第2話 奇妙な来訪者
「メイ中尉、貴官を大尉に昇格させ、ユエンディー監察部の初代部長に任命する」
ある日、メイは大尉に昇格し、そして左遷させられた。
これは、周囲の事情と彼女の希望が絡み合った結果だった。
チャンター共和国は揺れていた。
切っ掛けは、監察局から提出された報告書である。
軍部が政権を握る軍事政権であるチャンター共和国は、軍人の不正行為を調査するために監察局という部署を設けている。
これは、自浄機能を失いがちな軍事組織を正すための組織であり、実質上の最高意思決定機関である司令部の肝いりで創設された組織だ。
そのため、出る杭を叩くための司令部の子飼い組織であるという風評が常につきまとい、司令部入りを狙う野心ある上級軍人達からは、非常に嫌われている組織であった。
だが、今回の報告書による影響が最も大きかったのは、当の司令部であったのだ。
報告書の内容は、よくある軍人の不正に関するものであった。
リーミン号船長であるリーイン大佐の不正行為の証拠をまとめたものだ。
リーイン大佐は、司令部の主流家であるリー家の出身だが、血筋的には末端で特にリー家の支援を受けている人物ではなかった。
普通なら、証拠を元に逮捕され、取り調べを受けて刑が確定するだけだ。
問題は、その不正の内容が海賊との共謀であったことだ。
それだけならまだしも、海賊との共謀の内容が詳細に証拠として挙げられていた。
その内容が最初の波紋を呼んだ。
リーイン大佐は、海賊が襲撃しようとする船の情報を海賊に漏らしていただけではなく、襲撃する船の指定まで行っていた。
その指定の仕方が、リー家に対してライバル関係にある他の有力家に関する船ばかり狙わせていたのだ。
普通なら、共謀した証拠が挙がっても、ここまで詳細な資料が残っているようなことはないのだが、今回に関しては狙った船の船名はおろか、船長の名前や、買収した内通者の名前を含めた詳細な資料が残っていた。
報告書を読むだけで、リーイン大佐がリー家のライバルとなる家を狙っていたことが一目瞭然であった。
リー家としてはリーイン大佐にそのような指示をした事実はない。
実際、リーイン大佐としても何となく同族の関与する船を狙うのは躊躇われただけで、ライバルとなる家の関与する船を意図的に狙ったつもりは無かったのだ。
だが、他家の見る目は違った。
リー家の血を引く者が、リー家からの指示で意図的に我が家に損害を与えていたのではないのかと疑った。
リーイン大佐が捕えられれば、本人の自供からそのあたりの経緯が明確となるはずなのだが、ここでもう一つの問題が起きた。
リーイン大佐が行方不明になったのである。
それもリーミン号ごと。
巡回にでたリーミン号は、予定の期間を過ぎても帰港しなかった。
当初は、自分の不正行為がばれたことに気づいた大佐が逃亡したのではないかと思われていたのだが、後日、リーミン号のものと思わしき漂流物が岸に流れ着き、海で救助されたわずかな生き残りが発見されることで、リーミン号が沈没したことが明らかとなったのだ。
そして、生き残りの証言から、沈没の原因が怪物に襲われたことであると語られた時、報告書の最後の内容の信憑性が上がった。
報告書の最後には、参考意見としてだが、リーイン大佐が複数の怪物を操っていた可能性が高いという内容が記載されていた。
後日、報告書を作成した監察役が襲われたたという島に調査に向かった船が、複数の焼け焦げた怪物の死体を発見している。
このような複数の怪物を操る術を使えるのなら、なぜリーイン大佐が怪物に襲われて殺されたのだろうか。
そもそも、本当にリーイン大佐が操っていたのか? 彼にそのような能力があるとは思えない。
では、この怪物たちのことはどう説明する。怪物が存在していることは事実なのだ。
リーイン大佐には無理でも、もっと強力な組織、たとえばリー家のような権力と財力を持った組織なら、可能ではないのか。それなら、リーイン大佐を始末するために怪物が使われたことも説明がつくのでは。
可能性はある。説得力もある。なら、それが事実では無くても、リー家の力を削ぐには使える情報だ。
というような思考を経てか、司令部内での各家の対立が深まりつつあった。
さらに、次期総統を選ぶ選定会議が間近となっており、チャンター共和国の上層部は疑心暗鬼となって、水面下での抗争を次第に強めていたのである。
そんな中、メイ中尉は休みも取らずに働き続けていた。
そして、3か月ほど働いて任務が片付くと半月ほど休暇をとり、ユエンディーまで出かけてケンカイと会うという生活をしていた。
メイは21歳になっていたが、そのバイタリティーに衰えはない。
外見に衰えも無く、最近ますます美人になったと評判である。外見だけは。
「ん、こんなに充実した日々は初めてだな」
「さすがに、働き過ぎではないかね?」
メイの漏らした言葉を聞きつけて、上司が声を掛ける。
もともとメイは、一度目標を決めると一人で突っ走る傾向があるのだが、最近はその傾向に拍車が掛かったようになっていた。
「体を壊されても困るのだが。せめて休暇の時ぐらいはのんびりしたらどうかね」
「いえ、休暇の時は充分に休んでおります」
「だが、ユエンディーに毎回行っておるだろう。そんなに、リーイン大佐の事件が気にかかっているのかね?。まあ、あの事件も、上の方でいろいろ尾を引いているようだがね」
「リーイン大佐?」
メイは暫く記憶を探って、ようやく思い出した。
そういえば、報告書を提出するときに、リーイン大佐が怪物を操っていたのなら、その術を手に入れるのはユエンディーぐらいしかないでしょう、と口頭で報告したことがあったのだ。
