10.【改心劇→快進撃】
思い出せ。思い出す。
大きな隙はチャンスである。己の全身全霊を叩き込み、その全力でもって敵を滅ぼし尽くす。その一手に向かう、最大の近道。狭く、短く、そして何より高々と聳え立つ、『間』の境地。
大きな隙はピンチになり得る。彼の隙が小さすぎるブラフだった場合、決着の一手への道だと思っていた細き道が、先のない渓谷へのジャンプ台だと気付くことになる。
隙を叩くのが『間』の境地だとするならば、隙を嘯くのは『魔』の境地。人を惑わす虚実の意志で、敵を砕き切る一太刀だ。
それほどまでに、隙というものの捉え方は混迷を極める。それこそ、歴戦の死域で太刀を振るうグレンであっても、見切ることが難しいほどに。
この世界にはルールがある。絶対に捻じ曲げることができず、決して欺くことのできない、永久不変の世界の理。それを掻いくぐることは不可能であり、それの支配を逃れることはすなわち王への反逆となる。で、あるならば。それを真っ当から受け止め、それの支配と和解すること。それこそが、真に賢者と呼ばれる聡明な生き方であり、己の意志を世界に刻む謀反のナイフ。
魔力とは。その不変のルールに1番規則的に従う万能物質だ。魔力の調律の正確さは、他の物質とは比べ物にならないほど高く、この世界で1番解明されており、この世界で1番不思議な物質とされる。
魔力を掌握すること、それすなわち『世界』を理解すること。
そのことから、古代帝国では魔双師を『会人』と敬うこともあったという。その名残として、フラントロウム魔力関係試験の紋章は、そのほぼ全てに立方体をその手に乗せるエンブレムが用いられている。
そんな魔力に真に向き合う人間は、たとえ魔力を上手く扱える人間であってもあまりいない。工房や研盟で魔力を弄くり回すような魔力を扱うのが巧い人間なら話は別だが、本来そんなことを考えなくていいように発案された魔術だ。その影響は大きい。
火は大きく、燃え上がる。
いっそ神々しくすらあるその火柱は、確かな熱でもってアキトの肌を優しく焦がす。
★
炎の連鎖。火種は火へと、火は炎へと、やがて焔となった熱量の渦は、その勢いを増しながら世界を喰らっていく。その腹に剣士を匿っていようと、その渦中にグレンを呑み込もうと。己の意思が、動き続ける力がなくなるまで、消えることなく壊し続ける。
「上手くいってくれて助かった……!」
妙な高揚感と緊張の板挟みで心臓が軋む中、震える声でアキトが言った。立ち上がることすらできないとても言うように、彼の体は炎の余波によってダメージを受けており、興奮状態でなければ泣き喚いていてもおかしくないほどの痛みに苛まれていた。
爆風で半ばからへし折れた木に手をついて、爆ぜた地面に膝をついて、ほっと一息ため息をつく。
そんなメンタル満身創痍のアキトに、ひび割れるような声が響いた。
「アキト君!!!」
純白のメイド服を煤で汚し、潤んだ瞳のリンカーネーションが駆けてくる。珍しく絶句するリディアの横を通り抜けて、息を切らしたリンカーネーションがアキトの元へと到着。コンマ数秒もかからずに左手を取る。そして、それに喜びに満ちた微笑みでアキトが応じる。
見た目だけを見たら重傷そうに見えるアキトだが、その実被弾率はそこまで高くない。痛みの度合いも、アキト基準であって一般基準ではないため、正直言ってミカミ・アキトは絶対的に軽傷のようなものだ。
だからといってリンカーネーションの心配が止むことはないが、大袈裟すぎるのでは?と苦笑が出てきてしまう。そんなアキトに対して、ひんやりとした声が続いてかけられる。
「今の、どういうカラクリかしら。」
元々無表情に定評のあるリディアだ。たとえ自分に想定のしていなかったオーバーアタックが叩き込まれたとして、放心する時間は対して長くない。瞬時に我にかえってアキトに問いかける彼女には、魔力を扱う者としての純粋な探究心が、無表情の裏に見え隠れしているように見えた。
轟々と燃え盛る炎を眺めてアキトはリンカーネーションから左手をゆっくりと引き抜いた。
