第4話 湖陵庵での日々
2015/01/17 改稿
第四話はあまり修正するところありませんでした。
連続で更新出来た時期は整合性も取れてますね。
「そう、そうやってその穴に入れるの」
「難しいです。だってボクの小さいし」
「あら、最初は誰だってそう思うものよ。そういう時は入れやすくするために先端を舐めるといいわよ」
「こ、こうですか」
「そう、ほら、そうすると入れやすいでしょう。ちょっと、はしたない気がするけど、これが簡単なのよ」
リネスは、湖陵庵で妓女に色々と教わっていた。
これも、ご主人さまに喜んでもらうためである。
レイランの指導の下、湖陵庵の妓女達は、様々な技術に長けているのである。
「次は、どうすればいいんでしょう?」
「ちょっと、肩に力が入り過ぎてるわね。ほら、この辺り」
「ひゃん」
「ふふ、無理に力を入れることはないわよ。慣れれば簡単だから。そうしたら、あとはリズムよく指を動かすの。あまり肩に力をいれたら肩がこるわよ」
「でも、男の人のって堅いですよね」
「そりゃ、そういう物もあるけどね」
妓女は手際よく見本を見せる。
「ほら、慣れたらあっという間に終わるんだから。無理やりするより、良く見てどこがいいのか探すことね」
「わかりました。ボク、頑張ります」
「練習用のもの、もっと用意したほうがよいかしら」
「ええ、お願いします」
その時、リネスに念話が届いた。
”リネス、今何をしている?”
”あ、ご主人さま。妓女のヨーランさんに、教わっていました”
”何をだ?”
”お裁縫です。この前、繕ったの、出来が酷かったけど、次からはもっとうまくできますよ”
湖陵庵の妓女たちは、針仕事も完璧に仕込まれているのだ。
出来て損なことは何もない。これが店主レイランの方針であった。
”ゴンザのおっさんが、見回りに行くらしい。オレが用心棒になったのを、ミカジメを取っている店に紹介したいようだ。
オレは出かけるが、リネスはどうする?”
”ボク、もう少しお裁縫の練習しています”
地回り衆と一緒では、ケンカイとのお出かけ気分にはなれそうもない。
リネスのメンタリティーは一般市民の方に近いのだ。客観的にみると、大分、ケンカイ側の常識に染まってきているようにも見えるのだが。
”そうか、ユッキはどうしている?”
”寝てます”
最初の頃は、リネスの裁縫の練習に付き合っていたユッキは、途中から興味を無くしたのか寝てしまっていた。
最近は妖怪食っちゃ寝になっているユッキである。
”ならいいか。何もないとは思うが、この前のような間抜けな連中がくるかもしれん。
何かあったら連絡しろ”
”ああ、あの海姫が捕まえた人達でしたっけ。そういや、あの人達どうなったんですか”
”知らない方がいいこともあるそうだ”
”うう、やっぱり、怖いとこです”
”まあ、ここの連中はお前らに手を出すほど馬鹿じゃないだろう。一応、客人扱いだしな。
だが、何かあったら直ぐに連絡しろ”
”はい。へへ、やっぱり心配してくれているんですね、ご主人さま”
”ん? いや、お前らの心配はしていない”
”えー”
”オレが一番心配しているのは、爺さんが暴走することだ”
”ああ、この前みたいにですか”
”あれは海の上だったから、周囲に被害は無かったが、ここじゃあな”
”大災害、間違いないです”
”一応、世話になっている店だしな。爺さんのせいで倒壊でもされた日には、寝つきが悪くなりそうだ”
「リネスちゃん、どうかしたの?」
急に黙って、裁縫練習の手を止めたリネスを、妓女ヨーランが不思議そうに見た。
ちなみに彼女は、ケンカイが初めて泊まった夜に相手をした妓女である。
「いえ、ちょっと、考え事をしていただけです」
誤魔化すリネス。
「あらあら、大好きなご主人さまの事でも考えていたのかしら。甘酸っぱいわねえ。羨ましいわ」
「え、いや、その、そんなことないですぅ」
考えていたどころか、直接会話をしていたのだが。
一応、リネスが魔法使いであることは、秘密にしている。
