008 刺客・前編
外の広場で惨劇が繰り広げられていることなど露知らず。
ヒバリは一人、ギルドの裏手にある工房で、机の上に広げた分厚い羊皮紙と格闘していた。
「……カルコサの『リアクティブ・アーマー』。あれは物理的な硬さじゃない。魔力波長を瞬時に読み取り、相殺する反発魔力を表面にコーティングする技術だ。つまり、これをルキオラさんのバスターソードの排熱装甲に応用すれば……」
ヒバリの脳内で、無数の数式と回路図が恐るべき速度で組み上がっていく。
さらに彼は、無意識に自分の右腕をさすり、オタク特有の不気味な笑みを浮かべた。
(いや、剣だけじゃない。僕の研究にも応用できるかもしれないな……)
様々なインスピレーションに酔いしれていた、その時。
――コン、コン。
静かな工房の扉が、控えめにノックされた。
ヒバリはピタリとペンを止める。時計を見れば、深夜をとうに回っている。この時間に、誰だろうか。
「……どなたですか?」
「ヒバリさんですか? アウラ・コピアのピエリスです」
扉の向こうから、女性の声が返ってきた。少し掠れた、緊迫感を孕んだ声だった。
ヒバリは首を傾げながら、重い扉のロックを外してゆっくりと開けた。
そこに立っていたのは、紫がかった銀色の髪をショートにした、しなやかな体躯の女性だった。動きやすさを重視した黒のノースリーブシャツに機能的なタクティカルパンツという軽装で、息を荒くしている。
「あの……何かありましたか?」
「ヒバリさん! 大変です、一刻も早くここから逃げないと!」
「え?」
ピエリスと名乗る女性は、血相を変えて工房へと滑り込んできた。
「街が……ギルドが、突然何者かの襲撃を受けました! マスターたちが足止めをしていますが、敵の狙いはあなたです! 早く荷物をまとめて!」
「しゅ、襲撃!? ルキオラさんは!?」
「彼女も戦っています! 大事な研究資料は私も運びますから、早くここから出ましょう!」
ピエリスは焦った様子で周囲を見渡し、ヒバリが試作しつつも失敗を重ね、机の端に山積みにしていた基板の山へと真っ直ぐ歩み寄り、手を伸ばした。
その光景を見て、ヒバリの瞳から困惑する青年の光がスッと消え失せた。
「……待って」
ヒバリのひどく冷たく、静かな声が、ピエリスの背中に突き刺さった。
ピエリスが振り返る。
「確かに、アウラ・コピアのハンター名簿に『ピエリス』という女性の登録はありました。アピスちゃんから見せてもらった資料には、年齢、得物、そして身長や体重まで細かく明記されていました」
「それが、何か……? 早く逃げないと!」
「資料によれば、ピエリスさんの身長は一六八センチです。しかし……目の前にいる君は、目測で一七二センチはある」
ヒバリの鋭い指摘に、ピエリスは一瞬だけ表情を強張らせたが、すぐに苦笑いを作った。
「やだなぁ、そんなの誤差ですよ。今日履いているこのブーツ、底上げしているんですから」
「……そうですか」
ヒバリは眼鏡の位置を中指で押し上げ、さらに冷徹な声で言い放つ。
「研究資料の持ち運びを手伝うと言って、一目散にそのチップの山へ手を伸ばしたのは愚策でしたね」
「……」
「何も知らない素人なら、普通は本棚にある分厚い専門書や、いかにも高価そうな測定器の方に目を向けるはずだ。……こんなゴミみたいな薄い板の集合体が、この部屋で最も価値のあるものだと見抜けるのは、技術を理解しているプロだけだ」
数秒の、重苦しい沈黙が工房に落ちた。
「ふぅん……」
ピエリスと呼ばれた女の表情から、焦燥も、作り物の笑顔も完全に消え失せた。
冷酷な暗殺者の顔になった女は、心底呆れたようにため息をついた。
「女の身長とかいちいち覚えてんの? ……きんもっ」
言葉が終わるよりも早く。
女の身体がバネのように弾け、常人には不可視の速度でヒバリへと襲い掛かった。
「っ!」
ドンッ!! という鈍い音と共に、ヒバリの細身の身体が床へと激しく叩きつけられる。
「がっ……は……!」
肺の空気が抜け、苦悶の声を上げるヒバリ。
