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エピローグ

 屋上を、穏やかな風が通り過ぎて行く。

 天気は晴れ。嫌と言うほど澄みきった空に白い雲がポツリポツリと浮かんでいる。

 柔らかな陽射し、遠くから届いてくる喧騒、弁当を囲んで語らうにはこれ以上ないというくらいのシチュエーションだ。

 「いっただっきま〜す!」

 その屋上に威勢のいい声が響き渡った。

 時は昼休み。楓たちは先日と同じように昼食を取るべく屋上に上がって来ていた。しかも今日はビニールシートまで持参だ。

 その中央には、例によって楓作の弁当。

 それを囲んでいるのは楓に春姫、ともう一人。

 「ほらほら、柊さんも召し上がれ。楓ちゃんのお弁当美味しいんだから」

 「は、はあ……」

 今日は、昨日お近づきになった優華も一緒だった。

 「なんであんたが勧めてるのよ。でもまあ、遠慮せずに食べて」

 「…………はい。それでは、いただきます」

 初めはしきりに遠慮していた優華だったが、楓のその一言でようやく箸を伸ばした。

 それを見届けた楓も食べ始める。ちなみに春姫は弁当を広げて早々に一声上げ、優華が戸惑っている間も着々と食べ進めていた。もっとも、その程度で楓たちの取り分がなくなるような量ではないのだが。

 今日のこの昼食は、珍しいことに楓の提案だった。

 昨日の神社での一件のあと、楓は目を回した春姫を連れて家に直行したのだった。つまり、当初予定していたドーナッツ屋には結局行かず終いだったのだ。半ば無理に誘った形だっただけに、申し訳ないこと甚だしい。

 そこで、お詫びとしてこの昼食と相成った。春姫たちの分も含めてざっと四人前、誰かが余計に食べ過ぎても十分に間に合う量だ。

 そう、たとえさらに頭数が増えたとしても。

 「いや〜やっぱ楓の卵焼きは美味しいねえ。卵の神様だねえ」

 「何よその褒め方? わけわかんないわよ」

 「そうだよ……一応、“女神様”とか言っとかないと」

 「今“一応”とか言った?」

 「もう……フラム、エール、はしたないですよ」

 弁当を囲んでいる人間は三人、しかし人間以外の小さな人影も三つばかり混じっていた。相も変わらず騒がしい面々だ。

 「…………それにしても、未だに信じられませんね」

 「まあね。私もそう思うわ」

 十五センチにも満たない大きさの精霊たちが当然のように卵焼きを(つつ)いている様子を、優華はしきりに不思議がって見ていた。楓にもその気持ちはよくわかる。

 今日優華を昼食に誘ったのは、単に昨日のお詫びというだけではなかった。昨日の一件で精霊たちの姿を目にし、その騒動に巻き込んでしまった優華に事情を説明しなければならないと思ったのだ。