リーイン大佐の死亡が確定されてからは、復讐する理由が無くなりすっかり忘れていた事柄だった。
メイは無駄な事を覚えておくことは好きではないのだ。
メイがユエンディーに行くのは、ケンカイに会って、見かけだけは青い果実を堪能するためである。
「休暇の度に、調べに行く程熱心なのは構わないが、それで他の仕事に支障をきたす程体調を崩されても困るのだ。いざという時に、な。
今、上層部が荒れているのは君も知っているだろう。
その原因の一つである君の身辺も危ういかもしれん」
「どういうことですか?」
「リー家の逆恨み、もっと有効な証言を引き出そうとするチャン家、とりあえず確保しておけば何かの役に立つかもしれないと考えている他の名家・・・、狙われている自覚はなかったのかね?」
「ん、そういえば、最近不審者が多かったような。
まあ、全員病院送りにしておりますが」
「ああ、影の護衛を着けていた私が馬鹿みたいだったよ」
「おや、局長。私の身を案じてくださっていたのですか」
「局員の身の保全は、私の責務だ。たとえ、君の様な局員でもな」
「いや、私の身はある少年に捧げていますので、局長と言えども・・・」
「何の話だね。はぁ、胃が痛い。
ああ、それとようやく、リーイン大佐の事件での君の功績が正式に認められた。
おめでとう、昇進だ」
「ありがとうございます。今後とも全力を尽くして任務に励みます」
「いや、できれば全力は控えてほしいのだが・・・」
何かと迷走してトラブルを引き起こしながらも任務を達成するのがメイだ。
後始末をする羽目になる上司としては、たまったものではない。
「昇進に伴い、君の業務を見直すことになるのだが、希望があるのなら聞こう」
メイはこの時閃いた。それが冒頭の言葉につながるのであった。
ユエンディー監察部の部長になることが、何故左遷となるのか。
ユエンディーはどの国家にも属さない独立した都市である。当然そこにはチャンター共和国の正式な軍隊など滞在していない。
いるのは情勢を確認するために派遣された数名の諜報員ぐらいなのだ。
当然、そんな小規模な諜報員のために、監察局が動くことなどまずありえない。
まして、わざわざ支部を作る必要など全くない場所である。
そんなところの部長である。当然、部下もいない。
メイ1人で行く事になるのだ。
これが許された背景は二つ、一つはリーイン大佐が操った術の出所を探る必要があるとメイが訴えたこと。
もう一つは、激しくなる上層部の政争にメイが巻き込まれるのを防ぐためである。
むしろ、二つ目の巻き込まれを防ぐことのほうが比重が重い。
リーイン大佐の件は、理由付に過ぎなかった。
局長にとっても、警護に使う労力や、人の手当ては大変なのだ。
安全な遠隔地に隠れてもらっている方が、遥かに楽である。
そして、メイにとっては、仕事をしながら、ケンカイの近くにいることができる。
お互いにとって、メリットがある裏取引により、メイはユエンディー監察部の部長に就任することとなったのである。
海の上を青黒い球体が漂っていた。
彼女は、この一年の間に、いろいろなところを漂っていた。
西へ行くという基本方針は変わっていないが、それほど執着もしていない。
陸に上がって騒動を何度も起こした。
おいしい物も食べた。
騒動の中で、親切な人に巡り合ったこともあった。
彼女に名前をつけてくれたその人が、第2の母親なのかもしれない。
今、彼女はユッキという名前を持っていた。
そして、陸に上がっても大騒動を起こさないだけの常識も身に着けていた。
小さな騒動は絶対おこるのだろうけど。
彼女は、親切だった人が残した言葉に、今は従っていた。
その人は、死の間際にこう言い残したのだ。
行くところがないなら、迷宮都市に行くといい。
あそこは、だれでも受け入れてくれるのさ。
彼女はその言葉を信じたわけでは無い。
1年の間に、自分がどれだけ人と近くてそして離れているかを実感していた。
でも、彼女は迷宮都市を目指す。
だって、迷宮都市も西にある。
じゃあ、寄ってみるのもいいじゃない。
青黒い球体がはじけた。
中から出てきたのは、蒼黒い長髪をした少女。
薄い胸に、胸当てを付けている以外は何も身に着けていない。
そして、腰より下にあるのは脚では無く、強靭な魚の尾である。
彼女は、力強く尻尾をうごかし、海中を進んでいく。
迷宮都市は近い。
第一の母親に植え付けられた知識がそう囁く。
迷宮都市は、古代より存在する古代魔法帝国の残滓。
それは、彼女の母親と同じようなものであった。
翌日、ケンカイ達はリオウの引く大角丸に乗って海姫の雷号を隠している沖まで移動した。
海姫の雷号は、リオウによる改修によって潜水機能を持っている。
普段は、船の通らない海域に沈めて隠してあるのだ。
「今なら、周りに船はいませんよ」
周囲の偵察のため、ジョナサンを操り空を飛ばせるリネス。
海での視界の広さは、高さによって決まる。空を飛ぶジョナサンより遠くを見ることができるものはいないだろう。
「よし、浮上させるぞい」
猫のリオウが言い、大アザラシのリオウが精神を集中させると、海底から海姫の雷号が浮かび上がってくる。
海姫の雷号は、中型船と大型船の丁度中間くらいの大きさの魔動船だ。
優美だった外観は、東の海に連れ去られた時の影響で大きく損傷していたのだが、この一年間の修理作業により、元の姿を取り戻しつつある。
特に哀れさを感じさせた首の折れていた船首像は、完璧に修復された。
美しい乙女が祈りを捧げる像は、それだけで幽霊船と言われた船の印象を大きく改善している。
