006 陰謀の石
Aランクモンスター【カルコサ】が両断され、世界が終わるかのような地響きが収まった後。
ファウンテン郊外の平原を支配していたのは、暴虐の竜の咆哮ではなく、異常なまでの静寂だった。ルキオラが振り抜いたバスターソードの軌跡に沿って、大地は数十メートルにわたって深く抉られ、溶岩のように赤熱している。焦げた土とオゾン、そして巨大な爬虫類の血が入り混じった異臭が、チリチリとした熱波と共に漂っていた。
「……信じられない。あのカルコサが、たった一撃で……」
テネブレの頭脳であり、常に冷静な計算を欠かさないヘテラクティスは、ずり落ちた眼鏡を直すことすら忘れ、崩れ落ちた巨大な結晶の骸を虚ろな目で凝視していた。
彼らトップエリートがどれほど高度な魔法を撃ち込んでも、傷一つ、薄皮一枚すら剥がせなかった絶対防壁。それが、まるで安物の薄氷か泥細工のように、物理的な暴力だけで完全に粉砕されている。その圧倒的な破壊の痕跡を前にして、ヘテラクティスの論理は破綻し、ハンターとしてのプライドは根元からへし折られていた。
「隊長。……引き上げましょう。これ以上ここにいても、我々にできることはありません」
副隊長のディアデマが、泥だらけの地面に力なくへたり込んでいるハパロを見下ろし、静かに告げた。
ハパロは汚れなど知らなかった純白のコートを血の滲むような力で握りしめ、顔を真っ青にしてガタガタと震えていた。彼の視線の先には、自身の誇りであった愛剣――ヒバリという天才を失い、素人に弄られて無残に熱暴走を起こしたレイピアが、ただの黒焦げた鉄の棒と化して転がっている。
「俺の……俺の剣技が……魔法が……っ。あんな名も知らぬ田舎者の、大振りな鉄くずに負けただと……!? こんなことがあってたまるか!」
「隊長。見苦しい真似はおやめください」
ディアデマの氷のように冷徹な声が、ハパロの狂乱じみた譫言をピシャリと断ち切った。
「我々ソラリスが介入する余地は、もはや一ミリもありません。我々の完全なる『敗北』です」
ディアデマは、遠くでまだシューシューと白煙を吹き出すバスターソードを担ぐルキオラの横顔を、そして――その異常な大剣を設計し、自分たちにこの致命的な現実を突きつけたであろう狂気の天才の存在を脳裏に深く刻み込みながら、屈辱と共に踵を返した。
ヘテラクティスやアラティナたちテネブレの面々は、誰一人としてルキオラに声をかけることすらできず、死人のような顔で這々の体で王都の飛空艇へと逃げ帰っていった。
「やった……やったぞ! 俺たちの街が守られたんだ!」
テネブレの飛空艇が逃げるように飛び去った後。街の防壁から転がるように駆けつけてきたディナステスたちアウラ・コピアのハンターたちが、涙を流して歓声を上げながらルキオラを取り囲んだ。
「姉御、すげぇッス! 一生ついてくッス!!」
「ルキオラ、お前は街の英雄だ!」
コキネラやドルクスたちが口々に称賛する。しかし、彼らの身体もまたとうに限界を超えていた。カルコサの暴風による全身の打撲や、死に物狂いで魔力障壁を張り続けたことによる重度の魔力枯渇。立っているのが不思議なほどの満身創痍だ。
そして何より、一撃必殺の極大火力を放ったルキオラ自身も、バスターソードを支えにして立っているものの、規格外の魔力を放出した反動で全身の筋肉が悲鳴を上げていた。
「ルキオラ、よくやってくれた! だが無理はするな。お前も立ってるのがやっとだろう」
ディナステスが気遣わしげに声をかけると、ルキオラは小さく息を吐き、微かに口角を上げた。
「はい……。少し、魔力を使いすぎました。でも、剣は……壊れませんでした」
「ああ、お前もヒバリも、とんでもないバケモンだよ! よし、全員一度ギルドに戻って治療に専念するぞ! カルコサの死体は重すぎてどのみち今すぐには運べねぇ。あとで大掛かりな解体班と馬車を寄越そう」
ディナステスの指示により、負傷したハンターたちは互いの肩を貸し合い、足を引きずりながらも、心からの歓喜と共にファウンテンの街へと帰還していった。
◆◆◆
喧騒が完全に去り、燃えるような夕陽が平原をドロドロの朱色に染め上げる頃。
静まり返ったカルコサの巨大な骸――まるで崩落した虹色の水晶の城のような死体の前に、足取り軽く近づく一つの影があった。ヒバリだ。
