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第5話

 「本当にごめんね、柊さん。いきなりこんなことになって」

 「いえ、誘ってもらえて私も嬉しいです」

 陽が傾きかけた放課後、三人は街中をのんびりと歩いていた。

 様々な偶然が重なった末に、優華と一緒に帰ることになった楓と春姫。その優華を交えて、当初話し合っていた通りアーケードにあるドーナッツ屋を目指す。

 だったのだが――

 「フンフフンフフ〜ン♪」

 春姫はすっかりご機嫌な様子で先頭を歩いている。最初に優華を誘ったのは春姫であるにもかかわらず、完全にほったらかしだ。

 そこで当然のように、優華の相手は楓がしている。

 それ自体には何ら問題はないのだが、楓には一つ不安なことがあった。

 (あいつら…………大人しくしてるかしら?)

 エール、フラム、メルの三人。

 精霊という常識外れの存在であるその三人をそうそう人の目に触れさせるわけにはいかないだろう。

 ましてやそんな精霊たちと一緒に暮らしていることが知れ渡ることなど、想像もしたくない。もしそうなれば、一体どれほどの好奇の視線を受けなければならないだろうか。

 幸いにもその三人は、優華と出くわすなり空気を読んで楓の鞄の中に引っ込んでくれた。が、それがいつまで持つものかはわからない。

 特にフラムとエール。フラムは幼稚園児ばりにじっと大人しくているということを知らないし、エールは気紛れでどんな行動を起こすか知れたものではないのだ。基本的にはメルが抑え役になってくれるのだが、果たしてそれがどこまで通じるかが問題だ。

 「あの……」

 尽き果てないその不安を、優華の声が遮った。

 「その…………こちらの方こそ、お邪魔じゃありませんでしたか?」

 凛とした雰囲気を持つ優華らしからない気弱な言葉。やはり先ほど、春姫が優華を誘った時の楓の表情を気にしているのだ。

 しかしそれは精霊たちのことを心配したからだ。優華自身を嫌っているわけではない。

 楓は、にこやかに優華の気後れを笑い飛ばす。

 「ああ、いいのいいのそれは。さっきのはちょっと……事情があって」

 「事情……ですか」

 「そ、でもまあ…………やっぱり柊さんと寄り道して帰った方がいいかなって。ハルの言った通り、これも何かの縁だしね」

 「そんな……………………そう、ですか?」

 「ええ、もちろん。私って友達少ないし、誰かと仲よくなれる機会なら大歓迎よ」

 楓は、わざとおどけてそう答えた。

 すると優華は、今度は少し意外そうな表情を浮かべる。

 「え? でも教室ではいつも、えっと……杉山さんや大河さん、でしたか? あのお二人と一緒にいるじゃないですか。それなのに……」

 「まあ、あの二人も貴重な友達よ。中学までの私って、ほとんど友達いなかったのよ」

 「そうなんですか? でも津月さん、人当たりよさそうに見えますけど……」

 「ん〜なんというか…………ほかのことに係りっきりだったって言うか……」

 言いながら、楓はチラリと視線を前方にやった。

 そこには、楓たちの会話など耳に入らない様子で楽しげに揺れる背中が一つ。

 「ああ……なるほど」

 楓の視線を追った優華は、心底納得したようだった。

 「あの頃は世話を焼かせてくれたわよ……本当に」

 「今はそうでもない……と?」

 「ん〜まあ〜……ご想像にお任せするわ。と言っても、私自身も友達とかつくるはあんまり得意な方じゃないしね」

 「そうなんですか? 少し意外ですね」

 「そう? そういうのはどっちかって言うとハルの領分なんだけど」

 「確かに、宮原さんはお友達が多いみたいですね」

 優華は、そう言うとフンワリと笑った。

 どちらかと言えば凛々しい顔立ちの優華だが、こういう無垢な笑顔を見るとやはり同い年のクラスメイトだと実感する。

 もしかするとこれは、楓が初めて見た優華の笑顔だったかもしれない。

 ずっと丁寧語ではあるが、少しは打ち解けてくれた証拠だろうか。あまり気の利いたことを話せてはいないだけに、楓はわずかながらホッとする。

 「ところで、その…………宮原さんとは、長いんですか?」

 その優華が、今度はそんなことを尋ねてきた。

 モジモジと何やら聞きにくそうにしている。

 「長い? ああ、そうね…………物心がついた頃には一緒に遊んでたから、もう十何年かな? あらためて考えると、確かに長いわよね」

 「そう…………ですか」

 すると優華の顔が、途端に難しそうなものに変わる。春姫ほどではないが、意外にもコロコロと変わる表情がなんだかおもしろい。

 が――

 「私、何か変なこと言った?」

 「ああ、いえ、なんでもありません」

 「ん……?」

 優華は慌てて否定するが、やはり何かが引っかかる。

 せっかく仲よくなりかけているというのに、不意の失言でそれを台なしにしてしまうのは避けたい。しつこく追及するのも不味いかとは思ったが、楓はもう一度だけと心に決めて口を開きかける。