鴎のジョナサンも、店の人間には披露しているわけでは無いので、ここではリネスはケンカイの契約奴隷の娘としてしか思われていない。
「ご主人さまの好みって、ヨーランさんみたいな胸の大きな大人の人だし・・・」
「あら、女の子はいずれ成長して、みんな大人になるのよ。時間の問題だけよ」
ヨーランは優しく笑った。リネスと同年齢の妹を持つ彼女にとって、リネスも自分の妹のような気分になっているのだ。
優しく母性的な笑顔と、豊満な体。
しっかりと身に着けた教養と、出過ぎることのない性格。
この店でもトップクラスの人気を誇る妓女。それが彼女なのである。
「では、姐さん。行ってまいりやす」
「ああ、気を付けておくれ。まだ、波風の残党共もいるかもしないし。
荒くれ者どもも、波風が放っておいたせいで、結構いるみたいだねえ
さっそく、何とかしてくれって話も何件か来てるよ」
「へい、それは十分に。
あっしらのシマになったからにゃあ、好き勝手はさせませんや。
先代の時のように、平穏なシマにしてみせまさあ」
ゴンザは頭を下げた。今日も左手には仕込み杖を持っている。
人斬りゴンザ。
彼はそう呼ばれていた。
そのゴンザが店を出ると、波濤組の若衆が数人、後に続く。
ケンカイは、ゴンザと並んで道を歩いた。
「物騒な会話をしていたが、そんなに荒れているのか」
「へい、お恥ずかしい話ではありますが。まだまだ、あっしらの組の人数が集まりません。
手が届かない所が多いのでさ」
「そうなのか」
本来、シマを仕切る組が変わっても、それまでの組の下っ端連中が組を変わって組の構成員になることも多い。
だが、今回は、ケンカイが波風組を潰した時に、事務所にいた構成員の全てを手ひどく痛めつけていた。
そのため、雑用をこなす下っ端になれる連中というものが、一時的に不足しているのである。
もっともケンカイはそんなことは知らないし、気にもしない。
ゴンザやレイランにとっても、波風の杯を貰ったことのある連中を傘下にすることには抵抗があったので、いずれにしても人手不足は生じたであろう。
そのために、日常の『営業』に幹部のゴンザがわざわざ出掛けている。
それが今の波濤組の実情なのである。
「そちらの方が、あの?」
「へい、うちらの組の用心棒をしてくださることになりやした」
「おや、波濤の若頭だけじゃなく、波風を潰された御方もいてくれるたあ心強い。
最近は、ろくでもねえ流れモン共が増えて困ってんだ。ちゃんと仕切ってくださいよ」
「そりゃ、もちろんでさ」
「それじゃ、これからはあんたとこに、納めさせてもらうよ。まあ、波風の頃は酷かったからねえ」
「同じ轍は踏みやせんでさ。ご安心くだせえ」
シマの中の大店と言われるような店の主人の対応は、地回りというものをどう扱うかよく判っていた。
そして、そういう主人は噂に聡い。既に、ケンカイという男がやってのけたことを正確に知っていた。
そして、噂にたがわぬ威圧感を持つ男。
ケンカイを見た主人は、素直に波濤組へのミカジメを納めることを承諾する。
こういう大店の主人は、別にその程度の金を惜しむ度量では務まらない。
「また、近いうちに湖陵庵へも寄らせてもらいますよ。レイラン姐さんによろしくと。
その時は、用心棒の先生にも一献差し上げたいですな」
そんな会話を交わした後、ゴンザ達は店を出る。
「先生がいてくださるおかげで、話がまとまるのが早いでさあ。有り難いことで」
「オレの顔がなんでここまで知られているんだ?」
「ここは、ベルバウムですぜ。商人の街、情報を集めるのに必死になってる旦那方が屯しているところでさ。先生みたいに、大暴れした人間を見逃すわけありませんや」
「・・・」
「どうかしやしたか?」
「いや、ちょっと、嫌な予感がしただけだ」
商人の情報網というものを甘くみていたかもしれないと、ケンカイは思った。
勿論、思い浮かべてしまったのは、面倒事を持ち込みそうな赤髪の娘だった。
ゴンザ達は、表通りの大店を一通り廻ると、次は裏通りの店が並ぶ一角に足を運ぶ。
