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第3話

 「はあぁ〜…………生き返ったあ」

 ひとしきりスポーツドリンクを喉に流し込んだ春姫は、恍惚とした表情を浮かべた。コマーシャルか何かと見紛うばかりの爽快な笑顔だ。

 「ふう……」

 楓も同じようにウーロン茶を一口飲んで息を吐く。

 楓たちは、中庭に設置されている自動販売機の前にやって来ていた。そこで各々水分を補給し、体力回復を図る。

 「フラムちゃんたちも飲む?」

 「あ、飲む飲む。ボク欲しい」

 「私もー……」

 春姫がペットボトルのキャップに注いだドリンクに飛びつくフラムとエール。それを微笑ましい表情で眺める春姫。その傍らで、楓は額に浮かんでいた汗を拭う。

 「……やっぱり外だと涼しいわね。もう夏も近いから、ジンのいる校舎の中はちょっとした蒸し風呂状態だし」

 「はい。ですがとりあえず、それでどの校舎にいるかは特定できますね」

 「あとはエールの風読み次第か…………でもそれじゃあ決め手に欠けるわよね」

 「それに、見つけたとしてどうやって追い払うかが問題ですね」

 「メルの力は?」

 「消火するくらいならまだしも、ジンを追い払うとなるとペットボトルくらいでは少し不足かもしれませんね」

 「う〜ん……」

 楓たち頭脳労働組が腕を組んで必死に頭を悩ませる。

 一方で、楓たちの苦悩などどこ吹く風のおバカ組は――

 「あ! エールちょっと飲み過ぎだよ!」

 「フラムが……遅い」

 「まあまあ、まだあるから」

 すこぶる楽しそうに飲み物の奪い合いをしていた。

 あまりにも憎らしいその光景に、楓の額に青筋が浮かぶ。

 「あんたたち! 少しは緊張感持ちなさい!」

 「楓ちゃん、う〜ん……でも……」

 「基本的に校舎が暑くなってるだけだしね。なぜか春姫を追いかけて来ないし」

 「十分問題よ! 夏になったら地獄じゃない。それに今は追いかけて来ないけど、その内追いかけて来るようになるかもしれないわ」

 楓の頭の中に明確な形としてある心配は、むしろ前者だった。このところは夏を迎える度に気温が上がっているような印象がある。その上あんなものが校舎に居座ってしまうとなれば、熱中症患者が続出してしまうこと請け合いだ。