 「あ、そうだ楓ちゃん」

 しかしそれは、これまで全く話に加わっていなかった春姫に割り込まれてしまった。

 「何よいきなり……」

 「ホラホラ二人とも、あれ」

 相変わらず嬉々とした様子で指を指した先には、一軒のコンビニ。

 まさか、楓にとって軽からない話の腰を折った理由はあれだというのだろうか。

 「ハル…………まさかとは思うけど……」

 「うんうん……寄ってかない?」

 「あんたね! これからドーナッツ食べに行こうとしてるのにまだ要るっての!?」

 「いやほら、喉とか乾かない? ドーナッツ食べるのだって、水分いるでしょ?」

 「そんなもん自販機だってなんだっていいでしょ!」

 「そこは……ねえ? 親睦を深めるということで一緒にお買い物を……」

 「あんたそれ言えば何でも通るとでも思ってんの?」

 「あの津月さん、せっかくですから私も……」

 「ええ? 柊さんまで……」

 「ほらほら、ね?」

 優華の言葉に勢いを得た春姫は、優華の陰に隠れて舌を出した。

 ここで簡単に首を縦に振れば春姫を調子に乗せてしまう。そうわかりきってはいるが、優華の手前そうせざるを得ない。

 なるほど、春姫が優華を盾にする行動は間違っていない。

 「………………………………もう」

 こうなっては、楓の方が折れるしかない。

 「手短にすませなさいよ?」

 「わあいっ! それじゃあ早く行こ」

 「はい……あの、津月さんも」

 「はいはい、わかってるわよ」

 そうして春姫の思惑通り、三人は目の前のコンビニへと足を向けた。

 その時はまだ、別の“三人”は大人しくしていた。


 そうして楓たちは、とりあえずは話していた通りに飲み物が並んだケースの前に立った。

 「私は〜……これ!」

 そこで春姫が、真っ先にミルクティーを手に取る。

 「柊さんは?」

 「あ、私はお茶で」

 「え〜? ほら、ドーナッツ食べに行くんだし、もっとこう……」

 「こらハル、口出ししないの。飲み物くらい好きに選ばせてあげなさいよ」

 「ああ、いえ……あの、それならどれがオススメですが?」

 「う〜んと…………じゃあこれ! スパークリング抹茶!」

 「あんたはまたそんなけったいな物を……」

 「アハハ……」

 よりにもよって他人様に勧めるのがそれか。優華も苦笑いだ。

 それにしても、優華はどうも春姫に甘い気がする。今も、コンビニに入ろうと言い出した時もそうだ。 もっとも、それが春姫に友達が多い理由でもある。

 構ってやりたい。優しくしてあげたい。そこにいるだけでわけもなく人を惹きつける。だからこそ、春姫の周りにはいつも人が絶えないのだ。

 それがわかっている楓としては、なるべく甘やかさないように心がけているのだが。

 「え? 柊さんそれにするの?」

 「はい。私はこれで」

 「いちいちこの娘の言うこと聞かなくてもいいのよ? つけ上がるんだから」

 「あーっ! 楓ちゃんひど〜い!」

 「まあまあ……せっかく勧めてもらいましたから、私はこれでいいです。ところで、津月さんは何にするんですか?」

 自分の分を決めた優華は、今度は楓に水を向けてくる。

 「私? ん〜私は……」

 「迷ってるの? それじゃあ楓ちゃんのも私が決めてあげるよ」

 「大きなお世話よ…………これね」

 そう言って楓が手にしたのはスポーツドリンク。今日は色々あって疲れたので、それを癒すためにも今はこの水分が必要のような気がする。

 「それじゃあレジに…………ってコラコラコラ」

 そうしてこの場所での目的を達成したところでサッサと本来の目的へと戻りたいところだったが、やはり春姫がそれを許してはくれなかった。

 飲み物を手にした春姫は楓の目を盗んで別の棚へ。雑誌が並んでいる辺りだろうか。

 予想通りと言えば予想通り。ズキズキと痛むこめかみを押さえ、楓は春姫を連れ戻すべくそのあとを追おうとした。

 が、今度は予想外のことが楓の足を止めた。

 「――はっ!?」

 楓の目の前をフラフラと横切るエール。

 もはや見慣れたと言ってしまえるほど見慣れた光景に、楓は硬直した。

 そして、手にした鞄に意識を凝らす。いない。

 「柊さん、ちょっと悪いんだけど…………ハルのこと見ていてくれない?」

 「は? どうかしたんですか?」

 「た、大したことじゃないんだけど……少しの間だけ、ね?」

 「は……はあ」

 精一杯愛想よく頼んでみたものの、相当ぎこちない態度だったのだろうことは優華の反応が物語っていた。愛想笑いが徐々に乾いたものに変わっていく。

 「…………わかりました。それじゃあしばらくの間、お任せください」

 だが優華は、楓の態度を訝しみながらも何も言わずに春姫のあとを追ってくれた。

 感謝とともにその背中を見送ると、楓はすぐさま鞄の中身を確認する。

 教科書やノートに筆記用具。全くもっておかしなところはないが、だからこそそれは異常事態を楓に教えていた。

 「やっぱり……ほかの二人もいなくなってるじゃない」

 今しがた見かけたエールだけでなく、同じく鞄の中にいたはずのフラムとメルの姿もなくなっていた。いつの間にか三人そろって抜け出していたのだ。

 「おバカ二人はともかくメルまで…………こっちの身にもなってみなさいっての」

 恨み言はそこそこに、楓は店内に鋭く視線を走らせた。

 まさかコンビニの外にまでは出ていないだろうと思ったが、今いる場所からは見つけられない。楓はそのままそれとなく周囲に気を配りながら店内を歩く。

 すると早速、一人目を発見することができた。

 スナック菓子が並ぶ棚の下段の辺りで、燃え盛るような赤い髪が揺れている。

 「何をやってるの……!?」

 「あ、楓……ねえねえこれ!」

 声を潜めた分だけ迫力不足だったか、怒気を孕ませた声をぶつけるも空振りに終わる。

 それどころかフラムは、キラキラとその瞳を輝かせながら棚の一角を指差した。

 「これ美味しそうじゃない? ねえ買って買ってえ!」

 「あんたねえ、これからどこ行くか覚えてないわけ!?」

 「えぇ〜? だってボクらは隠れてなくちゃいけないんでしょ?」

 「ちゃんとあんたたちの分まで買っといてあげるわよ!」

 「ホント!? ん〜でも甘いのは別腹。しょっぱいのも別腹?」

 あっけらかんとそう言ってのけるフラム。怒りを通り越して呆れてくる。

 ならばと楓はそこを突く。

 「そんなこと言ってる奴には、どっちもなしよ」

 「え……?」

 「ドーナッツも、ほかのお菓子も、なし!」

 「えぇええええーっ!?」

 フラムの口から鼓膜を突き破らんばかりの悲鳴が迸った。

 ほかの人間には聞こえていないのだろうが、その悲鳴はしっかりと楓の耳をつんざいた。楓はジンジンと痛む耳を押さえる。

 ともかく、効果は抜群だったようだ。

 「っつ〜…………そ、そういうことよ。どっちか好きな方にしなさい」

 「どっちかって、それじゃあ選択の余地ないじゃん! 楓のケチ!」

 「あっそ、じゃそういうことで」

 「あぁ〜……ま、待ってよお……!」

 「……………………で?」

 「むう〜……わかった、我慢する」

 「……よろしい」

 ということで、今回はいとも簡単に言うことを聞かせることができた。

 ちなみにこれは春姫相手にもよく使う方法だ。どうもフラムは春姫に近い、ぶっちゃけ子供っぽい性格をしているようだ。これからも似たような手は使えそうだ。

 それはさておき。

 「ところで、ほかの二人は?」

 「知〜らない。でもメルは本のある所じゃない?」

 「そっか。ん? ということは……」

 コンビニで本がある場所となると限られている。なるほど、読書好きのメルならば確かにそこにいるだろう。

 だがそこには、間違いなく別の人間もいる。

 「う〜ん…………やっぱりいるわね」

 コンビニで本がある場所、通りに面した雑誌が並ぶ一角には予想通りの人間がいた。

 先ほどフラフラとそちらへ向かった春姫と、その春姫を追うように楓が頼んだ優華だ。そしてフラムの言った通り、週刊誌が陳列されている辺りにはメルの姿もある。

 春姫はともかく問題は優華だ。メルを連れ戻すためにはどうしてもあそこに近づく必要がある。それはまさに、火中の栗を拾いに行くようなものだ。

 (さてと、どうしようかしら……? メルに一言かけようものなら、週刊誌にボソボソ話しかける変な人認定よね? となると…………仕方がないわね)