まだ甲板や舷側には焼け焦げた跡が多く残っているのだが、それでも1年前と比べると遥かにマシな外観になっていた。
「大角丸を積むぞい」
海姫の雷号の船尾が上下に割れると、内部に船を収納するための空間が姿を現す。
大アザラシのリオウが、大角丸を引っ張って、海面に降ろされた渡し板に乗り上げると、渡し板についていたロープが自動で大角丸の牽引用金具に絡みつき、そのまま船内に引き上げる。
「よし、沈ませるぞい」
船尾が元の状態に戻ったのを確認してから、リオウが再度精神を集中させ指示を出すと、海姫の雷号は滑らかに海に沈んでいった。
浮上・収納・潜航が終るまで合計5分足らずである。
「この船に来るのも久しぶりだな」
ケンカイは大角丸から荷物を降ろしていく。そのほとんどが船の修理用の資材に使う、迷宮からの収穫品だ。
「えーと、前回は一か月くらい前でしたっけ?」
「ワシはもう少し、頻繁にきておるのじゃがな。こいつらのおかげで、単純作業は任せられるようになったからのう」
扉を開けて、ゾロゾロと奇妙な一団が近づいてくる。一言でいえば動く人間の骸骨の集団だ。
骸骨たちはケンカイが下した荷物を受け取り、そのまま扉から出て行った。
「しかし、何回見ても趣味が悪い造形だな」
「ボク、最初見たときはびっくりしました」
「機能的な形状じゃと思うのじゃがのう」
人間の骸骨のような物は、リオウが迷宮から手に入れた資材から作り出した作業用の使い魔だ。正確には使役魔というらしいが、ケンカイには違いがよくわからない。
ちなみに使い魔と使役魔の違いは、感覚の共有機能があるかないかで、共有機能のない使役魔の方が作成のコストは低くなる。
その分、細かな作業を行うための魔法回路を組み込めたりするので、閉鎖空間である船内で作業させるのであれば、こちらの方が向いているのだ。
修理用の使役魔を作ることによって、リオウが直接作業をすることは減り、最初のころと違って五日に一度くらい様子を見に来るだけで良くなった。
ちなみに、その場合は勝手に港の家から抜け出してリオウ一人でここまできているので、わざわざ船を浮かせたりはしていない。
「ワシは、この前言った宿泊用の魔法道具を調整するのじゃが、オヌシ等はどうするのじゃ?」
「ボク、リオウさんのお手伝いします。魔法道具作ってるところを見るのも魔法使いの練習になるんですよね」
「オレは、久々に釣りでもするか」
ケンカイの釣ってくる魚は、釣り物である上に、持ち帰るまでの間氷で冷凍保存しているため状態が良く、白い黒犬亭の厨房の料理人やケンカイがよく行く別の店の料理人たちにも好評だ。
それなので、今回の様な沖にでる機会がある時は漁を行うのがケンカイの習慣になっている。
漁に使う船は、ケンカイの故郷の船に似せて作ったアウトリガー付の丸木船である。
もっとも、リオウが魔法道具を組み込んでいるため、魔動船になっているのが大きな違いだ。
「射出するだけでいいぞ、船を浮かせる必要はない」
ケンカイが丸木船に乗り込むと、骸骨たちが寄ってきて船を抱え上げ、そのまま船外へ放り出した。
「ご主人さまって、いつ見ても、豪快だよね。」
「ああいう用途は考えておらんかったのじゃがのう」
丸木船は自身の浮力で、海面めがけて浮上していく。いざという時の緊急脱出用に射出機構を収納室に付けたのだが、今の所ケンカイが不精さを発揮して釣りに行くときくらいにしが使われていない。
リネスも一度同乗したのだが、もう2度としないと決心するほど酷い体験だった。
「さてと、ワシらもやることを済ますかのう」
「はい、リオウさん。ご指導お願いしますね」
「なんで、あのガサツな男と一緒にいて、リネスは素直な娘になってるんじゃろうのう」
「え、ご主人さま、雑なところもあるけど、結構気を使ってくれてますよ」
リネスは、ケンカイがプレゼントしてくれる予定の首飾りのことを思い浮かべる。
メイさんにも髪飾りをプレゼントするって聞いたときは、ちょっと落ち込んだけど、直ぐに別の物を贈ってくれるって、これって気を使ってくれてるよね。
それがリネスの心情だ。
「ふむ、おぬしがそう思うなら、それでいいかもしれんがのう」
リオウには人間の心の機微が判り辛い。遥か昔なら簡単に判っているかもしれないのだが、今のリオウは海竜なのだから。
「まあ、ケンカイが戻るまでの間に、仕上げておきたいからのう。
アヤツが釣ってくる魚は美味い物が多いのが楽しみじゃしな」
「はい、じゃあ、頑張りましょう」
リネスは大アザラシのリオウと並んで歩いていく。船内の通路はリオウが楽に通れるほど大きく改装されていた。
海姫の雷号は、古代魔法帝国の遺産でもある魔動船だ。その中で工作室と名付けた部屋には、魔法道具を作成するために必要な設備が整っている。
港の家では出来ないような作業も、ここでは容易に行えるのだ。
それは、リオウがこの船を欲しがった理由の一つでもあった。
なので、リオウは存分に魔力を使用し作業を進めていく。魔法道具を作ることは昔からのリオウの趣味でもあり特技でもあったのだ。
島に封印されていた間は、魔法道具を作ることはできなかった。
その長年の鬱屈は、この一年で大分解消されていたのだが、工作室に入るとリオウの気分は今でも高揚してしまう。
リオウは、存分にため込んだ魔力を解放して、作成中の魔法道具に注ぎ込み、魔法回路を作成していく。
リネスが見守る中、作業に没頭したリオウは思う存分に魔力を操っていくのだった。
「おお、爺さん、頑張ってるな」
海面に到達したケンカイは、リオウの魔力波動を感じていた。