 「とにかく、できるだけ早い内になんとかしないと……」

 そう、本格的な夏が来る前に。

 そんな風に、あらためて頭を抱えようとした時だった。

 「それじゃあ…………ちょっと試してみようか?」

 思わぬ提案が、思わぬ方向から投げかけられた。

 「エール、あんた……」

 この状況を打開する方法が、まさかエールからもたらされるとは思ってもみなかった。楓はそれを一言も聞き逃さないよう態勢を整える。

 「あぁー!」

 しかしそれをフラムの悲鳴が遮った。

 「いつの間にジュース全部飲んじゃってんの!?」

 「ん……? あっと言う間に」

 「何をー!」

 フラムの言う通り、コップ代わりに使っていたキャップの中身はいつの間にか空になっていた。まさにあっと言う間の出来事だ。

 フラムは当然のごとくいきり立った。昼休みと同じように今にも炎を噴き出しそうだ。エールの少しも悪びれない態度もそれを助長しているだろう。

 しかし、それでは話が進まない。

 「止めなさい!」

 「――だあっ!?」

 フラムが燃え出す前にデコピンを食らわせて出火を事前に阻止。少々強めに打ったので、フラムはもんどりを打って地面に倒れ伏した。

 「それでエール、続きは?」

 「うん、まあそれは……」

 「春姫〜! あの二人がボクに冷たいよお〜!」

 「ま、まあまあ……ほら、ジュースもまだあるよ」

 春姫に泣きつくフラムをよそに、楓はエールの話に耳を傾けた。

 曰く――

 「押してダメなら引いてみろ。追ってダメなら待ってみる」

                       ***

 「……で、こうして待ってるけど、本当に大丈夫かしら?」

 休憩からしばらく、楓は中庭の外れにある草むらに身を潜めていた。

 視線の先には、水飲み場の傍らに佇む春姫。それ以外に、周囲には誰もいない。

 楓自身の傍らには――

 「さあね……」

 先ほどの一件ですっかりへそを曲げてしまったフラムの姿があった。

 「いい加減に機嫌直しなさいよ」

 「あんなことしといてよく言うよ」

 「あんたが大事な話の腰を折るから悪いんでしょ……!」

 「だからってあれはないよ」

 「あーもう……」

 聞く耳を持たないフラムの態度に、楓は思わず天を仰いだ。ここまで来ると、もはやそう簡単なことでは機嫌を直してくれそうにない。

 さらに悪いことに、今この場には楓とフラムしかいない。明るい笑顔でこの重苦しい空気を払拭してくれそうな春姫は楓の視線の先にいるし、普段からフラムをなだめすかしてくれるメルもここにはいない(エールはいない方がいいだろう)。

 メルとエールも、実は春姫と同じく視線の先にいた。

 その内の一人、エールは先ほどと同じように春姫の肩に乗っている。メルもエールに指定された場所で準備を整えているはずだ。

 これが、エールが提案してきた作戦のポジションなのだ。

 「それじゃあ……始めるよ?」

 「うん、お願い」

 エールの言葉を皮切りに、作戦が始まった。

 「ん〜……」

 エールは、集中するように目を伏せる。

 そうすると周囲の空気が一瞬ざわめく。春姫たちを中心にして、楓がいる場所からでも感じられるほどのざわめき。

 「――っ!」

 そうして、その空気が破裂するようにして一陣の風が吹き渡った。

 一瞬ののちにやって来た静寂。

 「これで本当に…………来てくれるかしら?」

 エールは、ただ風を起こしたわけではなかった。

 その風には乗っていた。春姫の匂いが。

 「ねえフラム、その……春姫の力って、匂ったりするわけ?」

 「え? ん〜……」

 ふとした疑問を覚えた楓は、一緒にその様子を見守るフラムに尋ねてみた。

 機嫌を直したというわけではないだろうが、フラムはそれに答えてくれる。

 「……まあ、なんとなく。食べ物とかみたいなちゃんとした匂いじゃないけど、やっぱり鼻の奥で感じるっていうか…………なんか、気持ちいいんだよ」

 その言葉通り、フラムの表情が緩む。春姫のその匂いを思い出しているのだろう。

 「じゃあ、あのジンも……」

 「匂いに誘われて来ると思うよ。もっとも、その辺りはエールの方が専門だけどね。そのエールがやってるんだから、大丈夫なんじゃない?」

 期せずして最初の問いの答えをもらった楓は、あらためて春姫たちの様子を観察する。

 これはエールの作戦の第一段階だ。

 フラフラと校舎をさ迷い、その正確な居場所を特定することのできないジン。ならばおびき寄せるしかない。春姫は、精霊のような存在に力を与える能力を持っている。その匂いをエールの風に乗せて放ち、ジンがそれに惹かれてやって来るのを待ち受ける。

