第1話 旅路(2)
ベルザウア家という大商家がある。
交易都市ベルバウムを拠点として、西大陸全土で交易を中心とした活動をしている一族である。
当主は交易王とも称される老人、レイリクス・ベルザウア。
彼はイーリンの祖父でもある。
齢を重ねながらも、それを感じさせない風体。
その彼は、目の前に広げた本を眺めていた。
それは本の形をした魔法道具。レイリクスの商売道具の一つである。
複数の本がセットとなり、文章でのやり取りで長距離での連絡が可能となる魔法道具だ。
彼は直飼い衆と言われる直属の組織との連絡に、よく使用している。
「ふむ、現在の位置はこの辺り・・・。船足は速いが、寄港回数が多いのが幸いかな。
これなら、追いつけなくなる事もないだろうね」
レイリクスは、筆を取り本に記入する。そして、連絡先を選び内容を送信した。
連絡先は、直飼い衆の一人。
そして、直ぐに返信がきたことを確認する。
「おや、張り切っているようだね。さすが、ムツキ」
レイリクスは満足そうに微笑んだ。
「大旦那様から連絡よ。進路はこのままで良し」
「了解っと。もう少し船足を上げるか?」
「そうね、あまり接近するなとは言われているけど。もう少し近づいておきましょう」
2本柱の中型船の上に、ムツキはいた。
船上では不似合なメイド服姿。相変わらずの無表情だが、彼女を見慣れた人間であれば、彼女が興奮していることが判ったであろう。
彼らが乗っているのは一見すると普通の交易船に見える船。しかし、これはベルザウア家の所有する魔動船であった。
赤月号と同じ時期に作られた姉妹船である。
もっとも、ケンカイの所有する魔法道具で強化された赤月号と比較すれば、性能は劣る。
それでも、ベルバウム家所有の船の中では最も早い船である。
蒼月号という名を持つこの船の船長は、先日、直飼い衆に編入された海走りのキヌート。 魔動船を操る事のできる中年の魔法使いである。
「大旦那様からの指示が来ましたか?」
船倉から上がってきたのはレイトンであった。元イーリンの侍従長をしていた青年だ。
現在は、無事直飼い衆の訓練を仮終了し、今回の任務に同行している。
「ええ、とりあえずは、当初の予定通りで問題なさそうね。
そちらは大丈夫?」
「まあ、赤月号と同じですので」
「じゃあ、問題ないわね。他の乗員は問題ないかしら。見てくるわ」
ムツキは船の他の乗員の様子を見るために船倉に移動した。
その後ろ姿を見て、キヌートがぼそりと言う。
「ムツキの嬢ちゃんも張り切ってるこったな」
「大旦那様から、連絡用の魔法本を頂いたようなので・・・」
それは、直飼い衆にとって信頼されたという証拠でもある。
今回の任務は、ムツキを司令官として行う事となっていた。
彼女としては、初の大役となる。
「でも、あの連中だろ。俺達のフォローなんていらない気もするがね」
キヌートは、自分たちの任務対象を思い浮かべる。特にごつい体をした化け物のような男を。
「まあ、お嬢様もいますし。やはり心配されているのでしょう」
「そんな、甘い爺さんじゃないと思うけどねえ。大旦那は」
キヌートは、頭を掻く。そして改めてレイトンを見た。
「それにしても、随分と引き締まったな。やっぱり、ムツキの嬢ちゃんの言うとおり、今までサボってたのか?」
「いや、無理やり鍛えられただけですよ」
レイトンは苦笑いを浮かべた。今の彼は以前の執事めいた服装ではなく、船員と同じ動きやすい薄手の服を着ていた。
「今回の任務が終ったら、再訓練です」
「特殊技能無しの直飼い衆は、大変だな」
キヌートは魔動船を操る能力を認められて魔法使いとしての編入であり、レイトンとは立場が異なっていた。
レイトンはムツキの推薦という強制加入である。
そのため地獄の様な訓練を課せられていたのである。
まだ未熟と指導役からは言われているが、今回の任務の対象にイーリンもいるため特別に仮卒業させられていた。
「まあ、お互い給料は上がったんだ。給料分は働こうぜ」
「いえ、別に前の給料でも不満は無かったんですけど」