 その説明自体は、弁当を広げる前にすませている。しっかり自己紹介もさせたが、それでもやはり不思議なものは不思議なのだろう。

 だが優華には悪いが、楓としては胸のつかえが取れた気分でもあった。

 これで優華相手にはコソコソと隠し事をしたり、バレれてはいないかと探りを入れる必要もなくなるのだから。

 「でもまあ、とにかくこういうことになってたわけよ。昨日のこともそうだし、それと一昨日のこともね。本当に迷惑ばっかりかけてるわね」

 「は? 一昨日?」

 しかし、これだけは楓の見当違いだった。

 「ほら、中庭で。柊さんに水を…………あれ?」

 「ああ、なるほど。それじゃああの時追いかけていたのも、そうだったんですね」

 楓は、その受け答えに何か腑に落ちないものを感じた。話が噛み合っていないような。

 「えっと…………一昨日水を被ったこと、不審に思ってたんじゃないの?」

 「いえ、今の話を聞くまでは本当に水道の暴発だと思っていました」

 「えぇっ……!?」

 優華はなんの気なしに話しているが、楓にとっては驚愕の事実だった。

 昨日の楓は散々頭を悩ませ、胃を痛くしながら優華と接していたのだ。一昨日の一件を不審に思っているのではないか、そこから精霊たちの存在が暴かれるのではないかと。

 それが全て、楓の杞憂だったのだ。

 「なんだ、そうだったの。それならそうと言ってくれれば……」

 「す……すみません」

 「あ、いや……こっちの事情なんて知らなかったんだから当然よね。でも、それならなんであんな感じだったの?」

 「あんな……?」

 「ほら、一昨日ハルと更衣室にいた時とか、昨日の休み時間とか、何か聞きたかったんでしょ? ……私はてっきり、メルが力を使ったのを見てたんだと……」

 「あ……」

 楓がその疑問を素直に口にすると、優華がフッと視線を逸らした。

 その様子は、まさしく昨日の休み時間と同じものだった。

 「どうしたの?」

 「あ、いやその……」

 「うん?」

 楓が追及の手を伸ばすと、優華は居心地が悪そうにその瞳を右往左往させる。しばらくそうして観念したのか、優華はオズオズと答えを口にし始めた。

 何故か、その頬をホンノリと朱色に染めながら。

 「私が聞きたかったのは…………津月さんのことです」

 「…………………………………………は?」

 「……だから、私は津月さんのことを聞きたかったんです」

 「…………………………………………へっ?」

 あまりに予想外のその答えに、楓はポカーンと大口を開けて呆気に取られた。

 「その、なんと言うか…………自分ことはほとんど自分でやるので、一昨日の時みたいに気遣われたり世話を焼かれたりしたことがなくてですね……それが、すごく心に残ったんです。それで、その……」

 「心に残ったって、別にそんな……」

 「私にとっては、特別なことだったんです。私は口下手で友達もあまりいなくて……でも、だからどうにかして津月さんにお近づきになれればと……」

 「それで…………私のことを聞こうと?」

 「……はい。更衣室の時は途中で津月さんが来てしまいましたし、次の日は…………さすがに、本人に直接は聞き辛くて」

 「は……はあ、それはまあそう……よね」

 優華はその長身を小さくすぼめて、モジモジと恥らう。

 一方の楓は、未だに衝撃が抜けきらずに優華の声もほとんど右から左だ。

 これが、人当たりのいい性格で男女問わず人気がある春姫ならわかる。昨日の放課後に優華を誘ったのも春姫であり、その辺りから春姫との距離を縮めたいと思うのであれば、楓としてはなんの疑問もない。

 にもかかわらず、優華の目当ては楓の方だったのだ。今までこういうシチュエーションから友達に発展した経験もなく、楓としては戸惑わずにいられない出来事だ。

 そこへ――

 「わあっ……楓ちゃんモテモテだねえ」

 春姫が茶化すような調子で楓の背中に圧しかかって来た。

 「ちょっと、変なこと言わないでよ!」

 「えぇ〜? そんなことないよ、もっと喜べばいいのに。私は、楓ちゃんのことを好きだって言ってくれる人がいて嬉しいよ?」

 「いや嬉しくないわけじゃないけど……」

 「あの、それじゃあ…………友達に、なってもらえますか?」

 優華は、今にも消え入りそうな声でそう問いかけてきた。

 「え? うん……」

 「ほら楓ちゃん、ちゃんと答えてあげないと」

 「ほらほら、待ってるよ?」

 「ああーもう! じれったいなあっ!」

 春姫も調子に乗って先を促す。なぜかそこにエールとフラムも加わる。

 楓は、難しそうな表情で頭を掻いた。突然のことで考えがまとまらない。そんな楓の態度をネガティブに捉えたのか、優華の顔にサッと影が差した。

 (う…………だからそういうのには弱んだって)

