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漁師と海竜 海原を行く  作者: 赤五
第五章 交易都市ベルバウム
41/57

第3話 交易王の孫娘

2015/01/17 改稿


誤字脱字はともかく、読み直すと矛盾点が多すぎたので改稿しました。

すこしは判りやすくなったかと・・・

 イーリンは悩んでいた。

 彼女のフルネームは、イーリン・ベルザウア。

 大商人として知られるベルザウア一族の当主の孫娘である。

 ベルザウア商会の会長である祖父に、副会長の一人である父。

 彼女は交易王とすら言われる祖父の直系の孫、正真正銘のお嬢様の血筋の娘だ。

 だが、世間一般に言われるお嬢様と、彼女は異なっていた。

 見掛けは、16歳の可愛らしい少女である。

 額で分けられた長い髪。癖の無いさらりとした赤い髪の毛は彼女の動きにあわせて踊り、華やかな印象を際立てる。

 しかし、イーリン・ベルザウアは、自ら船に乗り自分の手で交易をすることを好む少女だった。

 しかも、普通の交易に使う航路を安全に旅するより、冒険に等しい無茶な航路をわざわざ選び、一か八かの勝負を狙うような博打的な交易を好む過激な少女だ。

 それは、大商人の直系の娘がやるような事でない。新興の商人の手段である。

 だが、彼女はそれを好み、自分の立場を利用して常識はずれの船を造り上げ、それで世界の海を旅していたのだ。

 彼女が自分の船を手にいれて、既に5年が過ぎていた。

 船を手に入れたころは、おしゃまな少女だった彼女も成人として扱われ年頃になっている。

 そんな彼女の悩み。

 それは、一族の掟。

 ベルザウアの一族に古くから伝わる掟だ。

 掟に従うのであれば、彼女は来年には結婚をしなければいけない。

 それも、このままでは、結婚相手は、彼女が嫌う太った中年男しかいなかった。

 この局面を打開する方法。

 それを彼女は最近見つけた。

 ベルバウムへ帰港する航路において見つけたのだ。

  だから彼女は悩んでいる。

 どうやって、横暴メイド(ムツキ)の目を盗んで、湖陵庵へ行けばいいのかと。


「大体、ムツキって、わたしへの敬意が足りないのよね。あんたもそう思うでしょ」

「ノーコメントでお願いします。お嬢様」

「そういや、あんた、ムツキとは古い付き合いだったわよね。なんか、あいつの弱みとか握ってないの?」

「いえ、あれ(・・)は何というか、昔から人間離れしていまして・・・」

「まあ、お爺様の直飼いになれるくらいだから、それもわかるけど」


 イーリンは、交易王と呼ばれる祖父の事を思い浮かべる。

 ベルザウア家は元々ベルバウム一の大商家であった。

 それを更に発展させて西の大陸で一番の商家に育て上げた祖父、レイリクス・ベルザウア。

 彼は直飼いと云われる自身が選び抜いて育て上げた部下を巧みに使っていた。

 ムツキもその直飼いの人間である。

 その組織─直飼い衆と呼ばれている─の中でも、若い女性でありながらも、戦闘能力にかけてはトップクラスの実力者である。

 奇妙な行動や言動も多いが、優秀な人材なのだ。

 そんな彼女が、イーリン付になっている理由は只一つ。

 一族の掟に従って、イーリンをさっさと結婚させるためである。

 

「大旦那様は、早く曾孫の顔をみたいそうです。さあ、さっさと結婚なさってください」

 

 イーリンの前に、最初に現れた時、ムツキはそう言い放った。

 そして、イーリンを捕えるなり、婚約者候補の家に放り込もうとしたのである。

 その時は、さすがに乱暴すぎるやり方にイーリンの従僕である男が抗議し、期限までにはまだ日があることを主張して、何とかイーリンは強制的に婚約されそうになることを逃れることができた。

 

「なんで、このイーリンちゃんが、あんなデブと結婚しなきゃならないのよっ。

 絶対いやなんだからねっっ」


 そして、イーリンは逃げた。彼女所有の交易船・赤月号は、魔道船の技術を取り入れた特別製である。

 赤月号にさえ乗っていれば、追いつかれる心配は無い。いっそのこと、もうベルバウムに帰ることなく、一生交易の旅にでてやろうかしら、と思ったイーリンだが、その目論見はあっさりと潰えた。

 

「お嬢様、何処に行くつもりでいやがりますか? まさか、逃げ出そうだなんて考えていませんよね」


 ムツキが現れたのだ。

 夜、碇泊していた赤月号の甲板に突如現れたムツキは、全身が濡れていた。

 

「あ、あんた、どうやってここに・・・」

「私の騎獣を甘くみないでくださいますかね。さすがに、冷たくて身が凍えましたが」

「まさか、騎獣に直接乗ってきたの?あんた、バカなの」


 高速で海中を進む騎獣に直接乗るという事は、高速で海水を全身に浴びるということである。

 流水は体温を奪う。早い潮の流れにさらされているだけで、人は体温を奪われて衰弱死するのだ。


「おや、自分の職務に忠実な私を捕まえバカ呼ばわりとは、大旦那様のお孫さまとはいえ、教育が必要でいやがりますね」


 ムツキは、イーリンの首を掴んだ。首を絞めない様に手加減はしているが、そのまま持ち上げて舷側まで移動する。

 女性とは信じられない力だった。


「おい、ムツキ、何をする気だ」

「おや、レイトンじゃないですか。お久しぶり。お元気そうでなにより。

 このバカ孫娘を止めてくれておけば、感謝のキスぐらいくれてやったんですが」


 そのまま、ムツキは舷側からイーリンを海の上に突き出した。


「ちょ、ちょっと、ごほ、離しなさいってば」

「おや、海に落ちるのがお望みでやがりますか。じゃあ、丁度いいです。

 紹介しましょう。私の騎獣です」


 ムツキは口笛を吹いた。イーリンの真下から、何かが浮上してくる。

 それは、海に置いてもっとも恐ろしい生物。

 シャチだった。


「どうですか、くそお嬢様。私のメルメルと一緒に海中散歩を楽しんでみるのは?」


 メルメルと呼ばれたシャチが、その巨体を海中から空中に躍らせた。

 巨大な水しぶきが立ち上がる。

 そして、水滴が船上まで降り注ぐ中、ムツキは無表情に言った。


「それとも、素直にベルバウムに戻っていただけますかね」


 さすがのイーリンも、この脅しに逆らう気にはなれず、青い顔でうなずいたのだった。



『船員が動揺するといけませんから、こちらで話しますが。

 この付近に海賊船が数隻います。見つからないように注意を』

『あんた、ベルザウア語話せるの? なんで男じゃないのよ』

『私が男でも、お嬢様はお断りします』


 甲板に戻されたイーリンは、ムツキがベルザウア後を話すのを聞いて驚いた表情になった。

 ベルザウア語は、もともとは遠く離れた異国の地から流浪してきたベルザウアの一族の言語である。

 今では、この言葉を使っている国は無い。既に亡びた国なのだ。

 ベルザウアの一族の間でのみ受け継がれているこの言葉は、身内だけで秘密の会話を行ったり、暗号代わりとして使ったりと、ベルザウアの商売を助ける言葉となっていた。

 そして、ベルザウア家に伝わる掟の一つがこれである。


 ベルザウア語を話せる者以外との結婚を禁ずる。


 現在、ベルザウア語を話せる独身の男は少ない。

 イーリンが嫌う中年のデブと結婚させられそうになっている理由。

 それはこの掟のせいなのであった。


「ふん、さすがのあんたも海賊船は怖いようね!」


 イーリンは、びしりとムツキを指さす。


「でも、心配いらないわよ。このイーリンちゃんの赤月号は、すっごいんだからっ」


 ムツキの気遣いを完全に無視してイーリンは叫んだ。


「お嬢、こちらの方はどちら様で?