居酒屋や小さな飯屋が立ち並び、ところどころには大きな酒場もある。
表通りとは別種の喧騒に包まれる通りである。
水夫らしき集団や、気の荒そうな港育ちの漁師などに混じって、女の姿も見える。
おそらく、さらに奥に進むと色町に通じるのであろう。
「先生、さっきまでの店は物分りのいい旦那衆が多かったんですが、こっからは、色々と面倒な奴らも多い所でして。心配などいらぬ世話でしょうが、一応気を付けて下せえ」
「やっぱり、ごたごたが多いのは、こういう所か」
「へい、酔っ払いってのは始末に負えない時も多いんでさ。
もっとも、酔ったふりをした奴が一番性質がわるいんですがね」
ゴンザは背後の若い衆に指示を出す。
「さっさと、見回ってこい。何かあったら、すぐに知らせろ。
1人で恰好つけようとするんじゃねえぞ」
ゴンザの指示に従って、一斉に若い衆たちは通りの中に散らばっていった。
「先生、あっしらは、あの店辺りで休んでいきやしょう。もっとも、何かあったら、あっしだけ失礼させてもらうかもしれやせんが」
ゴンザが指さしたのは、この辺りでもひときわ大きな酒場だった。
「この辺りでは、料理が旨いことで有名な店で。湖陵庵の料理もいいですが、たまにやあ、こういう料理も欲しくなるんでさ」
「あんた、出身は海の関係か?」
「へい、しがない漁師の息子で。先生、どうしてわかったんで?」
「ん? この店の料理がどう見ても漁師風だしな。魚を中心とした豪快な料理が恋しいってのはオレもよくわかる」
ケンカイは胸を張った。
「なにせ、オレも漁師だからな」
元漁師の武術家ということだろうか?とゴンザは思った。
只の漁師が、地回りの組を潰すなど出来る訳がないからだ。
ゴンザは、ケンカイのことを武者修行中の武芸者の類だと思っていた。
武芸者には紛い物も多いが、中には化け物のような人間がいることをゴンザは自分の経験から知っていた。
当然のことながら、西の大陸にあるボルス島の海熊の一族という漁師達のことなど知らないのである。
ケンカイとゴンザが店に入ると、ゴンザの顔を見た古顔らしい店員が慌てて駆け寄ってくる。
「こ、これは、波濤の若頭。お久しぶりで、奥の部屋をお取りしましょうか?」
「へい、ご無沙汰しておりやした。
野暮用があるかもしれやせんので、そこらのテーブルで十分でさ。
それと、店主と少しお話をさせてもらいたいんで。
呼んでいただきやせんか」
「それは、勿論。おい、お前たち、ぼさっとしてないで、さっさと飲み物を持ってこないか。俺は店主を呼んでくる」
他の店員に指示をだすと、古顔の店員は店の奥に消えて行った。
その店員がぼそりと漏らした言葉を、ケンカイの耳ははっきりととらえていた。
「人斬りゴンザ直々にお出ましか。騒ぎにならなきゃいいんだが」
繁盛している店だった。多くの客がざわめきと共に料理と酒を楽しんでいる。
そんな中で、妙な緊張感が漂うテーブルが一つ。
そこにはゴンザとケンカイ、それに店主がいた。
店主は、どちらがヤクザ者かと疑うような厳つい顔をした大男だった。
特に顔の額から頬にかけてついている切り傷が目立ち、凶悪な容貌を醸し出していた。
「久しぶりだな」
暫く黙っていたのち、ぽつりと店主が喋る。
「さようで」
ゴンザが答える。
「相変わらず繁盛しているようで」
「お蔭さまでな」
二人は再び黙った。
三人の前には酒の入ったグラスが置かれている。
まるで、合図をしたかのように、ゴンザと店主が同時に杯を持ち上げて呷った。
「で、何の用だ?」
「云わずとも、知れてるかと」
ふむ、と店主が太い息を吐く。
「2でどうだ」
「波風は5強請ったはずで」
「お前のところも、同じ穴のムジナになる気か」
「一緒にされちゃあ、困りまさあ。4で」
「先代との付き合いを考えろ。3だ」
「若いのを一人いれていいなら」
「邪魔だ。3の5でどうだ」
ゴンザは暫し考える素振りを見せる。
「誤魔化しは無ですぜ」
「ちゃんと、仕切れるんだろうな」
「それは、勿論でさ」
「なら、こちらもだ」
