた。
その根底にあったのは、国としての強さではない。何者にも変えがたい、王族たちの強さだった。
たったの1人で軍すら越えると言われたその国の王は、代々、ある宝剣を受け継いできた。
その国の名を冠し、その国の誇りを冠し、その国の月日と、世界を刻まれてきた剣。
それは、剣というカテゴリーの中で絶対的な頂点に君臨するものだった。
滅んだ王国の月日に彩られてきた奇跡、滅んだ王国に根付いた、個々の世界。それらは、決して悪戯に壊されていいものではなかった。1人の人間を歪ませるべきものではなかった。
たとえその惨劇が、英雄の器を生み出したとしても、その獣撃に意味はなかった。ただただ世界は焼け落ちて、ただただ命が溢れていって。そうして、英雄を志す、1人の少年を生み出した。
己以外滅んだ国の、己とその剣しか残らなかった国の、月日と、世界と、誇りを持って、彼はそれを月界とした。
突き詰められた少年の月界は、領域も、顕現も、何もかもが規格外。
そうして少年は、人でなくなった。
今でも咆哮を思い出す。焼け焦げた世界を思い出す。その女の横顔を思い出す。
弾ける音に焦げ付いた匂い。明るく世界を照らし、暗く命を啜る最悪の音。
その惨劇を、消し去るための剣だ。屠るための剣だ。殺すための剣だ。滅ぼし尽くすための剣だ。何かを、消し去るための剣だ。
それが、ジオ・グレンの英雄だ。
ひとつ、使用者が男であること。ふたつ、そこに意志があること。最後に、使用者が英雄であること。英雄で、在ろうとすること。
剣の名は、『オーグルシュテル』。ただし、今だけは『鉄骨』を使用剣とする。
そうして、刻まれた全てを、解き放つ。
「擬似月界『エウロノア・ペイルダム』。」
グレンの持つ『鉄骨』が、その輝きを別の輝きで塗りつぶした。見えないけれど、透明な何かが、確かに輝いているということを伝えてくる。アキトのように、魔力をひたすら解き放つのではなく、魔力を突き詰めて、どこまでも剣の形に固めた月界。
月界の触媒魔力を自由自在に操れなければ、月界の任意発動はできない。
しっかりとした根幹がなければ、刃は応えない。
だからこそ、なんの気なしに月界を発動したグレンの刃は、研ぎ澄まされている。
「最弱昇華…………!」
アキトも、その扱いきれているとは言えない因子で、必死に技を紡ぐ。
強固な月界領域で攻撃を受け止めなければ、アキトは攻撃力を持たない。月界の刃がアキトに通らなければ、グレンの剣はアキトに返され、文字通りの自殺でグレンは敗北する。
つまり、アキトの月界の防御か、グレンの月界の刃、どちらが勝つのか、そんな純粋な力比べ。
バカでまっすぐな激突は、音を越える。
「上だ。」
「ッ!!」
突き出した果物ナイフの切っ先、展開するは魔法陣のような円環。攻撃反射を使用するための、絶対的な要素。アキトの声に呼応して現れるその円環に、グレンの剣は突き進む。
鉄の骨。切り裂くことより、断ち切り、叩き潰すための骨。剣という名前を模した骨。そんな力任せの大剣が、アキトの全てを、希望の糸を、全力で持って叩き潰そうとしている。
その役目を、与えられた名前を、全うしようとしている。嫌という程、勤勉に。
叩き降ろされる『鉄骨』が、アキトの月界領域にぶち当たる。
一度震えて撓む円環。遅れて、暴風すら伴う衝撃波が樹林に吹き荒れる。轟音という概念を具現化したら、きっとこの惨状なのだろう。鼓膜を震わせ、ちぎり捨ててしまうのではないかと思うほどの振動と、地面に大穴でも開けてしまいそうな暴力的なエネルギーの放出。