 それに海賊ですかい」


 遠巻きに二人のやりとりを見学していた船員の中から、一人の男が前にでてきた。

 赤月号の船長である。

 ムツキの暴挙に唖然としていたのだが、海賊ときけば黙っているわけにはいかない。

 彼には船の安全を守る義務があるのだ。


「まったく。

 夜分、急遽お邪魔して申し訳ありませんわ。

 私、大旦那様の所でメイドをしておりますムツキと申します。

 あなたが船長ですか。

 さっさと、ベルバウムへ戻ることをお勧めしますわ」

「いやあ、そりゃあ、有り難きご忠告、感謝の極みで。

 けど、この船は、お嬢のもので。船主様に逆らうわけにはいかんのですよ」

「あら、それが大旦那様のご意向でも?」

「それが本当かどうか、わからねえんで。もちろん大旦那に逆らうつもりなんざありませんがね」


 船長はぬけぬけと言った。


「この、赤月号を任されてるのは俺なんで。判らない時は、俺の判断に従ってもらいますぜ」


 船長は軽く手を振った。彼から魔力が流れ、船の兵装が目覚める。

 赤月号は、魔動船の機能を備えているのだ。船長である彼も魔法使いであった。


「あら、かよわい女性にこんな物騒な物を向けるなんて、海走りのキヌートとも思えませんわね。何なら、一戦ぶっこんでやりますが」


 ムツキは、相変わらずの無表情を崩さない。

 そして、赤月号船長・キヌートは、髪の毛をぼりぼりと掻くと、再び腕を振った。

 ムツキに向いていた魔動バリスタが、動きを止めて、元の位置に戻る。


「お嬢、こちらの方は本当に大旦那の直飼いですぜ。

 どうします? ベルバウムまで戻りますか」

「ちょっと、さっきまでの勢いはどうしたのよっ」

「いや、俺の昔の通り名を知っているのは、大旦那ぐらいでして。

 騙りの可能性も考えていたんですが、こりゃ、本物だ。

 しかも、下っ端じゃない。

 本家本物の直飼衆ですぜ。

 お嬢には悪いが、俺は大旦那に逆らう気はありやせん」

「ううう、何よ、そんなにお爺様が怖いの? それでも勇敢な海の男なのっ」


 イーリンは不貞腐れた。彼女の子飼いであるはずの船長ですら、大旦那といわれる彼女の祖父には逆らおうとしないのだ。


「怖がらないのは、お嬢ぐらいです」


 キヌートは肩を竦めた。


「それに、怖いだけじゃなくて恩もありますしね。

 まあ、お嬢。長い人生、少しは悪いこともなきゃ、面白くねえってもんで」

「あんたっ。わたしにあのデブと結婚しろっていうの。

 この、超可愛いいイーリンちゃんが、あんな、デブと」

「それは、お嬢の家の問題で。俺には可愛い嫁と娘を守る責任ってのがあるんでさ」


 だから、大旦那には逆らいません。と言外に語る船長。


「むきー レイトンも何か言いなさいよ。ほら、早く。この女を言い負かせたらボーナスくらい出すわ」

「ボーナス程度で、ムツキと敵対するのは・・・」


 レイトンは青ざめた。どうやら過去の出来事を思い出しているらしい。


「私は、お嬢様がどのような方に嫁がれても、誠心誠意お仕えします。

 ご安心ください」


 そして、あっさりと裏切る。


「ちょ、ちょっと、あんたまで何よっ」


 既にイーリンの味方はいなかった。恐るべきは、ベルザウアの当主の威光とムツキの威力である。


「それじゃ、ベルバウムへ戻りますぜ。お嬢は可愛いから、きっと花嫁衣裳も似合います」

「準備は、私が万端を尽くしますので、ご安心を」

「裏切り者―っ」


 イーリンは顔を真っ赤にして叫んだ。

 だが、船上に味方は居ない。ムツキに逆らってベルバウムへの帰還を妨げてくれる者は誰もいないのだ。


「船長! 前方から近づいてくる船が。堂々と海賊旗あげてますっ!

 敵ですぜっ!」


 そして、イーリンにとって救いの手となる者達は現れた。


「畜生、数が多いですぜ。5隻、いや、後ろからまた現れやがった。6隻います!」

「ち、対海賊戦だ。すぐに用意しろ。寝ている奴を叩きおこせ。夜襲してくるってこたあ、この辺りの海に慣れている手練れの可能性も高い。

 油断するな、気合いを入れろ。準備を急げっ」

「ちょっと、あんたが言ってた数より多いいじゃないっ」


  いくら赤月号が半魔動船と言われる高性能な船だとしても、さすがにこの数の差はきつい。船に乗り込まれる前に、ある程度撃破できなければ苦戦は必至である。


「私に言われましても」


 ムツキは、無表情のまま迫りくる海賊船を見つめた。


「とはいっても、私の任務を邪魔しやがりますか。

 これは、手加減の必要はないってことですね」


 そして、少しだけ笑う。わずかに吊り上った口角。

 それは、これから始まるであろう戦いに相応しい笑いのように見えたのだった。


 そして、ムツキの戦いに相応しい笑いは、引き攣って止まった。


「ねえ、ムツキ。あれ、何かしら・・・人間?」

「私には、そのように見えますが」

「でも、あれ、海を走ってるようにみえるじゃない。人間ってそんなことできっこないわよね?」

「いえ、短時間なら。なんとか」


 ムツキは、相変わらず人外なことを言い出した。


「ですが、あんなにずっと走り続けることは不可能です」


 それも限界があるらしい。


「じゃあ、あれって人間じゃないってことよね」

「そうかもしれません」


 ムツキの鋭い目には、海面を走り回って海賊船を行き来している男は、どう見ても人間に見えていた。

 足に尻尾がついているような化け物というわけでは無い。

 

「お嬢、どうしたもんですかい? 俺も海走りなんて通り名を持っちゃいますが、本当に海を走るなんて事、できませんぜ。

 さっさと、逃げちまいましょう」

「ええっ せっかく、珍しいものが見えてるのに!」


 キヌートの言葉は、イーリンの好奇心に火をつけた。

 なにより、あの(・・)ムツキが動揺している事態だ。

 それだけでも、イーリンにとっては痛快である。


「いや、私が思うに、ここはいったん距離をとって、それから・・・」


 レイトンも自分の目を疑いながら、無難な対策案を提案しようとした。


「うるさい、この裏切りものっ。わたしが、こんな面白そうなこと見逃すなんてするわけないでしょ。バカじゃないの」


 イーリンは船長・キヌートを指さし、命令した。

 

「ほら、さっさと、あの海賊船団に突っ込むわよ。兵装の使用に制限は付けないから、好きなだけ暴れなさいっ! あの、人外男に負けるんじゃないわよっ!!」


 キヌートは目を丸くする。


「お嬢、それは、魔法石を使い放題で構わねえって事ですか?

 いや、そうですよね。

 お嬢!」


 そして、興奮し始めた。


「そうよ、にひひ、このイーリンちゃんがため込んだ魔法石。

 ここで、存分に使ってやるのよ。

 採算なんて、気にしない!

 やってしまいなさいっ!!」


 イーリンも興奮している。こうなった時の彼女は、情熱的な赤髪と頬を染める赤み、それに潤んだ瞳が合わさって、とてつもなく色っぽく魅力的に見える。

 それは、周囲を煽る魅力だった。

 

「おお、そうこなくっちゃ。

 野郎ども!。お許しがでたぞ。

 倉庫にため込んだ魔法石を持ってこい。

 俺様の魔法技術を存分に見学させてやるぜっ!!」


 そして、キヌートは煽りに素直に乗った。

 魔法使いにして、赤月号の船長である彼は、魔法使いとしては2流である。

 本人もそれを自覚している。なにより、魔力の量が一流どころとは2枚も3枚も落ちるのだ。

 だが、魔法石を利用できるとなると話が違う。

 キヌートは複数の魔法石を同時利用する技術に長けていた。

 現代に置いては、恐ろしく金を喰う技術である。

 そして今、彼の雇用主からお許しが出たのだ。

 この機会を逃す手は無い。


 それがどんな事態を引き起こすか、この時の彼は知らなかった。



 そして、海上を走り回る男。

 それは、ハデスによって魔力操作の技術を叩き込まれた(本当に、文字通り、躰に叩き込まれた)ケンカイだった。

 ケンカイは、この辺りで最大の都市にて交易の中心である交易都市ベルバウムに向かう途中だった。

 東海母竜の脅威が、杞憂にすぎなくなった今、探知を恐れて特に魔力を隠す必要もない。

 それは、ケンカイだけではなく、海竜である知のリオウも同じ考えで、そのため彼らの行動は段々と大胆になっていった。

 今までは、魔動船である海姫の雷号を人目にできるだけつかないように運用してきていたのだが、最近は特に気にすることも無くなった。

 さすがに、港に入港させようとはしなかったが。

 迷宮都市ユエンディーで得ることができた資材によって、幽霊船のようであった船の修繕が終り、普通の豪華な客船に見える外観に変わったことの効果も大きい。

 外洋ですれ違ったとしても、興味は覚えられても、幽霊船だと騒ぎ立てられるような事態にはならなかった。

 情報通の世界、表の組織も裏の組織もあるのだが、そういう連中の世界に置いては、魔動船を操る大魔法使いの噂が急速に流れていたのだが。

 