 メルに話しかけることなく連れ戻す。だとすれば方法は強制連行しかない。

 楓はまず、一緒に何かの雑誌を覗き込んでいる春姫と優華に背後から近づいた。

 「何読んでるの?」

 「あ、津月さん」

 「楓ちゃん……ほらこれこれ、来月だって」

 春姫が手にしていたのはゲーム雑誌だった。指で示したのは新発売のゲーム記事、楓も好きなタイトルの続編だ。楓としてもそれは耳よりの情報だが――

 「へえ、来月ねえ…………って、仮にも女子高生が何見て喜んでるのよ?」

 「ええ〜ダメ?」

 「別にダメじゃないけど……柊さんもこういうの好きなの? ちょっと意外」

 「あ、いえ、私はゲームの類はあまりやったことなくて…………でもその分新鮮です。興味深く話を聞いてました」

 「ふうん……」

 「あの…………津月さんも、こういうのはよくやるんですか?」

 「私? まあハルほどじゃないけど。結構やる方かな?」

 「あ、そうなんですね」

 「ハルにつき合ってる内にやるようになったんだけどね」

 「そんなこと言って、私よりハマっちゃったことあったじゃない」

 「ん〜? そうだっけ?」

 とりあえず、他愛のない会話で自然な空気をつくる。

 そしてここからだ。

 「それはともかく、適当な所で切り上げなさいよ? 遅くなるといけないから」

 「うん、わかった」

 楓はその一言を潮に、二人の背後を通り過ぎた。

 そしてさりげなく、ごく自然な足運びで、今度はメル背後へと差しかかる。

 その手がユルリと持ち上がり、やはり自然に、とことん自然に、本が並んだ棚へ伸びた。

 傍目には、通りすがりに雑誌を手に取ろうとしているようにしか見えなかっただろう。

 しかし、その手が掴んだのは雑誌ではない。

 「はら……?」

 楓の手は、というより指は、メルの首根っこを優しく摘まんでその場から引き剥がした。

 メルはまだ状況が掴めていない様子だったが、構わず店内の隅の方へ連行する。

 「メルゥ〜……!」

 「あら楓さん……」

 「頼むからあんまり勝手に動かないでよ! ただでさえハルとエールとフラムで手一杯どころじゃないんだから。あんたまで勝手にされたら手に負えないわよ」

 「も、申し訳ありません。あそこに並んでいた雑誌が興味深いものだったので、つい」

 「頼むわよ本当に…………それで、興味深い雑誌って?」

 「“北原美優に熱愛発覚!”……です」

 「……意外と俗っぽわねあんた」

 ちなみに北原美優とは今人気の女性アイドルだ。

 「とにかく二人とも、鞄の中に入ってて。さて、あとはエールだけね」

 楓は再度、周囲を見回す。

 すると最後のエールは、いとも簡単に発見することができた。

 「――なっ!?」

 しかし発見したその場所は、楓の想像をはるかに超えた常識外れの場所だった。

 よくコンビニのレジ付近にある、唐揚げやアメリカンドッグなんかを温かく保つためのケース。あろうことかエールはその中にいたのだ。

 「なんであんな所に……!?」

 楓は、頭で考えるより先に身体が動いていた。

 ケースに駆け寄り、貼りつくようにしてその中を覗き込む。

 「ちょっ……! ちょっとあんた、こんな所で何してんのよ……!」

 楓はケースの中のエールに怒鳴りかけたが、必死の声を抑える。

 「え? ああ、楓。うん、おいしそうだったから」

 ガラス越しでくぐもってはいるが、その平然とした声はどうにか楓の耳に届く。

 「だからってそんな所に入ってるんじゃないの。早く出てきなさい……!」

 「ん〜……どうしようかなあ……?」

 「言うことを聞きなさい……! それと、中の物には絶対に手を出すんじゃないわよ。お金も払わず盗み食いなんて真似、絶対に許さないからね……!」

 「お金はあとで払えばいいんじゃない?」

 「あんたが食べたら忽然と消えたも同然じゃない。そんな物の代金をどんな説明をして払えばいいかわからないわよ……!」

 「んふふ〜♪」

 エールはいかにも余裕綽々、とてつもなく悪そうな笑みを浮かべていた。憎らしいにもほどがあるが、いかんせん手が出せない。

 しかも、楓が今置かれているのはかなり由々しき状況だ。

 傍目から見た楓は唐揚げなどが入ったケースに飛びついて熱烈な視線を注ぎ、何事かボソボソと呟いているのだ。正直、完全なまでの危険人物だ。楓がそんな人間を見かけたとしても間違いなくお近づきを避けるだろう。

 「くっ…………こ、これは不味いわね」

 レジの店員からは早くも怪しむような視線が突き刺さっている。せっかく優華の前ではそうならないよう注意したのに、これでは意味がない。

 とにかくどうにかしなければならない。楓は、頭をフル回転させて打開策を探す。

 だがその時――

 「……………………ん?」

 「――きゃっ!?」

 エールの視線が不意に脇の方に逸れる。

 同時に、店内の片隅で小さな悲鳴が上がった。

 この声は、春姫だ。

 「どうしたの?」

 エールのことは一旦保留にし、春姫のもとに駆けつける。

 見ると春姫は右手を持ち上げ、優華もそれを心配げに見つめていた。

 「あ、津月さん実は……」

 「ん〜……急に右手に何かが触ったと思ったらこんなになってたの。ちょっと痛かっただけで、別に大したことはないんだけど……」

 見ると春姫の右手の甲に五センチほどの切り傷がついていた。確かに、血も滲んでいない浅い傷だ。別段気に留めるようなものでもない。

 「…………そうね、大丈夫みたいだけど、どこでこんな傷ついたの?」

 「うん、それが不思議なんだよね。この辺りに手を切るような物なんてないし……」

 「私も見ていましたけど、人や物にぶつかったりもしていません」

 「そうみたいよね…………まあ、いいか」

 傷は不思議ではある。が、大騒ぎするほどのことはない。春姫のことだから知らない内にどこかに引っかけたのかもしれない。それで決着させていい程度のもののはずだ。

 「楓、やばいかも」

 だが、それに待ったをかける声がすぐ傍らから上がった。

 「は? 何が……って何よあんた!?」

 「まあ、それは置いといて」

 保温ケースの中にいたエールがいつの間にか楓の肩に乗っかっていたのだ。

 「とにかくやばいかも。このお店、早く出た方がいい」

 「出た方がいいって…………何よ、どうなってるの?」

 「それは道々話すから、早くした方がいい」

 「は? だから説明を……」

 突然やって来て店を出た方がいいと告げるエール、しかしその理由に関してはいまいち要領を得ない。一体何が起こったというのだろうか。

 「あ、あの…………津月さん?」

 そして一方で、あまり歓迎できない出来事が起こっていることは明白だった。

 「どうしたん…………ですか?」

 「へっ……?」

 優華が、まるで幽霊にでも出くわしたかのような目で楓を見ていた。

 急に声をかけられたため、楓は自然にエールと話をしてしまっていたのだ。優華の目の前で。

 優華にエールの姿は見えていない。ならば優華の目に楓はどのように映っていただろうか。突然、驚くほど明瞭な声で独り言をつぶやき始めた、そんな風に見えているはずだ。

 楓の背中を冷や汗が伝って行く。

 きっと、エールが言っている何か(・・)よりよっぽどやばい事態だ。

 「……? どうしたの二人とも?」

 そんな微妙な空気の中、ただ一人春姫だけが何も理解していない様子でキョトンと二人を見比べていた。普通ならわからないはずはないだろうに。

 「ねえ楓聞いてる? ねえってば」

 そしてエールは素知らぬ顔で楓の頬をペチペチと叩いている。この場の空気を読もうという気はサラサラないようだ。

 (この二人はあとでシバく……!)

 二人への怒りはさておくとして、問題はこの状況をどう乗りきるかだ。なんだかエールたちと知り合って以来こんなことばかりに胃を痛めている気がする。

 ともかくこの嫌な空気の中、楓はエール入り保温ケースの前にいた時より五割増しのスピードで頭を働かせる。

 そんな時、風が吹いた。

 「うん……?」

 その突然の風が、楓の思考を止めた。

 なんの変哲もない、楓の前髪を揺らす程度の風。

 (ん? でも待って…………このお店、閉めきられてるはずよね?)