魔法すら連想させる超威力の剣撃。ミカミ・アキトをすり潰さんと叩きつけられる剣は、グレンの今までの剣撃が子供の遊びに見えるほどの力を内包していた。
それでも、
「く……らえッ……グレンッッ!!」
ひび割れた声で、搔き消えそうな声で、ただ全力で、彼は耐えてみせた。
その力を押し切ることしかできない男たちの攻防は、最弱に軍配があがる。つまり。
覚醒因子が寄り集まっていく。渦巻いていく。
止まらない。止められない。それは、彼が望んだことだ。その暴虐で、破壊し尽くす剣撃で、リンカーネーションを救う。それこそが、ミカミ・アキトのただひとつの根底。
月界が、再現される。
★
「大丈夫?」
「は、……はい……生きては、います。」
「馬鹿ね、そんなこと分かるわ。けど、本当に生きてはいる、っていう状態なのもわかっちゃうのよ。」
冷徹に見える無表情に、若干、しかししっかりと見て取れるように、リディアは安堵を滲ませた。
アキトに頼まれた助力。それは、詰まる所リンカーネーションの救出。そして、その後の参戦。アキトにも、その月界の削り合いは予測できていたのだろう。いち早く避難したリンカーネーションとリディアは、その馬鹿な威力の剣を、余波という形にまで抑えて経験していた。
「アキト君に、伝えておいてくれませんか……?」
小さくか細い。消えてしまいそうな声で、リンカーネーションが言った。
「馬鹿なことを言わないの。人伝の言葉なんて、響くわけがないでしょう。あなたの意志を、私が伝えたところで、それは私の意志で汚れたあなたの言葉でしかない。」
「……でも、私……もう……」
リンカーネーションは既に、虫の息だった。呼吸の形すら危うく、生命の証明すら難しい。そんな、死にかけの状態。けれど、リディアはその無表情を崩さずにリンカーネーションに問いかける。
「求めても、いいんじゃないかしら。」
「……へ……ぇ……?」
「私は、彼と相性がいいとは言えない。正直、彼の良さもわからない。だから、変な諦めは捨てて、一緒に居てあげればいいじゃない?」
「そ、……それは……ぐッ!」
リディアの言葉に否定を重ねようとしたのか、力んだ弾みで血を吐くリンカーネーション。
明らかに高価なリディアの服に、鮮烈な真紅のアクセントを彩ったリンカーネーションに、金の少女は優しく言う。
「さっきの精霊、呼び戻しなさい。」
木々と煙が天上からの輝きを遮る暗闇の中で、リディアの声が響き渡る。
今はアキトに付かせている闇精霊『アクセタリアン』。それは、リンカーネーションの奥の手。いや、最初の刃。その精霊が普通の運用方法ではなく、得意な性質でもって呼応していることは、聞かずともわかった。
だからこそ、リンカーネーションの傷を治すには、精霊の力を借りるのが最善だった。
「彼を私に託そうなんて考え、やめなさい。」
「そんな……ことは……。」
「あなたは彼と生きたい。けれど、どうしてなのかしら。自分からその役目を退こうとしている。」
「……」
「だから、自分は死んで、彼の勝率を上げるために精霊を使った。」
曇天揺れ動く中、リンカーネーションからの反論はなかった。
アキトとともに居たい理由が、アキトを求める理由が、その少女には、リンカーネーションにはあったはずだ。きっと、初めて会っただけの間柄では、ないはずだ。
それなのに、リンカーネーションはアキトの隣を誰かに開け渡そうとしている。まるで、自分はいてはいけないのだ、とでも言うように。
だから、自分を助ける精霊を、アキトの救援に回した。
アキトが生き残る可能性は上がり、自分は自然に退場し、死ねる。アキトの隣を、誰かに託せる。
けれど、
「そんな馬鹿な真似、許さないわよ。リン。」