 そしてケンカイは、今日も航海の途中で見つけた海賊船団を殲滅しようとしていた。

 赤月号の見張りが見つけた6隻目の船というのは、海姫の雷号であったのだ。


”面倒じゃのう、ワシが一撃で全滅させたほうが早いぞい”

”だから、言ってるだろうが。人質にされた奴がいたらどうするんだ”


 海賊の収入は略奪と身代金だ。海賊船の中に身代金目当てで攫われた人間が居て、海賊船毎沈められる悲劇というものは、よくある事態なのである。


”せっかく、海姫の雷号の兵装も整ったというのにのう。

 試し打ちしかできぬのでは、つまらんぞい”

”爺さんは、ユッキにいいところを見せたいだけだろうが”


 ケンカイは、次々と海を走りながら海賊船に乗り込んで、殲滅がてら人質にされた人間がいないか探っていた。

 

”オヌシは、女が捕まってないか見ているだけじゃろうが。まあ、不幸な女に手を出すのは構わぬが、ユッキ(むすめ)に手をだしたら、オヌシとて許さんぞい”


”・・・相変わらずの親バカだな”


 ケンカイは呆れた。海竜・マリアと再会し、ユッキが自分の娘であることを知ったリオウの親バカぶりは凄いものがあった。

 なにしろ、何事も流してしまうのが基本のユッキが、親であるリオウをウザく感じているほどなのだ。


”ご主人さま。前に、船が一隻います”


 リネスから念話が届く。彼女の使い魔である鴎のジョナサンからの情報だ。

 

”何か、見慣れないタイプの船です。魔力が乱れているというか、魔法が混乱しているというか・・・”


 リネスは、その船の正体を掴みかねているようであった。


”あっ”


 驚いた様子の念話がケンカイに届く。


”どうした?”


 ケンカイからの念話に応えるより先に、リネスが見つけた船から、魔力が膨れあがった。

 それは、魔力のままではとどまらず、魔法に変換されていく。


”ご主人さま。あの船、魔動船です。気を付けて・・・”


 その念話が届いた時は遅かった。

 リネスが見つけた船、つまり赤月号から魔法が放たれる。

 それは、6・ ・の船を全て狙ってしまった。

 そう。狙ってしまったのだ。


””爺さん、手加減しろっ!!””


 咄嗟にケンカイは強化念話を送った。

 だが、それは手遅れであった。

 

 赤月号から放たれたのは、巨大な炎を纏った太矢。

 数十本が一度に打ち出されていた。

 空を赤く染めて、6隻の船に覆いかぶさるように鋭く迫る。

 赤月号から近い順の5隻までは、ただ翻弄されるだけだった。

 だが、6隻目。海姫の雷号に到達した攻撃は、あっさりと無効化された。

 そして、魔法攻撃を受けた海姫の雷号は、自動・・で反撃してしまったのだ。

 それは、赤月号の魔法攻撃によって半壊した海賊船を、余波・・で全壊するほどの反撃であった。

 ケンカイは、咄嗟に魔力を解放し、魔法の効果を乱した。

 これも、ハデスに教わった方法だ。

 だが、それも間に合わない。

 リオウの、いや、海姫の雷号の放った魔法は、赤月号を捉えてしまったのだった。


 最初に来たのは衝撃。

 赤月号は、イーリンが交易で得た資金を元に、ベルザウアのコネの力で技術者を雇い入れて改造に改造を加え作り上げた船だ。

 ベースとなったのは、普通の3本帆の大型船であり、古代魔法帝国の遺産を元に作られた船では無い。

 そういう意味では、現代の魔法技術が産んだ最強の魔動船ともいえる船である。

 その赤月号の防御結界が、あっさりと吹き飛ばされた。

 そして、3本ある帆柱のうち2本が吹き飛ぶ。

 それだけで済んだのは、運がよかっただけではなく、ケンカイが行使した魔力霍乱のおかげなのだか、そんなことはイーリンに分からなかった。

 

「ちょっと、なによ。あの船!、わたしの赤月号がぁぁ!」


 ムツキの下でイーリンが叫んだ。

 咄嗟に、ムツキがイーリンを庇ったのだ。

 しかし、イーリンにとっては今までの人生(まださほど長くないが)をつぎ込んで造り上げた船が、一瞬のうちに破壊されたのである。

 すぐに沈むような様子が無いのは、派手な魔法装備だけではなく基礎構造にも金を注ぎ込んだ結果だ。

 実際、受けた被害は大きいが、廃船にする必要は無く修理することで復活可能な状態を保持していた。 

 そういう意味で、赤月号は魔動船の名に恥じない船であるのだ。

 海姫の雷号が桁はずれなのである。 


「くそ、なんだ、あの船はっ。お嬢無事ですかい!」


 会心の攻撃を仕掛けたらと思ったら、自分の船が半壊していた。

 船長であるキヌートは混乱しそうになったが、何とか気を取り直していた。

 