 そしてそこへ、決め手の一手を打つ。

 その時が来るまで、作戦に組み入れられていない楓たちはただ見守る以外にないのだ。

 「あ……来たかな?」

 「ええ」

 そうしていると、やはり真っ先にフラムがそれに気づいた。楓もその異変を感じ取る。

 頬を撫でる熱気、額から流れ落ちる汗。

 「わっ……!」

 春姫の目の前、何もない空間が陽炎のように揺らめく。そして次の瞬間に小さな火種が生まれ、それが見る見る内にバスケットボール大にまで膨れ上がった。

 その光景に、否応なしに緊張感が高まる。

 フラムたちを見ていると忘れてしまいそうになるが、楓たちはまるで想像もつかない存在を相手にしているのだ。

 「あれ…………ハルに襲いかかったりしないわよね?」

 「そこまで凶暴な奴じゃないと思うよ? まあ、そんな時のためにメルがいるんだし」

 「本当……?」

 微妙に信じ難い。特に、狂暴じゃないという点が。

 だが今は信じるしかない。フラムが無理でも、エールとメルを。

 第二段階だ。

 「エールちゃん…………どう?」

 「もうちょい……もうちょい…………よし」

 エールの力によって、再び風が渦巻く。その場から広がって行った先ほどとは逆に、周囲の空気がその場所に流れ込んで来るような風。

 その風が、ジンに絡みつく。

 「やった!」

 「よおし……!」

 楓は思わず喜び上がった。

 同時に春姫が水飲み場へと駆け寄り、蛇口を思いきり捻る。

 いよいよ最終段階だ。

 「メルちゃんお願い!」

 「お任せください」

 水飲み場の陰に隠れていたメルが躍り出た。

 蛇口から勢いよく迸る流水が、そのメルの力によって息吹が与えられる。まるで蛇のようにうねりながら、宙を舞う。

 その水量は、屋上でフラムにぶつけられたそれとは比べ物にならない。

 「ごめんなさい、でも…………これでお引き取り下さい!」

 メルがその手を振るった。

 巨大な水の蛇が、鋭く蛇行しながらジンへと迫る。

 そうして――

 「――うわっ!」

 蛇は、勢いよくジンに食らいついた。

 盛大に弾けた水飛沫は楓たちのいる草むらにまで飛んで来た。それほどの威力だ。

 水飛沫はやがてメルの力の手を離れて地面に落ち始める。無数の水滴が地面を叩く音はまるで夕立、その大音響が一瞬にして周囲に響き渡って行った。

 「……………………やったの?」

 あれほど燃え盛っていた炎は、跡形もなく消えていた。

 そして一緒にいる精霊たちと違ってあの火の玉そのものが本体(?)だったのだろうか。炎を生み出していたジンと思しき精霊の姿も見当たらない。

 春姫の身の危険も去り、校舎がサウナ状態になる心配もなくなった。

 これで万事解決、となるはずだった。

 「えっ……?」

 楓や春姫、そして精霊たちの視線も、水が打ちつけた場所に釘づけになっていた。

 確かにそこには、これまで手を焼かせてくれた相手の姿はない。しかしそこには、楓たちの思いもよらない人物の姿があったのだ。

 「……………………柊、さん? なんで?」

 そこには、先ほど校舎で出くわした優華が立ち尽くしていた。何が起こったのか理解できていないのか、目をパチパチと瞬かせて声一つ発しない。

 その様子を、楓たちも棒立ちになって見守ることしかできなかった。いつもなら作戦成功に跳び上がって喜びそうな春姫ですら、緊張した面持ちでその静けさを崩そうとはしない。

 「ご……」

 その状況からいち早く立ち直ったのは楓だった。

 いち早く立ち直る必要があったのだ。

 「ごめんなさい柊さん!」

 楓は素早く優華の側に駆け寄り、ハンカチを取り出してとりあえずその顔を拭いてやる。無事な所を探す方が難しいほどの濡れネズミ状態では、それがどれほどの意味を持つかはわからない。だが、これは同時にきっかけでもあるのだ。

 「ちょっと喉が渇いてたもんだから、つい勢い余って蛇口を捻り過ぎちゃったの。それで水が勢いよく出過ぎてこんなことに……」

 楓は一息にまくしたてる。これはあくまで、蛇口が暴発したものなのだと。

 優華は、呆然と立ち尽くしていたのだ。

 あの一瞬で、何が起こったのかを理解できていないのだ。

 たとえ一連の出来事を見ていたとしても、メルたちが見えていたとは限らない。宙に浮いた水が生き物のように動いて何かに打ちつけた、そんな現象を何も知らない人間がそう簡単に受け入れられるものではないということは、楓で証明ずみだ。

