Ⅰ 佑磨④
翌日。俺はレジャーシートを畳んでリュックに仕舞い、全ての荷物を持ってドームを出た。本音としては、此処でゆっくりと黒い傘を調べたかったのだが、場所が場所である。公園というのは文字通り、公の園と書いて公園だ。いつ誰が来ても可笑しくはない。
俺の年齢からして、公園にいてもさして違和感はないかもしれないが、なにせ、大荷物を持って出歩いているのだ。不審がられる可能性の方が高い。故に人目につかない時間――午前七時前頃を目安に、公園を出るのが妥当だと俺は考えたわけである。
しかし、こんなに朝早くから公共の図書館が開いているはずもなく。俺はそれを見越して、ゴミ箱探しから始めた。俺の右手には、未だに湿り気のあるビニール袋が握られている。いい加減、これをどうにかしたいと考えていたのだ。
歩く先々でコンビニのゴミ箱を見かけたが、俺は悉く素通りしていった。最近のコンビニは厳しいのだ。店の外に開けっ広げにあったゴミ箱は、今や店内に仕舞い込まれるかのように設置されている。故に、持ち込んだゴミを捨てるや否や、容易に店員に目を付けられる。それでもって何を捨てているかを見られてしまったら、怪しまれることは目に見えている。
児童の括りに入れられている俺が、ビニール袋いっぱいに詰め込んだ濡れた洋服を、何故かゴミ箱に捨てている。何があったのか、と、訊かれざるを得ない状況に陥ってしまう。つまり下手をすれば、身元が暴かれてしまうのである。今此処でばれてしまえば、最悪の事態が待ち構えていることは言うまでもない。
だからコンビニのゴミ箱は避けているのだ。しかし、それ以外のゴミ箱となると、探し出すのも一苦労だ。コンビニと同じくして、人目に付く駅のゴミ箱は端から除外されているし、かといって、都合の良い場所にゴミ箱が設置されているわけでもない。
時間の有効活用だと思って始めたゴミ箱探しだが、順番を間違えたのだろうかと弱音を吐きそうになるほど、目当てのゴミ箱が出現することはなかった。幸いだったのは、今日の天候が曇りだったという事くらいだろうか。
ゴミ箱探しから延べ一時間弱。公共図書館が設置されている街の隣町で、俺はコインランドリーなるものを見つけた。無人のコインランドリー。一瞬、服を捨てずに繰り返し利用すればいいのではないかという考えが、脳裏を過ぎった。けれども、俺はその考えをすぐに捨てた。
既に、俺のリュックサックは服と必需品で満たされている。これ以上、何かが入る余地はない。また、コインランドリーで洗濯をする小学生というのも、ある意味目立ってしまう。
残念なことに、その店の仕様は全面ガラス張りになっている。故に、俺は外からでも、中の様子を見て取ることが出来た。つまり、中で行っていることは全て、外に丸見えだという事なのだ。もっと言えば、八時台になって人通りが増えてきたこの通りのコインランドリーで、洗濯をするという行為は、危険極まりないのである。折角人目につかないゴミ箱を探していたというのに、服を惜しんで目立つ行為をしてしまえば、全てが水の泡になる。
それに加えて。あの時間、あの瞬間に身に着けていた服など、金輪際着たくもないし、見たくもない。謂わば、精神的にも手放したい代物なのだ。
そうと決まれば、ゴミ箱探しを続行する他はない。あと一、二時間すれば、図書館も開館する時間になる。それまでに、何とか見つけ出して、さっさとしがらみから解放されたい。そんな思いで歩き続けること、約半時。
俺の思考は大混雑していた。
隣町から戻る方向でゴミ箱探しを続けていた最中、俺はとある女に話しかけられた。その女が、昨晩に出会った女ならばまだ良かったのかもしれないが、そうは問屋が卸さない。俺に話しかけてきた女は、茶色がかった髪を一つに束ね、薄手のベージュのトレンチコートを羽織っていた。ぴっしりとした黒のスーツパンツを穿いているあたり、大学生以上の女性と考えられる。表情は妙に柔和で、如何にも大人ぶったような態度だった。
