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香記  作者: 鏡春哉
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Ⅰ 佑磨⑤

 女――もとい、警察庁特設管理課所属の土方稀と共に、街中を練り歩いてさらに一時間。俺たちは究極の〈ゴミ箱〉に行きついていた。

「土方さん……、ここはアリだよな」

 俺は〈ゴミ箱〉の方を向いたまま、土方に話しかけた。

「そうね。アリだと思う。……あと、私の事は『稀』って呼んで貰って構わないよ。あぁ、そういえば。君の名前を聞き忘れてたね」

 土方も、〈ゴミ箱〉の方を向いたまま、答える。

「俺の事は『少年A』で構わない」

「それはたいそうな名前ね」

 会話が交わされているはずなのに、一向に視線が交わされない、この状況。やむを得ないと言えばいいのか。それ程、俺たちの意識は〈ゴミ箱〉へ向けられていた。

「この地区の住民ではないけど、人通りは少ないし、時間的にもまだ余裕がありそうだし。捨てる、なんて行為は一瞬だから、まず問題はないと思う。うん。多分、ここが一番のベストポイント」

 そういう土方の視線の先にあるのは、とある地区のゴミステーション。防鳥用に建てられたのか、灰色の金網で覆われたスペースが、今俺たちの目の前にある。

「そうだな。集まっているゴミ袋の種類からしても、今日が可燃ゴミの日だという事に相違ない。……確かにここらの住民ではないけれど、漁りに来たわけではないから、誰も咎めはしないはずだ」

 ここで漸く、俺たちは互いの顔を見た。どちらも真顔だったが、土方の瞳はやけに据わっていた。まるで、もう、此処しかないとでも言っているようだ。俺も同じくして、此処しかないようだと彼女に目で訴えた。

 互いの意見など、最早聞く必要もなかったのだ。二人して形ばかりの確認を取ったのは、指定された場所以外のゴミステーションにゴミを捨てるという、所謂ルール違反への後ろめたさから来るものだったのだと俺は考えている。

 俺が小さく頷くと、土方も小さく頷いた。俺は左手に持っていた黒い傘を土方に託し、思い切って、踏み止まっていた場所から動き始めた。

 一歩進んでしまえば、その後は流れるようにして事は進んでいった。大股でゴミステーションの入り口に近づいていき、金網で出来た戸を開く。瞬時に中に入り込んで、山になっているゴミ袋の一部を取り除いた。ある程度取り除いた後、未だに湿っている、満杯のビニール袋を乗せた。それから取り除いた分のゴミ袋でそれを覆い隠し、そそくさとゴミステーションの外に出た。戸を閉め、大きく息を吐く。

 いつの間にか、土方が俺の隣までやってきていた。彼女はお疲れさまとでも言うように、黒い傘を俺に手渡してくる。俺はそれを無言で受け取って、ゴミステーションから離れた。

「……それにしても、警察の人間が、これを許容するとは思わなかった」

 元来た道を戻りながら、俺は独り言を呟いた。あざとくその言葉を聞き取った土方が、心外そうな表情で俺を見た。

「今更何言ってんの。……あー、もしかして。今になって、罪悪感に押し潰されそうになってるとか? あるよねぇ。やらなきゃ良かった、なんて後悔することって。でも、やっちゃったものは仕方が無いもんね」

 警察にあるまじき言葉を連発する土方。俺は、溜息で返答した。

 警察内で例外扱いをされている彼女に、俺は端から期待していなかった。結果としては律儀に解決してくれたのだが、思った以上にルーズな人柄だという事も知ってしまった。そこが例外クオリティであると言わざるを得ないが、その事はかえって、都合が良かったのかもしれない。警察としての正義感か否かは知れないが、土方が執拗に手伝おうとしてきた真意はいまだに理解できていない。しかし、結局助けて貰っている身からすれば、ルーズなお陰で後腐れなく別れることが出来るのは有難い話だ。

「それで、だけれどもね、少年A君。さっきからずっと訊こうと思ってたんだけど。……君は何も、ゴミ捨てだけを目的としてこの辺をうろついてたわけじゃないよね?」

 ……ルーズでも、後腐れは悪かったようである。考えてみれば、「そんなに大荷物を持って、一体全体どこへ行くのやら」と尋ねるのは、当たり前の事だ。況してや、土方は曲がりなりにも警察の人間なのである。疑るという行為は、人一倍にあるはずだ。

「当然だろ。たった一袋のゴミを捨てるためだけに、こんな大荷物を抱えたりはしない。……祖父母の家に行く途中だったんだ。ずっと不要なものを持ち歩くのが嫌だったから、ゴミ箱を探していたにすぎない」