 そこへ畳み込むように現実的な理由を擦り込む。あとはもう勢いだ。

 「あ、そ、そんな…………大したことないですから」

 「そんなことないわよ。何もあんなに勢いよく捻らなくてもよかったのよね」

 念を押すようにもう一度。

 が、そうして優華の水気を拭っていると、その惨状がありありと楓の目に映った。

 優華がこの場に現れたことは予想外のことだったとはいえ、ジンを追い払うための攻撃に巻き込んでしまったことに間違いはない。ならばこの惨状の責任は楓たちにある。

 ここに来て、普段は春姫に対して発揮される楓の世話焼き魂に火が灯った。

 「…………柊さん、体操服あるわよね?」

 「は? ええ、教室に」

 「ロッカーよね? 今持ってくるから待ってて。確か……ここからなら更衣室が近いわね。ねえハル、柊さんを連れて先に行っててくれる?」

 「あ、うんわかった」

 「いえ、そこまでしてもらうわけにはいきません。自分で……」

 「いいのよ、私たちのせいなんだから。それにここから教室まで結構あるし、そんな格好で校舎内を歩き回るわけにはいかないでしょ? それじゃあハル、お願いね」

 「了か〜い。ささ、柊さん行こう」

 「あ…………はあ、それじゃあお言葉に甘えて」

 「すぐ戻るからね」

 そうして楓は急ぎ足でその場をあとにした。

 直前、同じくその場を離れるべき面々に目配せするのを忘れなかった。


 「……………………ふう、これでようやく一段落かしら」

 教室へ向かう道すらが、楓は誰にともなく呟いた。

 「そうですね。ジンも、もういなくなったみたいですし」

 「あ〜……疲れた」

 「ともかく、二人ともお疲れ様」

 メルとエールを労う楓。

 中庭を離れる直前の目配せで楓について来た精霊たちは、今は先ほどのように肩に乗っている。左肩に二人して乗っているメルとエールは少し窮屈そうだ。

 一方で――

 「ボクは何もしてないけどねー……」

 一人で悠々と右肩に乗っているフラムはご機嫌斜めだ。ジンを退けた直後は機嫌を直したものと思っていたが、またぶり返して来たらしい。

 相手にしても仕方がないので無視するが。

 「それにしても、昨日の今日でもうあんなことが起こるなんて……あんたたち、連絡網かなんか回してるんじゃないでしょうね?」

 「そんなことしないよ。第一精霊って言っても、ほかの誰がどこにいるかなんてそんなに知らないしね。私たち顔見知り少ない方だし」

 「能力的にあんたが一番怪しんだけどね。風の便りって言うし」

 「まあ……できることはできるけどね」

 「それって私たちにも?」

 「うん」

 「ふうん、それはそれで便利ね」

 「あのう、楓さん……」

 エールと他愛のない話をしていると、メルがオズオズとその会話に入って来た。

 「ん? 何?」

 「そのことなんですけど…………その、ジンを呼び寄せてしまった理由」

 「心当たりあるの?」

 「春姫さんではなくて、多分フラムに惹かれて来たのかと」

 「――はあっ!? ボクぅっ!?」

 「フラムにって…………どういうこと?」

 「昼休み……屋上で、フラムが炎上しましたよね? それでフラムの存在を知って来たんだと思います。同じ火の精霊ですから、あれだけ強い炎を出せばフラムがジンの存在を感じたように向こうからもわかったのではないかと……」

 メルの話は、おおむね納得がいくものだった。楓が予想していなかったパターンだ。

 (なるほど、そういうのにも注意しないといけないのね……)

 ならば今回の件で、エールもメルも相応の力を使った。これからしばらくはそれに惹かれて来る精霊を警戒する必要があるだろう。もっとも、それがエールたちみたいに話のわかる精霊だったら友好関係の一つも結べるのだろうが。

 「そんな……ボクの、せい?」

 決意を新たにする楓の右肩で、フラムが消沈した様子でうなだれていた。

 今回は全く役に立たなかった上、その原因をつくったのが自分自身と知っては不機嫌を通り越して気落ちもするというものだろう。さすがの楓もそこへさらに鞭を打とうとは思わず、しばらくは黙って歩いていた。

 そうして数分の内に、楓は教室にたどり着いた。

 「さ、着替えを持ってサッサと戻りましょ」

 精霊たちのことはひと時置いておき、楓は忙しなく更衣室へ戻る準備を始めた。

                       ***

 「あ、よかった誰もいない」

 一方楓から優華のことを任された春姫も、早々に更衣室にたどり着いていた。

 「大変なことになっちゃってごめんね? 風邪引いちゃうかもしれないし、制服は先に脱いでる? 私、外に出てよっか?」

 「いえ、最近はもう暖かいですし、大丈夫です」

 きっぱりと言いきる優華。しかし威圧的な雰囲気はない、落ち着いた低い声だ。そんな優華は、今は手持ち無沙汰にかすかに揺れるカーテンを見つめている。

 春姫は、その姿についつい無遠慮な視線を投げる。

 スラリと足の長い長身はクラス一。水に濡れて密着した制服が、その引き締まった身体をより際立たせている。やや硬い表情の横顔は恐ろしいほど整っていて、流れ落ちる水滴が言いようのない色香を漂わせていた。