ゴンザと店主は、握った拳を軽く合わせた。
「何の話をしてるんだ?」
「ああ、先生。ミカジメの話をすこし。ご紹介しやす。
この凶悪な顔の奴が、この店の店主・ダンでさ。
がめつい野郎ですが、まあ、この辺りの顔役でもありやす。
ついでに、昔からの悪友で」
「誰が、がめつくて凶悪だ。このむっつり野郎が。
で、そっちの若いのは何だ? 先生って言ってたようだが」
ゴンザはにやりと笑った。
「相変わらず、こういう店をしてるのに耳の遅いことで。
この方は、波濤組の用心棒をしてくださっている方でさ。
ちなみに、波風を潰したお方でもある」
「なにぃっ!」
ダンは立ち上がって、ケンカイを睨みつけるように見た。
「丸太の怪物が、この若いのかっ!」
「いや、何だ。そりゃ」
ケンカイは憮然とした。
「いやいや、波風の事務所を潰した丸太使いだろう? お前さんみたいな若いのがそうだったとはな」
ケンカイが波風組を襲撃した時のことである。
丁度、その頃、リオウが完成させた武器があった。
それは、ハデスから貰い受けた魔法道具や資材を利用して造り上げたケンカイ専用の大銛であった。
事務所にいた波風組の構成員全員を叩きのめして、屋外に放り出した後、ケンカイは試しにその武器を使ってみたのである。
その時、ケンカイはその武器の性能を、隠し持つことのできる大銛としか思っていなかった。
魔法道具を流用して作られた大銛は、普段は爪楊枝程度の大きさになっているのである。
これに、魔力を流すと、爪楊枝サイズの大銛は、普段ケンカイが使っている大銛のサイズにまで大きくなるのだ。
そして使ってみた結果が、波風組の事務所が一瞬で更地になるという事態であったのだ。
ケンカイの魔力を衝撃力に変換した大銛は、只の一撃でそれほどの威力を発したのである。
「あれは、丸太じゃない。銛だ」
「いや、丸太が空から降って来て事務所を潰したと聞いたんだがな」
首を傾げる店主。
海熊の大銛が、丸太と間違われるのもよくある話である。実質、丸太の先に銛先をつけた代物なのだ。
「見掛けから只者じゃないたあ思っていたが、まさか、あんたがなあ。ゴンザ、お前とどっちが強いんだ?」
「あっしより、弱い方を用心棒にするわきゃあねえ」
「人斬りゴンザがそう言うか」
ダンは、太い腕を組んで、ケンカイを見た。
彼はゴンザの古くからの友人だ。体格や単純な腕力では自分の方が上だろうが、強さという点ではゴンザに勝てると思ったことなど一度も無い。
「疑うわけじゃないが、試させてもらいてえ。
丸太の兄さん、力比べといかねえかい?」
「オレは構わんが、何をするつもりだ?」
「酒場での力比べっていやあ、昔から相場がきまってらあ」
凶悪な顔つきの大男であるダンは、太い腕を曲げて力こぶを誇示する。
「腕相撲だっ!!」
「いや、参った参った。まさか、ここまで歯がたたねえとは」
勝負はあっさりとついた。
周りの酔客を巻き込んで賭けまでして行われた腕相撲。
古顔の店員は、慣れた様子で場を仕切っていた。普段、よく起きるイベントなのだ。
当然、賭けに参加している客も今までの店主の実績と実力を知っている。
店長の勝利を予想する客の方が遥かに多い中、ゴンザだけはちゃっかりとケンカイの勝利に掛けていた。
ダンは、大きな体格と太い腕にたがわぬ怪力の持ち主であった。
しかし、相手はケンカイである。
速攻で仕留めるわけでも無く、ダンが全力を出してねじ伏せようとするのを受け止めてから、悠々と押し切った。
ちなみに魔力による身体強化は使用していない。もともと怪力無双はケンカイの得意技なのである。
「腕力で負けちゃあ、海熊の男と言えないからな」
まだ呼吸の荒い店主とは対照的に、ケンカイは息も切らしていない。
「くそ、余裕まで見せやがって。じゃあ、次の勝負は飲み比べといこうか。
勘定は、俺がもってやる」
「そいつも、止めといた方がいいたぁ思うがね。先生はそっちも底なしだ」
目の前に積まれた硬貨を懐にしまいながら、ゴンザは忠告する。