 疑問が過る。

 出入口の自動ドアか店員が行き来するドアなどが開いた時には空気が流れはするだろうが、誰かがそこを出入りしたような気配もなかった。

 ならばなぜ、風など吹いたのだろう。

 「――!」

 瞬間、楓の頭の中でいくつかの疑問が一つの結論として結びついた。

 いつの間にかついていた春姫の傷。

 エールの不可解な言動。

 そして今の風。

 あまりにも不自然なことが重なり過ぎている。

 そして不自然なことと言えば、そんなことが起こる心当たりはある。

 「…………ハル、すぐにここを出るわよ」

 「え? そんなに急がなくても……」

 「いいから……!」

 「む〜……それじゃあこれは?」

 そう言いながら春姫が掲げて見せたのは先ほど選んだペットボトル。

 「ああ……じゃあ私がまとめて買ってくるから、先に外に出てて。あ、柊さんも」

 「は、はあ……」

 「うん、それじゃあお願い」

 楓は二人から飲み物を受け取ると即座にレジへと向かった。

 先ほど保温ケースの前で取った怪しげな行動が思い出されて一瞬だけ躊躇したが、今はそんなことを気にしている場合ではないようだ。

 そうして清算をすませて店を出る途中、肩にいるエールに尋ねる。

 「出た方がいいって……何が来てるの?」

 「まだよくわからない。でも私が気づくってことは……」

 「風関係?」

 エールの言葉尻を受けて鞄の中から顔を出したフラムが答えた。

 確かにフラムも、同じ火の精霊であるジンを感じ取った。エールも同じということか。

 「どうにか撒いたりできないわけ?」

 「難しいんじゃないかな? 私たちって鼻が利くから」

 「じゃあどうすればいいのよ?」

 「ん〜……」

 エールが、珍しく難しい顔をして考え込む。

 しかしそうこうしている内に、楓は店の外に出てしまった。特に広い店でもないので当然だ。楓は先に出ていた春姫たち合流、とりあえず買った飲み物を各々に渡す。

 自分もとりあえずスポーツドリンクを口にしながら、さてどうしたものかと思案する。

 が――

 「――わっ!?」

 一際強い風が、楓たちの間を吹き渡って行った。

 「急に風が強くなってきたね…………あれ? 楓ちゃんそれ……」

 「それ……? 何が?」

 「ほら足、左の太腿の辺り」

 春姫に言われて見てみると、そこには薄っすらと切り傷ができていた。ちょうど、春姫の手の甲にできた傷のような感じだ。スカートの裾もわずかに切り裂かれている。

 楓は悟った。今回の相手は、対策を練る時間すら与えてはくれないのだと。

 そしてその相手が、楓の目の前に姿を現す。

 「こ…………こいつ……?」

 「え? 何?」

 「津月さん……?」

 楓はその姿に目を見張った。

 並んで立つ春姫と優華の背後、その二人も楓の視線を追って振り返る。

 そこにいたのは、猫ほどの大きさの動物だった。しかしその身体はやや細身。いかにもしなやかそうな体躯の、白い毛の獣。

 普段ならこの手の小動物に対しては好意的な楓だが、今ばかりはそうはいかない。

 その異様な気配、その動物を中心に渦巻いている風。

 「こ、こいつって……」

 「カマイタチ……だね」

 耳元でエールがささやいたのと同時に、カマイタチを中心にして空気が弾けた。

 「――うわっぷ!?」

 風をもろに受けた春姫がスカートを押さえる。優華もその突然の突風に身体を強張らせたのが感じられた。

 楓は即座に行動に出た。

 「ちょっ、楓ちゃん!?」

 「柊さん逃げて!」

 「は? 一体どういう……」

 「いいから早く! どこか別の場所に」

 楓は春姫の手を掴み、優華にこの場を離れるように促す。

 そうして楓は、春姫の手を引いて走り出した。昨日のジンの時の再現だが、前回は相手を追い、今回は逃げなければならない。

 「津月さん! これはどういうことなんですか!?」

 そんな楓たちを、優華は追いかけて来ていた。とっさのことだったので楓たちから離れるように言うのを忘れていた。

 「ちょっと事情があるのよ! それより私たちについて来ない方がいいわ。危ないことになるかもしれないから」

 「そんなことを言われて放っておくわけにもいきませんよ! それに……」

 仮にも運動部、これだけ走りながら普通に会話ができる辺りはさすがだ。

 しかしそんな感慨も、優華の続く言葉で見事に吹き飛んでしまった。

 「…………それに、さっきのあれはなんなんですか? あのイタチみたいな生き物……さっきの風は、あの生き物が起こしたものですよね?」

 「なっ……!?」

 「あんなの見たこともありませんよ。でも津月さんは、何か知っている風ですし……」

 「柊さん、さっきの見えて……?」

 「は? あれくらいの大きならそれは見えますけど」

 「う……そ……?」

 楓は愕然とした。

 優華は、さっきのカマイタチが見えていたのだ。コンビニの店内でエールと話していた時には見えている様子はなかったのに、一体なんの拍子でそんなことになったのだろうか。

 (いや……もしかしたら、エールの時は私の陰で見えなかっただけかも。だとすると、やっぱり昨日のも見えてたんじゃ……)

 思い起こされるのは昨日の出来事。

 校内に迷い込んだ火の精霊ジンを、メルの力によって操られた水によって撃退した。優華はその場に居合わせており、その場面を目撃した可能性があったのだ。

 だとすれば、精霊たちの存在がバレるかもしれない。その精霊たちと一緒に暮らしているということも。そんなことが知れれば楓のこれからの人生メチャクチャだ。

 (それは不味い! それだけは……)