そして、彼女はその表情で話しかけてきたのである。
「君、もしかして迷子?」
初めは何とか理由を付けて逃れようと考えていたが、その理由を考えるだけの思考回路が、途絶えてしまっていた。それは周りの大人がちらちらと俺たちの様子を窺う態度にも起因されていたが、突然話しかけられたことが一番の理由であろう。
俺は、一番肝心なことを見落としていたのだ。否、見過ごしていたのだ。
大荷物を持った子供が、朝っぱらから通勤者に紛れて街をうろついている。
これ程目立つ行為が他にあるだろうか。
俺が「見過ごした」と表現したのには、一応きちんとした理由がある。この言葉の意味通りに、無視をしても問題はないと判断しただけであって、決して考えなかったわけではない。
と言うのも、俺の行動範囲が、通勤通学者の多い町中だったからである。言うまでもないだろうが、通勤通学の時間帯になれば自ずと人の量は増えていく。その中で大荷物を持った子供がウロチョロとしていようが、誰も気には止めたりしない。言うなれば、集団心理というやつである。
自分の事で忙しいから、気にかかることが目の前で起こっていようと、端から除外する。こんなに人が多いのだから、きっと、何処かの誰かが気に留めてくれるだろうと思いながら。そんな思考が、全員の心内で起こっていたらどうなるのか。
結果、誰も足を止めることなく通り過ぎて行くのである。
それを踏まえて、俺はあえて街中を歩きまわっていたのだ。特定の年齢層が揃いやすい公園よりも、目立ちたくないという点では、街中の方が断然、安全であるからだ。それにも関わらず、話し掛けられるとはどういうことか。
確かに、集団心理というものが結束力の高い心理状態であるとは、断言できるものではない。故に例外が出てくるリスクは勿論存在する。今の事態は、それを考慮に入れなかった俺自身の失点であり、見過ごした行為への浅はかさが如実に見られる結果である。
そんなどうでもいい事だけが、脳内を猛スピードで駆け抜けていく。ちゃんと脳みそは働いているのに、この場を凌げる適当な理由だけが思い至らない。
何故こんなにも困惑しているのかは、考えたくもない。が、いつも以上にフル回転している頭は、本当に余計なことだけを露見させていく。
つまるところ、想定外な事態が起きたことへのショックと、あまりにも場慣れをしていない状況だから、困惑している、という事だ。
女が首を傾げたので、そろそろ何か話さなければ怪しまれる。俺は取り敢えず何でもいいから、と言っても核心を突いてしまわないように、何かを喋った。
「ま、迷子じゃない。ゴミ箱を探していたんだ」
我ながら、馬鹿なことを言ったと思う。話し掛けてきた女も、柔和な笑みを崩して、困惑したような苦笑を浮かべていた。
でも、仕方がないだろ、と言いたい。頭を真っ白にさせながらの発言なんて、碌な言葉しか出てこない。それに加えて、核心を突かないようにと思いつつ、思いっきり本当のことを言ってしまうとは如何なことか。――核心と言っても、大した話でないことは分かっている。ただ、この話題が糸口になりかねないことを危惧しているのだ。
女は苦笑しつつも、「あそこのコンビニにゴミ箱があるけど……」と提案してきた。俺は即座に首を横に振った。
「コンビニは基本、ゴミの持ち込みが禁止されているから、別のゴミ箱を探してるんだ。許容されているのなら、端からゴミ箱を探そうとしたりはしない」
なんとも可愛げのない返答である。二度あることは三度あるというが、これ以上ませた口をきいていると、相手を不快にしかねない。