「あっちも、魔動船か。くそったれ、海賊が使うにゃあ度が過ぎるもんだぜ」

「いえ、船長。あの船はさきほどの海賊船達とは旗が違うようですが。というより旗をつけていない様です」


 意外と早く立ち直ったレイトン。冷静に観察した結果を報告する。


「そうなると、むしろ攻撃をしかけたのはこちらということに・・・」

「そんなことは、どうでもいいのよっ。

 まだ船は動けるの? これくらいで、大破するなんて有り得ないわ」


 そんなイーリンを、ムツキは後方に投げ飛ばした。イーリンは、レイトンにぶつかって、辛うじてその腕に抱きとめられる。


「ちょっと、痛いじゃないっ。何す・んの・よおぉ・・・」


 イーリンの叫びは、徐々に小さくなった。

 ムツキの前に、見知らぬ男が立っていたのだ。

 ムツキは素早くスカートの裾をめくり、そこに仕込んでいた短剣を取り出す。

 取り出した短剣は、黒光りした刃と妙に濡れた光沢を有していた。

 男は特に気にすることなく、船の上を見回す。


 「お、無事だったか。心配してたんだが、随分と頑丈な船だな」



 海の上から船の上まで、男が飛び上がってきた。

 もちろん、海の上に支えなど無い。 何も無い海面を足場に、船上まで跳躍してきたのである。

 それは、海賊船の間を走り回っていた男だ。

 イーリンの語気が弱くなったのは、その男を見たからである。

 ありえない機動力を披露したその男。

 それは、ぱっと見ただけでわかる威圧感の溢れる肉体をしていた。

 太い骨の上に盛り付けられた筋肉の束。

 そして、それが不自然に見えないというバランスの取れた肢体。

 20歳頃の黒髪黒目の男だ。

 人間の振りをした何かに見えて、そして、人間意外の何者でもない。

 船長であり魔法使いであるキヌートは、その男から感じる威圧感の正体が、男の秘めた魔力であることに気付いて青ざめた。

しかもこの感じは、ワザと魔力を強くみせるためにやっているのではない。

 むしろ、隠そうとしているにもかかわらず漏れ出している魔力。

 キヌートは、赤月号の兵装を動かそうとしたが、全てが破壊されていることを確認するだけに終わった。

 物理的には壊れていないものも多いのだが、魔法回路が焼き付いているのか、稼働可能は兵装は無かった。


「とりあえず、海賊共は全滅させたようだが、まだ生きている奴もいるかも知れん。

 この船の連中は大丈夫か?」


 男は、ムツキの構える短剣にも、そしてそれより遥かに物騒なムツキの殺気にも頓着しなかった。


「わたしの下僕連中が、この程度でへこたれるわけないわよっ」

「お嬢様、お静かに」


 気を取り直したイーリンが、前にでようとしたのを、再びムツキが制止する。


『先ほどは、海賊船を襲撃していたようにも見えましたが、仲間割れの可能性もあります。

 今のところは、友好的なようですが、それに感けて、お嬢様が油断するようなら、海に緊急退避してもらいますので』

『なによそれ。海に落とすっていうのっ。酷いじゃない。

 溺れたらどうするのよ』

『おや、冒険交易者を名乗りやがってますのに、泳げないので。

 看板倒れは感心できないですわ』

『むきぃ、誰だって苦手なことくらいあるでしょっ

 それに、最初は驚いたけど、なんか間抜けそうな奴じゃない。

 わたしの口先で丸め込んでやるわよ』


 ベルザウア語で会話をする二人。

 一族内でしか使われない言語は、こういう時に便利である。

 このような事態でも、内輪だけで意思疎通ができるようにベルザウア家ではこの亡びた国の言葉の習得を重要視しているのである。

 だが、今回だけは勝手が違ったのだ。

 イーリンが見るところ、あまり教養には縁がなさそうな男が、不意に喋ったのである。


『いや、目の前で堂々と騙すといわれてもなあ。

 そういうのは、オレが居ない所で相談したほうがよくないか?』


 それは紛れもないベルザウア語だった。少なくともイーリンとムツキにはそう認識された。

 海の上を走って海賊船を襲い、赤月号を一撃で戦闘不能状態に追い込んだ船と関係あるらしき男。

 そんな、怪しい上に危険きまわりない人物が、よりにもよってベルザウア語を理解し、喋る。


 その事実は、今までの事態をすべて置き去りにするほどの衝撃をイーリンに与えたのであった。


「な、なによ。あなた、ベルザウア語(こ れ)、理解できてるの!」


 急に目の前の娘が興奮して喋り出したのが、ケンカイには理解できなかった。

 ケンカイは普段、気にしてもいないのだが、海竜リオウとの契約によってもたらされた数少ない加護の一つが、あらゆる言語を理解して喋る事ができる魔法だった。

 そうでなければ、別大陸に飛ばされたケンカイは、言葉が通じなくてもっと苦労することになっていただろう。

 それは、知のリオウの名に恥じぬ素晴らしい魔法なのだが、あまりにも自然に作用してしまうため、ケンカイは魔法で言葉を理解できているという認識が限りなく薄い。

 そのため、今回のベルザウア語の会話も、普段の日常会話と何も変わらない感覚で理解できてしまっていたのだ。

 しかも、本人には特殊な言語を喋っているという意識すらないのである


『お嬢様。興奮しすぎです』

『そうそう、少しは落ち着け』

『やっぱりっ。理解できているのね!』


 イーリンはケンカイに近寄る。

 慌てて間にムツキが割り込んだ。


『お嬢様、危険です。海に放り込みますよ』

『それどころじゃないわよ。にひひ、やっぱりわたしは天に愛されてるわっ』


 イーリンは上機嫌になっていた。

 目の前の男が披露した常識外れの行動など、既に気にしていないようだった。


「あんたも幸運よね。こんな可愛くて才能あふれるわたしに出会えたんだからっ!」


 ムツキの背後から、ケンカイを指さすイーリン。

 腰に手をあてて胸を張る。


「喜びなさいっ。あんたをわたしの婿にしてあげるわ。さあ、ベルバウムへ戻るわよ」

「はあ!?」


 ケンカイは何を云われたか理解できなかった。


「教養とかに縁がなさそうだから、上流社会では苦労するかもしれないけど、そんなの、わたしが居るんだから、気にならないよね」

「いや、何を言ってんだ。おまえは」

「おまえじゃなくて、わたしはイーリン。イーリン・ベルザウア。

 若くて綺麗で優秀な交易商人よ!」

「それで?」

「む、このイーリンちゃんの噂すら知らないの?どこの田舎者よ」


 別の大陸の田舎者だが、とケンカイは思ったが口には出さなかった。


「ああ、知らんな。最近この辺りにきたばかりなんだ」

「む、まあ、いいわ。

 ちょっと、わたしが名乗ったんだから、あんたも名乗りなさいよっ」


 イーリンは、そう言った後、少し顔をそむける。


「まったく、気の利かない男ね。そんなんじゃ、もてないわよ」

「ああ、そういや名乗ってなかったか。オレはケンカイ・テラスミ。海熊の一族だ」

「ケンカイ? 変な名前ね」

「まあ、このあたりじゃ珍しいだろうな」

「まあ、いいわ。ほら、さっさとベルバウムへ戻るわよ。さっそく、お爺様に連絡しなくちゃいけないわね。ムツキ、頼めるかしら」

「いや、お嬢様。

 話が全く通じてないと思いやがりますが」


 むしろ通じていたら奇跡である。

 ムツキは、冷静に考えていた。

 彼女の主である大旦那様の望み、早く曾孫を見たいという望みのためであるなら、別にイーリンの婚約者候補であるデブの中年男でなくても構わないのは事実だ。

 そして、目の前の黒髪黒目の男はベルザウア語での会話を行うことができた。

 一族の掟からすると、イーリンの結婚相手としての条件は満たしている。

 しかし、である。


「お嬢様。いくらなんでも、初対面の怪しい男相手に欲情するのは早いというものですわ」

「だ、だれが、欲情してるってのよ!」

「失礼、そのまま寝室に引っ張り込みそうな勢いでしたので、つい」


 ムツキは優雅に頭を下げた。右手の黒塗りのナイフの違和感が凄いのだが。

 そして、そのままイーリンを後ろに押しやり、ケンカイに向き直る。


「ご挨拶が遅れました。

 私、ベルザウア家当主であります大旦那様にお仕えしております、ムツキと申します」


 再度、礼をするムツキ。しかし、先ほどとは違い、今回は頭は下げても視線はしっかりとケンカイを捉えていた。

手に持った黒塗りのナイフを、さりげなく背中に隠す。

 鋭い目線で、あらゆる反応を見逃すまいとするムツキ。 

 

「それで、ケンカイ殿とおっしゃいましたか。

 貴方、何者ですか? ・・・・どこ見てやがります?」


 ムツキは全身が濡れていた。騎獣のシャチ・メルメルに乗って海を渡ってきたのだから当然である。

 もちろん、それで透けてしまうような薄い服は着ていないが、体に張り付いたメイド服が、体のラインを忠実に示してしまうのは仕方がないのである。


「いや、別に。胸を見ていたわけじゃない」

「見てやがりましたか」

「いや、そのナイフは仕舞ってくれた方がいいんじゃないかな」


 男の本能とはそんなものであるのは事実である。

 実際、巨乳とまではいかないが、ムツキの胸は豊かであった。だが、ケンカイはそこは見ていない。彼が見ていたのは尻だったのだ。張り付いた布が示す、背中から臀部のライン。それは、素晴らしい物だとケンカイは思った。


「オレは別に、怪しい者じゃない。只の通りすがりの漁師だ」

「私の知っている漁師は、あなたの様な化け物じゃありませんが」

「ちょっと、そんなことはどうでもいいわよ。大事なのは、あのデブオヤジよりこっちの方がマシってことよね。もうちょっと、教養あふれる感じが欲しいけど」

「なんか、バカにされた気がするんだが」


 イーリンが再度割り込んでくる。

 ケンカイが敵意を見せていないせいで、安心したのか言動に容赦がなくなってきた。

 

「うちのお嬢もだが、あのメイドも凄いな・・・」


 それを後ろで見ながら呟くキヌート。赤月号の船長であり、魔法使いでもある彼は、ケンカイの魔力を感じて怯んでいた。

 魔力を感じる能力の無いイーリンはともかく、おそらく感じているであろうムツキが、乱入男ケンカイと平然と対峙しているのは、彼にとって驚きである。

 現代の魔動船である赤月号を操作する彼は、純粋な魔法使いとしては2流である。

 しかし、それは主に魔力不足が原因であって、応用や感知に関して不足しているところは無い。

 船乗りとして過ごした経験も長く、少々の事では動じない胆力がある事も自負していた。

 その彼を威圧する魔力を感じさせるケンカイ。

 それに怯まないメイドのムツキ。

 空気を読まないことには定評のあるイーリンは、いつもの事として、彼の眼には彼らは等しく人外としてしかとらえることができない。


「まあ、危険は無さそうだし、俺は俺の仕事をしておくかね」


 キヌートは船の状態をチェックするために、船内に移動しようとした。


「船長、お嬢様を放っておくのは・・・」


 レイトンが咎めるように言うが、キヌートは肩を竦めた。


「それは、お前の仕事。俺の仕事は違う。お互い職務に忠実にいこうや、それに・・・」


 キヌートは3人の様子をちらりと見た。


「あの男相手じゃ、俺なんざ、居たって役に立ちそうもない。まあ、皆殺しにされるならとっくにされているぜ。心配するだけ無駄ってもんよ」

「そ、そういうものですか・・・」

「ああ、お嬢が下手な事を言って怒らせないよう気を付けてやれ。

 お嬢は悪意がなくても、他人を怒らせる才能があるからな」

「はあ・・・」


 レイトンは、キヌートを引き留めることを諦めて、3人の元に行こうと振り向いた。


「え?」


 レイトンの目に映ったのは、帆も張らずに進む一隻の魔動船。

 そして、海に落ちるイーリンの姿だった。



 

”どうしたのじゃ? 長引いておるようじゃが?”