「だって、アキト君は!」
「彼は!……まだ、人の死を怖がっている。あなたが死ぬことも。私が死ぬことも。」
その原因までは、リディアにはわからない。しかし、義侠心や偽りの正義感。そんなものの片鱗すら見せないと言うのは、見せられないほど必死だというのは、グレンとの遭遇というものへの困惑だけでは片付けられないほどのものだった。
死を恐れて、それをなんとか乗り越えて、戦おうと奮起した彼が、リンカーネーションの死を見ればどうなるか、想像するのは容易だ。
「最善は……尽くします……。」
大量の血液で全身を濡らして、リンカーネーションがか細い声で呟いた。
「だけど、もし私が死んでしまったら。アキト君のこと、死なないくらいには見てあげてくださいね?」
「守らないわよ。そんな約束。」
ふわり、リディアの隣を何かが遮った。
黒く、闇色の何か。おぞましさと神秘的ななにかを共存させる。精霊。
「酷いですね。」
「初めて言われたわ。……いえ、2回目ね。」
いても、いいのか?だって、自分は。
苦笑い気味に言われたリンカーネーションの声に、冗談かどうかわからないリディアの真面目げな声が続く。
少女の葛藤は続く。
「私はもう……人じゃないのに……ッ」
そんな弱々しい言葉は、リディアにすら届くことなく、『アクセタリアン』の渦に飲み込まれていった。
★
はじき出される覚醒因子は、既に剣撃を超えた破壊へと姿を変えており、その先を進む先陣は、グレンの胴体を既に歯牙にかけていた。
再び巻き起こされる暴虐の嵐。ただし、次の獲物は紅蓮の剣士。吹き飛ばされる彼の体が、初めて危なげな色を魅せた。その姿すら土埃に紛れて消え去り、果物ナイフを持つアキトだけが残る。
「ハァ……はぁ、はぁ、……最弱昇華!」
そして、吹き荒れる暴風と砂塵に土煙、それら全てを一蹴でねじ伏せ、一筋の黒が世界を駆ける。
次は、ノータイム。アキトの月界ごと貫くのではなく、アキトの結界をすり抜けて意識を刈り取るための、暗殺とも見紛う一撃。
しかし、ミカミ・アキトは油断を、慢心を捨てていた。
「上があれば下がある。そういうことだろ……?」
「貴様も、本くらいは嗜むか。」
切り結ぶ剣がアキトの円環を弾き、跳躍するグレンが退避した。
ナイフの中でくすぶっている嵐は、まだその存在を主張している。グレンの初撃は、まだナイフが覚えている。再現は容易い。
けれど、それですら厳しい。
次のグレンの一刀は、きっとそういう類の刃だ。
「月界顕現……」
ボロボロの地面が、息を吹き返したかのように震えだす。かすかな気配、輝き、それが、魔力の奔流だということが、アキトにすらわかった。
地面を枯らしてしまうほどに魔力を吸い上げる、グレンの『鉄骨』。その刃に宿る不可視の輝きは、きっと先のグレンの一撃を軽く上回る。アキトの円環を叩き割る。
アキトは、迎え撃つしかない。
グレンにもらった攻撃力で、グレンが放った最強の一撃を、迎え撃たなければならない。
「『エウロノア・ペイルダム』」
振り下ろされる剣は、世界を白く塗りつぶした。
振り上げられるナイフは、暴虐の嵐を連射した。
たった一刀の銀閃、いや光線といっても過言ではない刃に、アキトの出せる最大限の攻撃を重ねて、まだ足りない。もらった攻撃を、押し返されないように、蝕まれないように、壊されないように、必死で重ね続ける。絶対に、負けられない。
守るための刃と、消し去るための刃。
本当の変換機を使用していないことを考慮しても、彼の月界はアキトを超える。だからこそ、アキトの月界はそれを塗りつぶし続ける。
負ける……負ける?