「魔力は何にでもなる万能物質であり、この世界を形作る循環物質。」
魔術を生み出した初代賢者。詠唱せずとも脳髄の電気振動のみで魔術を発動していたとされる原初の反逆者。世界の理に背こうとした愚か者であり、世界の理に殺された唯一の贄。
そんなメデル・テンプルという男が綴ったとされる自伝の一文。魔力学の参考書には必ずといっていいほど引用されている、魔力の枕詞。
「それがどうしたの?」
「魔力が循環物質なら、とんでもない魔力は火に成ったあとどうなる?」
リディアの体内で燻っていた魔力たち。それを具現化して、炎とした魔術。その威力には、それ相応の魔力が付きまとう。 現在進行形で炎に成っている魔力の結合が解けた時、炎という形を保てなく成った時、魔力たちはどうなるのか。
「空中に霧散する……。つまりはどういうことかしら。」
「魔術、それも使う魔力が多ければ多いほど、結合が解けた魔力は多く空中に霧散する。そして、その魔術数発分の魔力が霧散。結合して炎になって具現化する。」
リディアの使用した火属性特級魔術『インフェルノ』は、彼女の適正に非常に綺麗に合致するものであり、威力でいえば並みの魔術師には指先すら届かない極地の魔力量を持つ。そんな魔力が空中に霧散するということは、リディアの規格外の魔術に注ぎ込まれた魔力の全てが、その量を一切減らすことなくこの空間に敷き詰められるということだ。
本来は実現不可能である永久機関の礎になりうる超力、魔力。その特性のおかげで、グレンの周りには魔力が満ち満ちていた。充分すぎるほどに。
そして、『魔術』が湧き上がる。
しかし、この理論に当てはめて考えるなら、アキトの説明には抜け落ちている点がひとつ発生する。それは、
「どうして魔力は勝手に火属性に結合したの?」
魔力の粒が決まった形に結合して初めて、魔力は火や水、時には雷や土にすら変換される。アキトの話ではグレンの周りに魔力が満ちただけ。その魔力がどうやって火属性の魔力結合を成したのかが説明されていない。
世界のルールは不変だ。何もないところに突然魔力が現れるということは特例のひとつを除いてなく、なんの変哲もない魔力が突然炎へと姿を変えるということも、もちろんあるはずもない。
では何故か。
「思い出してみろ。あの時、あの瞬間、グレンは何をした?」
「あの人が何を……君を殴り飛ばした事くらいかしら……?」
「そうだ。グレンは俺の特大の隙にまんまと食いついて、俺に剣を振り下ろしてしまった。魔力の塊を、叩き潰してしまった。」
「……!…………魔力暴発?」
通常、特殊魔石の崩壊に使われるその単語は、ある種のスラングとして魔力によって引き起こされる暴発、という広義において使われることも少なくない。つまりは、リディアのその推理は見事に的中したわけだ。
「グレンほどの剣士が剣を振り下ろしたら、一帯の魔力は相当な力で地面に押し付けられる。そして、そこで火属性の魔力結合を完成させる。その結果、グレンから一帯の魔力は火になり、ああなるんだ。」
未だに燃え続ける火柱。最初の勢いは削がれてはいるもののその熱力は凄まじく、アキトの指差す煉獄の中では、何者の命の接合すらも許さない苛烈さがあった。もちろん、リディアの全魔力が火に変換されたというわけではない。変換されるのは、あくまでグレンに叩き潰された魔力のみ。
グレンの前方で燃え盛った炎は、あくまで火種。そこから空気中に立ち上り、爆風で煽られ、木々に燃えうつり、その大出力の死は誕生したのだ。
「ありがとう、リンカーネーション。」
「ぁ、アキト君……」
小さく告げられた言葉。そのアキトの感謝対して、リンカーネーションの浮かべる表情は非常に複雑だった。
幸せそうにはにかんだかと思えば、その危険を顧みない行動に今更ながら戦慄し、少年の在り方を歪めることへの罪悪感が再燃する。けれど、それに瞳を潤ませながらも、少女はアキトの名前を呼んだ。
彼を彼とするために、悲しみを殺した。
「でも、まだだろ?」