「じゃあ、おまえは儲けたんだ。勘定はお前持ちにする」
「そいつは酷え話だ。胴元になって、お前も儲けただろうに。
と、その話は後にしといてくれ。
どうした?」
その時、波濤組の若衆の一人が店に入ってきた。慌てているのが判る。
「すんません。ゴンザの兄貴。向こうの店で、騒ぎを起こしちまいやして。俺達じゃ手に負えそうにねえんで・・・面目ないっす」
「先走るなと言っといたんだが。まあ、仕方ねえこった。
先生、ちと席を外します」
「オレも行っていいか?」
「いきなり、用心棒の先生に頼ってるようじゃ、うちの面子がたちませんや」
「ああ、手出しはしない。あんたの腕前を拝見できそうで、面白そうだ」
「ちょっと、丸太の兄さん。俺との飲み比べはどうすんだ」
「後でいいだろ。酒を呑む約束は破らねえよ」
「ふむ、それじゃ、俺も行こう。久々にゴンザの腕が落ちてないかどうか見るいい機会だ。
それに、今後の為に、ちゃんと仕切れるか、見ておかないとな」
店主も腰を上げた。
そして、見た目だけで周囲を威圧する3名の男達は、若衆の案内に従って店を出たのだった。
そこはダンの店と比べると、半分程度の大きさもない酒場だった。
変哲もない酒場であるが、今は、多くの人が集まっている。
野次馬達は、ゴンザの姿を見ると、怯えたように左右に分かれた。
ゴンザは普段の飄然とした態度が嘘のように、張りつめた雰囲気を出していた。
特に目の光が尋常ではない。
「ゴンザのおっさん、気合い入ってるな」
「まあ、あれが奴の本性だわな。昔はもっとギラギラしてやがったんだが」
その少し後ろを、ケンカイとダンは歩いている。
「地回りの組に入ってから、丸く成りやがったんだが」
「普通、逆じゃないのか?」
ダンは嫌らしい笑いを浮かべた。
「それが、あの野郎のむっつりな所よ。惚れた女にやあ迷惑掛けれないってことだわな。
ぐえっ」
ゴンザの杖の先が、ダンの腹にめり込んだ。
「くだらねえことばっかり喋ってやがると、次は穴が空きやすぜ」
そんなことをやっている内に、野次馬が途切れた。
その先にいたのは、波濤組の若衆と睨みあっている水夫らしい男達だった。
いかにも荒くれ者らしい雰囲気の男達である。
数は水夫側の方が多い。10人程だろうか。それに対して波濤組の若衆は5人。
体格も水夫側の方が大きい。
「ありゃ、あいつら・・・」
ダンが、水夫を見て呟く。
「なんだ、おっさん、知っているのか」
「ああ、俺の店にも来たことがある柄の悪い連中だ。タダ食いしようとしやがったんで、俺と客連中で叩きだしたことがある」
「ほう、常習犯って奴か」
「波風の屑どもが、碌な仕切り方しかしなかったからな。ああいう屑連中ものさばってんのさ。この辺りは。
また、出鱈目な因縁つけて、金を払わずに済ませようとしたんだろうな。
味をしめたバカは、しつこいからな」
「そりゃ、海の男の面汚しだな。
ゴンザのおっさん、手伝おうか?」
ケンカイが声を掛けるが、ゴンザは首を横に振った。
「先生の手をわざらせるほどの相手じゃあございやせんや。
さてと、兄さんたち、大人しくお代を置いて帰ってくれやせんかね」
ゴンザは水夫たちの中で、リーダー格らしき男に話しかける。
そいつは、日に焼けた顔を酒でさらに赤く染めていた。
「ああ、だれが屑だとお。この俺様をなめんじゃねえぞ」
どうやら、ダンの言葉が聞こえていたらしい。顔が赤いのは怒りも混じっているようだ。
リーダー格の怒気に触発されて、他の水夫達も騒ぎ立てる。
「け、こんなまずい飯と酒に金なんざ払えるかってんだ」
「そうだそうだ、むしろ、詫びに金を寄越すのが当然だぜ」
「そりゃいいなあ。へへ、おい、店主、さっさと出すものだしゃあ、ここは見逃してやるぜえ」
そんな連中を見て、ゴンザはわざとらしい溜息をついた。
「やれやれ、躾のなっていない野良犬より、性質のわるいこって。
兄さん達には、酒より、小便の混じった海水のほうがお似合いで」
「てめえ、俺様達をバカにしてんのかあ、ああ?」