 リオウからの念話が届いた。

 ケンカイは、イーリンとムツキの相手をしながら念話で答える。


”いや、訳のわからん事を言い出した女がいてな。ひょっとしたら、頭が弱いのかもしれん”


 酷いことをいうケンカイ。イーリン側の事情を知らないのだから、当然の反応かもしれないが。


”ふむ、それにしても、沈まなかったのじゃな、その船。

 察するに現代の魔動船か、興味があるのう”

”また、欲しいなんて言い出すんじゃないだろうな、爺さん”

”まさか、海姫の雷号とは比べ物にならん程度の船じゃぞ。今の技術でどれだけの物が作れたのか興味があるだけじゃわい”

”そんなに差があるのか?”

”海姫の雷号は、古代魔法帝国の遺産をワシが改造した船じゃぞ”


 知のリオウと称する海竜は、自慢気に言う。


”古来から現代まで、この船より優れた船などないわい”

”じゃあ、こんな船はほうっておけばいいだろう”

”じゃが、知識と知見を得る機会というのは、逃したくないのでのう。ちと、そちらにいくぞい”


 東海母竜・マリアとの確執が解消してから、リオウは以前の慎重な行動が嘘のように大胆に振舞うことが多くなった。

 以前であれば、海姫の雷号を人目にさらすことは、何がなんでも避けようとしていたのだが。わざわざ潜水機能まで追加して。


”なに、傍を通り過ぎるだけで、解析に必要なデータは十分収集できるでの。別にじっくり見ようとなどとは言わん”

”ああ、じゃあ、近くに寄ったときに、オレも船に戻るとするか。メイド服の女は惜しいが、面倒なことには巻き込まれたくないしな”

”オヌシ、よくそう言うわりには、何かと巻き込まれておるのう”

”まあ、一番の面倒ごとは爺さんの事だったがな”


「ちょっと、話、聞いているの?」


 イーリンが掴み掛からんばかりの勢いでまくし立てた。


「悪い、聞いてなかった」


 リオウとの念話に集中していたケンカイは正直に答えた。

 イーリンの額に青筋が浮かぶ。


「こ、このわたしの話を無視するなんてっ。あんた、いい度胸してるわね」

「お嬢様、少し落ちつかれた方がいいかと。ベルザウアのことを知らない相手には、いつもの威光など、通じないのですよ。お嬢様の持つ威厳では無理です」

「何よ、馬鹿にしてるのっ」

「いえいえ、諭しているだけでございます。いい加減、私の言うことを聞いて下がってくれやがりませんかね」

「あんた、この娘に仕えてるんじゃないのか」

「先ほども申し上げたとおり、私は大旦那様におつかえしていますので。お嬢様に対しては、おまけ程度の敬意しか持たないことにしております」

「ちょ、ちょっと、ひどいじゃない」

「そこで、余裕を見せられないようでは・・・。器の程が知れますよ。お嬢様」


 ムツキは容赦が無かった。


「あー、楽しそうなところ悪いんだが、

 怪我人もいそうにないし、船は動くようだ。

 オレは帰らせて貰う」

「あ、こら、わたしと一緒にベルバウムへ行く約束を破るつもり?」

「そんな約束してないだろうが」


 ムツキは、赤月号へ近づいてくる船に気づいた。

 それは、帆もはらず、騎獣に引かせているわけでもないのに、海の上を滑るように渡ってきていた。

 舳先に優美な少女の船首像。黒光りしている滑らかな船体はところどころに施された浮き彫りとそれを彩る魔石で飾られている。そして、船全体から感じる魔力の波動。

 中型船である赤月号よりも一回り大きいその船は、信じられないほど静かに滑らかに海上を進んでいる。


「魔動船?」


 ムツキが漏らした言葉をイーリンが聴きつけた。そして、イーリンも近づいてくる船に気づいた。


「え、なに、あの船。・・・なんて凄いの」


 イーリンは魔力の波動などわからないが、船を飾っている品々がとてつもない価値を持つ魔法道具であることや、芸術性の高い艤装の価値に気づいた。

 このあたりは、格が劣るとはいえ魔動船で大陸中の海を渡って商売をしてきた商人としてのイーリンの実力である。

 

「凄く高く売れそう!」

「・・・一応褒めてるのか?」

「このお嬢様なら、褒めているつもりではないかと思います。素直に口に出すのは甘すぎやがりますが」

 

 欲しい物を欲しそうにしないのは商人のやり方の基本である。


「それで、あれは、あなたの船で?」


 むしろそうでない方が異常事態である、という思いでムツキはケンカイに尋ねた。


「ああ、一応、オレが船長権限を持っている」


 実際に動かしているのは、海竜のリオウなのだが。


「ということで、オレは帰る。じゃあな」


 海姫の雷号は赤月号の横を通り過ぎようとしている。

 船同士の距離としてはかなり近いのだが、それでも普通なら飛び移れる距離ではない。

 だが、ケンカイにとっては問題の無い距離だ。

 ケンカイは海姫の雷号に飛び移ろうとした。

 

「あ、こら、ちょっとおお、待ってよ。お願い」


 そして、イーリンが邪魔をした。動き出そうとしたケンカイの服を慌ててつかんだのだ。

 だが、ケンカイはそれくらいで体勢を崩すような人間では無かった。

 力強い跳躍で、海姫の雷号へ飛び移ることに成功する。


”爺さん、船を止めてくれ”

”どうしたのじゃ?”

”変な女が、海に落ちた”


 イーリンはケンカイに引きずられるようにして、船の舷側を飛び越えてしまったのだ。


”しかも、泳げないようだな”


 海に落ちたまま浮いてこない。ケンカイは仕方なしに海に飛び込んだのだった。




「うー、気持ち悪い・・・。レイトン、お風呂使えるようにしなさい」


 ケンカイによって、海から引き上げられたイーリンは、濡れた体を抱えるようにして赤月号の甲板に座り込んだ。

 自慢の赤髪もべったりと額に張り付いている。

 水を吐かせるために胸元を緩めたので、髪から滴る水が意外とある胸の谷間に落ちていく。

 濡れそぼったイーリンには妙な色気があった。

 

「それが、お嬢様。風呂用の設備も壊されておりまして。すぐに使用するのは無理のようです」

「ええっ、ちょっと、あんた、わたしにこのまま過ごせっていうの。すぐに直しなさいよっ」


 レイトンが差し出したタオルを受けとりながら文句を言うイーリン。

 同じく、タオルを受け取って体の海水をぬぐいながら、ケンカイは海の中でみた光景を思い浮かべた。


「さっき、海の中にでかい魚がいたんだが。

 ありゃ、あんたの騎獣か?」

「よく、お分かりになりましたね。私のメルメルですわ」

「ん、魔力の流れがあんたと繋がっていたからな。

 あの魚って何だ?」

「シャチですわ。頭のいい子ですわよ。あと魚じゃありません」


 シャチは哺乳類。むしろ獣である。


「そうか、それじゃ、オレが飛び込む必要もなかったか」

「いえ、あの子、頭はいいですけど、不器用なので。

 私も咄嗟に向かわせましたが、お嬢様を救助するつもりで、うっかり噛み裂いたりしたら大変でしたので躊躇していましたの」


 さりげなく怖いことを言うムツキ。


「何しろ、お嬢様は軟弱ですから。あの子に噛まれた程度で死なれる可能性もありました。

 感謝しますわ。ケンカイ様」

「いや、そこは制御すりゃいいだけだろ」

「ですから、うっかり、私の本心でお嬢様を噛み裂いたらどうしようかと」

「ちょっと、何怖いこといってんのよっ。というか、何でわたしを差し置いて、あんた達が楽しくおしゃべりしているわけよっ」

「いえ、別にお嬢様を面倒臭い小娘だなんて、思っていても口にだしませんわ」

「出してるじゃないっ」

「あら、これは失礼。お嬢様を心配するあまり、つい内心がもれてしまいやがりました」

「あんた、本当にいい性格してるわね。なんでお爺様も、こんな奴雇ってるのかしら」

「私、大旦那様には敬意をもって接しておりますので」

「わたしにも敬意を持って接しなさいよっ」

「は、は、は、ご冗談を」

「むきー」


 睨み付けるイーリンに、無表情に笑い声だけあげるムツキ。


「これでも、仲がいいのかね?」

「いえ、私に聞かれましても・・・」


 困った顔のレイトンにタオルを返すケンカイ。

 その時、くしゃみが聞こえた。

 イーリンが体を震わせている。やはり体が冷えているらしい。


「レイトン、お湯だけでも沸かして。このままだと、風邪引いちゃうわ」

「わかりました。少々お待ちを」


 レイトンが慌てて船内に戻っていこうとするのを、ケンカイが止めた。


「ああ、一応責任の一端はオレにあるからな。オレの船の風呂を提供するから湯を沸かす必要は無いぞ」

「え、本当? じゃあ、さっさと案内してよね。まったく、あるならもっと早く言いなさいよ」

「おや、やはり、あの船はそのような施設もあるのですね」

「そういや、あんたも濡れたままだな」

 