 こういった点も、春姫の子守で培われてきた世話焼き気質のなせる業なのだろう。そんな顔をされて突き放すことなどできようものか。

 とはいえ、それは口を開くためのあと押しにしかならなかった。

 難しく考えることはない。ただありのままを答えればいいだけなのだ。

 「なんと言うか……昨日あんなことがあって今こうしてるんだし、一々宣言するまでもなくもう友達でしょ?」

 「あ……」

 「おぉ〜……」

 「うわあっ! 言うねえ楓」

 「楓ちゃんカッコいい!」

 「だから! そんな風に茶化さないでってば!」

 楓の放ったその言葉を聞き、春姫たちがそんな風にはやし立ててくる。楓は途端に恥ずかしくなり、背中に圧しかかっていた春姫を振り解いた。

 一方で、その言葉を聞いた優華は先ほどの楓のようにポカーンと口を開けていた。

 かと思えば――

 「ありがとうございます!」

 「――どぅわっ!?」

 土下座でもしそうな勢いで腰を折った。

 「この柊優華! 全身全霊をもって津月さんのお友達を努めさせていただきます!」

 「いや、だからそんな力まなくても……」

 友達になっただけのこの勢い、これまで見えなかった優華の一面が垣間見えたようだ。

 なんとなく、また余計な苦労を背負い込んだような気がした。

 「まあまあ、いいんじゃない?」

 春姫の代わりに楓の肩に乗っかって来た、この精霊たちのように。

 「エール…………そりゃあ、嫌ってわけじゃないけど」

 「そうじゃなくてさ、いてくれた方が何かと頼もしいじゃない」

 「頼もしいって……」

 「ほら、カマイタチを追い払った時の打ち込み、あれはすごかったよね」

 「確かに。こちらに向かって来ていたとはいえ、あの動きを捉えるのは簡単ではないですよ。並大抵の方ではないですね」

 「だよね。これからどうなるかもわからないし」

 「は……?」

 これから。話の流れからして、それは精霊たちや新しい友達とも奇妙な日常を指しているようには思えなかった。楓はそこに嫌な引っかかりを感じる。

 その予感は的中した。

 「だってさ、またああいうのが襲ってくるかもしれないし」

 「ああ…………そうだった」

 忘れていた。いや忘れていたかった。

 昨日のように、春姫の力に引かれて来る精霊はこれからもいるということだ。

 「そうだよね。いてくれた方が、この先心強いと思うよ?」

 「襲ってくるの…………これからも?」

 「そりゃあね。ジンはフラムが呼び寄せたとしても、カマイタチに関してはそれがわからないし。私と同じ風だからどこかで嗅ぎつけたのか、偶然あの辺りにいたのか」

 「いずれにしても、可能性はつきまといます。エールが春姫さんを見つけたのも偶然ですから。そしてその相手が、今回のように話の通じない相手という可能性も」

 「ハハハ…………はあ」

 楓の背中に、またしても見えない何かが重く圧しかかった。

 精霊に力を与える能力を持つ春姫、その周りにはほかの精霊たちをも巻き込んだ騒動が絶えないのだ。春姫の側にいる楓も、それを回避することはできない。

 楓は、呆然と空を見上げる。気持ちよく晴れ渡った青い空が、今は憎らしい。

 だというのに、楓の周囲はそうやって途方に暮れることすら許してくれないらしい。

 「あ、あの…………津月さん?」

 優華が、声をかけてくる。

 「え……? あ、いや別に柊さんのことが嫌って言うんじゃなくて、むしろまた巻き込んじゃうかもしれないのが申し訳ないというか……」

 「い、いえ、そうじゃなくて」

 「は? それじゃ一体……」

 「あの…………お弁当」

 「お弁当……? ってあぁっ!」

 優華の言葉にその視線を弁当箱に向けると、その中に詰められたご飯やおかずが着々と失われていく最中だった。楓の想定をはるかに超える勢いだ。

 主な犯人は春姫、そしてフラムとエールだ。

 ちなみに楓は、まだほとんど口をつけていない。

 「ちょっとあんたたち! 少しは配分ってもんを考えなさいよ!」

 「えぇ〜? だって楓ちゃん、全然食べないし〜」

 「食べないし〜」

 「お昼休みの時間だった限られてるし〜」

 「限られてるし〜」

 「誰のせいだと思ってんの!」

 楓は一喝しながら弁当箱を奪い取る。

 「あぁ〜ん! 待ってえ、まだ食べてないのが……」

 「ダァーメ! もう十分食べたでしょ!? これ以上は私の食べる分がなくなっちゃうわよ。柊さんやメルの分も」

 しかし食い下がってくる春姫たち。この三人は妙に息を合わせてくる。おバカという共通点があるからだろうか、先ほどの輪唱(?)も見事なものだ。もちろんそれは、楓の神経を逆撫(さかな)でする点でという意味だが。

 「ねえ〜あと卵焼き一個、それでごちそう様にするから〜」

 「あ、私も〜」

 「ボクも!」

 「ダメだって言ってんでしょ!」

 「ア、アハハハ……」

 「あのお……楓さん、私は少なくてもいいですよ?」

 弁当箱を引き離すべく高々と掲げ持つ楓。

 その腕にすがりつく春姫とエール、フラム。

 優華とメルは苦笑しながらその様子を見守っている。

 一気に騒がしくなった楓の周囲。あるいはもっと騒がしい出来事がこの先に待っているのかと思うと暗鬱になってくる。

 しかしこの騒々しい面々が、その暗鬱さを拭い去ってくれることもまた確かだった。

 これをプラスに捉えるかマイナスに捉えるか迷い、結局はまた途方に暮れる楓だった。

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