 今しも優華は、うなじの辺りで無造作に束ねてある髪を根元から毛先に向かって絞っている。そんな仕草ですら様になっている。

 「柊さんって……」

 「……? 何か?」

 春姫は、半ば無意識の内に呟いていた。

 「…………柊さんって、すごい美人さんだよね」

 「――はっ!?」

 途端、優華はその整い過ぎた美貌を崩して顔を真っ赤に染めた。

 「なっ……と、突然何を……」

 「あ、こういうの言われ慣れてないんだね。今度はちょっとかわいいかも」

 「かわっ……!?」

 立て続けに投げかけられた賛辞に、優華は大いにうろたえた様子で視線を右往左往させる。 先ほどまでとは大違いのその態度に、春姫はまた妙な好奇心をくすぐられた。

 「これまであんまり話したことなかったけど、柊さんって面白いんだね」

 「そんな、私は…………口下手でクラスメイトともあんまり話さないし。宮原さんの方こそ可愛いし、みんなに優しいって評判ですよ?」

 「でも、柊さんの方が美人だよ。胸張っていいのに」

 「そんな、私は…………こんなですし……」

 「私は“かわいい”って言われると、ちょっとくすぐったいけどやっぱり嬉しいよ? 柊さんはそういうことない?」

 「……………………見ての通りです」

 優華はとうとう真っ赤にした顔をうつむけていた。

 見ての通り、あまり得意ではないようだ。

 「あはは…………まあ、楓ちゃんは言ってくれないんだけどね。それどころか“調子に乗るな”とかよく言われるし。本当は楓ちゃんに褒められるのが一番嬉しいんだけど……」

 「楓…………津月さん?」

 すると、不意に口にした楓の名前に反応して、優華が顔を上げた。

 「うん、幼馴染なの。だから遠慮なし」

 「いつもあんな感じなんですか?」

 「そうそう、私にだけは冷たいの楓ちゃん……というか、私に冷たいのが楓ちゃんだけ?」

 「でも、津月さんはいつも宮原さんの面倒を見ていると聞きますよ?」

 「う……そんなこと言われてるんだ私。まあ、事実なんだけど。迷惑かけてるなあ、とは思うんだよ? でも現実は厳しいというか……」

 「なるほど…………そう言えば、先ほどもそうでしたね」

 「うぅっ…………そうだ、さっきはかなり恥ずかしいところを……」

 それを思い出し、今度は春姫の方が赤面する番だった。

 そう先ほど、ジンを追いかける楓に手を引かれて一緒に走り回った時、力尽きた春姫は無様にも床に這いつくばったのだ。優華にはその場面をしっかりと目撃されている。

 「そういえば、先ほどは何をそんなに急いでいたんですか?」

 「え?」

 「随分と忙しない様子でしたけど。それこそ、宮原さんに気が回らないくらいに」

 会話の途中、ふと思い立ったというような質問。

 その質問に、春姫は赤面したまま硬直した。

 自ら思い返した通り、先ほどの春姫たちは学校に紛れ込んできた火の精霊ジンを追いかけていた。その途上で優華に出くわしたのだ。

 問題は、果たしてそのありのままを話していいものかということだ。

 エールたちは特に気にしてはいないみたいだが、楓の方は精霊の存在を隠したがっているように見える。ならばその存在をバラしてしまった時の楓の反応は考えるまでもない。きっと烈火の如く怒られることになるだろう。

 だが春姫は――

 (私はいいと思うんだけどなあ……エールちゃんたちみたいな精霊がいるって知ったら、きっとすごく楽しいのに)

 話してしまおうか、と思っていた。

 正直なところ、春姫は話したくてウズウズしている。架空の存在だと思われていた精霊が実在すること、それが楓の家に居ついていること。そしてその精霊に力を与える能力を自分が持っていることも大いに自慢したい。