 楓の頭の中を悪い想像ばかりが駆け巡る。

 しかしカマイタチに追われているこの状況は、それすらも楓に許してはくれなかった。

 「か……楓ちゃ……」

 正確にはカマイタチに追われ、楓に手を引かれるまま走り続ける春姫がだが。

 「か、楓…………ちゃ……私、もう……」

 昨日と同様、春姫はもう虫の息だった。

 「あんたねえ! 昨日の今日なんだからもっと体力つけときなさいよ!」

 「そ……そんな、無茶な…………体力なんて……すぐに、つくわけ……な……」

 「ああもう! とにかく頑張りなさい!」

 色々な意味で追い詰められ、楓はあまりにも理不尽な叱咤激励を叩きつける。

 叩きつけたはいいが、しかしなんの解決にもならない。何よりあのカマイタチに追われるこの状況、逃げるだけでなんの打開案も思いつかない。

 「私がどうにかしてみようか?」

 「バレちゃうでしょ!? あんたは黙ってなさい!」

 助け舟を出してきたエールにも一喝。

 大声で答えてはまるっきり本末転倒であることにも気づく余裕はない。

 そうこうしている内に――

 「――おわっ!?」

 楓たちを一陣の風が追い抜いて行った。

 目の前には先ほども見たカマイタチ、前方に先回りされたようだ。

 「くっ……うぅっ……」

 相手は仮にも風の精霊、いや妖怪か。どちらにしても人知を超えたスピードを持つのは間違いない。走って逃げるのは無謀だったか。

 「あ、津月さんそこ……」

 「え? あっ……」

 優華に言われて身体を確認してみると、制服の右脇腹の辺りがキレイに切り裂かれていた。例によって傷自体は大したことはない。

 このカマイタチ、どうやら人を殺傷するほどの力はないようだ。このまま制服をオシャカにされるのは御免こうむりたいが、その点では安心できる。

 そう思っていた。

 「――っ! ハル!」

 一陣の風が、今度は春姫目がけて駆け抜けた。

 楓はとっさに手を伸ばしたが、もちろん間に合うはずがない。

 春姫はその風に押されて大きくよろけた。楓に引かれて息も絶え絶えだった春姫は、それでいとも簡単に尻もちをついてしまう。

 それは問題ない。カマイタチにつけられた傷も例によって浅い。

 問題は、その傷がつけられた場所だ。

 「あたたたた……」

 「ちょっ……ハルそれ!」

 「それ……? 何が?」

 カマイタチが傷をつけたのは、あろうことかその胸元。

 リボンの切れ端がハラリと足元に落ち、ブレザーもその下のブラウスも見事なくらいの真一文字に切り開かれていた。

 そして当然、その合間からは肌色の膨らみが見え隠れしている。

 「バカ! さっさと隠しなさい!」

 「いや、そんなこと言ったって……」

 「ほらこれ! これで押さえてなさい」

 「うん、ありがとう」

 楓は自分のブレザーを脱ぎ、春姫に押しつける。だがそれも再び攻撃を受ければ意味はない。このまま制服のみ切り刻まれれば、春姫はあられもない姿を道行く人々の前に晒すことになりかねいない。いや春姫だけではなく、楓は優華だってそうだ。

 これは実に由々しき事態だ。

 「…………立ってハル」

 「ええ〜? ちょっと待ってよ。私もうヘトヘトで……」

 「少しでいいから頑張って。とにかくここから移動するわよ」

 「んもう……」

 楓は春姫の手を引っ張って立たせながら、周辺の地図を頭に思い浮かべていた。

 しばらくして移動するべき場所を定め、今度は視線を優華の方へ。

 無言の内にその意を汲み取った優華からは、意思の堅そうな瞳とうなずきが返って来る。

 そうして三人は、同時に走り出した。


 数分後、楓たちは近くにある神社にたどり着いていた。

 とても小さな神社で、滅多に人は来ない。これで万が一にも制服がズタズタにされたとしても少しは安心できる。

 そう、危機はまだ去っていない。

 「まあ……これで撒けるわけはないわよね」

 人の足であのカマイタチから逃れられないことは先ほど実証ずみだ。今、楓たちは賽銭箱の真正面に伸びる参道を挟んでカマイタチと相対している。

 そんな楓の背中に、優華の不安そうな声がかかる。

 「それで……どうするんですか? 津月さん」

 「さあ、なんとも。とりあえず人目につかない場所に来ただけだから」

 さらに春姫。

 「大したケガはさせられないんだし、放っといたら?」

 「あんた今の自分の状況見て言いなさいよ。この先一生周りの人間にお色気振りまきながら生きるか、人目を避けて生きるかどっちかになるわ」

 「わたしはこのくらいならあんまり気にしないけど……」

 「私は気にするわよ!」

 楓は優華のさらに後ろに控えている春姫に視線をやり、またすぐ背けた。

 楓たちはここに来る道中にもカマイタチの攻撃を受けた。当然のように重点的に攻撃を受けた春姫は、ブレザーもスカートもかなり際どいことになっている。同じ女であり幼馴染である楓ですら目のやり場に困ってしまうほどだ。心なしか、頬も熱を持つ。

 (こいつ……狙ってやってるんじゃないでしょうね? でもだとすると……)

 ちなみに楓たちもそれなりに攻撃を受けたが、春姫ほどいかがわしいことにはなっていない。だがそれは春姫が精霊の力の源だからであり、決して楓たちに春姫ほどの魅力がないからではない(はずだ)。

 (まあ私はともかく、それなら柊さんが狙われないわけないわね)

 などという愚にもつかない慰めを自分に対してしているのも、この状況を切り抜ける方法が何も思いつかないからだろう。

 (そもそもこんなの相手に私たちがどうにかできるわけないのよね)

 それはわかりきっている。ジンの時も、メルたちがいなければどうなっていたことか。

 (かと言って、柊さんの見ている前であいつらに頼るのも……)

 優華はすでにカマイタチのことがしっかり見えている。今さらと思いもするが。

 「う〜ん……」

 懊悩が楓の頭を締めつける。

 「あ、あの……津月さん……」

 「う〜ん……」

 「楓ちゃん、ねえ楓ちゃん!」

 「うぅ〜ん…………え?」

 そこへ、優華と春姫が呼ぶ声。楓はふと顔を上げる。

 「さて、どうしよか?」

 「そうですねえ…………とりあえず攻撃してみては?」

 「ええ〜? 当たるかなあ……」

 楓の目に前に、三つの小さな背中があった。

 懊悩によって締めつけられた楓の頭は、完全に無駄に終わったのだ。

 「……………………あんたたち何やってんの!?」

 精霊たちはいつの間にか鞄から抜け出し、堂々とその姿を白日の下に晒していたのだ。

 一瞬何が起こったのか理解できなかったが、理解できた瞬間に怒声が迸る。

 「いやあ……なんだか埒が開かないと思って」

 あっけらかんとそう言ってのけるエール。

 エールはその程度の考えで、楓のこれまでの苦労を水の泡にしたのだ。

 「しかし楓さん、この状況では致し方ないかと」

 「まあまあ、ボクらが出て来たからには万事オッケー!」

 冷静なメル、フラムは自信満々に親指を立てて見せる。

 そんな三人を不安げに見つめる楓のさらにその背中に、不審げな視線が突き刺さった。

 「津月……さん。あの…………その、三人? は……?」

 「あ、その……こいつらは……」

 「しゃべってます……よね? それに動いてる…………なんなんですか一体?」

 優華は、途切れ途切れな口調でタドタドしく問い質してくる。

 気持ちはわかる。楓もエールたちを始めて見た時には言葉が出なかった。

 楓は腹をくくった。この三人の姿を見られたからには、もはや言い逃れはできない。

 「あの三人…………精霊、なの」

 「せいれい…………あの精霊、ですか……!?」

 「ええ、そう。エールとメルとフラム。それぞれシルフと、ウンディーネと、サラマンダーよ。聞いたことあるでしょ?」

 「それは聞いたことくらいは…………いえでも……」

 「詳しいことはあとで話すわ。とにかくそういうことだから、こいつらならどうにかできるかもしれない。なんたって相手と同じような存在なんだから」

 「ちょっと、こんなのと一緒にしないでよ」

 楓のその物言いにフラムが異を唱える。

 「何よ、ダメ? 確か昨日も似たようなこと言ってたわね」

 「だから、昨日と同じ。こいつ大した頭ないの」

 「あんた自身も大した頭はないでしょ」

 「何をおーっ!」

 偉そうにしているフラムに楓はけんもほろろな応答、しかし事実だ。

 一方で、最後方にいた春姫が声を上げた。

 「それじゃあ説得…………なんかも……」

 それに応えたのはフラムではなくエールだった。

 「多分…………無理かな」

 「……………………そっか」

 すると、春姫の声のトーンが沈む。

 「何? もしかしてあいつも引っ張り込もうって言うの?」

 「だって、ただ追い払うのって可哀想じゃない?」

 確かに、得体の知れない精霊たちを少しも物怖じせず受け入れている春姫だ。あとから来る者もできることなら、と考えてもおかしくはない。

 「あんたねえ……その苦労を背負い込むのが私だってわかって言ってる?」

 「え? もう一人くらい増えても……」

 「あんた、あとで倍しばくわ」

 しかしこの始末だ。

 周囲への優しさを忘れない割に、そのシワ寄せを楓に集めるのだから。いくら幼馴染とはいえ、もう少し遠慮というものを覚えて欲しい。

 さておき。

 「……で、出て来たからにはどうにかしてくれるんでしょうね?」

 「もちろんそのつもりだね! ただでさえボクは昨日なんにもしてないし」

 なかなか殊勝な言葉を口にするフラム、これは期待できるだろうか。

 「というわけで…………とりあえず、とおおおおおおっ!」

 言うが早いか、フラムの全身が燃え上がった。周囲が林であるため火事になる危険性がないでもないが、この際それには目をつむる。

 (もしもの時はメルに活躍してもらおう)