「バカにされたことくらいは判るなら、さっさと、有り金おいて消える程度の知恵をもてる程度に、頭を使ったらどうでさ」
「てめええ!!」
リーダー格の男が、ゴンザに掴みかかろうとした。
その手がゴンザの胸に到達するより早く、ゴンザが後ろに下がる。
素早い動きで、男にはゴンザが消えたようにしか見えなかっただろう。
そして、次の瞬間。
男の頭から血が噴き出た。
「さてと、血の気を少し抜いてやりましたがね。もっと、抜いたほうがよござんすか」
ゴンザは、いつの間にか抜き放っていた仕込み刀を、見せつけるようにゆっくりと杖に収める。
リーダー格の男は、自分の額から流れる血に呆然としていた。
既に視界は血で塞がれている。
そして、ゴンザのあまりにも鮮やかな手並みに、他の水夫達も凍り付いていた。
ゴンザは、仕込み杖をゆっくりと目前に掲げる。
「次に、斬られたい奴ぁいますかね」
抵抗する気を無くした水夫達の懐から、若衆が金を抜き取り店主に渡した。
水夫たちは、毒づく気力も無くして、その場を去って行く。
「ちと、汚しちまいましたか。お前ら、ここを綺麗にしておけ。
店主殿、騒ぎを収めるのが遅れて申し訳ねえ」
頭を下げるゴンザに、水夫が暴れていた店の店主の老人が、慌てて礼を言う。
「と、とんでもねえ。あいつらにゃ、さんざん煮え湯を飲まされてたんじゃ。
わしや、胸がすっきりした。
さすがは、波濤の若頭じゃ。波風とは違う。ありがてえこった」
「へい、そう云っていただけりゃ、あっしも面目がたつってもんでさ。
これからは、うちが仕切りやすんで、何かあったら言ってきてくだせえ」
その様子を、少し離れた場所からケンカイとダンは見ていた。
「大したもんだな」
「額切りの腕は落ちてねえな。さすがは人斬りゴンザ」
「額切り?」
「あいつの得意技でさ。額の辺りは血の巡りがいいんで、そこをちょっと切るだけで血が噴き出るんだ。
威勢がいいだけのバカにはよく効くやり方でさね」
実際、ゴンザが水夫のリーダー格の男に与えた肉体的なダメージは大したことが無いのだ。
浅く切るだけで、酒を呑んだ上に興奮した人間の額からは、信じられない程血が噴き出るのである。
もっとも、それをあの剣速で、正確に傷を与えるには、並みの腕では無理である。
普通なら当たらないか、それとも致命傷を与えることになる。
ケンカイの目には、ゴンザが仕込み刀を抜き放つ瞬間、肉体の力のみならず、魔力の波動を感じていた。
意識的にか無意識的にはか判らないが、ゴンザの居合は魔力による身体強化を併用しているのは間違いない。
「お待たせしやした」
「よお、いい仕切りだな。ゴンザ。これなら俺も安心ってもんだ。
ちゃんと払うから、せいぜい使い倒してやるぜ」
「余計な仕事は御免ですかね。まあ、まわりの店に話を通してくれるたあ、思ってやすぜ。それなら、少しは融通きかせるが」
「おう、それは任せとけ。まあ、今のが噂になって、すぐに店の連中から挨拶にくるだろうさ」
「ありがてえこった」
ゴンザはにやりと笑う。彼にとって、今日の営業はすこぶる上手くいったのであった。
こうやって、波濤組は急速に第三区を仕切る組として認知されていくようになったのである。
「ユッキちゃん、ご主人さま、今日は遅くなるって」
リネスはケンカイからの念話を受け取っていた。
ケンカイは今日は街で飲み明かすようだった。
湖陵庵では、ユッキはリネスと一緒の部屋をあてがわれていた。
リネスはベッドの上に座りながら、念話で聞いた内容をユッキに伝えた。
「あ、お土産持って帰るって言ってる。ユッキちゃん、何か欲しい物ある?」
ケンカイと念話をしている時のリネスは、実に嬉しそうな表情をする。
その顔を見て、ユッキは不服そうに口をとがらせた。
彼女は、以前から不満に思っていることがあるのだ。
「リネス、ずるい」
「え?」
キョトンとするリネス。
「いつも、リネスばっかりケンカイと話してる。あたいもしたい」
「ええー、でも、これは、ボクがずるいんじゃないよ」