負け続けてきた、人生だった。
徒競走から人間生活に至るまで、勝ちたいと願っていた無垢な少年は、いつしか勝利を願いすらしなくなった。それほどまでに、打ちのめされた。
よかった。それで不幸を被るのは自分で、気持ちの悪い笑みを貼り付けて、仮面の下で燻るのは、自分だけだった。けれど、今は違う。今は、今だけは、守りたいと願う。勝利を、ただひたすら願う。
(勝ちたい……いや、勝たないといけない。)
願うことすら忘れた少年の、立ち向かうことを覚えた少年の、最初の勝利。それを、華々しく飾るように、グレンの刃が弾けて、花火と見まごうほどの火花を散らす。
(君のために、俺のために。)
剣撃の白に塗りつぶされる世界で、感覚すらなくしながら、生き絶える寸前まで体を張って。
(勝利を、求める。ただひたすらに……)
アキトの果物ナイフが振り切られる。天を突き、世界に掲げられたナイフが光る。
「勝ちたいッッッ!!!!」
白く途絶えた世界に、緑が生える。
弾き飛ばされた何もかもが、その刃の前に、平等に砕け散る。そうして、そこに集った月界の全てが、その展開を終了する。
火は、消え去った。
樹林を円形にくり抜きながら吹き飛ばされたグレン。そして、直立するアキト。
世界が震えた。
初めての勝利だ。最弱の反撃の狼煙と、それに値する、初めての勝利。
最弱が世界に示した、宣戦布告。
ボロボロだ。死にかけだ、血まみれだ。
そうして。
ミカミ・アキトは今日、人生で初めての『勝利』を、その手に掴み取ったのだった。
★
血液の脈動と、やけにうるさい心臓が、どうしようもないほどに騒いでいた。押しとどめようとしても、押さえつけようとしても、湧き上がり続ける勝利への歓喜が、息すら危うい喉から笑みを吐き出す。
呼吸すら厳しい状態の喉をすり抜けた笑い声は、枯れてひび割れてしまいそうなアキトへの、祝福のようだった。
初めてだった。誰かを守りたいと思った。自分すら投げ打って、守ろなければならないと奮起した。トラウマさえ食い荒らして、乗り越えて、下克上を叩きつけた。
求めて止まなかった、求めることさえ諦め掛けていた勝利を、1番欲しかった勝利を、勝ち取ることができた。
「アキト君っ!」
膝を曲げたら立てなくなってしまいそう。そんな不安と、もう動きたくないという徒労感に立ち竦んでいたアキトに、愛らしい声が走ってくる。といっても、リディアの肩から腕を抜き、自分の容態を省みない無謀な走行だ。
少女の体はガクリ、と揺れ、「あぐっ!」と地面に叩きつけられる。
「っ、リンカーネーション!大丈夫なのか……!?」
グレンの一撃に伏したリンカーネーション。その姿を、アキトは今の今まで見ていなかった。リディアに一任していたのだから当たり前なのだが、激闘の余韻すら切り裂く少女への心配は、いささか過剰なようにも見えた。
呆れるリディアは目に入らないのだろう。闇に身体の所々を覆われているリンカーネーションがアキトを、血液と切り傷に蝕まれるアキトがリンカーネーションを、互いが互いに心配の声を投げかけ合うという騒がしい状況に、抉り取られた樹林は一瞬でシフトした。
「良かったぁ……!アキト君、生きてるぅ……!!」
涙と嗚咽で回らない舌で安堵を叫び、リンカーネーションが必死にアキトへ抱きついた。
それを優しく抱きとめて、見たこともないような表情で微笑むアキトにも、目尻に小さな涙が浮かんでいた。
「そういう顔も……出来るじゃない……。」
不意に浮かんだアキトのいつもとは違う表情に、ほんの少しのときめきを感じたが、最終的にバカップルへの苛立ちに変換されたリディアの人差し指が、アキトの額を弾いた。
「いでっ!……お前、一応怪我人だぞ……」
「私にはいつも、目つきが悪いわね。」
「は……?」
「なんでもないわよっ。さっさと行くわよ、後始末だってあるんだから。」
プイッとそっぽを向いたリディアの背中に怪訝そうな目を向けて、アキトがため息を吐く。
「なぁ、リンカーネーション。」
「な……なに……?アキト……君……」
ただならぬアキトの雰囲気に気づいたのか、はたまた己の考えが露呈しただけなのか、リンカーネーションが真っ赤な顔でビクリと跳ねる。ふわりと浮き上がる茶髪が、リンカーネーションを抱きとめるアキトの腕をくすぐった。