 などと思っている内にフラムがまとっていた炎は大きな火球となり、標的であるカマイタチに向かって襲いかかった。

 「――ありゃっ!?」

 しかしその火球は空を切り、地面に敷き詰められた砂利を焦がすにとどまった。

 気づけばカマイタチの姿は全く別の場所にあった。

 「うわっ早っ!」

 「まあ、カマイタチだし。私たちが散々追い回されたでしょ?」

 「む…………」

 しばしの沈黙。

 直後にフラムは――

「行けっ! エールッ!」

 ものの見事に責任を丸投げした。

 そのあまりの潔さに腰が抜ける楓。

 「ん……無理」

 「ってなんで!?」

 しかも、いとも簡単に弾き返される。

 まるで計ったかような二段オチに、楓はもう実際にズッコケる。

 このまま二人だけに任せていては埒が開かない、そんな気がした楓は自信満々に“無理”と断言したエールにその心を問いかける。

 「どういうことよ、エール?」

 「スピードでなら追いつけるけど、私って攻撃力があんまりないから追い返せない」

 「そこをどうにか頑張ってよ!」

 「フラム黙んなさい。そういうもんなの?」

 「四大精霊なんて言われてるけど、実際大したことないんだよ、私たち」

 「あんた自分でそんな……」

 卑下することもないだろう。

 と思えども、ゲームなんかでもどちらかと言えばベーシックな立ち位置で突出した能力を持っているということは少ない。人がつくったものも意外と忠実だったらしい。

 「で、どうするの?」

 「どうしようか? いっそのこと諦め……るのはなしね。さーせん」

 元も子もないことを平然と言い放つエールを一にらみ。

 それで思い直させはしたが、果たしてよい方策があるのか不安にもなる。

 「ん〜…………しょうがない、アレやってみる?」

 「アレ……?」

 「あ、それいいね! それだよそれ!」

 「ちょっと、アレって一体……」

 「でも、それはそれで問題が……」

 「だからアレってなんなのよ!?」

 楓は完全に蚊帳の外だった。だがエールたち三人の間では共通の認識があるようだ。

 楓の胸に不安が過る。

 何がなんだかわからない、という理由だけではない。基本的に不安を駆り立てる春姫の側に居続けた楓に備わった第六感のようなものがそう告げているのだ。

 そして、それを証明するかのように――

 「――なっ!?」

 エールが楓の方に振り向き、ニタリと笑った。

 「ちょっ……」

 楓の頭で警戒警報が鳴り響く。しかしそれを実行しようとした時にはすでに遅かった。

 ヒラリと宙を舞ったエールが、春姫に向かって飛び込んで行った。

 「――うわっ!?」

 「――!?」

 同時に強烈な光が周囲を満たした。

 そのあまりの眩しさは、目の前に手をかざして防いでも目が眩むほどだ。

 その光は、一瞬の内に過ぎ去る。

 そしてそのあとに残されたものを見て、楓をこの数日で最大の驚愕が襲った。

 「……………………は?」

 目が点になる。開いた口が塞がらない。

 傍らにいる優華も、同様に言葉をなくしている様子だった。

 「ハ…………ル?」

 そこにいたのは、紛れもなく春姫だった。

 長い髪も、つぶらな瞳も、楓のよく見慣れたものだ。しかし一方で、そこに見慣れない要素が加わってもいたのだ。いや、ある意味で見慣れてはいるが。

 春姫の背中からは、昆虫のような薄い羽が生えていた。

 その髪の色は、薄い緑色。

 これらの要素は、本来春姫にはなかったものだ。これらの要素を持つ者と言えば――

 「ハル……いや、エール……なの?」

 その姿はまるで、春姫とエールが一つに合わさったようだった。

 どちらとして認識していいのか、どちらの名前を呼んでいいのか、楓にはわからない。

 「…………あれ、楓ちゃんどうしたの? そんなに目を丸くして」

 ややあって、発せられた言葉は春姫のものだった。

 しかしそう思ったのも束の間。

 「ふむふむ…………上手くいったかな?」

 同じ口から同じ声、だがその口調は楓の聞き馴染んだものではない。

 「へ? どうなってるの? 口が勝手に」

 「ああ、ごめんごめん。ちょっと春姫の身体使わせてもらうよ」

 「使う? 使うってどう……」

 「まあまあ、任せてくれればいいよ」

 異なる口調で一人、問答を繰り返す春姫。傍から見れば落語か何かのようだ。

 もはや楓には限界だった。

 「誰か! 説明!」

 説明を求める極めて端的な声を上げた楓。

 例によって、それに答えたのはメルだった。

 「エールは今、春姫さんに憑依しているんです」

 「憑依?」

 「エール……要するに精霊がですが、ある種の人間に乗り移った状態です。“ある種の”というのは、精霊の力と馴染みやすい体質といいますか……」

 「春姫がそうだっていうの?」

 「はい。元々春姫さんは、私たち精霊に力を与えてくれる存在です。精霊の力そのものとも非常に馴染みやすいと思います。そしてそんな春姫さんに憑依するということは、増幅された力を精霊が直接扱えるということです」

 「力を……直接?」

 精霊に力を与えるという春姫の力。春姫に憑依すればよりダイレクトにその恩恵を受けることができる。そしてそれを発揮する、春姫の身体で。

 「そういうこと。でもこの状態はどっちに主導権があるわけでもないから、なるべく息を合わせてね。でないとちゃんと動きにくいから」

 「息を合わせる…………私、そういうの苦手だなあ」

 「だったらこう……身を任せる感じで。そうすれば私がなんとかするから」

 「あ、それなら大丈夫。誰かに任せっきりにするのとか大得意」

 「威張るんじゃないの……!」

 無駄に堂々とした春姫のその態度に思わずツッコんでしまう。

 が、楓には気がかりがあった。

 「…………大丈夫なの?」

 このまま戦うということは、春姫を狙って来た相手の前に春姫自身がその身を晒すということなのだ。それで無事に終わることができるのか。

 「ん〜……まあ、カマイタチの方もそれほど攻撃力があるわけじゃなし。それは見ててわかったでしょ? ケガとかはしないと思うよ」

 「大丈夫大丈夫。もう〜心配性だな楓ちゃんは」

 「あんたのやることで安心して見られたものなんて何一つないわよ」

 「えぇ〜? ひっどーい!」

 わざと軽い調子で言ってみたが、その不安はなかなか拭えなかった。もちろん言葉通り、春姫のやることにはどう足掻いても不安がつきまとうという絶対的な法則があるのも事実だ。よほどのことがない限り、これが覆ることはない。

 ついでに言えば、絶妙に切り刻まれた春姫の制服も気がかりだ。その合間からは際どく肌が見え隠れし、エールの特徴である緑色の髪と羽のおかげでなかなかにシュールな艶姿だ。この姿のままカマイタチと戦うのだと想像するだけで――