痛み。鼓動に乗って全身を駆け巡り、悪戯にミカミ・アキトを陵辱する身体の悲鳴は、いくらその状況の特殊さであってもかき消すことは出来なかった。軋む体を叱咤して、尻込む心を叱責して、小さな覚悟で大きな脅威に反旗を翻す。
立ち上がった体は、ひどく頼りなかった。
レンズ越しに揺れる瞳は、どうしても弱々しかった。
震える指先が、全てを物語っていた。
英雄の強さに嫉妬した。英雄の強さに叩きのめされた。英雄の強さに救われた、憧れた。
ミカミ・アキトは英雄じゃない。
勝てるはずのない強敵に挑む、無力で無謀で無様な挑戦者だ。力を弁えない、生に醜くしがみつく愚者だ。
しかし、何よりも『英雄』に触れた。何よりも『痛み』に触れた。何よりも『限界』に触れた。
誰よりも、力を求めた。
炎が晴れる。
紅蓮に巻かれて尚立ち上がり、その炎すら支配してしまいそうな剣士がいた。
燃えるローブなど気にも留めず、肌を焦がす炎など視界にすら入れず、ただ、最弱を見た。
「ここからが、本物と言われるものだろう?」
最弱の見据える先、数多の剣士の中での最強が笑った。
きっとそれは、イルス歴で初めて行われる、『捕食』だ。
★
張り詰めた空気の中、膨らみ切った風船に針を通すが如く。一瞬で状況は流転する。
弾けた空気を叩き割り、グレンの豪脚が地面を蹴り砕く。亀裂すら顔を出せず、隆起すら許されず、崩壊する地面を、最強の剣士が駆け出した。
アキトの眼前。いや、視界の上。剣を溜めたグレンの姿が、まるで転移でもしたかのように現れる。
振り抜かれる剣の鈍色がアキトを塗り潰す直前。
「アキト君!眼鏡!」
アキトの背後で声がした。言われるがままがむしゃらに、恐怖に瞳を張り詰めて、レンズの横に取り付けられた厚い部分を潰す。さすれば、カチリ、という音とともにスイッチが押し込まれる。アキトの指を押し返して戻ってくるそれが何を作動させたのか。それを考えようとしたところで、身体ががくりと力を失った。
全身をめぐる血流に、張り巡らされた筋肉に、固めたばかりの弱々しい決意に、何も力が入らない。
体の真ん中に漠然と溜まっていたエネルギーを放出して体を動かそうとするも、その流れ出したエネルギーはどこかに流れ出して体のどこにも行き渡らない。
内臓全てをひねり出されたような不快感に膝をつく、そして、グレンの剣が横薙ぎにアキトの頭蓋を捉える。
「同じ愚者だと、そう言いたいわけか?」
グレンの剣。それは、剣士にとっての至高。誰もが彼に憧れる。誰もが強さに恋い焦がれ、己の刃に汗をうつす。
その剣は、たった一太刀で世界を斬り、たった一合で破壊を呼び出し、何者にも侵すことのできない最強の剣。しかし、彼の剣を防いだ絶対の破壊者が、たった2人だけ存在する。
その内の1人。賢者の男。彼は全てを防ぐ盾を生み出した。それは目に見えず、触れられず、そして形を持たない。その名を『ガルディエル』。
世界最高峰、神話級の結界にあやかり、精霊にすら名の拝謁を許された、絶対の防御。
それはグレンの剣を防ぐ。そう、まるでアキトが今行ったように。剣の斬れ味を消失させる技。ミカミ・アキトには使えるはずのない、伝説の拒絶。
「失礼します」
跪くアキトの頭上、グレンの鼻先に向けて、空気を斬るリディアの剣閃が走る。
剣すら扱わずにそれを躱し、高く跳躍して背後に退避するグレン。その表情には、言い表すことのできない苦悶が浮かんでいる。
「それが、君の特殊魔装?魔力が足りないから連発はできない。まさに貴子に騎士剣ね。」
「取り敢えず……はぁ……馬鹿にしてるってことはわかったぜ……ぐ、腹黒女」
体内の魔力を眼鏡に吸われ、生命活動に必要な分すらなくなってしまった代償。それが、吐き気に目眩、体の不調の詰め合わせとしてアキトにダイレクトアタックを仕掛けてくる。屈しそうになる身体に、リディアへの悪態を力とした精神が膝を突くなと鼓舞する。
アキトのこめかみで小さく電気がバチリと迸り、攻撃拒否の完了を告げた。
「今の炎でダメージがないってわけじゃないだろ?」
「ええ、そうね。何箇所かは、機能を殺せているんじゃないかしら。」