一年前にはさっぱりわからなかった感覚だが、最近のケンカイは他人の魔力の流れを感じられるようになっていた。
魔法使いの適性がない人間としては珍しい事なのだが、リオウもリネスも今さらその程度のことで驚くことはなかった。だって、ケンカイだから。
ケンカイは、リオウの魔力波動を感じながら、自分の釣りの準備を始める。
ケンカイが釣りを行う場合、仕掛けには餌木を使用する。
普通、釣りでは餌を用いることが多いのだが、ケンカイのみならずボルス島の漁師は餌木を使った釣りが主流なのだ。
リオウに言わせると、無意識に魔力を流すことで魚を餌木に引き付けているということになるのだが、そのような事を意識したことはケンカイには無かった。
海を眺めていると、どこにどのような魚がいるのか、なんとなく判ってくる。
そして、その魚に合わせて使用する餌木を選択するのがケンカイのやり方だ。
「ふむふむ、今日はイカがいけそうだな」
ケンカイは仕掛けを素早く作り上げて、海に投擲する。
「酒の肴用に、塩辛を作っておくか。余ったのは活き締めにしておいて、持って帰ってやるかな」
久しぶりの釣りを存分に楽しむケンカイ。瞬く間に釣り上げられたイカを手際よく処理していく。
小物相手の釣りも、食べることが前提なら楽しい物だな、と考えているケンカイは、気づいていなかった。
とんでもない大物が接近していることに。
リオウの魔力波動を感じたのは、ケンカイだけではなかった。
海中を泳いでいた、蒼黒い長髪の人魚、ユッキは、気になる波動を感じていた。
なに、これ、どこかで、感じた、懐かしい?。
それは、彼女に受け継がれた母の記憶。
だが、彼女はそれを理解していないまま、誘われるままに進路を変える。
真っ直ぐに、海姫の雷号へ向かって。
そして、その途中で妙に魅力的な物を見つけてしまう。
それは、きらきらと輝いているように見えた。
魔力がもたらす輝きだと理解するより早く、その物に引き付けられたユッキは伸ばした髪になにかが引っかかる感触を感じた。
そして、次の瞬間、もの凄い力で引き寄せられる。
呆気にとられたユッキは、抵抗する間もなく海面に引き上げられた。
そこには人間がいた。
たしか、少年と言われる年代の人間のはずだ。
その人間は、少し驚いた様子で、だが逃げ出そうとはしなかった。
あれ、この人間、親切な人なのかな?
ユッキはそう思った。
自分を見て逃げない人は親切ないい人。
彼女はそう信じているのだ。
イカを釣っていたら、急に釣り糸が重くなって、思い切り引き上げたら女の子が浮かんできた。
さすがのケンカイも驚いていた。
これが死体であるのなら、まだ不思議ではないのだが、どう見ても生きて動いていた。
顔を見る限りは、少女と呼ぶ年齢の女の子だろう。
きわどい胸当てをつけた薄い胸(でもリネスよりは豊かだ)も、少女と呼ぶに相応しい可愛い物だ。
でも、人間の少女は、うねうねと動く髪の毛を持っていたりはしない。少なくともケンカイの知り合いにそんな女はいなかった。
そして、少女の下半身には人間の脚が無かった。両足を失っているというわけでは無く、腰から下についているのは、どうみても魚の尻尾に似たものだった。
「人魚?」
おそらく世界中の海に伝わる伝説的な存在。
上半身が人間で下半身が魚であるという人魚。
ケンカイが釣り上げてしまった少女は、上半身を海面から浮かせながら、ケンカイに尋ねた。
「ね、あなた、いい人?親切な人?」
これが、ケンカイとユッキの出会いである。
「ご、ご主人さま、その子、なんですかああ」
リネスが盛大に驚いた。期待通りの可愛い反応である。
「うむ、正直判らん。爺さん、いないのか?」
「ずっと、工作室で作業してます。熱中し過ぎて、ボクが話しかけても気づいてくれません」
ケンカイは、リオウ特製丸木舟の潜水機能を使って、海底の海姫の雷号へと帰還した。
そして、その腰には人魚の少女がしがみ付いて、すやすやと眠っている。
ケンカイが、人魚の少女を釣り上げた後、少女はこう言った。
「親切な人は、おいしい物たべさせくれるの。あなた親切な人?」
「どちらかといえば、親切だと思うが、お前は何だ?」
「あたい? あたいはユッキ。ずっと泳いできたの。ここ何処?」
「ユエンディーの近くだな。それ以外はよく知らん」
「そか、じゃ、あたい間違ってない。で、美味しい物は?」
「腹が減っているのか?」
「うん、ずっと泳いでいたの。ごはん食べるの忘れてた?」
「そりゃ、大変だ」
「うん、あと、眠いの。ずっと泳いでたから。親切な人の隣なら寝ても大丈夫?」
ユッキと名乗った人魚は、丸木舟の中に跳躍してもぐりこんだ。
ケンカイにしがみ付くような姿勢で、顔を押し付ける。
ユッキの顔の感触は、普通の少女と変わらない柔らかい物だった。
下半身の魚の尻尾のように見える部分には、鱗が無く、魚というよりイルカやシャチの肌のような感じだ。
「いや、お前、て、寝てるのか」
ユッキは、そのまますやすやと眠った。その表情は安心しきった幼子のようである。
「えーと、これはどうしたらいいんだ?」
さすがのケンカイも思いがけない事態に途方にくれたのだった。
「と、いう訳だ」
「ご主人さま、よくわかりません」
「奇遇だな、オレもだ」
ケンカイとリネスは顔を見合わせたあと、ケンカイが抱きかかえている人魚の少女に視線を移した。
「爺さんなら、知っていると思ったんだが」
””おい、爺さん。こっちにこい””
ケンカイが念話を送る。一年ぶりの強化念話だ。
”なんじゃ、今、大事なところを仕上げておるのじゃぞ。邪魔するでない”
”変なのを釣り上げたんだ。変なのは爺さんの知り合いだろう?”