気楽そうにいうキヌート。レイトンはそこまで気楽になれない。
彼が心配しているのはイーリンの事である。
彼女が嫌がっていた結婚話は無くなったのだが、更に危険な状況になっている気がしてならないのであった。
蒼月号の現在位置は、赤月号まで2日ほどかかる距離である。
最初は一週間以上必要な距離が空いていたのだから、大分追いついてきたといえよう。
「もう少し近付いて置かないと・・・、でもケンカイ様に見つかる訳にはいかないわね」
ムツキは海図を見ながら考えていた。
「いっそのこと、私だけメルメルに乗って近くに待機・・・。長丁場になる可能性が高いから駄目ね」
ムツキは自分の使役獣であるシャチのメルメルを思い浮かべたが、即座にその案を却下した。
メルメルは蒼月号と並走するように泳いでいる。
もっとも、基本的に海中にいるためその姿を直接目にすることはめったにない。
蒼月号の乗員は、選ばれたメンバーだとはいえ普通の船乗りである。
彼らを脅かす必要は無いのだ。
護衛をするのであれば、いっそのこと自分が赤月号に乗り込んだほうが良いのではないかとも思うのだが、それはレイリクスに禁止されていた。
あくまで、秘密裏に行動しろというのが基本命令だった。
多少、納得いかないことではあるが、彼女にとってレイリクスからの命令は絶対だ。
結局、半日分の位置にまで距離を詰めておくことを決断し、それをキヌートに告げるムツキだった。
ケンカイは悩んでいた。
彼と契約をしていた海竜リオウについてである。
リオウが行方不明になってから、何度も強化念話を試しているが反応は帰ってこない。
リオウから得た加護である言語魔法の効果が切れていないので、リオウが死んだ訳ではないことは判っていた。
「まあ、そう簡単にくたばるような爺さんじゃないからなあ」
とりあえず、リオウについてはそう思っている。問題は、今の旅の目的についてどこまでイーリンに話すべきかということだった。
彼女には、故郷の島へ帰ることと、ついでに知人からの依頼である海賊を狙っている事しか教えていない。
海竜であるリオウのことや、狙っている海賊が天竜と関係があることなどは教えていないのだ。
これは、どこまで彼女を信用すべきかケンカイに判断がついていないことでもあった。
そもそも、竜の話などお伽噺の分野である。
正直に話しても信じてもらえる自信も無い。
そういう意味では既に一緒に過ごして2年近くなる奴隷娘のリネスや、リオウの子供であるユッキと、イーリンは明確に違うのだ。
そして、イーリンの背後にいるのはレイリクス・ベルザウア。
彼の目的が何か判らないが、ケンカイの背後にいると思っている魔法使いと接触を持ちたがっていた。
彼はそれが竜と呼ばれる存在だとは知らないだろう。
知ってしまうと、どうでるのか。ケンカイの頭では予想がつかなかった。
それでも、旅を続けるにはイーリンの協力が必要となっている。
実の所、海姫のマスターであるケンカイは、やる気になればイーリンの意志を無視してでも船を操る事はできなくもなかった。
だが、操船をしながら全力で戦えるかどうかということになると、それは無理である。
相手はリオウを無力化するほどの実力を持っている事は間違いない。
迷宮都市の地竜・ハデスの警告もある。
さすがに、今の状況で相手の実力を侮ることは、さすがのケンカイでもできなかった。
「もうちょっと、齢が上なら悩まないんだが」
たとえイーリンと婚約扱いになっているとしても、15歳の少女に手を出す気にはなれなかった。
そもそも、イーリンが本当に自分に惚れているのかどうかも判らない。
据え膳喰わねばという話もあるが、港々で娼館に寄って発散は済ませている。
ケンカイの好みは、彼女よりもっと年上の女性である。
「さて、どうするかね」
結局、結論がでないまま手の杯を乾す。
状況が変わるまでは、現状維持でいいか。
そう思ったケンカイは、再度、酒を満たし口を付ける。
とりあえず、海に出ることが出来て、美味い魚を釣ってそれを肴に酒が飲める。
もうしばらくは、この生活も悪くないだろうと思うケンカイだった。