革手袋をはめ直し、グレンの鋭い双眸がアキトを射抜く。それは、半身の魔を穢したことへの憤怒か、怨嗟か。もしくは、そのどれにも当てはまらない逡巡か。
パチパチと燃えるローブを放り捨て、風にたなびくそれが赤の軌跡を描きながら消えていく。
寸前の大火によってのダメージがゼロ、もしくは限りなくないに近いのだとしたら、アキトたちの勝ち筋というものはなくなり、天から差し込んでいた細い細い希望の光は完全に絶たれたことになる。
しかし、人の体というのはそう簡単なものではない。
斬れば斬れ、殴れば倒れ、燃えれば燃える。
絶対に傷つくことがない体など、すでに人間と呼ぶにはこの世と乖離しすぎている。
つまり、多少はダメージを負っている今が、グレンを倒す絶好のチャンス。
「でも、だからといって攻められるかって言われたら……」
アキトとリディアの前方。剣を鞘におさめ、まだ静観の姿勢を取っているグレンに向かって立ち向かっていけるものがこの世にどれくらいいるか。あのプレッシャーの死地に、誰が足を踏み入れて大丈夫だと判断するのか。
武術の心得などかけらも無いアキトですら、それがどれほど馬鹿なことなのか理解できる。
だからこそ、その参戦はその空間を支配するには充分すぎるほどの破壊力を持っていた。
「『アクセタリアン』。」
凛と響き渡る声は、不自然すぎるほどに樹林に響き渡り、木々を駆け巡って消えていく。
紅蓮というとてつもない熱量の色に侵食されていた樹林が、その一声で、その一瞬で、赤は黒に塗りつぶされた。
「詠唱…………ではない……?」
リディアが不思議そうに、不可解そうに、そして何より目を見開いて驚きながら、しかし無表情といっていい表情で、それを見た。
リディアの言う通り、それは詠唱ではなかった。己の体内の魔力に、声という形で振動を与え、その振動によって特定の形となり物質に変換される、魔術。それには、一定の定型文が存在する。
火属性の最上級、特級魔術の『インフェルノ』をはじめとして、その種類は多岐にわたる。しかし、彼女の発した言葉はそのどれにも当てはまらない。
ならば魔法か、とも考えたが、魔法の詠唱にしては短い。その上、なにか特別な事情がない限り、魔法はノータイムで発動することができ、威力、速度、利便性、その全てにおいて魔術を遠く突き放す。
では、詠唱のような文言が必要な戦闘技法とは何か。
「精霊。私の出せる、全力だから。」
見たこともないほど真面目な表情で。何かがそこに立っていた。
★
魔力というのは不思議なもので、驚くほど法則にぴったりと当てはまるものもあれば、その事象に対して適切な説明ができない場合も多く存在する。それほどまでに存在がアンバランス。それでいてこの世界になければならない存在。
そんな魔力を染め上げることは、非常に困難とされている。
かつて、数百年という歳月をかけて魔力に特殊な情報を注入して、奇ッ怪なモノを作ろうとした聖職者がいた。己の信じる神すら冒涜し、世界の理を弄び、その己すらボロボロにして。
ただの魔力によって作られる魔術。それは、多少の個人差はあれどそこまでの威力はない。もちろん、人1人を消し炭にするのなら充分すぎるほどの力ではあるのだが、その相手が荒野いっぱいに広がる軍勢だったとしたら話は別だ。一介の魔術師にその殲滅などできるはずもない。
で、あるならば。発現するかもわからない魔法や顕現魔法に想いを馳せるよりも、もっと効率よく強くなれるのでは、と。その聖職者は人の道を外れ始めた。
曰く、魔力一粒一粒に今以上の『力』をもたせたら、繰り上がり的に魔術の威力も上がるのではないかという理論だ。
初めて日の目を見たその理論は、同盟の伝染力でもって世界中を駆け回り、荷台に乗せきれない賞賛を抱えて戻ってきた。
誰もが魔術界の躍進を確信した。魔力学の確たる一歩だと納得した。誰もがその理論を、未来の世界を変えるものだと歓喜した。
そう、全てはその通りだった。
魔術界は躍進した。禁忌というものを取り締まる『禁忌境界』を結成し、世界の治安の良さはうなぎ登り。確かな躍進を遂げた。
魔力学は確かに一歩を踏み出した。魔力というものがどれほど危険かを学び、2度とそんなことが起きないようにと。