 「……らさん? 宮原さん?」

 「へっ……!?」

 「どうかしたんですか?」

 優華の声に我に返る。

 春姫の意識ではほんの一瞬のことだったが、思いのほか長いこと硬直していたようだ。

 「あ……ごめんごめん、ボーッとしちゃって」

 「そうですか……あの、もしかして聞いてはいけないことでしたか?」

 「ううん違うの。えーっとねえ……」

 人差し指を顎の下につけて視線を宙にさ迷わせると、再び悩ましい選択肢が頭に浮かぶ。

 話したい。だが楓に怒られるのもやはり嫌だ。

 とはいえ楓に怒られるのは嫌だが話したい。

 春姫は必死に頭を働かせる。しかしただでさえポンコツな上、普段からろくに動かしていない頭だ。そうそう最適な答えが出て来るはずもない。

 そこへ――

 「あの……」

 「へっ?」

 優華が、春姫の物思いを遮る言葉を発した。

 「何?」

 「あ、その…………聞きたいことがあるんですけど」

 「聞きたいこと? さっきのことじゃなくて?」

 「はい、えぇっと……」

 答えが出て来ない問題を中断できたのは幸運と言えただろう。だが今度は優華の方が、言葉に詰まった様子で視線をさ迷わせている。

 ついさっきの優華自身の言葉ではないが、聞きにくいことでも聞くつもりなのだろうか。

 春姫は我知らず身構える。

 だがそれすらも、続け様に中断を余儀なくされてしまった。

 「ん……?」

 「あれ……?」

 ともに身を硬くして向かい合う二人に、更衣室の扉が叩かれる音が届いた。

                       ***

 優華の着替えを持って戻った楓は更衣室の扉を二、三度ノックした。中から話し声が聞こえていたので中に優華たちがいることはわかったが念のためだ。さらに念のために、精霊たちには廊下の隅の方で隠れてもらっている。

 ややあって、更衣室の扉が開いた。

 「楓ちゃん、お帰り〜」

 「ただいま……ってここは家じゃないわよ」

 「まあまあいいじゃないこの際」

 「まあ……ね。それより、何話してたの?」

 「え? ああ、うんその……」

 扉越しにおぼろげに聞こえていた会話の内容を尋ねると、春姫はバツが悪そうにそっぽを向いた。何かよからぬことを話していたのだろうか。

 「特に…………なんでもない話だよ!」

 続いてこのセリフ。何かを隠しているのは決定的であろう。

 「本当に……?」

 「うん! そ、それより柊さんの着替えは?」

 「ええ、それはこの通り」

 春姫の問いかけに応じるのと同時に優華の姿が目に入った。

 当然だが相変わらずの濡れネズミ状態。一刻も早くなんとかしなければならない。春姫の追及は一旦置いておき、更衣室の扉を後ろ手に閉める。

 「はい柊さん、これ」

 「……ありがとうございます。助かりました」

 「さっきも言ったけど、私たちのせいなんだから当たり前よ。むしろこんなことしかできなくて申し訳ないくらいよ。それと…………はいこれも」

 「えっ? これは……」

 優華の着替えに続いて楓が差し出したのは真っ白な真新しいタオル。

 予想外だったのか、それを前にした優華は目を丸くした。

 「そのままじゃ着替えられないでしょ? 私ので悪いんだけど、まだ使ってないから」

 「いいんですか?」

 「いいからいいから。タオルなんていくらでもあるんだし」

 「……はあ」

 「それじゃあ私たちは外にいるから。行こうハル」

 「うん。それじゃあ柊さん、またあとで」

 「はい」

 春姫と一緒に更衣室を出た楓は胸を撫で下ろした。

 これで当面やるべきことはやり終えた。申し訳なさは未だにあるものの、とりあえず肩の荷が下りた心境だ。

 だがそれも束の間、楓は再び頭を抱えだす。

 このまま優華を置いてズラかるというわけにはもちろんいかない。最低でも教室まで、もしかすると一緒に帰ろうという流れになるかもしれない。そうなった場合に精霊たちをどう隠すか、それを考えなければならない。