”勝手なレッテルを張るのはやめぬか。ワシはごく常識的な海竜じゃぞ”
”いいから、こっちを覗いてみろ”
”うるさいのう、どれ・・・・・なんじゃ、その娘は?”
”それは、こっちが聞きたいんだがな”
”分体の猫をそっちに送るから、ちょっと待つのじゃ”
「爺さんも来るそうだ。猫の方だが」
「はあ、でも、この子、幸せそうに寝てますね」
リネスがケンカイに近づき、抱えている少女の顔を覗き込む。
幼い顔だちから、自分より年下だと判断したのだろうか。
「まあ、リネスより胸はあるがな」
思わず呟いた言葉をリネスは聞き逃さなかった。
「ご、ご主人さま、こんな小さな子が、ボクより胸があるって、そんなこと、そんなこと・・・」
リネスの視線が、ユッキの胸元に向けられる。ユッキの胸は薄い。
だが、それはリネスよりは厚かった。
リネスは黙った。
ユッキの顔だちは、リネスより幼いのだが。
涙目になったリネスを、とりあえずケンカイは慰めた。
「まあ、気にするな。それがお前の個性だ」
そして失敗した。
リネスが機嫌を戻すのに時間が掛かったが、それでもユッキは目覚めずに眠っていた。
「こいつは・・・・」
分体である猫のリオウは、ケンカイの抱える人魚の少女を見て口を濁す。
「どうした、爺さん、知っているのか」
「・・・人魚じゃな」
「それは見れば判る」
「まあ、世の中、いろいろなモノが存在するのじゃ、ワシのような竜とくらべれば、さほど不思議でもあるまい」
「そういわれりゃ、そうだがな」
ケンカイは腕の中のユッキを見た。
腕の中のユッキは、重そうな魚の尻尾を持っているとは思えないほど軽かった。
手を放すと、そのまま消えてなくなりそうな、そんな雰囲気がある。
そういえば、人魚姫は泡になって消えるんだったな。
昔聞いたことのあるお伽噺を思い出すケンカイ。
「ご主人さま。どうします。この子、ベッドに連れて行った方がいいんじゃないでしょうか?」
気を取り直したリネスが、再びユッキを覗き込んだ。
ついでにぷにぷにしたほっぺたを突いたりしている。
「ベッドに寝かせたら、干からびないか?」
魚みたいな尻尾を指さすケンカイ。鱗の無い尻尾は確かに乾燥には弱そうだった。
「じゃあ、どうしましょう?」
「そっと、海に還すのはどうだろう?」
さりげなく酷い事をいうケンカイ。
「ご主人さまが、抱き着いてくる女の子を見捨てられるんですか?」
ユッキは、ケンカイの体にしがみ付くようにして眠っていた。
「うーむ」
確かに、それは難しい。ケンカイは元々頼ってくる女には弱いのだ。
ではどうするかと、考えている内にユッキが目を覚ました。
もっとも、瞳はまだとろんとしていて、寝ぼけているようにしか見えないが。
「あれ、ここ何処?」
「オレの船の中だが」
「水、無い?」
「まあ、船の中だしな。濡れる心配は無い」
「じゃあ、尻尾邪魔?」
ユッキが体をゆするように震わせる。
ユッキの尻尾は、あっという間に2本の脚に変化した。
「まだ眠い。寝ていい?」
「あ、ああ」
「起きたら美味しい物食べるの。いい?」
ユッキは返事を聞く前に、再び眠りに着く。
唖然としたケンカイとリネスのうち、先に気を取り直したのはリネスだった。
「ご、ご主人さま、その子、ボクがベッドまで運びます」
「あ、重くはないが、リネスじゃキツイだろう」
「いいから、ご主人さま、気配りが足りませんよお」
尻尾を2本の脚に変化させたユッキは、胸当て以外身に着けていない。
つまり、そういうことだった。
「見ちゃ駄目です!」
リネスは強引にユッキを奪い取ると、走って去って行ったのだった。
リオウは、珍しく動揺していた。
ケンカイが連れてきた少女。人魚のような半人半魚の少女。
その面影に見覚えがあったのだ。
リオウの遠い記憶から蘇ったその面影は、竜化する前の東海母竜の面影と重なった。
既に忘れていた筈の人間だったころの記憶だ。
蘇り押し寄せる記憶の渦にリオウは呑みこまれた。
それは、懐かしく、切なく、悲しい思い出。
大いなる野望と達成した満足感。そして失っていく虚脱。
それらが全て合わさったものだった。
だが、リオウは押し寄せる感傷を切り捨てる。
切り捨てたつもりでいる。
全ては過去の事。すでに終わったことなのだ、と。
だが、ユッキに惹きつけられる感覚はとまらなかった。
ユッキは目を醒ました。
周りを見ると、親切な人がいなかった。
代わりに、人間の少女が近くにいて、ユッキの顔を見つめていた。
この人は、いい人? 親切な人?