リネスがケンカイと念話が出来るようになっているのは、リオウの使い魔であった鴎のジョナサンが切っ掛けだ。
使い魔が邪魔になったリオウが、無理やり押し付けた時に、ケンカイとの念話の魔法回路が引っついてきたのである。
なので、どうやったら念話が出来るようになるのか、その理屈をリネスは知らなかった。
「ボクに言うより、リオウさんに頼んだら何とかなるんじゃないかな?」
「父様、ダメって言った」
「ああ、最近のリオウさんなら、そう言うよね」
リオウの親バカぶりは、リネスもよく知っている。相手がケンカイとはいえ、いや、ケンカイだからこそ、二人で会話が出来るようになる念話を嫌がるだろう。
「でも、ボクも念話の魔法式とか知らないし。ユッキちゃんに教えるのは無理」
「うー」
ユッキは暫く唸ると、リネスの頭をじっと見る。それは、鋭い視線だった。
「ユッキちゃん、どうしたの?」
「あたい、魔法式が見える」
「え?」
「でも、よく見えない。リネス、動かないで」
ユッキは、ベッドの上のリネスに覆いかぶさった。
そして、脚でリネスの胴を挟み込んで、リネスの動きを固定する。
「ちょ、ちょっと、ユッキちゃん!」
そして、そのままリネスの頭に抱き着き、頭頂部あたりをじっと見はじめた。
リネスの顔面に、ユッキの胸が当たり、齢の割にはボリュームたっぷりの胸がリネスの顔面を圧迫した。
「ふご、く、苦しいって、ゆ、ユッキちゃあん」
「あん、動かないで。見えないし、ちょっと痛い」
微妙な個所に当たったらしく、ユッキは身をよじった。そして、更に動きを制限するために、力を込める。
その結果、リネスの顔面は完全にユッキの胸に埋もれた。
「・・・・!!」
「うん、なるほど。こーなって、あーなって・・・」
ユッキは暫く考えた。
「わかんない。リネス、判る?」
「・・・・・」
「あれ? リネス?」
リネスはぐったりとしていた。
ペシペシと、リネスの顔を叩くユッキ。
「し、死ぬかと思った・・・」
暫くして、リネスが意識を取り戻した。軽く窒息していたらしい。
「リネス。意外と軟弱」
「ユッキちゃんの力が強すぎるんだと思うんだ」
「あたい、か弱い」
ユッキがかよわいのなら、強い女の子はこの世にいないだろう。
「ケンカイと比べたら、力弱い」
「そりゃ、ご主人さまと比べたらね・・・」
出会った頃から怪力無双の男であったケンカイは、魔力による身体強化の方法を身に着けてからは、更に化け物じみた怪力を誇るようになっている。
「それで、リネスの魔法式。見えたけどよく判らない」
「本当に見えるんだ。それって凄くない?」
「あたい、凄いの?」
東海母竜・マリアの分体として生まれたのがユッキである。
凄くない筈がない。
但し、本人にはあまり自覚がないのだ。
「うん、凄いよ。ユッキちゃん」
「あたい、凄いのなら、ケンカイとも釣り合う?」
「え?」
「ケンカイ、凄い人。でも、あたいも凄いなら、問題ない」
「えーと、・・・何にかな?」
「・・・ずっと、傍にいること」
そう言った時のユッキは、いつものつかみどころのない表情では無く、照れて赤くなった表情をしていた。
「そうしたら、リネスともずっと一緒。リネスはケンカイと一緒だもの」
「そりゃ、ボクはずっと傍にいていいって言われたけど・・・」
「むう、あたい、言われていない。やっぱり、リネスはずるい」
「えー・・・」
返答に困るリネス。
そんなリネスを横目に、ユッキはベッドの上に横になった。
そして、ユッキの片腕を両手でつかむ。
「あたい、眠くなった。リネスも寝よ?」
「ちょっと、ユッキちゃん、腕痛いってば。て、もう寝てる!」
あっという間に寝息を立てるユッキ。
先ほど一瞬見せた色っぽい表情とは違う無邪気な寝顔。
そんなユッキの寝顔を見て、リネスは溜息をついた。
そして、念話でおやすみなさいとだけ、ケンカイに伝える。
ケンカイからの返事を聞きながら、リネスは思った。
たしかに、ちょっとずるいかも。
でも、この自分だけの特権を手放す気になどは成れないリネスであった。