 少しも気が休まる瞬間が訪れな我が身の不幸を嘆き、楓は小さく息を吐いた。


 「それじゃあ私はこの辺りで……」

 予想通り一緒に下校することと相成った楓、春姫、優華の三人。

 その途中で優華がそう切り出してきた。

 「あ、柊さん、あっちなんだ」

 「はい。と言っても、すぐそこなんですけど」

 優華が指差した先には白い壁の綺麗な家。なるほどすぐそこだ。

 「そう……今日は本当にごめんなさいね。あんなことになっちゃって」

 「いえ、何度も言いますけど、大したことないですから」

 「あ、そういえば制服大丈夫? ちゃんと替えとかあるの?」

 「それはご心配なく。ちゃんと予備があります」

 「それはよかったわ。さすがに私のじゃパッツンパッツンだろうしね」

 「あははは……確かにそうですね。あ、それじゃあこれで」

 「うん、また明日」

 「柊さんバイバ〜イ」

 そうして優華は、最後に軽くお辞儀をして家に帰って行った。

 手を振る春姫の隣で楓もその後ろ姿を見送る。

 その姿が見えなくなるのを見計らったようなタイミングで――

 「もういい〜……?」

 くぐもった声とともに鞄をコツコツと叩く音。

 「ああ、ごめんごめん」

 鞄を開いてやると、そこからエールが顔を出す。続いてメル、フラムも。

 優華がいる間はと、三人には楓の鞄の中に隠れてもらっていた。ここまでの距離もそれほど長くはなかったため、今回は大人しくしていてくれたようだ。

 「ふう〜……苦しかったあ」

 「大して時間経ってないでしょ?」

 「ほら、私風の精霊だから」

 「今朝はそんなこと一言も言ってなかったけど?」

 「そうだったかな?」

 エールは例によって飄々とした態度で楓と言葉を交わし、メルはその様子を苦笑しながら見守っていた。問題はもう一人だ。

 「ほーんと、扱いがぞんざいだよねー」

 抑揚のない声で呟いたフラムは、鞄からフラフラと飛び出して春姫の肩に止まった。それからも楓と目を合わせようとしない。相変わらずご機嫌斜めのようだ。

 「……………………ねえ、フラムって結構根に持つタイプ?」

 楓は声を潜め、同じように楓の肩にまで登って来たエールとメルに尋ねた。

 「普段は……あまりそんなことはないんですけど……」

 「そうだね。三分もあればコロッと忘れてる」

 「じゃあなんでいつまでもあんななのよ?」

 「そうですねえ、いつもと違うことと言うと……」

 「う〜ん……」

 エールとメルは腕を組んで呻り出す。

 「ああ……!」

 ややあって、エールがその手をポンと叩いた。

 「何か思い当った?」

 「いつもと違うことって、楓じゃない?」

 「は? ……私!?」

 「うん。昨日まで楓たちとは一緒にいなかったわけだし。だからじゃない?」

 「それになんの関係があるのよ? 私がいたからってなんなの?」

 「ああ、でも……」

 楓が疑問を呈すると、今度はメルの方が何かに思い至ったようだ。

 どうでもいいことだが、エールとメルはそれぞれに楓の右肩と左肩にいる。会話する相手が変わる度に右へ左へと顔を向けなければならないのが意外と骨だ。

 さておき。

 「何? どういうこと?」

 「なんと申しますか…………フラムも、仲よくしたかったんですよ。楓さんと……と言うよりは人間と、でしょうか?」

 「はあ?」

 「根に持っているわけではなくて、極まりが悪いんですよきっと。私たちは、これまで人間と一緒に過ごすことなんてありませんでしたから、どう接したらいいか不安で……それであのようなことまでありましたから、つい避けてしまうんでしょう」

 「何? そんなナイーブな奴なわけフラムって」

 「ん〜……それに関しては自信ない。でも、素直に謝れないのは確かだと思う」

 「それで避けてるって……? そんな勝手な……」

 だとすればその言動は我がまま極まりない。

 極まりない、が――

 「本当にもう……」

 エールたちの言葉に、楓はしかめっ面になりながらフラムを見遣る。

 腑に落ちない点は多々あるが、仲よくしたがっていると聞かされて悪い気はしない。

 当のフラムは春姫と会話中――というよりフラムが一方的に話しているように見える。また楓への恨み言でも口にしているのか、はたまたエールたちの言う通りならば、ままならないその心中を嘆いているのか。

 と、ふいに春姫と目が合った。

 フラムに見えないように手を動かし、何やらジェスチャーをする。独自性溢れるそれをどうにか解析するに、どうやら仲直りしろと言っているようだ。

 (そういう話をしてる…………ってことかしら?)