 シャチのメルメルに乗って海を渡ってきたムツキも、まだ濡れたままだった。

 

「それじゃ、二人とも船に招待だ」

 



 赤月号船長・キヌートは接舷している船を興味深く眺めた。

 彼も現代の魔動船である赤月号を任されている魔法使いである。

 船乗りとしても魔法使いとしても興味があった。

 あの船は、赤月号に乗り込んできた奇妙な男の持ち船らしい。

 たしかに、あの男ならこのような船を所持していても不思議ではない。

 赤月号を操るキヌートからすれば、海姫の雷号は恐ろしく複雑な魔法式で構成されている魔動船であった。

 出来心から外部から接触しようとしたところ、魔法結界に接触することはできたのだがそれ以上先に進むには、彼にとって難解すぎる魔法式を解除する必要があった。

 構成魔法式は隠匿されておらず公開しているところに、この船の製造者の自信が伺える。

 まるで、出来るものならやってみろと挑発されているようだな。

 そうキヌートは思い、接触を諦めた。

 今、あの船の中には、彼の雇い主であるイーリンと、無表情凶悪メイドのムツキがいるのだ。

 魔法使いである自分が入れなかったことは非常に残念だが、ケンカイという男の魔力の圧力を前にしては、そんな要望など口に出すことはできなかったのだ。


「船長、こいつはどうすりゃいいんで?」

「ああ、修理は間に合いそうにないからな。使えそうな予備道具と置き換えておけ。

 少しでも、元に戻しとかなきゃ、お嬢が帰ってきたら煩いぞ」

「船長! ちょっと、こっちを見てくれませんか。暴走しかけてる道具がいくつかあるんでさ」

「わかった、すぐ行く」


 赤月号の船長である彼は忙しい。名残惜しげに海姫の雷号を見てから、船内に移動する。

 傷ついた愛船を放置しておく訳にはいかないのであった。




「なんともまあ、凄いものですわね。お嬢様の自慢の船も霞んで見えます」

「うー、赤月号だって、捨てたモンじゃないわよ。・・・そりゃ、ちょっと負けてるかもしれないけど」


 イーリンとムツキは、ケンカイの魔動船に招待されていた。

 リオウの攻撃に巻き込まれて、半壊状態となった赤月号は風呂などの設備も停止しており、ずぶ濡れ状態の二人を見かねたケンカイが海姫の雷号の風呂を貸すことにしたのだ。

 二人は、ケンカイの奴隷らしき娘に案内されて、客室用の浴場に通された。

 その途中でみた海姫の雷号の船内の様子は、イーリンを興奮させた。

 高価な魔法道具が大量にあったのだ。

 彼女の商人としての血が騒いだのである。

 あれはいくらで売れる。これは、ちょっと値が付けれないから、交渉次第でものすごくぼったくれる。などと、見るものを片っ端から値踏みしていったのだ。

 その様子は、ムツキすら引き気味になるほどだった。案内役の奴隷娘・リネスは、今まで見たことの無い生き物を見る目でイーリンを見ていた。

 二人の反応に、さすがに罰が悪くなったイーリンが態度を取り繕っているうちに到着したのが、今、二人が入っている浴場である。

 赤月号にもイーリン用の風呂場が用意されており、それはイーリンの自慢の種でもあったのだが、案内された浴場はそれがただの風呂桶に思えるほど豪華なものであった。

 しかも、設備の全てが魔法道具で構成されており、水や湯が蛇口をひねるだけで出てくるのだ。

 風呂も湯を張っただけではなく、風呂の一部は底から泡が湧き出ており、その中に入るだけで体が心地よく刺激される。

 そんな設備は今までイーリンですら見たことが無かった。


「でも、あんた、何で体を隠しているのよ?」


 ムツキは、浴場に入っても体を覆うバスタオルを外していない。


「いえ、覗かれている可能性を考えただけです」

「え、あいつ、覗いているのっ」


 イーリンは慌てて胸を隠す。


「いえ、ご心配なく。お嬢様は隠すほどありませんわ」

「あんたみたいな、でか胸じゃないけど、わたしは人並みぐらいあるわよっ」

「いえ、ないのは色気です」

「そっちのほうが酷いじゃないっ」


 イーリンは羨ましげにムツキを見る。バスタオルで隠してあっても、豊かな胸や引き締まった臀部は、その存在を主張している。

 

「ふん、わたしだって、あと数年もしたらそれぐらい育ってるわ」


 イーリン・ベルザウア 16歳。まだ成長の見込みは残されているのだ。


「さっきの奴隷娘とは違うんだからね」


 さりげなく酷いことを言うイーリンだった。




「ご主人さま、さっきの二人って誰ですか?」


 リネスはケンカイの料理を手伝いながら尋ねた。

 帰船してからのケンカイは、厨房に篭ってひたすら料理をしていた。

 とはいっても、手の込んだものを作ろうとしているのではなく、量重視で簡単なものを作っている。 


「ん? ああ、さっきの海賊船団退治の時に、爺さんが巻き込んだ船の連中だ。

 そのせいで船の設備が壊滅状態のようでな。女がずぶ濡れのままじゃ、可哀想なので連れてきた」

「あの二人がずぶ濡れになったのは、ワシは関係ないと思うのじゃが」


 リオウの分体である青猫が、不満そうに言う。


「でも、この船に、知らない人を乗せるのって初めてですよね」

「まあ、あいつらも魔動船を使っている人間だ。爺さんの正体とか知られなきゃ、騒ぎにはならんだろ。

 よっと、そっちの大皿を取ってくれ」

「あ、ユッキちゃん、手伝って。ボク、今手が一杯」

「手伝う。ケンカイ、これ?」

「ああ、ありがとう。そこに置いてくれ」


 ケンカイは大鍋で、煮付けていた大量の魚を大皿に移し変えた。


「飯も炊けてるな。それじゃ、ちょっと持っていくか」

「あ、もしかして、その船への差し入れですか、これ?」

「ああ、今の状態だと調理なんてできそうになかったしな。倉庫の魚も余りきみだったし、丁度いい」

「え、これ、あたいのじゃないの?」

「お前、これだけ全部食うつもりだったのか」

「半分くらい、大丈夫」


 みかけによらず大食いのユッキ。

 最近は余分にとった栄養が胸にいっているのか、リネスとの格差が酷いことになっている。


「そりゃ、食いすぎだ。オレたちの分も後から食べれるように仕込んであるから、ユッキは料理を運ぶのは手伝ってくれ。

 リネスは、そろそろあの二人も上がってくるころだろ。

 適当に相手をして、ここに案内しておいてくれ。余計なものは見せるなよ」

「わかった、ケンカイとお出かけする」

「ユッキちゃん、お出かけじゃなくて、お手伝いだよ。

 あ、ご主人さま、わかりました。あの赤髪の女の人、なんか、船内の品物を食いつきそうにみてましたから、気をつけます」

「ああ、頭が残念な方か。なんか意味のわからん事を言い出すから、気にするなよ」

「はい、あっちのメイドさんの方は安心ですか?」

「そうだな・・・」


 ケンカイは、ムツキの動きを思いだした。


「危害を加えなきゃ安全だろう。首を切られないように気をつけろよ」

「はい、わかりま・・えええっ。あの人、そんなに危険なんですかあっ」

「リンダと同じくらいの腕前はあるな。大したもんだ」


 ケンカイは懐かしい名前を口にする。


「だが、むしろ厄介なのは性格の方かも知れんがな。まあ、いい(・・)性格をしている」

「・・・ご主人さま好みの体形もしていましたね」


 目当てはメイドさんの方かな、とリネスは思ったのだった。




 赤月号の船員達は、暖かい食事には喜んだ。

 調理施設が全壊していたため、今日は保存食を食べるしかないと思っていたのだ。

 だが、それ以上の問題が一つあった。


「えーと、旦那、あれ(・・)って・・・」

「なんというか、親バカのせいだな。

 危害は加えん筈だから気にするな」


 届ける料理の量が多いのと、男ばかりいる船にユッキを連れて行くのをリオウは心配した。

 ユッキを襲う事に成功するような男など、まずいないのだが。

 そして、心配したリオウは船内の使役魔を動員してケンカイとユッキに同行させたのである。

 使役魔。それは低級な使い魔の一種だ。

 単純な作業を行わせるためにリオウが作り出した魔物である。

 その形状は、人間の骨格標本にたとえらえる。

 つまり、動く骸骨が料理を持って、赤月号へ乗り込んできたのである。


「あれは、旦那が操っているわけで?」

「んー、まあ、オレの命令は聞く」


 操っているのはリオウであるが、さすがにそれをばらすわけにはいかない。


「ケンカイ、これ、どこに置く?」

 