「ここ、何処?」
「あ、ボクの部屋のベッドだよ。えーと、ボクはリネス」
「あたい、ユッキ。親切な人何処?」
「ご主人さまのことかな?。ちょっと待ってね」
少女はユッキから顔を逸らして、すぐに向き直る。
「今、ご飯の準備してるって。えーと、ユッキちゃん歩ける?」
ユッキは自分の体を見ると、2本の脚の姿になっていることに気づいた。
これじゃ、この人が、いい人、親切な人かわからない。
ユッキが体を震わせると、2本の脚は、魚の尻尾に似たものに変化した。
リネスは、一度その逆の現象を見ていたため、あまり驚かなかった。
「ユッキちゃん、脚の方が歩きやすいと思うけど。ボクが抱えて行こうか?」
「あなた、いい人」
ユッキは、目の前の少女もいい人だと判って嬉しくなった。
再び体を震わせて、2本の脚に変化させる。
「あたい、歩ける。何処いくの?」
「ご主人さまがご飯用意しているの。作ってる所まで行くんだよ」
「あたい、お腹すいた。美味しい物?」
「ご主人さまの料理美味しいよ」
「いく」
美味しい物を食べさせてくれるらしい。少年の方のいい人は、とてもいい人で、とても親切な人だ。
「はい、こっちだよ」
少女の方のいい人は、ユッキの手を握ってくれた。この人も、とってもいい人。
ユッキがベッドから降りて歩こうとすると、少女のいい人が、何故か慌てた。
「ゆ、ユッキちゃん、これ穿いて。ボクのだけど、サイズは合うと思うから」
布を渡された。柔らかくて小さい布。それより大きな少し硬い布。
「これ、何?」
「下着とズボンだけど、もしかして知らないのかな?」
「知らない。どうするの?」
「穿けばいいだけだよ」
「それって、どうやるの?」
ユッキは小さい布の触り心地が気に入った。
このまま握っておきたい。
でも、取り上げられる。少し不満。
「ちょっと、脚を上げてね」
ベッドに座らされて、2本の脚に小さい布の輪になった部分を被せられた。
そのまま上の方まで、小さい布が移動していく。
「こっちも同じ様にするんだよ」
大きい布も同じ用に、脚を通して上まで移動していく。
「どう?」
「なんか、股の間が変」
ユッキは、少し歩いてみる。初めて体験する感触だけど、直ぐに慣れた。
「うん、よく似合ってるよ。それユッキにあげるね」
「くれるの?」
「女の子が、丸出しって駄目だよ。気を付けてね」
リネスといういい人の顔が赤い。不思議。
「あたい、お腹すいた」
「あ、ご主人さま待たせちゃったかな。ユッキちゃん、こっちだよ行こう」
少女のいい人は、また手を握ってくれた。
嬉しい。この人も、とってもいい人だ。
ケンカイは釣ってきたイカを手早くさばき、出汁の中で湯掻く。
そして味付けをして、簡単にイカの煮込みを作った。
そして、内臓を取り除いたイカを焼き、甘しょっぱいタレを付ける。
このタレは、ユエンディーの香辛料をいろいろ試して作り上げたもので、焼き物になら何でも合うという自信の一品である。
必要以上に手を加えた料理は作らない。
釣りたてのイカを使っているのだ。
それだけで充分に旨い。
余ったイカの一部を使って、塩辛も仕込んでおく。
内臓と切り身をいれた壺の中に、大量の塩を入れておくと、内臓からの消化液によって発酵がおこりよい味の肴となるのだ。
全ての作業が終った頃、リネスから念話が入った。
どうやら、あの人魚の少女が目覚めたらしい。
散々、お腹すいた、美味しい物食べたい、と言っていたのだ。
すぐに、こちらに来るように念話で返しておく。
「ちょっと、多すぎたかな?」
器に主食となる炊いた米を盛る。チャンター共和国の主食は米だった。
ケンカイの故郷と同じである。
多少、味に違いがあるが、今まで旅したところでは麦やパンが主食の国が多かったので、ユエンディーに来た当初は、久々の米の味に感動したものだった。
逆にリネスは米を食べたことがなかったようで、慣れるのに少し時間が掛かっていたようだが。
更に、買い置きしていた食料の中から、すぐに食べられそうなものを出しておく。
腸詰があったので、これも焼いておいた。
「リネスが見ると、野菜が足りませんって言うかもな」
ま、男の料理はこんなもんだ。とケンカイは思う。
”爺さん、飯の準備ができてるぞ”
作業に熱中していたら、反応がないかもしれないという懸念は、ドアを開けて入ってきた猫のリオウの姿を見てなくなった。
”今日は、オヌシの料理か。・・・あの娘はどうしている?”