 我ながら気の利いた〝嘘〟を付けたと思う。唐突に話しかけられた時よりは、十分に落ち着けている証拠である。

 土方は「ふーん、そっかぁ」と言うだけで、それ以上、詮索しようとはしなかった。一応、この嘘はまかり通ったというわけだ。一瞬肝の冷える思いをしたが、そこまで警戒せずとも案外うまくやれるのかもしれない。

 ただ一つ気になるのは、土方が含みを孕んだ表情をしている事である。もしかすると、彼女は納得しきれていないのかもしれない、とそんな考えが脳裏を過ぎる。こうやって考えすぎるのは俺の悪い癖だが、考えすぎるに越したことはない筈だ。とは言え、あまりにも慎重になりすぎると、例えば土方につかまる、なんていう事が起こる。

 かみ砕いていえば、悪い予感しかしないという事だ。俺は、とても面倒な人につかまってしまったのではないかと、今更ながらに寒気を感じた。

「じゃあ、ちょっとだけ付き合ってよ。少年A君、まだ朝ご飯食べてないでしょ」

 再び俺の思考回路が停止した。良い大人が八歳男児に対して、食事に付き合わせるとはどういうことなのか。土方に言われて空腹を思い出したというのは確かにあるけれど、それにしてもおかしな話である。

「やっぱり、誘拐犯か。……警察と言えば、人は安心するからな。そういった心理の抜け穴みたいなのを利用していたわけか」

 疑わし気な目で土方を見遣ると、彼女は素っ頓狂な顔をした。

「うそ! ここでまた警戒されるなんて、全然考えてなかったんだけど!」

 彼女は自分自身の発言の何が悪かったのか、気付いているのだろうか。今時、知らない大人に誘われれば、まず警戒心を持つのは当前の事ではないか。それでいて付いていくなど、余程大人の口が上手かったか、子供の方が考えなしかのどちらかだ。

「……そもそも、そんなに軽いノリで誘われるほど、俺たちは親しくない。加えて、年齢差が甚だしい。あんたは、俺の事、同級生だとでも思っているのか」

 子供に諭された土方は、特に不快感を露わにすることもなく、すんなりと認めた。

「そうね。うっかり同い年の感覚で話しちゃった。でも、そうなるくらい、少年A君はませてるよ?」

 俺は呆れた目で土方を見た。身長百二十五センチの俺に対して、今までの会話を取り上げるだけで同級生と思えるものなのだろうか。身長の低い大人などいないと豪語しているわけではないが、事実、俺は大人ではないのだ。精神的にはどうかと問われると判断しかねるが、生きた年数を考えれば、立派な子供なのである。

「ごめんごめん。冗談だって。それで、食事に付き合ってくれる気になった?」

 どうやら土方と言う人間は、諦めが悪いようである。非難がましい視線を送り続けても、彼女は笑みを絶やさない。

「…………何が悲しくてあんたに付き合わなければならないんだ。俺はさっき、祖父母の家に行くって、はっきり言ったよな。それをなんで邪魔されないといけないんだ」

 俺が溜め息交じりに言うと、土方はまた、含みのある表情を浮かべた。瞳の奥に、何かを隠しているようにさえ感じられた。それが何なのか、訊かない限り俺が知る由もない。恐らく訊いたとしても、土方は「大人の事情」と言って話を逸らすだろう。

 期待などしていない。最初からそうだったではないか。用事は済んだのだから、さっさと立ち去ってしまっても、何ら問題はない。

「ゴミ箱探しを手伝ってくれたことには感謝している。でも、それ以上馴れ合おうとは思っていない。俺たちは最初から、赤の他人なんだからな」

 きっぱりと言い切ると、土方は何処か、寂しそうな顔をした。

「そう、だね。うん、そうだ。目的は果たしたもんね。じゃあ、私はもう行くことにするよ」

 口から出る言葉と、表情が一致していない。出会って一時間で情でも湧いたのだろうか。確かにこれでは、警察官は務まらない。例外にされてもおかしくはない。

「俺ももう行かないと、次の予定があるんだ。……ついでだけど。公私は分けないと仕事にならないよ。これ、俺からのアドバイスだから」

 それだけ言って、俺は土方に背を向けた。肩ずれしてきたリュックを背負いなおして、元来た道を戻り始める。その時、後ろから呟き声が聞こえてきた。

「あぁ、小学生にアドバイスされるなんて、思ってもみなかったなぁ」


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