第1話 旅路(1)
空は青く、海も碧い。
その海を走る船があった。
帆柱はあるが、そこに帆は掛かっていない。
帆柱にあるのは先端の旗のみ。
その旗が示すのは、西大陸でもっとも有名な商家の旗。
ベルザウアの魔動船・赤月号は、たった4人を乗せて、今日も海原を航海しているのだった。
ケンカイという男は、不思議な男であるという事は判っていた。
何しろ、出会いが出会いだったのだ。
海賊船団を一人で海上を走りながら追いかけていた男。
ベルザウアの名前にも、何の反応も見せなかった男だ。
大商家にて、交易の利権を握り、大陸一と言われる程の財力を持つ一族。
それがベルザウア家である。
大陸の隅々にまで交易船を派遣し、利を求め、財を貯め、巨万の富を持つベルザウア家。
他人から媚びられることはあっても、自分から媚びる必要は無かった。
だから、自分の思うままに生きてきたのだ。
生きて来れたのである。
イーリンは、わずか15年であるが自分の生きてきた結果の象徴である赤月号を見てそう思った。
赤月号。
現代の技術が生んだ魔動船。
赤月号は、古代魔法文明の遺物を改造したわけでは無い。
さすがに制御核のみは、古代魔法帝国の物を利用せざるをえなかったが、船体自体は現代の技術で作られた魔動船である。
もっとも今は、海姫というある意味古代魔法帝国の技術の落とし子である自動人形に乗っ取られたといってもいい状況なのであるが。
その結果、魔法使いでは無いイーリンが、直接船を制御できるようになったのは皮肉な事でもある。
生まれ変わった赤月号。船体は少し小型の中型船ぐらいである。
海姫という自動人形と融合したイーリンは、すでに手足のごとく操ることが可能となっていた。
以前の赤月号と比べると、船速も2割増し。武装も比べ物にならないほど整っている。
そして、乗員の少なさと内部の効率化によって積載可能な荷物の量は、従来の倍以上となっていた。
しかも、ケンカイの魔力を利用しているために、稼働させるのに必要な魔法石が不要となっている。
さらに、居住空間についても大幅に改善されている。
豪華客船以上の装備に加え、軍船を遥かにしのぐ武装、快速船を凌駕する船足、中型船以上の積載量を持ちながら、実質的な運用コストは零に近い。
理想を超えた船である。
夢の船と言ってもよいだろう。
「なのに・・・」
イーリンは、綺麗な長い赤髪に覆われた額に手を当てた。
眉が顰められているのが、自分でも判る。
「なんで、漁船扱いになってるのよっ」
「どうした。 船酔いか?」
「馬鹿、そんなのになるわけないじゃないっ」
ケンカイは、船尾で釣り糸─むしろ縄に近い─を握っていた。
縄は、大銛に巻きつけられている。ちなみに大銛は、リオウ作の魔法の大銛では無く普通の大銛だ。
丸太の先についた巨大な銛先。今回のはカエリが付いている、完全な漁用の物である。
「今度は、あっちの深場の方に行ってくれ。大物を狙いたい」
「ご主人さま、小さいのはこれでいいですか?」
「ああ、リネスも手馴れたな」
その隣では、奴隷娘であるリネスが魚を捌いて干物にしていた。
小さいとは言っても全てが50cmを超える魚である。
釣った魚の半分は、ケンカイが樽にいれてそのまま凍らせている。
こうすれば、次の港に遠海の魚を新鮮な状態で届けられるそうだ。
同じことを、魔法道具を利用して再現しようとすると、どれだけのコストがかかることか・・・
最初、そのやりかたを見た時、商売人であるイーリンは頭が痛くなった。
というか、バカらしくなる。
遠海の高級魚を新鮮な状態で持ち帰られる。
欲しがる金持ちは多いだろう。
イーリンの伝手だけで考えても、欲しがりそうな客はすぐに多量に思いつくのだ。
そもそも、氷をコスト零で自在に作れるだけで、商売に徹すればあっという間に巨利を得られるはずだ。
商売人としては、非常に勿体ないと思ってしまうのだった。
「あ、ご主人さま。あっちで、魚が逃げて海上をはねてますよ」
「大きな魚に追われている群れか。大物がいるといいが」
リネスが指さす先は、遥か遠くである。
人間の目で見える距離ではないのだろう。少なくともイーリンには見えなかった。
「ジョナサンで探してみますね」
遠くの空から海面に近づく鳥の姿。
リネスの使い魔である鴎のジョナサンだ。
リネスが魔法使い、しかも使い魔という高度な魔法を行使する魔法使いだと知った時、イーリンは驚いた。
リネスはイーリンより年下の少女だ。体の起伏は乏しいが、可愛らしい茶髪の少女である。
なんで、魔法使いが奴隷なんてしてるんだろう。と、リネスを改めて紹介された時にイーリンは思った。
ここまで高度な魔法を使えるのなら、金の稼ぎようなどいくらでもあるのだ。