 だとすればもはや行動に移るしかない。

 とりあえず、こういう時に一番馴染んだ方法を取るべきだろうか。

 「ハル、ちょっと買い物して行っていい?」

 「買い物……あ、うんわかった」

 主にその対象である春姫もそれに気づいただろうか。

 ともかくその春姫たちと一緒に、これまでたどっていた自宅までの道のりを外れていつも利用しているスーパーマーケットへと向かった。

 その道すがらは精霊たちも含めていやに言葉少なだったが、それも今しばらくのことだと言い聞かせて足を前に出す。

 そうしてスーパーに着いた楓は、まずは普段と同じように買い物をする。野菜、魚、肉と各コーナーを回って当面必要な食糧を買い物カゴの中に放り込む。

 その後、その足は本来の目的地へ。

 「わーい!」

 「こらハル!」

 お菓子コーナーを目前にして、春姫は歓声を上げて駆け出した。楓は子供連れの母親のような心境でそのあとを追い、色とりどりのお菓子が並ぶ棚の前に立つ。

 そしてまずは、自分の両肩に乗っている二人に声をかける。

 「あんたたちもいる? 好きなの選んでいいわよ」

 「え……?」

 「いいんですか?」

 「どうせいつも春姫が持ってくるんだから、少し増えてもこの際関係ないわよ」

 「……………………それでは、お言葉に甘えて」

 「遠慮なく」

 早速といった様子で、エールとメルは棚に視線を走らせ始める。

 それを見計らって――

 「ほら、フラムも」

 「え? ボクも」

 フラムへと水を向ける。

 意外だったのか、フラムは驚いた表情で楓を見上げた。

 「な……何? 食べ物で釣る気?」

 「ま、そういうことね」

 「だっ……そこまではっきり言っちゃう?」

 「もったいぶるのもなんだしね。ハルはいつもこれで機嫌直すから」

 「ちょっとお、楓ちゃん……それじゃあ私が食いしん坊みたいじゃない」

 「何言ってんの、まるっきり食いしん坊じゃない」

 「ぶうっ……」

 歯に衣着せぬ物言いに、春姫は頬を膨らませる。

 とはいえ、つい前日同じ方法で機嫌を直した春姫には弁護の余地などあるわけがない。

 「ハルは置いとくとして、まあ私の方も荒っぽかったわよ。だからこれで手打ちってことで、ね。もっとも、同じことやったら容赦しないけど。そのつもりで」

 「むう……」

 そこまで言うと、フラムは難しい顔をして楓から目を逸らした。

 しかし、その視線はお菓子の棚に釘づけになっている。もうひと押しだ。

 「気に入らない?」

 「そ、それは……」

 「じゃあいいわよ。お菓子は私たちだけで食べるから」

 「――ぅえっ!?」

 楓が決め手に放ったその言葉に、フラムはひと際敏感な反応を示した。

 そこへ強力な援護射撃が飛ぶ。

 「あ、フラムちゃんお菓子いらないんだ?」

 「そうなの? それは残念……」

 「でも、いらないというのなら仕方がありませんね。私たちでいただきましょう」

 「そうしましょ」

 春姫、そしてエールとメルが口々にそうまくしたてる。

 楓もそれに調子を合わせ、話はフラム一人が置いてけぼりの方向へ向かっている。

 「私は……これ!」

 「私はこれにしよかなあ」

 「私はこれにします」

 「それじゃあ私は……」

 春姫はチョコレート(ちょっと高いぞ)、エールはスナック、メルはキャンディ。次々と目当ての品物を決めて行く。

 手遅れになるまであと一歩。

 そうしてついに、フラムが音を上げる瞬間が訪れた。

 「ボクこれ!」

 フラムの指が猛然と棚の一角を指す。

 「いらないんじゃなかったの?」

 「そんなこと一言も言ってない!」

 楓は内心で“釣れた!”とガッツポーズ。

 言ってはなんだがチョロい。フラムに言った通り春姫にもこの手はよく使うが同じくらいのチョロさだ。このフラムに関しては、これまで培ってきた春姫の扱い方が通用するとわかったのは収穫だ。

 それはさておき、気になることがある。

 「…………まあいいけど、本当にそれでいいの?」

 「えっ……?」

 「いやだから、“それ”で」

 楓はフラムと同じように、同じ品物を指差した。フラムもその指の先を視線で追う。

 その先にあったのは円筒形のパッケージ。その商品名は――

 「ゴーヤスティック…………激ニガ……!?」

 「前に罰ゲームで食べさせられたことあるけど、すっっっごく不味いわよそれ」

 「――はあっ!? いや、ちょっ、ちょっと待って!」

 おそらくとっさに指を指したのだろう、自分が何を選んだのかは意識になかったようだ。

 フラムは楓に指摘されて、大慌てで棚を駆けずり回る。

 その様子を、楓たちは揃って微笑ましい目で見守っていた。

 まだまだ不安は多いものの、少しは上手くつき合っていけるだろうか。

 不安ばかりが立ちはだかる精霊たちとの生活の中で、初めてそう思えた瞬間だった。

 「ん〜…………これ!」

 「それ! メチャクチャ高い奴じゃない! 少しは遠慮ってもんを知りなさい!」

 まあ、不安が完全に拭い去られたわけではないが。

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