未来の世界は変わった。魔力の根本から見直されて。
彼の研究者は、『禁忌境界』初めての禁忌指定となり、静かに首を駆り落とされた。
『禁忌境界』分割線ナンバー0001。世界の終末、崩壊の可能性である7つの世界終焉律にすら指定された技術。いや、それは技術と呼ぶにはおぞましすぎる。かといって研究成果と呼ぶには世界に与えた損害が多すぎる。
そう、例えるならばそれは、『儀式』。
魔力に特殊な情報を注入して、魔力自体の性能をあげる。では、どうやって魔力に強化コードを注入するのか?1番の問題はそれだった。
しかし、彼は思いついてしまった。魔力と強化コードを繋ぐ架け橋の存在に。魔力をその身に宿し、事象にすら変換できてしまうものが、存在してしまったのだ。強化コードを魔力に流し込めるものが、居てしまったのだ。
それこそが、『ヒト』と呼ばれる物だった。
その効果は絶大だった。
強化コードによって生み出された魔力で魔術を使う。その予定だったはずが、生み出されたのは魔力ではなかった。それは、魔力というものを超越した、全く別の存在。ものによっては魔法すら超えてしまうほどの、とてつもない禁忌。
しかし、そう簡単にそれが顕現するわけではない。強化コードとなるのは人間の思想だ。人の脳で魔力を司る春刹で、その人の思想に長い期間晒され続けた魔力は、その思想を汲み取って変化する。徐々に形を変えた魔力は、思想魔力となる。これが集合することによって、魔力を超えたそれらが顕現する。
そして、魔力を集合させる方法こそ、この研究の1番の欠陥であり、世界にとっての損害。
集団で、自壊するのだ。
魔術、魔法、顕現魔法を一切使わずに、意識ある限り脳内を『何か』に塗りつぶし続ける。そうして大量の思想魔力を溜め込んだ魔術師、魔法師たちは、その思想魔力を集合させるために頭蓋にナイフを差し込む。
一気に放出された『何か』の素は、結合して『何か』を実体化させる。それは剣であり、人であり、災害でもあった。
4大魔力災害に数えられ、魔力顕現現象と呼ばれるそれは、研究者の名前をとって『禁忌境界』へと登録された。その名を『フランベリアル』。
リンカーネーションの扱う精霊すら生み出した、始まりの禁忌である。
★
リンカーネーションの左腕から這い出てきた黒い影、いや、どちらかというと闇が、とぐろを巻いて少女の柔肌を覆い尽くしていく。大した感覚もないのだろうか、特になんの反応もなくそれを受け入れて、リンカーネーションが跳ねる。
それは跳躍だ。決して飛翔ではない。なのにも関わらず、リンカーネーションの肢体は木々の上を翻り、耳朶を叩き割るような鋭い音とともに、黒き雷をグレンへと撃ち落とした。
グレンの体を走り回り、尚勢いのおさまらなかった黒雷の残滓が地面を滑り、確かな風圧とともに駆け抜けていく。
その黒雷を弾き痺れる腕に顔をしかめるグレンが、その闘争心を剥き出しにして跳躍。中空で自由落下を始めるリンカーネーションの真芯、腹のど真ん中に跳び蹴りを突き刺す。まるでロケットのように飛び出していったグレンの足をすんでの所で回避し、リンカーネーションが闇を再び携える。
うなじを突き破るようにして放出された闇は、その黒をガバッと広げ、リンカーネーションの周りを高速で回り始める。やがて一筋の輪となった闇。
リンカーネーションの表情にグレンの剣筋が影となって落ちる。瞬間、黒の円環は割れ、その先端を鋭く尖らせながらグレンに突貫する。回転の勢いそのままに、とてつもないスピードで駆ける闇の刃。
その切っ先はグレンの頰を掠め、グレンの剣筋はリンカーネーションの左肩を叩き割る。
「ぐっ、ぅ、ッ!!」
肩にめり込んだメイド服から血が滲み出し、やがて噴出し始める血液とともに、リンカーネーションが地面に叩きつけられる。
ドォン!というけたたましい音は、土煙と僅かな血液の匂いを振りまきながら霧散。受け身をとって地面に降り立つグレンの鼻腔で呆気なく溶けた。
その血の匂いは、ミカミ・アキトにも届いた。
脳内。