 (いやまあそれはともかく……)

 楓は若干頬を赤らめつつその想像を振り払った。

 ともかく不安は不安だが、とはいえこれ以上の策が楓にあるわけでもない。

 黙考することしばし。

 楓は、先ほどの物言いにブーブー不平を漏らす春姫――と言うよりその身体の中にいるエールを思いっきりにらみつけた。

 「……無事に戻って来なさいよ」

 「え? …………うん、それはもちろん」

 「春姫に何かあったら、ただじゃおかないからね?」

 「だからわかって……へ?」

 「本当に……わかってるわね……?」

 「う……………………うん」

 別段荒げるでもなく、低く這うような声に全ての想いを込める。

 その時息を飲んだのは間違いなくエールの方だったのだろうが、春姫の反応も重なってのことだろう。何せ第三者である優華やメルたちまで慄いている様子だったのだ。

 「それじゃあ……」

 気を取り直した春姫ことエールが身構える。

 と同時に、その周囲に風が渦巻いた。

 側にいる楓や優華の身体を押し退けるほどの風だ。

 「――行くよ!」

 次の瞬間、エールの姿がその場から掻き消えた。

 もちろん消えたわけではない、そのスピードが想像を遥かに超えていて見失ったのだ。

 そしてその姿は、カマイタチの背後に。

 「も〜ら……い?」

 しかしエールが攻撃に移ろうとした瞬間、カマイタチの姿も消えてしまう。

 果たしてそれが見えていたのか、エールはすぐさまそれを追いかける。

 砂塵が舞う。

 エールとカマイタチ、風をまとった二人が境内狭しと駆け回る。その風の勢いに地面に敷き詰められた砂利が飛び散り、周囲の木々が騒々しくザワめく。

 そしてそれ以上に――

 「――だあ〜もうっ! うるさい!」

 二人の風に煽られて、神社の鈴がこれでもかと言うほど盛大に揺さぶられている。

 ガランゴロンガランゴロンと、その騒々しさは木々のザワめきどころではない。

 そのやかましさに耳を覆いながら、楓はエールたちの姿を追った。

 しばらく見ていてあの動きにも慣れてきた。楓の目はどうにかエールたちに追いつき境内を右へ左へ、そして上へ。

 「ちょっと、あんな所に……」

 二人はとうとう、神社の屋根の上に降り立った。

 互いに屋根の両端に立ち、向かい合うエールとカマイタチ。

 その様子に、周囲の空気が一瞬張り詰め――

 「――ぃよいしょおおおおおーっ!」

 ――る間もなくエールは飛び出した。

 風の精霊のくせに空気を読むということもできないのか。

 (…………あと、春姫の顔と声で変な雄叫び上げないでもらいたいわ)