女はヒバリの上に馬乗りになると、左手でヒバリの右手を床に縫い付け、右足でヒバリの左手を力強く踏み躙り、その全身の体重でヒバリの身動きを完全に封じ込めた。
関節の急所を完璧に抑え込まれ、身体能力が皆無のヒバリでは、ピクリとも身動きが取れない。
「頭は回るみたいだけど、ひ弱すぎ。お前、モテないでしょ?」
女は上からヒバリを見下ろし、不敵に、そして残虐に笑った。
「君は……誰だい!?」
ヒバリは苦痛に顔を歪めながら問いかけるが、女は答えない。代わりに、自身の腰から黒光りする小口径の魔導拳銃を抜き放った。
「『ジェネシス・コード』はどこにある?」
「…………」
「やっぱ、アンタのこの頭の中ってわけね」
チャカッ、と。
冷たい銃口が、ヒバリの眉間にピタリと押し当てられた。
「誰の……差し金だ?」
死の淵にあっても、ヒバリの声は不思議なほど冷静だった。
「さあね」
女は残虐な笑みを深め、拳銃の撃鉄を起こした。
「まずは余計な抵抗ができないよう、その両腕から砕かせてもらおうか」
女が引き金に指をかけ、力を込めた――その瞬間。
「……あ、つッ!?」
女は突如として自身の左手に焼けるような超高熱を感じ、思わずヒバリの拘束を解いて飛び退いた。
「な、何!?」
女が警戒して距離を取ると、ヒバリは床に座り込んだままの姿勢で彼女を見据えていた。
無言の彼の右腕に、異変が起きていた。
作業着の袖が焼け焦げ、皮膚の下から這い出してきた『液状の魔導回路』が、凄まじい速度で金属装甲へと変質していく。
ガシャゥンッ!!
という小気味良い機械音と共に形成されたのは、ヒバリの肘から先を完全に覆う、鈍色の流線型を描く武骨な『砲身』だった。
先端にぽっかりと空いた砲口の奥で、恐るべき密度の魔力光がチリチリと脈動している。
(なんだ、今の魔法は……!? 義手? いや、何もないところから一瞬で装甲が組み上がった!?)
女が理解の及ばない超技術に戦慄した、その直後。
ヒバリは右腕の砲身を女へと向けた。
「――熱量圧縮砲、出力三〇%」
ズギュゥゥゥゥンッ!!!!
砲口から、目も眩むような特大火力の純白の光線が放たれた。
工房の空気を一瞬でプラズマ化させるほどの熱線。
「しまっ――」
女はプロの暗殺者としての直感で死を悟り、咄嗟に身体を捻った。
光線は女の真横をすり抜け、背後の分厚い石壁を豆腐のように溶解して貫通し、夜空へと消えていった。
「くっ……ぐぅっ……!!」
間一髪で直撃は避けたものの、光線の熱波を掠めた女の左腕は、肘から先が完全に蒸発していた。
炭化した切断面から、ドクドクと赤黒い血がゆっくりと垂れ落ちる。
「バカ、な……!」
激痛に顔を歪め、脂汗を流しながら、女は残った右手で拳銃を構え直そうと必死に姿勢を保つ。
だが、ヒバリは一切の感情を排した瞳で、まだ白煙を上げる右腕の砲身を再び女の心臓へとピタリと照準した。
砲口の奥で、再び致死の光が脈動し始める。
「次は外さない」
それは、死神の宣告よりも冷徹なアーキテクトの声だった。
「答えろ。何者だ? ルキオラさんたちは無事なのか」
ヒバリの殺気に、女は唇を強く噛み締めた。
次の一歩をどうするか。動けば間違いなくあの光線で胴体を消し飛ばされる。何か適当な言葉を紡ぎ、はぐらかして隙を作るしかない。女の脳がフル回転する。
「あー……それはね……」
女が口を開きかけた時、砲口の光が、発射寸前の限界点まで輝きを増した。
その時だ。
女の背後から、ひどく軽薄で、場違いな男の声が響いた。
「なに手こずってんの」
ヒバリが目を見開き、視線を向ける。
月明かりを背にして立っていたのは、襤褸布のような砂色の外套を被った男だった。外套の隙間からは、異質な機械装甲の脚部が覗いている。
そして。
ヒバリの視線は、その男が右手に無造作にぶら下げている『それ』に釘付けになった。
「あ……」
ヒバリの喉から、間の抜けた声が漏れる。
男の片手には。
持ち手部分が赤黒い血でべっとりと染まった、巨大な漆黒の鉄塊。
ヒバリが、ルキオラのために心血を注いで作り上げたばかりの――『バスターソード』が握られていた。