雨に濡れたアスファルト、人、人、人、刃。そして、叫び声。嫌という程に状況を実感させようとしてくる、血の匂い。
それは、人が死ぬ時の匂いだ。
「リンカーネーションッッ!!!!」
何かが、引きちぎれた。
溜め込んだ無力感が、屈辱が、義侠心が、全て消えて、なくなっていく。全てが弾けて、何か違うものが湧き上がってくる。戦いたいのに戦えない。そんな自分への苛立ち。湧き上がるたびに掻き消されていくそれはとどまることを知らず、やがてそれは消える速度すら上回り、力への渇望に変わる。
力が欲しい。
勝つためじゃない。
殺すためじゃない。
保身のためじゃない。
生きるためじゃない。
力が欲しい。あの剣士を倒すことができるほどの力が。あの刃に立ち向かうことのできる力が。
グレンを倒すためじゃない。自分が生きるためじゃない。違う。そうじゃない。もっと純粋に、力を望んだんだ。
戦う意志で勝てるなら、どんなに良かっただろうか。こんなにも心は決まっているのに、体の震えは止まっているのに、目的を捉えて、噛み付いて、絶対に放してやるものかと歯根を食いしばっているのに、見えない。
可能性が、絶対的に欠けている。
倒せる可能性。生き残れる可能性。なにもない。
でも、そのためなら、そんなことの可能性なら無くていい。こっちから捨ててやる。
だけど、だけれど。
リンカーネーションを守るための力を、リンカーネーションを助けられる可能性を、それがたったひとつでもあるのなら。
(俺は、それが、欲しいッ!何よりも!)
引きちぎれた何かから、これまた何かが溢れそうだった。初めての感覚に恐怖を覚えるも、脳髄から脳汁の滲み出していくような感覚は、次第に酸素が体に巡っていくような感覚へと変わり、そしていつしかたったひとつの意志の元へと集まっていく。
彼は力を渇望した。その最弱は、力を求めた。
『リンカーネーションを守る為に。』
ゴゥッ!そんな音が聞こえてきそうなほどに、目に見えない何かがアキトから溢れ出す。当人ならまだしも、その感覚はリディアたちにすら伝わっていた。
「ッ、今なのか……ミカミ・アキト。貴様……覚醒因子を……!」
空間がねじ曲がり、歪んだような。メガネのレンズや蜃気楼を帯状に引き伸ばしたような『歪み』が、アキトの周りを漂っていた。
覚醒因子の放出には過多なストレスと、それに対する反骨心で発生する性質がある。
しかし、ミカミ・アキトの場合は違う。純粋に、己の目的のためだけに、弱さを捨て、強さを求める。その真っ直ぐな意志。それこそ、ただの一瞬でグレンを圧倒するほどの覚醒因子を叩き出す根源。
覚醒因子の放出の先にある、力。それを、引き摺り出す。手繰り寄せ、食らいつき、その手に収めようと咆哮する。
アキトから立ち上る覚醒因子は光すら捻じ曲げ始め、輝く帯を無数に出現させている。
覚醒因子の結合によって、人は『力』を得ることができる。
「擬似月界『その最弱は力を求める。』……!!」
ミカミ・アキトの左手には、一振りのナイフが握られていた。
あの事件から、触れるどころか見ることすら嫌った物だ。しかし、今は違う。それは、簡単に人を傷つける。殺める。それを知っているアキトだからこそ、それが武器としてどれだけ脅威なのか知っている。
殺すためじゃない。守るために。ミカミ・アキトは刃を握った。
力が、欲しい。そう言ったアキトに、少女は「どうして?」と問いかけた。
それに対してアキトは戦うためだと嘯いた。では、なぜ戦うのか。つまりは、なぜ力を求めるのか。答えることのできなかったその問いに、アキトはやっとの事で答えを見つけられた。
もしもう一度問われたのなら、少年はこう返すだろう。
「誰かを、守る為に。」
世界が生み出されて数多の時が流れた。
運命の導きに従って、世界は破滅と再生を繰り返し、やがてはひとつの文明を叩き上げた。
剣と魔法の世界。そう称されることの多い、所謂ファンタジー世界の誕生である。
そんなとてつもない時間の中で初めて。
『最弱』を背負った無力な少年が、反撃の狼煙を上げた。
全ては、守る為に。