この少女に、どれだけ救われただろう。
ずっとだ。馬鹿な自尊心、いや、幼稚な癇癪で迷惑を吐き散らして、自分ですらどうするればいいのか分からない。そんなどうしようもないアキトを、リンカーネーションは優しく救ってくれた。
力を求めるアキトを、正しい方向に導いてくれた。戦うための知恵をくれた、指標をくれた。生きる意味を、一緒に探そうとしてくれた。
何もなかった。空っぽだった。
あの雨の日から、ずっと笑えなかった。心を貫いた巨大なトンネルを、特大の無力感だけが通り過ぎ続ける。心を、体を、頭を、嫌な方へと冷やしていく。
そんな何もなかったアキトに、引きずることしかできなかったアキトに、新しい生き方を、立ち直るための手助けを、身を以て施してくれた。
「俺……お前のことが……!」
「あ、……き、と……く」
ずり落ちたリンカーネーションの生首が、ぐちゃりという下品な音を立てて地面に広がった。
「……は……ぇ……ぁ?」
すっぱりと切れた首の断面は、噴出する血液がキラキラと輝いており、ピンクの表面とのコントラストが美しい。首をなくした絶世の美女は、いっそ背徳的なまでの美しさとして美術品とされていてもおかしくない。それが、リンカーネーションでなかったのなら。
だくだくと流れ落ちる血液は、やがてアキトの服にすら真紅の輝きを纏わせていく。
「ほうけるな。敵だぞ。」
そして、いつの間にか眼前に、グレンがいた。
剣を差し出してリンカーネーションの首を見下ろす男は、アキトに言う。戦え、立ち上がれ、と。
「ッッ!!てめえ!なんて事、しやがッッ!!」
グレンが『鉄骨』をアキトに投げつける。思わぬ重量にとり落としかけるも、真っ赤に白熱した思考回路はそんなことをさせる暇もなく、目の前の敵に剣を振り下ろす。
しかし、一瞬、動きが止まった。
そのまま憎しみのままに剣を振り下ろせば、やっていることは本当に自分の信念と合致しているか?それは、守るための力となっているか?そんな疑問が、脳内を埋め尽くした訳ではない。
ただ、怖かった。
人をいとも簡単に殺せてしまうその状況が。あっさりと人が事切れる瞬間を見るのが。
月界で空間ごと消し飛ばしたなら、きっとそんなことは思わなかった。けれど、目の前で人が死んでしまうこと、その加害者側に回るまでの覚悟を、アキトはまだ持てていなかった。
そんなくだらない理由で、リンカーネーションの仇討ちは終わる。
「時間切れだ。所詮はこんなものか…………」
呆然と立ち尽くすアキトから『鉄骨』をとり、鞘に戻して息をつく。
そこには、侮蔑、落胆、想像するのもおぞましい悪感情が、こびりついていた。
「動くなよリディア。俺からすればこれはただの死体だが、この男にとっては想い人の大事な肉の塊だ。辱められることは、言葉にし難いほどの屈辱のはずだ。」
アキトの先、魔術を既に構えていたリディアに対して、グレンの言葉が矢のように飛ぶ。
リディアが一度行動を間違えば、リンカーネーションの肉塊は生命への冒涜の限りを尽くされ、憐れな挽き肉となって世界に溶けることになる。
それが、アキトにとってどれ程の苦痛となるか、相対する3人全員が知っているから。
グレンは、その場で頂点となった。
「教えておこう、ミカミ・アキト。この世界での生存戦術だ。」
頰に付着したリンカーネーションの血液を拭い、焼け落ちたように佇むアキトにグレンが刃を差し込む。それは、言葉という刃。今のアキトにとって、どんな刃より痛い刃。
「ひとつ、貴様は弱い。月界を手に入れたくらいで、1人の人生の修練を超えられるというのは、紛れもない冒涜だ。」
「ふたつ、人を殺すことを躊躇うな。自分の尊厳しか見ていない愚か者だから、貴様は想い人の仇討ちさえできないゴミに成り下がったんだ。」
「みっつ、成果のない努力は、努力ではない。」
「覚えておくといい。貴様の望んだ結末に辿り着くために。」
ミカミ・アキトの望んだハッピーエンドに、辿り着くために。
樹林を巡る壮絶な闘争は、その一幕を経て、終幕と相まった。