 それはともかく、エールの攻撃がカマイタチに向かって放たれる。

 カマイタチは動かない。

 周囲の空気がカマイタチに殺到する。それはフラムの炎のように外れるようなことはなく、間違いなく標的を捉えた。

 「あれ……?」

 しかし勝負を決するかに見えたその風は、カマイタチを追い払うに至らなかった。

 カマイタチはエールの起こした風を、自らが生み出した風で退けて見せたのだ。

 「ちょっとおーっ! 話が違うじゃないのおーっ!」

 その攻防に、楓は思わず大声で口を挟んだ。

 普通の状態では敵わない。だから春姫に憑依してその力を増幅する必要がある。そういう話だったはずだ。だというのにこの結果だ。

 「これは、もしかして……」

 そんな時、メルが独り言のように呟いた。

 「何? どうなってるの?」

 「あのカマイタチ……随分春姫さんにちょっかい出してましたよね?」

 「ええ……まあ確かに、一番攻撃されてたのはハルだったわね」

 「おそらくその時に、春姫さんの力を吸収していたのでしょう。それでエールほどではないにしろ力が強まって、エールの力に対抗できるほどになった」

 「ちょっと、それって不味いんじゃ……」

 「……かもしれませんね」

 楓の不安が違う形で的中してしまった。春姫に落ち度がないのは不幸中の幸い(か?)だったが、このままではこれまでと変わりない。

 「不味い、んですか? 津月さん?」

 「柊さん…………ええ、そうみたい」

 優華も顔色が優れない。暗雲が立ち込めたようなこの状況を象徴しているようだ。

 「どうにかならない?」

 「どう…………でしょう? フラムの攻撃ならあるいは……」

 「でも当たらないんじゃ……ねえ?」

 「仕方ないでしょ! ボクはあいつらみたいに速く動けないんだから!」

 「そりゃそうよね…………ん? 速く動ければいいのよね……」

 「だからそれはできないんだって!」

 わめき立てるフラムをよそに、楓は考え込んだ。

 この状況をどうにかできる方法がある、そんな気がするのだ。

 そうしてしばらく、楓は一つの答えにたどり着く。

 「…………フラム」

 「ん? 何?」

 さっきの皮肉が気に食わなかったのか、フラムはへそを曲げてしまっている。

 しかし続く言葉に、フラムが色めき立つことは必定だ。

 「あんたの望み通り、活躍させてあげるわよ」

 「活躍? どうやって?」

 「ええ、それは……」

 楓は、得た答えをフラムに耳打ちする。

 そして――

 「エール!」

 あらん限りの声でエールを呼び、大きく手招きした。

 それに気づいたエールが屋根から一直線にこちらに向かって来る。しかし不味いことに、カマイタチがついて来てしまった。エールの行動を“逃げた”と判断したのだろうか。

 「フラムいい? 今言ったことエールに話して、上手くやるのよ」

 「うん、了解!」

 楓はフラムにそう釘を刺すと砂利を蹴った。

 何が出来るというものでもないが、エールに――いや春姫に迫るカマイタチを見てとっさに身体が動いたのだ。

 エールとすれ違い、楓はカマイタチの前に踊り出る。

 これまでの経緯から大したケガは負わないだろうと高をくくってはいるが、それでもその身体が強張ってしまう。

 カマイタチの細長い顔が目の前に近づく。

 楓は、無意識の内に目をキツくつむる。頬をかすめる風だけが相手の接近を教えていた。

 しかし、そこへもう一つ別の風。

 「――たあああっ!」

 気合のこもった声とともに、楓の傍らを何かが過った。そして文字通りの風切音。

 「っ……柊さん?」

 「大丈夫ですか津月さん!?」

 「え……ええ、大丈夫。ありがとう」

 恐る恐る目を開くとそこには優華の背中、その手には竹刀が握られていた。

 どうやら優華がカマイタチを打ち払ってくれたようだ。さすがは剣道部員。

 「あ、エールたちは?」

 「あっちです」

 視線を転じると、エールたちは戦いの場を地面に戻していた。

 辺りを見回してみるとフラムの姿もない。ということは、上手く合流できたようだ。

 「津月さん、一体何を……」

 「フラムに言ったんですか?」

 上手くいったと笑みを浮かべる楓に、優華とメルが不思議そうな表情を浮かべていた。

 二人のその様子に、楓はさらに不敵な笑みを深めた。

 「まあ見てなさいよ」

 そうして視線を再びエールたちへ。

 先ほどと似たような立ち回り、風をまとった二人は縦横無尽に周囲を駆け回っている。スピード負けはしていない。むしろ速さはエールの方が上だ。

 問題ない。楓は、エールたちが起こす風をその身に受けながらそう感じていた。

 そうしてエールの動きにしっかりと目を凝らす。優華も、メルも、それに倣うように戦いの様子を見守っていた。

 しかして、勝負を占う一手がエールから放たれた。

 「――ほっ!」

 風が逆巻いてカマイタチに集中する。屋根の上でのやり取りの再現だ。

 カマイタチからも風が巻き起こる。

 エールの風との押し合い、しかしこれで勝てないことは先刻承知だ。楓は、その上で一計を案じた。

 ここでは、押し合うだけでいい、と。

 エールの攻撃を防ぐための風を起こしている時、カマイタチは動けないのだ。

 「へっへ〜ん」

 エールの(と言うか春姫だが)顔に笑みが浮かぶ。楓の不敵な笑みをそのまま写し取ったかのようなそれだ。

 そして、同じ笑みをしたのがもう一人。

 「それじゃ、バトンタッ〜チ!」

 「オッケェエエエーイッ!」

 エールの(と言うか春姫なのだが)肩に貼りついていたフラムが跳び上がった。

 続いて閃光。エールが春姫に憑依した時と同じだ。

 そこに現れたのは――

 「ジャンジャジャ〜ン!」

 髪の色は揺らめく灼熱の色。耳の辺りには魚のようなヒレ。さらに両手足には、赤々と燃え盛る炎をまとっている。

 それはまさに、エールと入れ替わりにフラムが憑依した春姫の姿だった。

 そして、四肢にまとった炎がいよいよ勢いを増す。

 「今度こそ、もらったあああああああっ!」

 高らかな雄叫びとともに無数の火の粉が舞った。

 風ではなく、今度は渦巻く炎がカマイタチに襲いかかる。

 その瞬間、周囲の景色が夕陽の茜色よりも真っ赤に染め上げられた。

 「――っ!?」

 その光景と熱気に、楓たちは両腕で顔を覆った。

 しかしそれもすぐに収まる。腕を退けて顔を上げると、なんら変わりのない神社の光景があった。今の攻撃が周りに延焼しているということもないようだ。

 その真ん中に佇む、一つの人影。

 「……………………はあ、どうやら無事みたいね」

 春姫に憑依したフラム。よくよく見るとその頭上にエールの姿もあった。

 その二人以外には誰もいない。しばらく様子を見ていたが、攻撃してくるような気配もなかった。カマイタチの撃退には成功したようだ。

 楓は、そこでようやくホッとして肩の力を抜いた。

 「ハルー!」

 そうしてすぐさま、春姫たちに駆け寄る。

 優華とメルもそれに続く。

 「大丈夫? ケガとか、ない?」

 「うん、大丈夫。ちょっと疲れたけど」

 「だから約束したでしょ? ケガさせないって」

 「あんたは結構ヤバかったわよ、エール?」

 「えぇー?」

 「それよりボク! ボクの活躍はっ!?」

 「あー……はいはい、すごかったわよ」

 「何それ!? 活躍させてやるって楓が言ったのに、もっと褒めてよ!」

 あしらってやるとすぐにブスくれるエールとフラム。

 だが、ああは言ったものの二人が頑張ってくれたからこそカマイタチを撃退できたのだ。その点に関しては感謝しなければならない。

 (あんまりからかい過ぎるのも悪いかしら?)

 そう考えたのと同時に、楓は笑顔を浮かべる。

 「……冗談よ。二人ともありがとう」

 エールたちに対して、これまでで一番素直に出た感謝の言葉。

 果たして、それが伝わったのか――

 「ああ、う…………うん」

 「まあその…………何? 当然って言うか……」

 相当予想外だったのだろう(失礼な)、ややどもりながら応じるエールとフラムの姿はなかなかに愉快だった。テレテレと身をよじっているエールは若干気持ち悪くもあったが。

 「それと、柊さんも」

 「えっ……?」

 「さっきは助けてくれてありがとう。やっぱり剣道部ね」

 「あ、いえそんな…………宮原さんも津月さんも、ご無事で何よりです」

 続いて優華にも先ほどのお礼を口にする。

 優華は恥ずかしそうに顔を伏せ、春姫たちの無事を喜んでくれた。その様子もまた、普段の凛々しさからかけ離れていておもしろい。

 「それにしても、あらためて見るとすごいわね……」

 それらの反応を一しきり楽しんだあと、楓は再度春姫の姿を確かめた。

 言葉通りケガの類はなさそうだが、制服の状態の相変わらずだ。少なくとも、このまま道を歩かせるわけにいかない。

 加えて目を引くのが、憑依しているフラムとしての特徴だ。

 赤い髪、手足の炎、そして耳のヒレ。

 「これ、本物なのよね?」

 「いたたたたた……!」

 試しに耳のヒレを引っ張ってみると、フラムこと春姫が痛そうに顔を歪めた。

 「何すんのもう!」

 「ああ、ごめんごめん。ちなみに、今のはどっち?」

 「ボクだよ!」

 「私だよ」

 どうやら両方らしい。憑依している時は感覚もしっかり共有しているようだ。

 「あははは……その手足が燃えてるのとかも大丈夫なの?」

 「うん、全然。ちょっと温かくて、くすぐったいくらいかな」

 「自分の炎なんだから、当たり前でしょ?」

 「まあそれもそうか。それで自分が熱かったら元も子もないもんね」

 やはり精霊たちに関しては、まだまだ知らない点も多いということか。

 いや、興味深い点、だろうか。

 「……ところで、いつまで憑りついてるのよ? もう終わったんだから」

 「あ、そう言えばそうか。そいじゃ……」

 楓に促されてフラムは春姫から離れる。

 「はあ〜疲れた疲れた」

 「うん、私……も……」

 すると突然、普通の姿に戻った春姫がその身体を傾がせた。

 「はれ〜……?」

 「ちょっ……わっ!」

 楓は慌てて春姫を受け止めようとしたが、一段落して気が抜けていたため一歩目が遅れてしまった。なんとか手は出したものの、春姫を支えきれずに一緒に倒れ込んでしまう。

 「津月さん!?」

 「楓さん、大丈夫ですか?」

 「あたた……私は大丈夫よ。それよりハル!」

 「はわ〜……」

 確かめてみると、春姫は完全に目を回していた。

 ケガなどがなかったことを考えると、おそらくは疲労だろう。フラムが憑依している時には感じなかったそれが、憑依から解放されるのと同時に噴き出したのだ。

 「はあ…………心配させないでよもう」

 その結論といかにも間の抜けた春姫の顔に、楓はホッと息を吐いた。

 そんな楓の顔を、優華が覗き込む。

 「あの、立てますか? よければ、手を貸しましょうか?」

 優華は心配そうな顔をしている。

 こんなことに巻き込んでしまって本当に申し訳ない。

 だが、楓は――

 「…………もういいや、このままで」

 「は?」

 優華の手助けをやんわりと断り、気の抜けきった声を漏らす。

 「私もなんか疲れちゃった」

 そんな楓を、優華はおろか精霊たちすら不思議そうに見つめていた。

 楓の視線は、その優華たちの向こう。濃紺に染まりつつある、夕暮れの空。

 「は〜…………あ」

 春姫ほどではないかもしれないが、楓も今日は疲れた。

 精霊たちと出会って以来、一際に。

 優華との約束を反故にするかもしれない。こんな砂利の上ではどれほど効果があるかも知れない。それでも、このまま春姫と一緒に身体を横たえて疲れを癒したい。

 楓はそう思った。

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