それじゃあ、と半ば無理矢理に女から離れようとした。早く会話を振り切りたいと、いてもたってもいられなくなっている俺にとって、それ以外に方法を思いつかなかったのだ。
「あ、なら、私も一緒に探そうか? 一人よりも、二人の方が効率がいいでしょ」
女は俺を引き留めた。ませたガキには、ませた説得を。そう考えでもしたのだろうか。何故そうまでして手伝いたいのかは甚だ疑問だが、俺の返事は初めから決まっている。
「別にいい。それより、あんたは大丈夫なの。人助けなんてしてる暇があるの」
突然子供らしさを出してもおかしいので、俺は同じ口調で撥ね付けた。
「そんな暇があるから、君に話しかけたんだけどな」
暇人が何故、通勤通学ラッシュの雑多の中にいる。女の呟きに、俺は心の中でツッコミを入れた。危うく口から出そうになるのを必死で抑え、平静を装う。
「暇なら他をあたればいい。俺は別に、困ってなんかいない」
「でも、君、かなりの間ウロチョロしてなかった? 確かに、ここら辺って、ゴミ箱無いもんねー。あ、駅の中は探した? そこなら絶対設置されてるでしょ」
女は執拗に話しかけてくる。向こうからすれば善意から来るものなのだろうが、正直迷惑なことこの上ない。――それにしても、今の発言からすると、偶然見つけて話し掛けたというよりも寧ろ、かなり前から様子を窺った上で、俺に話しかけたというニュアンスの方が強い気がするのだが、気のせいだろうか。
「誘拐犯……?」
女の顔が強張った。無意識のうちに、口から零れていたらしい。なんにせよ、出てしまったものはもう、取り返せない。かと言って、前言撤回をしようとも思わない。
「うーん、そう捉えられるとは思ってもみなかったなー。まぁ、言われてみれば、怪しい人に見えなくもないかもしれないけど。でも私、全然怪しい人物じゃないよ?」
「自分で自分を怪しくないって言っても、説得力は皆無なんだけど」
すかさず切り込んでいく。女は唸りながら、「どう言えば納得してくれるんだろう……」とぼやいている。
「んーーーー、これを見せてもいいのかは分かんないんだけど。この際仕方がないね。変に誤解されて通報されでもしたら、困るのは私の方だし」
そう言って、女は懐から、小さな臙脂色の手帳を取り出した。その一番初めの頁を開き、俺に見せる。
そこには、写真と名前、性別、生年月日、年齢、血液型、そして「特設管理課」という文字が刻まれていた。その隅には、警察庁の文字と、そのマークが描かれている。
俺は女に焦点を合わせた。女はバツの悪そうな笑みを浮かべていた。
「所謂、私服警察とかいうやつか」
「うーん、まぁ、そういうところかなぁ」
彼女は、後悔でもしているかのような顔をしながら、手帳を仕舞った。
「……警察庁の人間が、見回りをしているのか?」
「まぁ、そんな感じかなぁ」
「警視庁ではなくて?」
女の笑みが固まった。彼女は笑うのをやめ、真っ直ぐに俺を見据えた。
「大人の事情って言ったら、君は納得しないんだろうけど。でも、世の中には例外が数多にあるからね。私はその例外の一つ」
「特設管理課に所属していることが、例外って事か?」
女は、「君は察しがいいから、ほんと困るなー」と苦笑した。
「まぁ、そういう事なんだよね。……でも、ここであんまり掘り下げても意味はないし、きっと君も急いでいるだろうから、これ以上は言うつもりはないよ? あと、そろそろ私に仕事を全うさせてもらってもいいかな?」
ここまで言われて、俺は漸く相手に失礼なことをしていたことに気が付いた。気まずくなった俺は、目を逸らしつつも、小さく頷いた。
女は、打って変わったように満開の笑みを浮かべた。
やっぱり、頷かない方が良かったかもしれない。
後悔先に立たずとは、まさにこの事だ。