”ユッキか? 今、リネスが連れてきてる所だ”
”ふむ、あの娘、今のところはこちらに対して悪意はなさそうじゃが・・・”
”なんだ、気になる事でもあるのか。まあ、不思議なのは確かだな。なにせ人魚だ”
”・・・ところで、オヌシ、不思議に思わぬのか?”
”何をだ?”
”自分が、あの娘に対して親切すぎる気はしておらぬかのう”
”オレは女に対しては、いつも親切だぞ”
”自覚は無しか。まあ、大したことではない気にしなくてもいいぞい”
”そうか、で、爺さん。心当たりは本当に無いのか?”
”言うか言うまいか悩んでたのじゃがな。実は、あるのじゃ”
”やはり知り合いか?”
”直接知っているわけでは無いがのう。
あの娘、この前襲ってきた怪物共の仲間じゃぞ”
”はあ? あの女面の化け物と? 冗談言うな爺さん。まるっきり違うだろ”
”確かにのう、外見も性格もまるっきり違うのじゃがな
あの娘が、東海母竜に関係する者であることは間違いないのじゃ”
”随分と自信があるんだな。で、どうするんだ”
”様子見じゃな”
”爺さんなら、始末しろと言うかと思ったんだが”
まあ、さすがに後味が悪すぎるから断るがな、とケンカイは思いながら念話を続けた。
”それは、まあ、もしかすると始末した時に居場所を知らせるようになってるかも知れんでな。こちらの事を気づいてないのなら、やり過ごすのがよいというものじゃ”
リオウにしては煮え切れない回答が返ってきたのを怪訝に感じながら、それを追求するより先に食堂の扉が開いた。
「はい、ユッキちゃん。ここだよ」
「あ、親切な人。いた。食べ物一杯。食べていい?」
「ああ、約束したからな。好きなだけ食べろ」
「ご主人さま、ちょっとどころじゃなく、野菜が足りないですよ」
「リネスの感覚じゃ、米は野菜だろ」
「それって、屁理屈です。ご主人さま」
ユッキは、とことこと歩いてケンカイの隣に座った。
そのまま手づかみで料理を取ろうとする。
「熱い」
「箸を使え」
「箸? それ何?」
「これだよ、これ」
ケンカイはユッキの手に箸を握らせた。ユッキは上手に握れない。
「手でいい。ダメ?」
「ああ、しようがないな。どれを食いたい?」
「これ」
ケンカイはユッキの指さしたイカの煮込みを箸で取り、ユッキの口元まで運んで食べさせた。
「おいしい。もっと」
「後で、きちんと箸の使い方を教えるからな」
ケンカイはユッキの希望するままに料理を取り、食べさせていった。
”ご主人さま、今日は優しすぎませんか? リオウさん”
”やはり、影響がでとるのかのう・・・”
その様子を、複雑そうな表情で見ていたリネスが、なんとなく念話でリオウに話しかけると、意味のわからない返答が返ってきた。
”? どういうことですか?”
”いや、なんでもないわい。ワシらも食わんと、あの食いしん坊娘に全部食われるぞ”
たしかにユッキは見かけによらず大食いらしかった。
次から次へとケンカイの差し出す食べ物を平らげていく。
結局、ケンカイが多すぎたと思っていた食事は全て無くなり、自分の分をもう一度作る羽目になったケンカイだった。
五日後、ケンカイ達は港の家に帰ってきた。
人魚娘であるユッキも一緒である。
出会った初日、食事が終った後、海に帰ると言い出すかと思ったのだが、ユッキはケンカイとリネスに懐いてしまったのか離れようとしない。
普通に海姫の雷号に居ついてしまったのだ。
そして、ユッキの恐ろしさというものが明らかになっていた。
それは、ケンカイと一緒に丸木船で釣りをしていたときであった。
舟にホオジロ鮫が接近してきたのだ。
人食い鮫の異名を持つ獰猛な鮫である。
ケンカイは大銛を取り出して、迎え撃つ準備をした。
海中に落ちさえしなければ、仕留めることに問題は無い筈だ。
そして、大銛を構えたケンカイの横をユッキが通って海に入った。
海の中で脚を尻尾に変化させたユッキは、ホオジロ鮫に向かって泳いでいく。
ケンカイが制止する間もなく、ホオジロ鮫に接近したユッキの髪が水中で広がった。
そして、ユッキは長くて蒼黒い髪を振った。
それだけで巨大な鮫は両断された。
「これ、危ない。でも、もう大丈夫」
水面に上半身だけ浮かせて、ホオジロ鮫の分断された頭部を指さすユッキ。
「食べてもまずい。ケンカイの料理の方が好き」
そして無邪気に笑いながら、丸木船に戻る。
跳躍して空中で尻尾を脚に変化させたユッキは、そのまま抱き着くようにケンカイの隣に着地した。
「あ」
着地した後、ユッキは悲しげな顔に変わった。
「リネスから貰ったの、無くなった」
海面には破れた下着とズボンの残骸が漂っていた。
「ということで、ユッキには迂闊に変身しないように教え込まないといけない。
街中であんな恰好は、はしたないからな」」
「ご主人さま、問題はそこじゃないと思います。いや、それも大事ですけど」
ケンカイからの報告を聞いて、リネスは頭を悩ませた。
鮫を一撃で殺す女の子。
どう贔屓目に見ても、世の中の常識というものを知らない野生児のような子供がそんな物騒な特技を持っているのだ。
「ユエンディーに連れて行くと危ないですよね」
「だが、オレ達から離れないと思うぞ」
今ユッキは寝ているので、二人から離れているが、起きているときのユッキはケンカイかリネスの傍にいようとする。
海姫の雷号に残していったら、自力で船を脱出して追いかけてくるかもしれない。
「じゃあ、どうします?」
「教育するしかないな」
ケンカイは決意を秘めた眼差しになった。
「オレは、箸の使い方を教えるから、後は任せた」
「え、それって、ユッキちゃんと一緒にご主人さま、ご飯食べるだけですよね」
ケンカイは、リネスに任せる決意を固めていたのだった。面倒なことは嫌いなのだ。
ケンカイに任されたリネスは悩んだ。
一番の問題は、強力な武器であるらしい髪をどうするか。
むやみやたらに振り回したりはしないと思うのだが、ケンカイから聞いた話通りなら、何かのはずみで街中で振り回したりすると、大惨事となるのは間違いない。
そんなに危なそうには見えないんだけどなあ、と隣に寝そべるユッキの髪の毛を手で掬う。髪はちょっと太目だが、柔らかく、鮫を両断するような武器には見えない。
ユッキは猫のリオウを撫でて遊んでいた。
ユッキが来てからリオウの分体は喋らず、普通の猫のふりをして過ごしていた。
”リオウさん、いい方法ないかな?”