そうしたら、魔法を覚えたのは奴隷になった後だと言われて、ある程度納得をしたのだが。
ケンカイが魔法の素質を認めて、奴隷として契約したのかなとも思う
判らないのは、なぜ、今でも奴隷のままでいるのかということだ。
リネスは、地下迷宮で相当稼ぐことができたらしい。
契約奴隷の契約を解除するのに、何の問題もない額である。
ケンカイの傍を離れたくなさそうなのは、態度や雰囲気を見ると判るけど。
どうみても、あれは惚れた男に尽くす女の仕草よね。
と、ケンカイの婚約者となっている筈のイーリンにとっては、あまり面白い物では無い。
それに、使い魔だけでは無く、雷や炎を自在に操る魔法を行使した姿を見た後では、強く出れる訳もなかった。
リネス自体が素直な娘で、すぐに仲良くなれたこともある。
「あ、ご主人さま。魚の群れを追いかけているの、ユッキちゃんです」
「あいつかよ、釣針にかからなきゃいいが」
そして、一番の衝撃を受けた相手が誰かと言われると、ユッキという娘だろう。
海姫を体現させるたびに大笑いする失礼な娘は、なんと人魚娘だった。
海に飛び込むなり、脚が尻尾に変化して海中を泳ぎだした姿は衝撃的だった。
イーリンから見るとユッキの年齢はよく判らない。
悔しいながら、彼女は自分より胸や尻が大きい。
めりはりのある大人の躰をしていた。
しかし、浮かべる表情や仕草は幼さを残しているし、リネスの態度からすると年下の子供を相手にしているような観もある。
ケンカイの前で平気でズボンや下着を脱いで海に飛び込んでいるのだ。
あれは見せてるわよね。
と思ってしまうイーリンだった。
赤月号の内部、特に船室部は豪華である。
居住用の部屋は四部屋しか用意されていないが、すべての部屋に浴室が付いていた。
部屋割は、ケンカイ、イーリンが個別に部屋を持っており、リネスとユッキは同室、一室は空いている。
人手のいらない魔動船であるから許される造りだ。
さらに船内には灯りが完備。しかも全て魔法道具による灯りであるため、常に煌々と船内を照らしている
他に台所付の大部屋が一つ。台所も魔法道具により火が自在に使える環境となっている。
調理道具も大量にあり、ここの施設だけで大店の料理店に匹敵するだけの設備となっていた。
さらに、陸の食材も大量に貯蔵している。
これに海の食材が加わり、イーリンの食生活は以前と比べても向上していた。
そこで調理をするのは、主にケンカイとリネス。
ユッキは食べる専門。イーリンも似たようなものである。
ケンカイとリネスが料理をする姿は、二人の息があっているような気がして、少し妬ましい。
「わたしも料理、覚えようかしら」
「イーリンの料理? 食材を無駄にしちゃダメ」
呟く言葉を、ユッキが拾った。
拾ってばっさり切り捨てた。
「なによ、あんただって、食べてるばっかりじゃない」
「あたい、お手伝いしてる」
「それくらい、わたしもしてるわよ」
「むしろ邪魔?」
リネスとは早く仲良くなったのだが、ユッキとは仲良くなるまでには至っていなかった。
なにかと、イーリンに対してキツイのである。
「あたい、今晩のおかず捕まえてきた。ケンカイ、褒めてくれた」
ユッキは海底から、大きな貝などの食材を集めてきたのだ。
それは、釣りでは獲りようがないため、ケンカイに喜ばれた。
牡蠣や鮑などは、ケンカイにとって良い酒の肴である。
「お皿を割ってばかりのイーリンとは違うの」
「くっ」
イーリンは痛いところを突かれて口ごもる。彼女は手先が器用でないのであった。
「ユッキちゃんとイーリンさんも、大分仲良くなってきましたよね」
「そうか。そりゃよかったな」
そんな二人を見て、厨房に立つ二人がこんなことを言ってたりするのだが。
そして夜。
イーリンは自分の部屋で、日記を付けていた。
祖父であるレイリクスから、出発の際に贈られた本。
それは豪奢な造りをしている本だ。
元々、イーリンは毎日日記をつけていた。
それは、交易の商売の内容が中心で、日記というより備忘録のようなものであったが。
今は商売などはしていないため、日常に起きたことを書くようになっている。
「それにしても、豪華な本ね。まるで魔法道具みたい」
イーリンは、今日の分の日記を書き込むと本を閉じた。
既に湯浴みはすましてある。さらに、薄く化粧もし直している。
「・・・今日も来そうにないわね、あいつ」
でも、今までケンカイが訪れることは無かった。
大事にしてくれているのか、それともわたしに魅力が無いのか。
そんなことを悩みながら就寝する。
これが、赤月号が交易都市ベルバウムを出発してから、一週間が経過したころの彼女の日常であるのだった。