 そんな中では、美少女であるユッキの姿は目立つ。

 しかも、人魚娘であるユッキの服装は、水中を泳ぐことを前提にしているため肌の露出が多いのだ。

 そんなユッキが料理を載せた大皿を運んでいくと、そこにだけ船員が集まっていく。

 そんな船員達を囲むように迫る使役魔達。

 わざと音を立てて脅す姿を見て、船員達はあわてて逃げていく。


”爺さん、いい加減にしろ”

”じゃが、あやつら、ユッキに触ろうとしておったぞ”

”してねーよ”


 リオウの親バカ加減は、加速していた。

 そのうち、取り返しの付かないことにならなきゃいいがと、ケンカイが心配するほどである。


「ユッキ、その辺りに置いておけ。

 船長、騒がしてすまんな。すぐに引き上げさせるから、ゆっくり食事をしてくれ」


 ケンカイは自分で担いできた荷物を降ろした。こちらは酒瓶が詰まっている。

 普通なら持ち運ぶところか、持ち上げるのも無理な量だが、ケンカイにとっては大した荷物ではない。


「いえ、とんでもありません。おい、お前ら、さっさと料理を受け取れ」


 ケンカイの差し入れた料理は単純な料理ではあるが、使っている魚には珍しいものや高級魚とされている物が多くあり、海を生活の舞台にしている船員達にとっても非常に美味しいものだった。

 ただ、これを持ってきた化け物が存在する船がすぐ隣にいる。

 それは、大半の船員達の食欲を奪うのに十分なことではあったが。

 だがそれも、ケンカイが持ってきた酒瓶が開けられていくにつれ、徐々に薄れていく。

 彼らも勇敢な海の男なのであった。

 



「ねえ、どうしたらいいと思う?」


 イーリンは肩まで湯につかり、ムツキに尋ねた。


「ベルバウムへ戻って、例の候補者とさっさと婚約していただければ助かりますが。

 あと、子作りもしていただければ、大旦那様が喜ばれます」

「それは嫌だって言ってるじゃないのよっ。

 なんで、また話が戻るのよ。せっかくベルザウア語が判る男を見つけたのよ。

 こっちのほうがずっとマシじゃない!

 あんたも協力しなさいよ」


 ムツキは少し思案した。


「お嬢様」

「なによ」

「私が思いますに、ケンカイ様を伴侶に迎えるのは無理だと思います」

「どうして? そりゃ、怪しい所が多すぎる奴だけど」

「はい、まずはその通り。余りにも謎が多い人物です。大旦那様や旦那様を納得させることは至極困難でしょう」

「そんなの、わたしが説得すればいいんでしょう。お爺様も、お父様も結局甘いんだから、わたしが頼めば納得してくれるわよ」

「そうでしょうか?」

「それに、身元が判らなくてもこれだけの魔動船を持っているのよ。これだけでも充分、資産価値があるわ。これを持参金代わりにしてもお釣りが必要なくらいよ」


 ムツキは溜息をついた。


「お嬢様は、この船の価値をその様に見積もってらっしゃるので?」

「なによ、わたしの見立てが間違っているっていうの?そりゃ、内装に使っている魔法道具の価値も込みだから、船だけだとそこまで行かないかもしれないけど」

「逆です」

「逆?」

「私は大旦那様のメイドではありますが、魔法に関しても些か習得しております」

「お爺様の直飼いなんだから、それくらい出来て当然でしょう」

「ええ、ですので。魔法使いとしてこの船の価値を測ると・・・」


 ムツキはイーリンをじっと見る。


「正直、値は付けられません。あえていうなら、小国くらいなら2、3個まとめて買える程の価値が最低でもあると思います」

「え、魔動船といっても、たかが船一隻よ。さすがにそんな・・・」

「お嬢様はそうお思いでしょうね。

 だから、二つ目の理由です。

 お嬢様ではケンカイ様に釣り合いません。

 なので、ケンカイ様がベルザウア家へ婿入りすることは有りえないと、私は思いますわ」


 イーリンがムツキの言葉を理解するまでには、十数秒が必要だった。


「ちょっと、このわたしが釣り合わないですって?」


 イーリン・ベルザウア。これでも、西大陸で最も裕福と言われるベルザウア家の令嬢の一人である。

 その中でも変わり者であることは違いないが、イーリンは同年齢の人間と比べられて自分の方が格が劣ると言われた経験は無かった。

 

「おや、ご不満ですか?」

「ふん、あんたの目なんてあてになるもんですか。こ、の、わたしの夫になる事を断る男何ているわけないじゃない。

 見てなさいっ、すぐにあんたの間違いに気づかせてやるんだから!」





「はあ? 嫌に決まっているだろう」

「えええっ」


 あの後、イーリンとムツキを迎えに来た奴隷娘に案内されて、彼女たちはケンカイの待っている食堂へ移動した。

 そこでは、ケンカイがユッキと一緒に先に食事をしていた。ユッキが待ちきれなかったのでケンカイも付き合っているのだ。

 おいしそうに食事に箸を伸ばすユッキを横目に、ずかずかとケンカイの隣に歩いて近づいたイーリンは、いきなり言った。


「さっきの話の続きよ。あんたをわたしの婿にしてあげるから、喜びなさい。ベルザウア家の旗を掲げられるんだから、この船にも箔がつくわよ」

 

 そしてその返事が冒頭の言葉である。


「ベルザウアってのはよく知らんが、オレは旅の目的がある。子供ガキの遊びに付き合ってる暇はない」

「だれが子供ガキよっ。あんたがベルザウア家の事もしらない田舎者でも、この可愛いイーリンちゃんの夫になれるのよ。断る理由何てないじゃないっ」

「断る理由しかないだろうが。まあ、あんたが可愛いのは否定しないが」


 実際、イーリンは美少女である。ただし、ケンカイの趣味からするとまだ幼い上に、胸と尻のボリュームが足りない。


「でしょ、じゃあ、いいじゃない!」

「そもそも、なんでオレなんだ?」

「ベルザウア語を喋れたから」

「他には?」

「いい魔動船も持ってるし。結構高く売れるわよ、この船」

「あとは?」

「それだけあれば十分でしょっ」


 ケンカイは溜息をついた。後ろで控えているムツキに視線をやる。


「あんた、こいつに男の口説き方くらい教えてやれ」

「お嬢様は我儘でいらっしゃいますから。自分の希望は言えば叶うものだと思っていますので・・・

 まあ、世の中、ベルザウア家の力があれば、それで渡っていける場合も多いので、残念ですがそちらの方面で成長の見込みはないかと」


 ムツキは無表情に答える。


「私は無駄なことはしない主義なのでございます」

「何よ、わたしのやり方が間違っているって言うの?」

「少なくとも、この場では間違ってやがりますよ」


 睨みあう二人。

 

「リネス。あの赤髪女、何を言ってる?」

「えーと、ご主人様にプロポーズして振られたのかな?」


 ユッキとリネスが、こそこそ話す。


「でも、ケンカイは、来る女は、まず拒まないの。よっぽど趣味に合わない?」

「ユッキちゃん、そういうことは思っても言っちゃダメ」

「聞こえてるわよっ」


 額に青筋を浮かべたイーリンが、二人の会話に割り込んだ。


「ていうか、あんたたち何者?」


 むしろそれを聞きたいのは、リネスの方なのだが。

 リネスは素直に答えた。


「ボクはご主人さまの契約奴隷です」


 ユッキも、ある意味素直に答えた。


「あたいはケンカイの女」

「ユッキちゃん、またそんな言い方を・・・リオウさんが怒るよ」


 イーリンは、しばらく唖然としたあとケンカイに向き直る。


「ちょっと、ケンカイ、あんた、幼女趣味だったの?