”髪を切るのは、この娘が嫌がるだろうしのう”
”簡単に切れるの? 鮫を真っ二つにしたってご主人さま言ってたよ”
”普段は、普通の髪じゃよ。魔力を流して強化すると、そういう芸当ができるようになるのじゃ。まあ、流しやすいように髪に何らかの細工はあるのじゃろうがな。だとすると切ってもすぐに伸びるかもしれんのう”
”そうなんだ”
結局、いい方法をリオウも思いつかず、この時にはリネスの悩みは解消されないのだっだ。
翌日にはユッキは自分で下着を穿くことが出来るようになっていた。
出来るようになったのが嬉しいらしく、ケンカイの前で穿いているところを見せようとしたのでリネスが慌てて止めてたりする。
「あたい、今度は無くさない」
ユッキは、新しく貰った下着とズボンを身に着けると、リネスに宣言した。
「リネス、くれたもの。大事にする」
「そっか、ボクも大事にしてくれたほうが嬉しいの」
「尻尾出すと、破れる。あたい、覚えた。気を付ける」
悩みのうちの一つが自動的に解決して、リネスはほっとする。
”おや、丸出しの方は解決したようじゃの”
リオウは猫の分体でユッキの近くに座っている。
ユッキが来てから、リオウは猫の分体でユッキを監視しているのか、傍にいることが多い。
リオウさん、まだユッキのこと警戒しているのかな、とリネスは思っていた。
”外見より精神が幼いのも困りものじゃな”
”素直だから、可愛いですよ”
”外見より精神が老けている奴もおるがのう”
”ご主人さまも、可愛いです。今の見た目は”
若返ったケンカイの外見は、妙に可愛らしさがあるのだ。
中身はオヤジなのだが。
今の問題は、ユッキの髪である。うかつに使ったりしないようにするにはどうしたらよいか。
それが問題だ。
さらに翌日。
「ユッキちゃん。髪の毛使う時って、どうなるの?」
「ぱさーと広がって、そしたら、怖いのとか危ないのがいなくなるの」
「広がる?」
”最初、髪に魔力を流した時にそうなるのじゃな。動物の毛が逆立つようなものじゃよ”
「髪が広がりそうになった時、広がらないようにすることってできる?」
「わかんない。気をつけたらできるかも。気を付けた方がいい?」
「うん、いきなりユッキちゃんの髪の毛が動いちゃったら、びっくりする人がいるから。気を付けられるかな?」
「うん、わかった。リネス、下着頂戴」
「え?」
「下着柔らかくて好き。リネスがくれたらもっと好き、好きな物で髪を縛ったら、きっとばさーとなるの我慢できる」
「・・・もっと別の物で縛った方がいいよね」
「別の物?」
「髪を留めるのに、下着は使わないんだよ。髪留めとか、リボンとか・・・」
リネスはユッキが自分の髪を見ていることに気づいた。
リネスは髪留めを付けている。ケンカイから貰ったペアになっている2本の物だ。
肩まで伸びた髪を、その2本の髪留めで邪魔にならないように止めているのが今のリネスの髪型だった。
「こ、これは・・・」
ケンカイから貰ったお気に入りである。
貰ってからいつも大事に使っているのだ。
だが、ユッキは純真なきらきらとした瞳で、リネスの髪留めを見ていた。
「うう、大切に使ってね。無くさないでね」
リネスはユッキの瞳に負けた。
一本の髪留めを外し、それでユッキの髪を後ろにまとめる。
ついでに、自分の髪型もポニーテルのように後ろでまとめた。
「リネスとお揃い。あたい、嬉しい」
ユッキは自分の髪の毛と髪留めに触りながら、嬉しそうに笑う。
「大事にする。リネス、とってもいい人」
それから、ユッキの服を用意したり、靴を用意したりと、身の回りのものを準備して、ユッキが抵抗なくそれらを身に付けられるようになるまで二日かかった。
こうして最低限度のユッキの教育を終え、ケンカイ達は港の家に戻ったのである。