「いやぁ、Aランクの魔導ウェハー素材なんて最高だ! こんな巨大な高純度プリズム結晶、王都の研究所にいた頃だって滅多にお目にかかれなかったぞ」
普段のコミュ障で温厚な青年はどこへやら。ヒバリは完全に『技術オタク』の顔になり、理知的な瞳を子供のようにキラキラと輝かせながら、まだ熱を帯びているカルコサの装甲を撫で回していた。
彼の手には、刃先を超高速で振動させることで強固な魔獣の皮膚すら容易く切断する、独自設計の『魔力振動式解体ナイフ』が握られている。
「ルキオラさんの剣のサブチップも作れるし、冷却液の循環パイプの補強にも使える。よし、ギルドの解体班が来る前に、一番神経束が集中している延髄のコアだけでもサンプリングしておこう」
ヒバリはご機嫌な鼻歌交じりに、ルキオラの一撃によって真っ二つに両断された首の巨大な断面へと潜り込んだ。
巨大な爬虫類特有のむせ返るような鉄と血の匂い、そして濃密な魔力の残滓がサウナのように立ち込める中、ヒバリはナイフを外科医のように器用に操り、分厚い筋肉の層と神経の束を掻き分けていく。
「……ん?」
脊髄の最奥部。巨大な中枢神経の束にメスを入れた瞬間。
ガチッ、と。ヒバリの指先に、生物の軟組織とは明らかに異なる『硬質な異物』の感触が伝わった。
「なんだこれ……? 骨の感触じゃない。結石にしては、魔力の波長が不自然すぎる。それに、微弱だが自律的な『脈動』があるぞ」
ヒバリはナイフを置き、特殊なコーティングが施されたピンセットを取り出すと、その血と髄液にまみれた異物を慎重に引きずり出した。
それは、握り拳ほどの大きさの、赤黒く不気味に脈打つ鉱石だった。
「これは……」
ヒバリは息を呑み、布で血を拭い取って鉱石の表面を凝視した。
夕陽の赤い光に透かされたその鉱石の内部には、自然界の産物では絶対にあり得ない、人工的で幾何学的な『魔導回路』が、微小な血管のようにびっしりと狂気的な密度で刻み込まれていたのだ。
「馬鹿な……。自然発生の魔獣の脳神経に、こんな人工的な基板が埋まっているはずがない」
アーキテクトとしてのヒバリの脳が、瞬時にその回路の構造を解析し始める。オタクの好奇心は急速に冷え込み、代わりに技術者としての極めて冷徹な思考が頭部を支配していく。
(……受信アンテナの役割を果たす第一層。神経電流に強制介入して痛覚と方向感覚を麻痺させる第二層。そして……特定の座標へと対象を『誘導』するための強制コマンドが刻まれた第三層)
「……『操獣の魔鉱石』。特定の魔力波長に反応して、モンスターの脳神経をハッキングする禁忌の技術」
ヒバリの声が、平原を吹く生温かい風の中で、氷のように冷たく溶けた。
つまり、この災害級のAランクモンスターは、偶然ファウンテンの街に迷い込んだわけではない。何者かがこの鉱石をカルコサの脳に埋め込み、意図的にこの街へと差し向けたのだ。
ヒバリは、赤黒い鉱石を血が滲むほど強く握りしめた。
誰が、何のために?
答えは一つしか思い浮かばない。
(この街には、巨大な利権を生むような特別な資源があるわけじゃない。あるのは……王都を追放された、僕だけだ)
ヒバリという世界一の技術者がこの街にいることをいち早く察知し、Aランクの災害をぶつけて街ごと彼を『抹殺』しようとした何者かがいる。
鉱石に刻まれたルーンの配列は、ソラリスの標準技術とは比べ物にならないほど高度で、そして効率を無視したように狂気的に歪んでいた。少なくとも、ガスト副長やハパロのような頭の空っぽな連中に作れる代物ではない。もっと深く、暗い場所にいる『同類』の仕業だ。
「……なるほど。僕の技術を恐れているのか、それとも僕の存在が邪魔な『天才』がいるのか」
ヒバリは、普段の温和で冴えない青年の表情を完全に消し去り、背筋が凍るほど冷徹な顔で、赤黒い鉱石を睨みつけた。
技術力で自分を出し抜こうとする輩がいるなら、受けて立つ。
ようやく見つけた自分の居場所となったこの温かい街と、自分の最高傑作を振るうルキオラを傷つけようとするならば。
「…………」
ヒバリは魔鉱石を分厚い鉛の小瓶に封印すると、誰にも見つからないよう懐の奥深くに仕舞い込んだ。
振り返れば、ファウンテンの街に、勝利と生還を祝う温かな灯りがポツポツと灯り始めている。彼らがこの恐ろしい陰謀に巻き込まれていることなど、誰も知らない。
ヒバリは一つ深呼吸をすると、再び温厚な青年の仮面を被り、灯りの待つ街へと歩き出した。