 この娘たち、どう見てもわたしより年下じゃない

 そういう娘を囲うのが趣味だったのね・・・

 しかも、二人も。

 こっちの長い髪の子なんて、体つきは大人っぽいけど、顔つきなんてまだまだ子供じゃない。

 毎晩、こういう娘たちを弄んでるのね・・・、

 道理でわたしのような大人な女に拒否反応を示すわけだわ」


 イーリンは自分の言った事が、どんな事態を引き起こすか判っていなかった。


”やはり、オヌシ、ユッキを狙っておるのか。いやワシの目の届かぬところで手を出したのではあるまいな”

”いや、ちょっと待て、爺さん”


 リオウの親バカぶりが暴走した。


「ムツキ、その女を抱えて赤月号へ逃げろ」

「え? 何よ? きゃっ」


 ムツキは、船全体から沸き起こる魔力の渦を感じた。体が反射的に動き、イーリンを捕まえると横抱きに担ぐ。

 走り出した背後で感じる魔力の波動。

 それは、ケンカイの物とは違う魔力であった。


(別の魔法使いがいる? そいつが私達を狙っている・・・訳じゃなさそうね)


 魔力の波動は魔法へ変化し、ケンカイに襲いかかった。


「この、バカ親がっ!」

 

 ケンカイから放たれた魔力が魔法をかろうじて打ち消す。

 ムツキが部屋を出る前に見たのは、扉の近くにいた青い猫。

 その猫が信じがたい魔力を放ち、魔法に変換していく姿。

 自分の見たものに、目を疑いながら、ムツキは船内を駆けてぬけた。

 幸い、赤月号とケンカイの魔動船は接触しそうな程の近くで碇泊していた。

 それでも、常人では考えられない距離を、イーリンを抱えたまま跳躍するムツキ。


「え、ムツキ、どうかしたのかい?」


 いきなり船に乗り込んできたムツキを、怪訝そうに迎えたレイトンにイーリンを預け、ムツキはキヌートに叫んだ。


「すぐに出航を。この場を離れろ、すぐにだ」


 その迫力は、キヌートに有無を言わせぬものだった。

 さらに、海姫の雷号から立ち上がる魔力の気配が、彼の行動を後押しする。


「全速前進だ。野郎どもっ、とにかくここから離れるぞ!」


 そして赤月号は海を進む。背後に不気味な気配を感じながら。

 それは、親バカぶりを暴走させたリオウと、ケンカイの争いの気配だったのだが、それを彼等が知る筈もなかったのである。



「おい、爺さん。これは無いだろう」


 食堂は壊滅した。ケンカイが作った料理毎である。


「うむ、今は反省している。ちと、やりすぎたかのう」

「ちょっとじゃないだろう、これは。知のリオウじゃないのかよ」

「ワシの知は知識の知じゃからな。知恵でもなければ理知でもないわい」

「威張って言う事かよ」

「うむ、ワシが悪かった。だから、ユッキよ、いい加減、機嫌を直してくれぬかのう」


 ユッキははぶてていた。せっかく食べていた料理が、リオウの魔法によって粉々になったのだから無理もない。

 リオウの分体である青猫と視線を合わせず、ソッポを向いている。膨れたほっぺたが可愛らしいながらも、怒りを表していた。


「父様、ウザい」

「いや、これも、お主のことを心配してだな・・・」

「余計なお世話」


 ソッポどころか、完全に後ろ向きになってリオウを拒絶する。


「ほれ見ろ。親バカぶりもいい加減にしないと、ユッキに見限られるぞ」

「うーむ、どうも最近、感情を抑えきれぬのじゃよ。これも、竜の力を少し取り戻したせいかのう・・・」


 ユエンディーで地竜ハデスと再会したリオウは、ハデスから竜の角を贈られている。

 それを大アザラシの本体に取り付けて、一角大アザラシという世にも珍しい形態になってからのリオウは、時折訪れる感情の昂ぶりに困惑していた。


「なんだそりゃ。竜の時の爺さんは、感情に任せて暴れまわる存在だったのか?」

「いや、そんなことはないぞい。少なくとも覚えておる範囲ではのう」

「爺さんの覚えていない時期ってどれくらいあるんだ?」

「推測になるが、100年くらいかの」

「なげーよ」


 少し心配になるケンカイ。リオウが本当に暴走したら、誰が止められるのだろうか?

 竜というものは、あのハデスもそうだったが、厄介な物だと、改めて思う。

 その竜の加護を受けているらしいカリスを殺すことが、今の目的なのは、とりあえず考えないでおくことにしたケンカイだった。


「ご主人さま。これからどうします?

 ほら、ユッキちゃん、そんなに拗ねないで。リオウさん、落ち込んでるよ」


 リネスが、ユッキとリオウの間を取り持とうと、わたわたしている。

 

「あの魔動船はどうなった?」


 ケンカイとリオウの争いに巻き込まれないように、海域を離脱した赤月号の行方をケンカイは尋ねた。


「えーと、ここから西北の方向に進んでいますから。

 海図からすると、ベルバウムへ向かっているのかな」


 使い魔の鴎のジョナサンからの情報から、行き先を判断してケンカイに伝えるリネス。

 彼女の魔法の腕も確実に進歩している。すでに一流の下くらいの実力はあるだろう。

 操る魔法の希少さからすれば、それ以上の評価を受けてもおかしくないほどにまで、リネスは成長していた。胸はあまり成長していないのだが。


「オレ達の目的地と一緒か。となると、気を付けた方がいいな」


 余計な揉め事は面倒である。

 

「爺さん、大角丸を出してくれ。早めに乗り換えておこう。

 面倒事に巻き込まれるのは嫌だからな。大角丸なら、あいつらも判らんだろう」


 ケンカイはさきほど別れた二人の女の顔を思い浮かべた。

 勝気な表情をした赤髪の女と、無表情なメイド。

 メイドの方は好みの身体と年齢であったが、赤髪の方はリネスたちと大差ない少女だ。

 手を出すには幼すぎる。

 それにもかかわらず、向こうは、何故かこちらのことを婿にしたがっている。

 どうせ、裏に碌でもない事情があるのだろう。

 面倒事は真っ平だ。

 それは、ケンカイの変わらぬ本音であった。




「ちょっと、何してるの、戻りなさいっ」

「お嬢、あれは無理ですぜ。船長権限として非常事態を宣言。

 ここから、すぐに逃げますぜ」


 気を取り直したイーリンが叫ぶが、船長であるキヌートは拒否した。

 海姫の雷号が碇泊した付近は、魔法の影響で嵐がきたかのように大荒れとなっている。

 赤月号の船主はイーリンだが、操船に関する権限は船長であるキヌートが優先される。

 魔法使いでもある彼は、魔力が嵐のように吹き荒れる海域へ戻るつもりなど、全く無かった。

 そして、それは赤月号に乗るすべての人間にとっても同様だったのである。


「私も船長の判断を支持します」


 ムツキが無表情をかろうじて保ちながら言う。もちろん崩れそうになったのは、イーリンに反対するからではなく、背後の魔法の嵐の影響だ。


「それでも戻られるというのなら、一人で泳いていきやがれまし」

「なによっ。あんた、わたしの邪魔をするつもり?」

「いえ、お嬢様の命を守ろうとしていますが。

 もちろん、この船の船員たちも全員が。

 それすら判らないのでしたら、本当に海に叩き落としますよ」

「う・・・」


 イーリンは、悔しそうな表情で背後の荒れる海を見た。

 さすがの彼女も、自分の我儘で長く苦楽を共にしてきた船員たちを失いたくはない。

 冷静になれば、あそこに戻るのは自殺行為だと判るのだ。

 しかし、である。


「でも、わたしは諦めないんだからね。せっかく見つけたんだから。

 絶対、あいつに、うんって云わせてやるわ」


 イーリンは、荒れた海を、その中にいるはずのケンカイを睨みつけた。

 

「この、イーリンちゃんを袖になんてできるはずないもの。ケンカイ、絶対再会してあげるわよ」


 そして赤月号はベルバウムへ帰港し、その日から、レイトン達が情報を求めて街中を走り回る事になるのである。

 すべては、あの男。ケンカイを見つけだすために。

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