063 vsグラウクス
施設の下層、メインゲートへと続く広大な搬入用通路。
ハパロクラエナがヒバリの待つ最深部へと駆け抜けた直後、その退路を完全に塞ぐようにドフレイニアが立ち塞がった。
その規格外の化け物の前に立ちはだかったのは、ミサゴによってIFFを書き換えられ、紫色の光学センサーを点灯させた数十機に及ぶバルカン社の完全自律型警備ロボットの軍団である。
『――目標補足! 全機、ありったけの弾丸を撃ち込みなさいッ!!』
通路のスピーカーから、ミサゴのノイズ混じりの絶叫が響き渡る。
直後、数十機のロボットが内蔵されたガトリング砲と対装甲用ミサイルを一斉に起動し、ドフレイニアという単一の標的めがけて、面制圧の飽和攻撃を浴びせた。
鼓膜を破壊せんばかりの爆音と、視界を白く染め上げる閃光。
通常であれば、いかに強靭なハンターであろうと原型を留めずに肉片へと変わる絶対的な弾幕。しかし、爆炎と粉塵が晴れた後、そこに立つ巨漢の姿には、文字通り『傷一つ』付いてはいなかった。
ドフレイニアは一切の言葉を発することなく、ただ胸部の『ゴリアテ』の魔力炉を不気味に明滅させると、目前に迫った警備ロボットの群れへと無造作に突進を開始した。
それは、戦闘というよりも一方的な『粉砕作業』であった。
彼が剛腕を振り抜くたびに、強固なチタン合金で作られたロボットたちの胴体が紙くずのようにへこみ、魔導回路を撒き散らして壁へと吹き飛ばされる。
ミサイルの直撃を顔面で受け止めながらも、歩みは一切止まらない。ロボットの頭部を鷲掴みにして握り潰し、その残骸を棍棒代わりに振り回して後続の機体を次々と薙ぎ倒していく。
沈黙のままに繰り広げられる、無慈悲で圧倒的な蹂躙。
ロボットたちはミサゴの統制下にあるため、恐怖や退却の概念を持たない。彼らは文字通り腕をもがれ、脚を砕かれながらも、残された火器でドフレイニアにしがみつき、零距離射撃を敢行する。
しかし、その絶死の特攻すらも、絶対的な質量の前には、ただ己の残骸の山を高く積み上げていくだけの結果に終わっていた。
だが。
地上に停泊するトドロキのコックピット内で、鼻から血を流しながら端末のキーを弾き続けているミサゴの顔には、一切の焦りはなかった。
むしろ、その唇には極めて悪辣で、計算高い笑みが浮かんでいる。
(……ええ、知ってるわよ。アンタみたいな規格外の化け物を、そこらの量産型ロボットで殺しきれるなんて、ハナから思っちゃいないわ)
ミサゴは右腕の激痛に耐えながら、残された左手で新たなコマンドを入力し、施設内の別フロアからさらに数十機の増援ロボットをドフレイニアの元へと差し向ける。
(アタシの目的は、アンタを倒すことじゃない。……あのムルキベルでの絶望的な死闘を、もう一度ハパロに味わわせないことよ!)
ドフレイニアをハパロたちに絶対に合流させない。
そのための、ロボットという『無尽蔵の肉の壁』を用いた、完全なる遅滞戦術。
いかにゴリアテの心臓を持つ無口な巨獣であっても、その巨躯を押し包むように殺到する何十機もの鉄の塊を処理するには、相応の物理的時間を消費せざるを得ない。ロボットの残骸が通路を塞ぐ物理的な障害物となり、彼の歩みを確実に、そして決定的に遅らせていた。
『ハパロ……アンタの背後は、私が完全に塞いだわ。……あとは、絶対にヒバリを連れて帰ってきなさいッ!!』
ミサゴの祈るような声が、地下施設に木霊する。
天才ハッカーの泥臭い執念によって築かれた鋼鉄の防壁の向こう側。ハパロクラエナはついに、すべての元凶たるバルカン社最深部の扉へと、その手をかけていた。
◆◆◆
バルカン社地下深層。
無数の警備ロボットを蹴散らし、ハパロクラエナが単機で辿り着いた最深部の扉の先。そこは、呼吸をするだけで肺の細胞が壊死しそうになるほどの、異常な極寒の空間であった。
ジェネシス・コードの抽出が行われている最終防壁の前。
そこには、ダイダロス第2位、グラウクスが静かに立ちはだかっていた。彼が両腕に装着した『絶対零度の手甲』から放たれる凍気が、空間の水分を次々と微細な氷の結晶へと変え、床一面に禍々しい霜を這わせている。
「秩序を乱す者よ、これ以上の進行は許可しない」
グラウクスの声には、怒りも焦りもない。ただ絶対的な規律を執行する冷酷さだけが支配していた。
ハパロは白銀の魔導細剣『カランサルティア』を正眼に構え、自身の並列処理能力を限界まで引き上げる。
「秩序だと……? 姉上の命を盾に取り、ヒバリの脳を嬲りものにして作られる世界が、お前たちの言う秩序か!」
「そうだ。それこそが、この腐敗した世界を統制する唯一の希望」
グラウクスが静かに右手をかざした瞬間、ハパロの足元の空間が爆発的に凍結した。
床から無数の鋭利な氷柱が、完璧な幾何学模様を描きながら四方八方から襲い掛かる。ハパロは瞬時に並列処理能力で全氷柱の軌道を演算し、光の魔力を漲らせた刃で致命傷となる刺突のみを的確に弾き落とした。
刃と氷が激突するたびに、空間に致死の衝撃波が撒き散らされる。
「自由という名の無秩序が、どれほどの悲劇を生むか。……お前には理解できまい」
グラウクスは氷の破片を自律的に空中に浮遊させながら、静かに、しかし深い憎悪を込めて語り始めた。
その間にも、手甲から放たれる絶対零度の冷気がハパロの体温を容赦なく奪っていく。吐く息は白く凍りつき、四肢の末端から感覚が失われ始めていた。
「かつて、ハンターどもの身勝手な欲望の果てに、私の妻と娘は嬲り殺された。法も、ギルドも、彼らの自由を裁きはしなかった。……だからこそ、私が裁いた。この世界には、個人の感情や自由意思などという不確定要素を完全に管理し、抑圧する『絶対的な力』が必要なのだ。ダイダロスが完成させるジェネシス・コードの支配システムこそが、二度と私のような悲劇を生まないための、究極の救済となる」
語りと同時に、グラウクスの魔術が牙を剥く。
空中に浮遊していた無数の氷の破片が、一斉に散弾となってハパロへ降り注いだ。ハパロはカランサルティアを高速で旋回させ、光の盾を形成して防ぐ。しかし、それはグラウクスの罠であった。
散弾の着弾と同時に、極限まで冷却された空気が連鎖的に凍結し、ハパロの周囲に『絶対的な密室』たる氷の牢獄が瞬く間に構築されていく。
「秩序の礎となれ」
グラウクスが両手を合わせると、氷の牢獄の内側に、ハパロの四肢を正確に串刺しにするための巨大な氷の処刑剣が四方向から形成され、無慈悲に迫った。
回避する空間はすでにない。物理的な逃げ場を完全に奪う、極めて計算高い秩序の魔術。
「……ふざけるなッ!!」
ハパロは自身の血流に直接光の魔力を流し込み、凍りかけた細胞を強制的に活性化させる。
同時に、カランサルティアの刀身に限界値を超える魔力を叩き込んだ。試作品であるがゆえの不安定な魔力回路が悲鳴を上げるが、ハパロの驚異的な並列処理能力がその暴走を強引に束ね上げ、一本の極太の光刃へと変成させる。
「過去の悲劇を理由に、未来の自由を奪う権限が誰にある! 俺たちは、誰の掌の上でも生きない! 愛する者のために、自分の足で立つ!!」
四方から迫る処刑剣がハパロの身体に到達する直前。
ハパロは防御の概念を完全に捨て去り、グラウクスの心臓――氷の牢獄の外部に立つ男の核のみを狙い、自身ごと氷の壁を貫く決死の刺突を放った。
眩い閃光が、絶対零度の防壁を内側から蒸発させる。
光の魔力はグラウクスの展開した多重の凍結障壁を容易く貫通し、彼が防御のために掲げた『絶対零度の手甲』を真っ向から粉砕した。
そして、白銀の刃がグラウクスの胸部を深々と貫き、背後へと抜け出た。遅れて、ハパロの肩と大腿部を、砕け散った氷の処刑剣の破片が浅く切り裂く。
「が、は……ッ」
グラウクスの口から鮮血がこぼれ落ち、彼が支配していた極寒の空間が一瞬にして熱を取り戻す。
「……私の、秩序が……」
膝をつき、力なく倒れ込むグラウクスの視界から、戦いの風景が急速に色褪せていく。
薄れゆく意識の底で、冷たく凍りついていた彼の脳裏に浮かんだのは、冷徹な規律の世界ではなかった。
陽の光が差し込む、穏やかな休日の昼下がり。
自分に駆け寄ってくる幼い娘の弾けるような笑顔と、それを優しく見守る最愛の妻の温もり。彼が自らの心を凍らせてでも、永遠に守りたかった、ただ一つの真実の記憶。
(ああ……そうだ。私はただ、もう一度……君たちに……)
温かい走馬灯の光に包まれながら、グラウクスは最後の力を振り絞り、自身のイデオロギーを打ち砕いた若き戦士を見上げた。
その瞳に宿っていた狂気的なまでの冷気は、すでに失われている。
「……お前たちは……この世界の未来を、愚弄した……」
それが、秩序の妄執に囚われ続けた男の、最期の遺言であった。
グラウクスはその言葉を最後にゆっくりと目を閉じ、二度と動かなくなった。
ハパロは自身の傷から流れる血を意に介することなく、刃を引き抜き、かつてゼニスの治安を背負っていた男の骸を静かに見下ろす。彼の歪んだ正義もまた、この狂った世界が生み出した悲しき犠牲の一つであった。
「……愚弄したんじゃない。俺たちは、俺たちの未来を取り戻すんだ」
ハパロは誰にともなくそう呟き、カランサルティアの柄を強く握り直す。
ついに、彼の眼前に立ち塞がる壁はすべて排除された。
残るはただ一つ。ヒバリの脳を蹂躙する女帝ミレポラが待つ、最深部の扉を開け放つのみであった。




